プレスリリース


2007年5月16日
独立行政法人海洋研究開発機構

世界初、化学合成生物を宿主とする最もゲノムサイズの小さい共生微生物のゲノム解析達成
〜光合成に依存しない深海化学合成生態系の実態解明に糸口〜

1.概要

海洋研究開発機構(理事長 加藤康宏)は、相模湾初島沖水深1,157mの海底にある冷水湧出域から採取したシマイシロウリガイ(写真1A、学名:Calyptogena okutanii)に共生する化学合成共生微生物の全ゲノム解析を行い、世界で初めて、そのゲノム構造や遺伝子の特徴などについて解明しました。

本研究によって、シマイシロウリガイの共生微生物は、海底から噴出する無機物(硫化水素と二酸化炭素)から生物が生きてゆくのに必要なエネルギーや全ての栄養物を作り出す遺伝子をもつ独立栄養*1の特徴を持つ生物であり、これまでに知られている独立栄養生物の中で、最もゲノムサイズが小さいことがわかりました。これらのことから、光の届かない深海底において独自に進化した化学合成生態系における宿主生物と共生微生物間の相互作用の解明に向けた扉が開かれることが期待されます。

なお本ゲノム情報の解析にあたっては、当機構極限環境生物圏研究センター(センター長 掘越弘毅) 海洋生態環境研究プログラム(プログラムディレクター 丸山正)が中心となって行い、塩基配列の解読はタカラバイオ株式会社(社長 加藤郁之進、参考1)と共同で実施しました。

本研究結果は、5月15日付けの米国科学雑誌「Current Biology」に掲載されます。

2.背景

世界各地の深海底の熱水噴出孔周辺や冷水湧出域から発見されたシロウリガイやチューブワームなどの生物群集(写真1B)は、エラ(写真1C)などの細胞内に共生微生物を有している化学合成生物*2であることが分かっていました。

化学合成生物を宿主とする共生微生物は、海底から噴出する熱水や冷水に含まれる硫化水素を酸化してエネルギーを生産し、二酸化炭素から栄養物となる有機物を合成して、化学合成生物に供給しています。通常の生物は太陽の光合成からエネルギーを生成しており、このような地球内部から噴出している化学物質から作られたエネルギーに依存した化学合成生態系は、生物学史上20世紀最大の発見の一つとして位置づけられています。したがって、この生態系の解明には、世界中の研究者の関心が集っています。しかしながら、化学合成生物や共生微生物は、高圧かつ酸素濃度の低い嫌気的な環境で生息しているため、実験室で生育環境を再現することが難しく、その詳しい生態の解明は進みませんでした。したがって、化学合成生態系は、太古地球から形成されてはいるものの、よく知られている光合成の生態系と異なり、どのように成り立ち、共生進化してきたのか、よくわかりませんでした。

当機構では、化学合成生物の共生機構を解明することを目標に、相模湾初島沖の冷湧水域に生息するシマイシロウリガイの共生微生物の全ゲノム解析を行いました。

3.研究の方法

2004年6月に実施された深海調査研究において、無人探査機「ハイパードルフィン」によって相模湾初島沖水深1,157mの海底にある冷水湧出域(北緯35°0.069’ 、東経139°13.444’)の周辺のシロウリガイ群集より生きたシマイシロウリガイを採取し、共生微生物のゲノム解析を行いました。採取されたシマイシロウリガイのエラの細胞を破砕すると共にDNA分解酵素により宿主染色体DNAを分解し、共生微生物のみを分離しました。その後、分離した共生微生物から取り出したゲノムDNAによりゲノムライブラリー*3を作成し、ゲノム塩基配列解析*4を行いました。得られたゲノム塩基配列情報から遺伝子の機能解析予測を行い、エネルギーの生成や輸送の機構を示した代謝マップを作成しました。

4.研究の結果と考察

シマイシロウリガイの共生微生物の全ゲノム塩基配列を決定しました(図1)。本共生微生物の全ゲノムの大きさは1,022,154塩基対からなり、大腸菌と比べると約4分の1以下の大きさであることがわかりました。さらに、同ゲノムに含まれている939個の遺伝子の機能解析を行った結果、本共生微生物が持つ代謝系について明らかになりました(図2)。

