JAMSTEC
平成10年11月 5日
海洋科学技術センター


深海環境フロンティア研究第2期研究計画への移行について



 海洋科学技術センター(理事長 平野 拓也)は,プロジェクト研究「深海環境フロン ティア研究」(平成2年10月発足)が本年9月末日をもって第1期の研究活動を終了し 引続き10月から第2期研究計画へ移行いたしました。

  1. 経緯
     深海環境フロンティア研究は第1期8年,第2期7年,合計15年にわたるプロジェク トとして,平成2年10月に深海微生物研究グループを設置し発足いたしました。このプ ログラムではまず深海微生物の研究分野において世界のトップグループになることを目指 し,特に海洋の微生物研究分野で欠けている分子生物学的手法1)を用いて研究を進める こととしました。
     第1期では,深海の高圧力,低温,高温等の特殊環境下(極限環境)に生息している深 海微生物を対象に研究を行い,世界の深海微生物あるいは極限環境微生物分野で先導的役 割を果たすまでになりました。また、平成7年11月に実施された外部の有識者による中 間評価では、多くの種類の深海微生物を世界で初めて分離することに成功するなどの成果 を上げたことに対して高い評価を得ました。
     第2期では第1期の成果を踏まえ,深海微生物について極限環境における生理学的な適 応機能を解明するとともに,深海の物理化学的な極限環境に対して深海微生物がどう反応 し,その情報がどのように細胞内に伝達されるかを分子レベルで解明することによって, 深海微生物の本質を明らかにする予定です。また、平成9年9月に実施された外部の有識 者による「深海環境フロンティア運営委員会」において、第2期の研究方針・研究計画等 がこれまでの成果を発展させ新たな領域へ挑む研究内容であり、妥当であるとの評価を得 ました。

  2. 第2期の研究計画
     第1は深海の物理化学環境2)の研究を実施します。微生物の極限環境への適応を十分 に知るためには,微生物のみに注目しているだけでは不十分であり,微生物が生きている 周りの物理化学環境,特に極限環境における水の状態/構造と,微生物との相互作用とい う観点からの研究が不可欠です。高圧・高温の一つの極限の水として超臨界水の研究を始 めます。超臨界水(図1)とは,気体と液体の区別の無くなった水で,純水なら374℃ ,220気圧以上で出現します。このような超臨界状態の水は,深海の熱水鉱床3)写 真1)や海底火山の上に存在することが予想されます。
     第2は多細胞生物(シロウリ貝など(写真2))を研究対象とします。当該分野で新た に提案し進展させる予定の「圧力生理学4)」を,より広く一般の生物にまで拡大するた め,まず多細胞生物の培養細胞を取り扱う予定です。
     第3はゲノム解析5)(全遺伝子解析)を第2期においても進展させます。深海環境の 一番の特徴である高圧を好む好圧菌のゲノム解析を行います。

  3. 第1期の主な研究成果
     深海環境には物理化学環境,高等生物等,多くの研究対象がありますが,第1期は,深 海の微生物に焦点を絞り,世界に先駆けて 分子生物学的手法を取り入れ研究を行いまし た。
     第1期の成果については,本年1月に本プロジェクトが主催した極限環境微生物国際会 議(International Congress on Extremophiles '98)における発表や,来年3月に発行 を予定している単行本(Superbugs in Deep-Sea Environments)に詳細にまとめられる予 定ですが,その概略は以下のとおりです。

    1)新しい極限環境微生物の発見/極限環境への適応機構の研究
     深海は高圧(例えば,マリアナ海溝最深部では1000気圧以上)かつ,一般的に低温 (2ー4℃)ですが,熱水鉱床のような場所では逆に300℃を越える高温となっていま す。このような極限環境に生育する微生物から好圧菌6),超好熱菌7),好冷菌8)等 が見出されました。特に世界最深のマリアナ海溝の海底の泥から,180種類もの微生物 を初めて分離しました(写真3)。
     これら極限環境に棲む微生物達は,その環境に適応するための機構を備えていると考え られ,その機構を,遺伝子・蛋白質の分子論的立場から,および微生物の生理学的立場か ら研究を行いました。その結果は,圧力がかかった時初めて働く遺伝子(圧力プロモータ ー)や細胞内液胞のpH調節機能の発見といった成果につながりました。これらの成果に対 して,「圧力生理学(Baro-(またはPiezo-)physiology)」という新しい学問分野を,世 界に先駆けて提唱しています。

    2)有用微生物の発見と解析
     上述の微生物の中には,人間の生活や産業に役立つ可能性を秘めたものもあります。第 1期で見出されたそのような微生物として,石油分解菌9)写真4),酵素や生理活性 物質(EPA, DHA)10)を生産する菌,バイオサーファクタント11)を作る菌などがあ ります。まだ実用化にまでは到っていませんが,将来応用できる可能性の高い微生物です 。

