平成16年12月22日
海洋研究開発機構

世界最深部11000mの深海底泥より分離した好熱性細菌、
ジオバチルスカウストフィラスの世界初の全ゲノム解析終了


(概要)
 海洋研究開発機構(理事長 加藤康宏)、極限環境生物圏研究センター・極限環境生物展開研究プログラムの高見英人グループリーダーが率いるゲノム解析研究グループは、世界最深部のマリアナ海溝11000mの深海底泥から分離した好熱性バチルス細菌の一種である「ジオバチルスカウストフィラス」(図1)の全ゲノム配列を世界で初めて解読した。
 本細菌は、平成11年に同グループが全塩基配列決定を行った有用酵素生産菌 (用語1) の「バチルスハロデュランス」と系統進化的に類縁性の高い細菌であるが、バチルスハロデュランスよりも約20℃高い74℃まで生育することができる好熱性細菌 (用語2) である。本細菌のゲノムは354万塩基からなる染色体DNA(図2)と4万8千塩基からなるプラスミドDNA(図2)からなっており、ゲノム中にある約3500の遺伝子のうち約2000遺伝子がこれら2種間で共有されていた。これまで分離された有用酵素生産菌の多くはバチルス関連細菌であるが、その殆どが常温細菌であったことから耐熱性蛋白質の検索が困難であった。しかしながら、全蛋白質が耐熱性を有する好熱性バチルス関連細菌の全ゲノムが解読されたことにより、これまであまり耐熱性蛋白質の検索対象とされてこなかった常温細菌が有している耐熱性蛋白質の予測が可能となった。また、今回のゲノム配列決定により初めて系統進化的に類縁性の高い常温細菌と好熱性細菌の比較が可能になったので、高熱環境下における微生物の適応メカニズムの解明に大きく貢献するものと期待される。
 なお、本研究において開発された常温菌からの耐熱性蛋白質の予測方法とその解析プログラムに関しては現在特許申請中で(出願日:平成16年2月23日)、全ゲノム配列決定と高熱環境適応メカニズムに関しては、12月1日付けの英国の専門誌Nucleic Acids Researchのonline版及び12月8日に神戸で開催された日本分子生物学会で発表されている。

(背景)
 この地球上には多種多様な生物が存在し、これまでに記載されたものだけでもその数は百数十万種に達すると言われている。地球上に存在する生物はそれぞれに多様性を持ち、これまでの地球史において生じた様々な環境変動に適応した結果、現存しているものと考えられる。納豆菌に代表されるバチルス関連細菌は、あらゆる環境中から分離されている。バチルス関連細菌は、系統関係が近縁でありながらその生育環境は広く、pH2〜12、5〜78℃、0-30%-NaCl、大気圧〜深海3000mに相当する300気圧までの環境下で生育できる環境適応能力を有している。近縁種間でこのような幅広い多様性を有しているものは他に例がないことから、バチルス関連細菌は生物の多様性、また多様性を持つことによってなし得る環境への適応メカニズムを研究する上で最良の研究材料の一つであると考えられる。なぜなら、系統的に離れたもの同士の比較では同じ生育環境を有する微生物間でも種の違いによる多様性が大きく、生育環境適応能力の違いをゲノムから明らかにすることを困難にするからである。
 一方、バチルス関連細菌の多くは有用酵素生産菌でもある。実際にこれまでバチルスの生産する酵素が、澱粉からサイクロデキストリンを効率よく作ったり、家庭用洗剤に配合されたりして広く工業的に生産されてきた。このように、我々はこのバチルス関連細菌が持つ多様性をうまく利用して生活に役立ててきた経緯がある。先に述べたようにバチルス関連細菌は様々な多様性を示すことから、これまでに工業的に応用されてきた酵素以外の新しい酵素を有している可能性がまだまだ秘められている。そこで我々は、工業的に用いられる酵素の重要な要因の一つである耐熱性に注目し、全ての蛋白質が耐熱性を有している好熱性バチルス関連種と常温性バチルス関連細菌との比較から耐熱性酵素の特性、好熱性菌の高熱環境に対するメカニズムの解明を目指して、マリアナ海溝世界最深部の11000mの深海底泥から分離した好熱性バチルス関連種、ジオバチルスカウストフィラスの全ゲノム配列決定を世界に先駆けて行った。

