

1980年代、未知の世界である深海に向け、各国は有人潜水船の開発を進めていた。米国の「シークリフ」、フランスの「ノチール」、そしてソ連(現ロシア)の「ミール」など、いずれもその目標水深は6,000m。6,000mの潜航能力があれば海洋のほぼ97%は探査できるというのがその理由だ。1970年代中頃から、わが国でも6,000m級の有人潜水調査船を建造する計画があった。しかし、一足飛びに6,000m級の有人潜水調査船を建造するには問題が多かったので、まずその第一歩として「しんかい2000」が建造され、1981年より運用開始した。「しんかい6500」は「しんかい2000」で得られたノウハウやチタン製耐圧殻の製造を始めとする技術の向上により、当初の目標であった6,000m級の有人潜水調査船として1990年に建造され運用開始した。水深6,500mでは約650気圧、これは指先に軽自動車1台が乗るほどの水圧である。それに耐える船体や浮力材、深海と海上をつなぐ水中通話機や条件の良い場所でも10mほどしか視程のない海底で障害物などを探査する目となる観測ソーナーなど、さまざまな先端技術が「しんかい6500」に結集された。

1989年8月11日11時28分、三陸沖・日本海溝において「しんかい6500」は深度6,527mの記録を無事達成し、最大潜航深度潜航試験(建造後、建造メーカーによって実施された試験)を終了した。これは有人潜水調査船における世界最深の潜航深度※でもあり、この記録は未だ破られていない。日本初の6,000m級有人潜水船の開発が決まったとき、まず問題となったのがその最大潜航深度だ。当時の世界的な照準は6,000mであり、一般的な自然科学調査を目的とすれば十分な深さであった。しかし、日本は世界有数の地震国であり、深海調査においても巨大地震の解明が重要課題のひとつとなっていた。そのためにはプレートのぶつかり合う海溝域、特に太平洋プレートが折れ曲がる水深6,200〜6,300mの部分をぜひ調べる必要があり、議論の末、めざす深度は6,500mと決められた。その後「しんかい6500」は、1991年に日本海溝の6,366mの地点にプレートの沈み込みで生じたと思われる裂け目を世界で初めて確認。その能力をさっそく活かすこととなった。


完成直後のチタン製耐圧殻
実際の建造では、まず深海の水圧から乗組員を保護する耐圧殻の製造が課題であった。素材は軽くて強く錆びにくいチタン合金を採用。「しんかい2000」建造時には叶わなかったチタン合金の加工が、ようやく国内で可能となったため実現した。耐圧殻の内径は「しんかい2000」より20cm小さい2.0m。内部空間そのものは狭くなったが、計器の小型化や主要装置の配置転換などにより、「しんかい2000」より広く感じられる仕上がりとなった。また、高い水圧下では少しのゆがみが殻の破壊につながるため、耐圧殻は可能な限り真球に近づけることが求められた。その精度は、直径のどこを測っても0.5mm(真球度1,004)の誤差しか許されないという厳しいものだ。
全体で25.8トンもある船体を浮かばせるための浮力材としては、シンタクティックホームが使用されている。ガラスマイクロバルーンという直径数十ミクロンの中空のガラス球(膜厚1〜2ミクロン)をエポキシ系樹脂で固めたものだが、100ミクロン程度の球のすき間に40ミクロン程度のさらに小さな球を埋め込むことで充填率を高め、より耐圧力は強く比重は小さくすることに成功した。


現在のマニピュレータ。
そのほか、海底でさまざまな作業を行う“腕”、マニピュレータも最新の方式を採用した。これは、マニピュレータでつかんだ力が操作者にも伝わるため、生卵やワイングラスなども割らずにそっとつかむことができた。潜水調査船に装備されるのは世界初のことだった。完成から約1年後には、海底で撮影したビデオ画像を音響で母船に伝送し、静止画像として見ることができる水中画像伝送システムも搭載された。それまではパイロットからの通話連絡だけを頼りにしていた母船での状況把握を、画像を見た多数の人間が共通してできるようになった画期的な出来事だった。その後、当時は画期的であったマニピュレータも1995年にさらに能力が高く、軽量で塩害にも強いチタン合金を使用した、メンテナンス性の良いものに換装。2003年には主蓄電池としてリチウムイオン電池を搭載。続く2004年には水中スチルカメラもデジタル化に対応するなど、日々進歩する科学技術に応じ「しんかい6500」もたゆみない進化を続けている。


