
新しい現象を発見し、そのメカニズムを解明する。新しい知の創成は人類にとって不可欠なものです。しかし、海洋地球科学はそれだけでは十分ではありません。海洋地球科学の研究成果は、地球に暮らす私たちの生活や社会に役立つことが求められているのです。
研究の成果を社会に応用することで、新しいビジネスやイノベーションが生まれます。一方で、社会からのニーズは研究を進める原動力にもなります。またビジネスで得た利益を研究開発に還元することで、新たな成果が生まれるでしょう。そのような海洋地球科学と社会が相互に影響し合いながら進んでいく、新しいサイクルをつくっていきます。
海洋科学技術における応用研究の重要性について
〜アプリケーションラボの目指すところ〜
(社会における海洋地球科学)
海洋地球科学は、その発展の歴史を考えると、社会や産業界との関係を抜きにしては語れない。海洋物理学、気象学、地震学は地球物理学のもっとも古い分野だが、それぞれ津波、台風、地震による悲惨な災害から、それを科学的に明らかにして社会に貢献することで導入された。関連する分野である地質学、鉱物学、地理学の分野は明治政府が富国強兵に必要な資源確保や地政学的な知見を得るために導入した学問分野で、東京大学の創設まで遡る古い歴史を持っている。
最近は現場観測やリモート観測技術、実験技術、シミュレーション技術の著しい進展により、より本質的な自然界の仕組みを理解し、私たちの新しい知識を増やす試み、いわば知の創造に向けた基礎研究が活発化している。しかし、海洋地球科学は、宇宙の創生を理解することや究極の素粒子を発見し人間原理の真の意味を明らかにするような純理学分野とは異なるものである。未来に向けて私たち人類の持続的発展(Sustainability)や生存可能性(Habitability)に貢献すべき分野である。これは基礎研究だけでなく、社会と相互啓発的に進める応用研究も推進する必要があることを意味している。
未来予測に向けた学問の成熟度とは関係なく、社会は未来に向けた貢献を期待している。具体的には地球温暖化問題、地震予知の問題をあげることができるだろう。こういう状況にあって、最近は不確実な情報の発信の仕方にも踏み込み、社会科学や人文科学も関与する、トランスサイエンスというサイエンスフロンテイアさえ生まれている。3.11の東日本大震災で、私たちは知の創造にかかわる基礎研究だけでは不十分であること、社会と適切に情報を交換し相互啓発的に進む必要があること、それこそが科学技術イノベーションを可能にすることを再認識させられた。第4期科学技術基本計画の理念はまさにこのことをとらえている。
(気候変動予測分野を例として)
1996年に旧科学技術庁の航空電子等科学技術審議会 地球科学技術部会は「地球変動の予測に向けて」という答申を出した。これは私たちの科学はその究極において、地球の未来を予測する科学・技術を確立し、人々のよき生<well-being>に貢献するということをコンセンサスとして、まずは地球変動の基礎プロセスを理解し、シミュレーション技術を伸ばして、地球変動予測分野を確立することが目標だった。この答申のもとで地球シミュレータ、地球フロンテイア研究システムの設置、ハワイの国際太平洋研究センター(IPRC)の計画が練られ、これにアラスカの国際北極圏研究センター(IARC)の計画も加わった経緯がある。発足時の目標は、エルニーニョなどの気候変動の予測、地球温暖化の予測、水循環の予測、それに資する先端的な大気海洋大循環モデルの開発などであった。
先に触れたが、地球科学分野には、天気予報のように、予測科学という視点からみて大変進んだ分野と社会のニーズは高いにもかかわらず、十分には成熟していない後発分野がある。地球フロンティア研究システムにおいて取り組んだ海流変動予測やエルニーニョなどの気候変動予測も、当時はそうした後発分野だった。しかし、十数年を経た今は異なる。JCOPE(日本沿海予測可能性実験)計画の成功により、時空間解像度や精度においてまだ改良の余地はあるものの、世界の海流変動は海面から海底まで1カ月先まで、ある程度見通すことができるようになった。その成果は2001年12月からウェッブサイトで国内外の方々に公開してきたが、最近はさらに高度化され、海運業、水産業、海底資源開発、再生可能エネルギー開発、安全保障、再保険などの産業分野に貢献するレベルにまで発展してきている。3.11の震災時には放射性核種の海洋拡散予測で海上自衛隊や米国艦隊の救援活動にも直接的に貢献することができた。明確に応用分野を開拓したと言えるであろう。これを支える活発な基礎研究があって達成できたことはいうまでもないことである。