(成果)
1. 工業的応用への波及効果
 一般に好熱菌が持つ全ての蛋白質は耐熱性を有しているが、(本細菌の場合も全蛋白質を70℃で熱処理しても殆どの蛋白質が熱変性しない)、耐熱性蛋白質のアミノ酸組成には非耐熱性蛋白質には見られない特徴があることが知られている。そこで、本件で全塩基配列決定がなされたジオバチルスカウストフィラスとバチルスハロデュランスの間で共有されている遺伝子産物のアミノ酸組成を統計的に比較するための方法論を確立し、それを迅速に行うためのプログラムを作成して解析したところ、常温菌のバチルスハロデュランスの蛋白質の約70〜80%は耐熱性蛋白質であると予測された。実際に、予測された蛋白質の耐熱性を調べると耐熱性の度合いは蛋白質によってややことなるものの、その殆どが耐熱性を有していることがわかった。したがって、少なくともバチルス関連種間において共有されている遺伝子、あるいは遠縁でもジオバチルスカウストフィラスの蛋白質と高い相同性を有するものであれば、そのアミノ酸組成から耐熱性を予測することが出来るのである。
 耐熱性酵素は、高温領域においても酵素活性を失わない酵素として産業界、研究開発分野などで広く使用されており、耐熱性酵素の重要性は益々高まってきているのであるが、耐熱性酵素の検索は多くの場合、好熱性菌や耐熱性菌をスクリーニング(用語3)の対象とする場合が多い。そこで、対象とする酵素生産菌を自然界からスクリーニングし、培養条件を検討して生産された酵素の耐熱性を一つ一つ熱処理をして確認しなくてはならないため、膨大な手間と時間を要するのみならず、多くの場合偶然に左右されることが多かった。また、スクリーニングの対象が、好熱性菌、耐熱性菌に限定されており、好熱性菌や耐熱性菌は微生物全体の種類から考えるとごく限られた種にすぎないため、耐熱性酵素の多様性が限られていた。
 しかしながら、有用酵素の生産菌の一つとして知られるバチルス関連種のうちでこれまで全ゲノム情報が知られていなかった好熱性ジオバチルスカウストフィラスの全ゲノム配列を世界に先駆けて初めて解読したことにより、これらの問題を大きく軽減する事が可能になった。

2. 高熱適応メカニズムの解明へ向けての波及効果
 類縁性の高い種間における好熱性菌と常温菌との比較は、耐熱性蛋白質の検索に有効であることのみならず、微生物の高熱性環境下にける適応メカニズムを考える上でも非常に有効で、実際に好熱/耐熱性獲得に関与すると思われる遺伝子候補が数多く見つかっている。面白いことにその内の一つは、これまでに原核生物では見つかったことのない全く新しい遺伝子で、動物園のマスコットとして人気が高いコアラの精子に存在するプロタミンをいう蛋白質をコードする遺伝子であった。おそらくこの蛋白質はDNAと結合することにより、高熱環境下でもDNAが機能するように保護しているものと考えられるが、なぜ他の好熱性菌にはないこのような蛋白質を有しているのかについては現在のところまだよくわからない。このように、本来高等哺乳類にしかないと考えられていた遺伝子がバクテリアのゲノム中に見つかったことで、この遺伝子がどのようにバクテリアのゲノムに獲得されたのか、あるいはもともとバクテリアに存在していたものなのかなど、生物の多様性を考える上で非常に面白い題材であることは間違いなさそうである。
問い合わせ先:
海洋研究開発機構
  極限環境生物圏研究センター・ゲノム解析研究グループ:
   高見(電話:046-867-9643、Fax:046-867-9645)
  極限環境生物圏研究センター・研究推進室:
   柴田(電話:046-867-9600、Fax:046-867-9595)
  普及・広報課:
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