    3)微生物のゲノム解析の開始
     極限環境への適応を,遺伝子の立場からトータルに知るためには,その微生物の全遺伝 子を明らかにすることが最も完全な方法です。そのために,微生物のゲノム解析手法の確 立のため好アルカリ菌Cー125株の全遺伝子解析(ゲノム解析)を開始しました。
     ゲノム解析に本格的に着手してからまだ一年足らずですが,既に遺伝子地図12)図 2)を明らかにし,さらに85%以上の塩基配列を解明しました。このスピードは,これ まで世界に例を見ない早さです。これから半年くらいの間に,総ての塩基配列を明らかに する予定です。
     ゲノム解析センターとして,今や外部からも高く評価されるようになり,企業や大学か ら手法を学ぶための訪問も受けるようになっています。

  4. 第2期研究計画後の将来展望
     第1期の研究で,既にマリアナ海溝という世界の最深部の微生物の研究がはじまりまし た。第2期でその物理化学環境にまで研究が進むと,深海の微生物の本質が明らかになり ますが,近年地殻内にも微生物が生存しているといわれており,将来的にはその本質の解 明に取り組みたいと考えております。
     海洋科学技術センターでは,地球深部の構造,地殻変動,地震発生機構等の解明を目指 して,海底掘削計画が進行しています。海底掘削により得られた試料から深海底地殻内微 生物を抽出し,研究を進めたいと考えております。
     海底地殻内の環境は,地球外(例えば火星)の環境と類似しているため,海底地殻内に 微生物が棲んでいれば,それはそのまま地球外における生命の可能性につながることにな ります。また,地殻内微生物の本質を解明することにより,地球外生命の解明につながり ,生命の起源という人類の永遠のテーマに大きな進展をもたらすと考えられます。深海の 極限環境微生物の研究は,このようなロマンにつながる夢多い研究分野だと確信しており ます。



   問合せ先:海洋科学技術センター 
        深海環境フロンティア  辻井,續(つづき)
                    TEL:0468-67-5541
        総務部 普及・広報課  喜多河,池川,杉山
                    TEL:0468-67-5502
        ※11月5日の問い合せ先
          TEL:03-5765-7101(東京連絡所)


用 語 解 説

1)分子生物学的手法
 生物の営みを,蛋白質や核酸などの分子及びその集合体の働きとして理解しようとする 生物学の手法。本質的には,生物を化学や物理学の方法論で研究する立場である。

2)物理化学環境
 深海の環境の中で,物質の構造,性質,化学反応などが影響を及ぼす環境。例えば,水 や水溶液の構造,その物性,各種コロイド(微粒子)の挙動などを指す。

3)熱水鉱床
 海底で熱水の噴出する場所では,熱水中に溶解していた各種の無機物が冷却されて析出 する。その析出物が有用鉱物の場合には,その周辺に鉱床が形成される。この様にして出 来た鉱床を熱水鉱床と呼ぶ。また,析出物が高く筒状に伸び,その中から熱水の噴出して いるものをチムニーと呼んでいる。

4)圧力生理学
 深海の様な高圧下で,生物が生きていくために必要な生理学的適応を研究する学問分野 。例えば,圧力によって細胞内の化学反応の平衡がずれ,それを調節するために酵素活性 が変化するといった現象の解析。現在まだ確立された学問分野にはなっていない。

5)ゲノム解析
 ある生物の全遺伝子解析に基づき,生物の全体像を把握すること。DNA の塩基配列を総 て明らかにするとともに,どの配列部分がどの遺伝情報を担っているかを解明することで ,生物全体の機能を明らかにする。その結果は,環境適応機構の解明や,有用物質(例え ば酵素)生産の効率化などの応用に結びつくことが期待されている。

6)好圧菌
 圧力の高い程よく増殖する菌。

7)超好熱菌
 増殖の最適温度が80℃以上の菌。現在知られている菌の中で,増殖可能な最も高い温 度は115℃である。

8)好冷菌
 20℃以下の低温でよく増殖する菌。

9)石油分解菌
 石油を分解して栄養源とする菌。一般的には微生物は有機溶媒に弱く,大量の有機溶媒 の存在下で死滅する。この石油分解菌は,有機溶媒に強いのが特徴である。

10)EPA と DHA
 エイコサペンタエン酸(Eicosapentaenoic Acid: EPA)とドコサヘキサエン酸(Docosa hexaenoic Acid: DHA)のこと。ともに高度不飽和直鎖脂肪酸で,EPA は5個のDHA は6 個の不飽和結合を有している。主にサバ,イワシなどの魚油に存在し,これらの脂肪酸そ のもの及びその油脂(トリグリセリド)は,動脈硬化症に有効であると言われている。

11)バイオサーファクタント
 生物とくに微生物が生産する界面活性物質のこと。水に溶けない油を栄養源とする微生 物は,取り込みをよくするために,細かい油滴として水中に分散する。その目的のために 上記の界面活性物質を利用している。

12)遺伝子地図
 染色体のどの位置にどの遺伝子がのっているかを示す地図。個々の遺伝子の塩基配列を 調べる前に,遺伝子の全体像を知るために重要な情報である。


参 考 図 面