その結果、本共生微生物は、

(1)
宿主細胞により取り込まれた硫化水素を基質とするイオウ酸化代謝経路(図2中の黄色く囲まれた部分)によりエネルギー物質の合成を行っている。
(2)
独立栄養的に二酸化炭素から有機物を生産する炭酸固定回路(図2中の水色の丸の部分 「カルビン・ベンソン回路」)を持つ。
(3)
ほぼ全てのアミノ酸の生合成系などを完備しており、上記(1)(2)で述べたエネルギー物質・有機物などを用いて、アミノ酸、補酵素等の栄養物質を生合成できる。
(4)
しかしながら、こうして合成された栄養物質などを宿主細胞に輸送するシステムを欠いている。
(5)
そのゲノムの大きさが、熱水噴出孔周辺に生息するシロウリガイの共生微生物のゲノムよりも小さく、宿主生物との共生進化の過程で淘汰され、徹底的に縮小している。その結果、通常の微生物にとって生育に必須ないくつかの重要な遺伝子(細胞分裂蛋白質、外膜蛋白質等の遺伝子など)までもが欠損している。
ことなどが分かりました。とりわけ、(5)については、これまでに報告されている独立栄養生物の中で最も小さいゲノムを持つ生物であることが、世界で初めて明らかとなりました。

これらの結果、共生微生物中に蓄積された栄養物質などはファゴサイトーシス*5(細胞食作用)の機構で宿主細胞に取り込まれ、さらに分解されていることが推定されます。これらのことは、あたかも共生微生物が家畜化されて宿主細胞により管理されていること、そして細胞分裂システムを持たない共生微生物の増殖には、未知のメカニズムが関与していることなどが考えられます(電子顕微鏡写真での細胞分裂像(写真2))。

5.今後の展開

本共生微生物におけるゲノムの縮小は、およそ20億年前にバクテリアが真核細胞祖先にあたる生物に共生することで進化したとされるミトコンドリアとの類似を想像させます。今日まで化学合成を行うオルガネラ*6は知られていませんが、これらの化学合成共生微生物も、将来オルガネラになる可能性を有しています。このように、化学合成共生微生物は、細胞共進化研究の絶好のモデル生物になる可能性があります。

今後の展開としては、

(1)
ゲノムサイズが百万塩基対程度である本共生微生物と、同様の深海環境に生息しゲノムサイズが2〜3百万塩基対程度であることが分かっている近縁のイオウ酸化細菌とを比較することで、その差の1〜2百万塩基対の遺伝子群(1〜2千遺伝子に相当)について欠損した機能及びゲノムの縮小メカニズムについて明らかにする。
(2)
他の化学合成共生生態系の生物(他の種類のシロウリガイ、シンカイヒバリガイ、ハナシガイ、ハオリムシなど)に生息する共生微生物との比較ゲノム研究についても鋭意進め、共生進化のメカニズムについて明らかにする。
(3)
宿主細胞の発現制御解析、人工飼育を試み、そうした条件下での環境応答・適応等の分子メカニズムについてさらに研究を進める。
ことなどを計画しています。

これらの研究から、細胞共進化のメカニズムが明らかとなり、生命の進化の理解が深まり、生命科学の進展に寄与するものと考えています。

[用語解説]

*1
独立栄養:炭素源として二酸化炭素を利用する。一般的にヒトを含む生物は従属栄養的で他者が作った有機物を炭素源として利用しているが、独立栄養生物は無機物から有機物を生産する能力を有している。
*2
化学合成生物:硫化水素やメタン等の還元物質を使って化学合成細菌が作り出す有機物質に依存する生物。
*3
ゲノムライブラリー:ゲノムDNAをバラバラにして、プラスミドベクターにランダムに挿入して作成するライブラリー。一般的に予想されるゲノムサイズの5〜10倍量の塩基配列が読めるだけの量が必要とされている。本研究では約2万回の解析を行い、予想されるゲノムサイズの10倍量の塩基配列を解読した。
*4
塩基配列解析:配列を結合編集して各塩基配列を整理し、塩基配列が読めていない隙間を埋めていくこと。最終的に約百万塩基対からなる環状の共生微生物の全ゲノム塩基配列の決定に成功した。
*5
ファゴサイトーシス:ファゴサイトーシス (Phagocytosis) = 食作用ということで、たとえば粘菌アメーバ類は、自然界ではカビの胞子やバクテリアを細胞内に直接取り込んで栄養を吸収する。このように細胞が固形物を細胞内に取り込む事を食作用(ファゴサイトーシス)という。
*6
オルガネラ:ミトコンドリアや葉緑体のように真核生物あるいはその祖先にあたる生物に共生することで、真核細胞の一部になったと考えられる細胞内器官。

参考1:共同研究機関

タカラバイオ株式会社 http://www.takara-bio.co.jp/

(概要)

本社: 大津市瀬田三丁目4番1号
資本金: 89億7698万8496円(平成19年3月31日現在)
設立: 平成14年4月1日
主要株主:宝ホールディングス株式会社
上場市場:東証マザーズ
社員数: タカラバイオグループ 952名(平成19年3月31日現在)

お問い合わせ先:

(本研究全般について)
極限環境生物圏研究センター
海洋生態・環境研究プログラム プログラムディレクター 丸山 正
電話:(046)867-9520
研究推進室長 村田 範之 電話:(046)867-9600
(報道について)
経営企画室 報道室長 大嶋 真司 電話:(046)867-9193