気候変動予測においてはエルニーニョなどを1年以上前から予測できるようになり、2006年から予測結果を世界に発信している。様々な産業、たとえば農業、畜産業、アパレル業界、保険業界などへの貢献が始まりつつある。国際協力機構(JICA)と科学技術振興機構(JST)の支援を得た地球規模課題対応国際科学技術協力(SATREPS)南アフリカプロジェクトは、地球規模の予測を基盤としてアフリカ南部地域の季節予測を磨き、地域の農業への応用や防災、減災にチャレンジしているものである。ここでは熱帯域にとどまらず、亜熱帯域の季節予測を大気海洋結合大循環モデルで行い、それを地域にダウンスケールして予測可能性を示す世界最初の成果が生まれつつある。先端的な季節予測技術で国際展開することは、発展途上国への国際貢献にとどまらず、変化する地球環境の下で地政学的な視点から国家存立基盤を確保することにもつながるものである。降水量や気温の季節予測は、熱帯域の感染症のベクターとなるハエや蚊の発生と関係するので、最近はそうした人の健康の問題にも、医学の専門家と協働できるようになっている。これは第4期科学技術基本計画のライフイノベーションの推進にもかなう方向である。アプリケーションラボの「予測応用理工学プログラム」では、こうした大気海洋変動予測を通して人、社会、環境の持続的なよき関係 <well-being>の構築に貢献することを目指している。
(アプリケーションラボの役割)
これまで、従来からアプリケーションラボにおいて取り組んできた気候変動予測の話を中心に記述したが、海洋研究開発機構の進める海洋・大気科学、海洋底地球科学、海洋生命科学などの分野の基礎研究をもとに、社会や産業界と相互に啓発し合いながら、人、社会、環境の持続的なよき関係の構築に向けて、応用研究を戦略的に展開してゆく大きな可能性を秘めていると考えている。これまで培われてきた研究をシームレスに連携、融合しさらに応用研究を発展させるため、平成24年度よりアプリケーションラボに新たに二つのプログラムが加わり体制が拡充された。
地球シミュレータセンターから参加している高橋桂子プログラムディレクターの推進する「先端情報システム創成理工学プログラム」は、ユーザーとの相互啓発により進化する情報提供システムの開発と構築を目指している。展開によってはトランスサイエンスのサイエンスも守備範囲にとらえてゆくかもしれない。地球内部ダイナミクス領域(IFREE)から参加している阪口秀プログラムディレクターの進める「深海応用理工学プログラム」は、今後EEZなどでの深海海洋開発が活発になることを見越して、深海海洋開発と環境保全を両立させるNeo-Engineeringの構築を目指している。特に深海環境アセスメントと開発後のリハビリテーション評価に貢献する科学的予測を行うことにしている。これは海洋研究開発機構の先進的な海洋底地球科学の進展があってはじめて可能になることである。
持続的な成長と発展を実現し、安全かつ豊かな生活を実現するには、新たな人類の知を創生するだけではなく、社会や産業界と相互啓発的に、総合的な応用研究を進めることが大切である。この応用研究を広義に解釈するならば、海洋観測・調査と海洋法の関係などの海洋政策、研究アセスメントや研究倫理もその範疇に入るのではないだろうか。海洋研究開発機構においては、第4期科学技術基本計画の下、知の創造に貢献する基礎研究と人類の環境の生存可能性、良き生の向上に資する応用研究とを車の両輪として位置づけ、相互に緊密に連携して進める戦略を導入することが効果的ではないかと考えている。これには、基礎研究と応用研究の間で適切かつ効果的に情報を交換し合ってゆくメカニズムを導入する必要がある。こうした方向は国際科学会議(ICSU)がRio+20(国連持続可能な開発会議)を契機に推進する予定の「Future Earth」計画の精神にもかなうものである。アプリケーションラボは海洋科学技術を基盤として持続可能な未来に向けた取り組みを加速する役目を担ってゆきたいと考えている。
Copyright 2009 Japan Agency for Marine-Earth Science and Technology