「しんかい6500」の主な潜航地点と、「インド洋潜航調査MODE '98」(1998年)、「NIRAI KANAI 「しんかい6500」・「よこすか」太平洋大航海」(2004年)の航路に、地球のプレートを重ね合わせてみた。プレートがせめぎ合う境界を集中的に調査していることが分かる。

地図中の潜航地点は以下の通り。
1.日本海溝 2.伊豆・小笠原海溝 3.南西諸島海溝 4.マリアナトラフ 5.南部マリアナトラフ
6.7.大西洋中央海嶺
8.9.東太平洋海膨 10.北フィジー海盆 11.パラオ海溝 12.ヤップ海溝
13.マヌス海盆 14.インド洋 15.ケルマデック島弧

「しんかい6500」の投光器は、私たちの目の前に深海の美しい風景や、そこに生息するさまざまな命を次々と照らし出してくれた。パイロットが見た深海の風景を見ながら、「しんかい6500」の17年間の行動をふり返ってみよう。
※YK00-00という航海名番号でJAMSTECのホームページの深海画像データベースの画像検索ができる。http://www.jamstec.go.jp/dsidb/
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●建造メーカーによる公式試運転潜航で深度6,527mを記録 |
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●6月
第1回潜航(相模湾) |
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●調査潜航開始
●7月
三陸沖日本海溝海側斜面にて海
底の裂け目を発見(6,366m)
三陸沖日本海溝にてナギナタシ
ロウリガイを発見
●11月
通算100回潜航達成(北フィジ
ー海盆) |
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●10月
伊豆・小笠原の鳥島
沖にて鯨骨生物群集
を発見 |
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●5月
通算200回潜航達成
(横須賀)
●6月〜11月
大西洋中央海嶺と東太
平洋海膨にて調査潜航
(MODE'94)実施
→予定していた60潜
航を完遂 |
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●10月
通算300回潜航達成(マヌス海盆) |
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●6月
三陸沖日本海溝にて
多毛類生物を発見
(6,360m)
●10月
通算400回潜航達成
(南海トラフ) |
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●6月〜11月
大西洋中央海嶺と南西インド洋海嶺他にて調査潜航(MODE'98)を実施
→インド洋で有人潜水船として初めて潜航を行ったリスボン海洋博に参加
●11月
南西インド洋海嶺にて新種の巨大イカを発見 |
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●8月
通算500回潜航達成(ハワイ諸島周辺) |
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●3月
通算600回潜航達成(南西諸島)
●12月
南西インド洋海嶺及びインド洋中央海嶺調査潜航実施 |
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●7月〜8月
ハワイ諸島周辺海底火山調査潜航実施
●8月
通算700回潜航達成(ハワイ諸島周辺)
●10月
インドネシアジャワ島南西沖調査潜航実施
地震の痕跡と思われる断層撮影(水深2,092〜2,102m)インドネシア大統領メガワティ氏訪船 |
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●3月
毛利衛氏、南西諸島にて潜航調査(第733回潜航)
●11月
通算800回潜航達成(パレスベラ海盆) |
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●7〜9月
太平洋大航海「NIRAIKANAI」にて調査の中心として活躍
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●7月
通算900回潜航達成(マリアナトラフ南部) |
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●1月〜2月
インド洋中央海嶺にてスケーリーフットの生態を深海底の熱水活動環境において観察(水深2,424m〜3,394m) |
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●3月
通算1,000回潜航達成 |

「深海に眠るギリシア遺跡?」
北フィジー海盆
2,730m YK91-04
日本海溝で発見された新しい裂け目
日本海溝
6,270m YK91-02

黄金色のアルビン貝
マリアナトラフ熱水噴出域
3,604m
YK92-07
鯨骨に形成された生物群集
小笠原海域鳥島海山頂上
4,036m YK92-05

ユノハナガニの放卵
東太平洋海膨(EPR)
2,603m YK94-04
ブラックスモーカーに群がるエビ
大西洋中央海嶺(TAG)
3,637m YK94-02
巨大ブラックスモーカー
東太平洋海膨(EPR)
2,606m YK94-04

ホワイトスモーカーと黄金の塔
太平洋マヌス海盆
1,700m YK95-07
ホワイトスモーカーと黄金の塔(2)

通算500回潜航達成
ハワイ諸島周辺
3,036m YK99-07

ガスハイドレートの泡のシャワー
先島群島第4与那国
18m YK04-05
世界最大の海底溶岩流を発見
東太平洋海膨
2,765m YK04-07
世界最大の海底溶岩流を発見(2)

鉄のウロコを持つ巻き貝「スケーリーフット」を採取
インド洋中央海嶺
2,443m

通算1,000回潜航達成
鳩間海丘海域
1,471m


研究者のニーズに応える技術開発力と
チームワークが「しんかい6500」を進化させる
海洋工学センターは、1971年に海洋研究開発機構(JAMSTEC)の前身の海洋科学技術センターが発足した当初から、海洋を探査するための基盤技術の研究開発と、研究者のサポートを行ってきた技術開発部を継承している。現在はさらに海洋研究に欠かせない7隻の海洋調査船や、有人潜水調査船「しんかい6500」、無人潜水探査機などの運航も担当している。初期の構想段階から「しんかい6500」を見守ってきた海洋工学センター・宮崎センター長に、「しんかい6500」にかける想いと夢を聞いた。
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世界最深まで潜る潜水船をつくる意義は
それを可能にする技術を持つことにもある
今井義司司令は1983年に有人潜水調査船「しんかい2000」の整備要員として入所。その後、「しんかい2000」で副司令までを務め、1999年4月に有人潜水調査船「しんかい6500」の3代目司令となった。以来、運航チームの長として、パイロット、コ・パイロット、整備班や航法管制班をまとめ、支援母船「よこすか」の船上から、さまざまな天候条件を見極めながら、安全かつ効率的な潜航のために細心の注意をはらってきた。
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操船だけではパイロットは務まらない
幅広い好奇心が潜航と研究を充実させる
佐々木義高潜航長は1989年に有人潜水調査船「しんかい2000」の運航要員として入所した。その後、有人潜水調査船「しんかい6500」が完成し、1993年から「しんかい6500」の運航チームに配属される。整備士、航法管制士、潜航士など各職を経験し、現在は潜航長。これまで「しんかい2000」では75回、「しんかい6500」では149回の潜航経験を持つ。まだ誰も潜ったことのない場所で最初の目撃者となるのは、いまだに魅力的な体験だという。
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有人の深海調査を続けるためにも
「しんかい6500」による優れた研究成果を
高井プログラムディレクター(PD)は、有人潜水調査船「しんかい6500」初乗船となった2002年のインド洋調査潜航で、熱水活動域に地球最古の生態系と非常によく似たハイパースライムを発見。さらに鉄の鱗を持つ巻貝、スケーリーフットを捕獲した。その後も積極的に「しんかい6500」を活用しており、公募後最多の15回潜航で、多くの研究成果をあげている。その背景には、有人潜水船ならではの、人間の目で深海を見る貴重な機会を守ろうとする、高井PDの強い思いがあったのである。
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研究者のニーズに応える技術開発力と
チームワークが「しんかい6500」を進化させる
海洋工学センターは、1971年に海洋研究開発機構(JAMSTEC)の前身の海洋科学技術センターが発足した当初から、海洋を探査するための基盤技術の研究開発と、研究者のサポートを行ってきた技術開発部を継承している。現在はさらに海洋研究に欠かせない7隻の海洋調査船や、有人潜水調査船「しんかい6500」、無人潜水探査機などの運航も担当している。初期の構想段階から「しんかい6500」を見守ってきた海洋工学センター・宮崎センター長に、「しんかい6500」にかける想いと夢を聞いた。

宮崎センター長がJAMSTECに入ったのは、「6,000m級の潜水調査船をつくる!」ということが、まだ夢として語られていた時代だった。いよいよ「しんかい6500」の前身「しんかい2000」に挑戦というとき、宮崎センター長は別のプロジェクトを担当しながらも、その開発を見守っていた。「当時、私たち技術開発者には、技術が科学をリードするのだという熱い想いがあったのです」
今となっては不思議だが、建造に先立って研究者に「『しんかい2000』でどういう研究がしたいですか」と聞いても、イメージがわかないのか、あまりニーズが出てこなかったという。「しかし、できたとたん、乗船して調査をしたいという研究者が続出しました。よく科学と技術は両輪といわれますが、その時々で引っ張る力の強いほうがリードし、お互いが前進するのだと思います」
「しんかい6500」は研究用の有人潜水船であるから、世界最深の圧力に耐えて安全に潜航するだけでなく、画像などの情報を確実に捉えて送り、ときには生物を捕獲し持ち帰られなければならない。耐圧や搭載キャパシティの制約をクリアしながら、別途道具の開発が必要なときもある。しかし、そんな工夫こそが面白いのだという。海中は普通の照明では散乱してうまく撮影できないので、横から光を当てることができるようにカニの爪のようなアームライトを開発したこともあった。
研究者の意外な要望に驚くこともある。宮崎センター長は、深海での研究時間を十分確保するために、深いところにたどり着くのが少しでも速いほうがよいと思っていた。ところがクラゲなど中層の生物の研究者からは、「潜航途中で照明をつけてゆっくり観察したい」と要望されたのだ。「最初の設計がパーフェクトではなく、要望が出てきた時点で改良、改装も必要です。『しんかい6500』をとことんよいものにしたい。研究者のニーズが出るほど、やりがいがあります」。
現在、「しんかい6500」の利用は公募制である。JAMSTECの研究者であっても競争に勝つ必要がある。「採択されるのは大変ですよ。1回潜るには1千万円以上のお金がかかりますから、乗ったからにはよい成果を出してもらいたいです。実際にこれまでも世界的な成果が出ており、私たちにとっても非常にうれしいことです。特に微生物の研究では、教科書を書きかえるような新しい発見が出ています。海のなかや海底下には、私たちが知らないことがまだまだ詰まっているのです。その発見がどのように人間の役に立っていくのかも、また楽しみです」

よい成果を出すには、機械の性能はもちろんだが、チームワークが大事だ。研究者が限られた時間のなかで最大の成果を出せるようにするためには、パイロット、母船のスタッフ、モニターする人、整備する人が持てる力を合わせなければならない。「特にパイロットは叩き上げで、第一線の研究者とともに潜航し、知識やノウハウを幅広く蓄えています。その人的なノウハウも、次の世代に伝えていきたい。ですから、ぜひ潜水船に乗りたいという若い人に来てもらいたいのです。私自身、海が好きというだけでこの分野に入りました。興味と熱意があれば、一から教育します。そろそろ女性パイロットが出てもいいですね」
生物系の研究では、生物そのものを捕獲するのも大切だが、生息環境がどのようなものなのか、そのなかで生物が活動しているようすをくわしく知ることが重要である。そこで研究用の撮影器材や撮影ノウハウ向上にも力を注ぐ。「魚の背びれの1本1本までクリアに映れば、研究者がそれをもとに分類もできます。よい映像が撮れると、科学的知見はさらに進むのです。ですからJAMSTECでは映像関係の人も大歓迎です。熱意を持つ人たちにぜひ来てもらい、ともに次世代の潜水船計画を立てることができればうれしいです
海が好き、そしてモノづくりが好きな若い人たちにも、ぜひ広く「しんかい6500」の存在をアピールしたいという。「人の後追いではなく、世界で初めてのものを目指す若人よ来たれ、一緒にやろうじゃないか」というのが、宮崎センター長からのメッセージである。
みやざき・たけあき
●1945年石川県生まれ。工学博士。1972年海洋科学技術センター(現、海洋研究開発機構)に研究員として入所。海洋エネルギーなどの業務に携わり、波力発電装置の研究開発を立ち上げ、世界一を達成。1987年海域開発・利用研究部研究主幹、1997年研究業務部部長を経て、2006年海洋工学センターセンター長


世界最深まで潜る潜水船をつくる意義は
それを可能にする技術を持つことにもある
今井義司司令は1983年に有人潜水調査船「しんかい2000」の整備要員として入所。その後、「しんかい2000」で副司令までを務め、1999年4月に有人潜水調査船「しんかい6500」の3代目司令となった。以来、運航チームの長として、パイロット、コ・パイロット、整備班や航法管制班をまとめ、支援母船「よこすか」の船上から、さまざまな天候条件を見極めながら、安全かつ効率的な潜航のために細心の注意をはらってきた。

記念すべき「しんかい6500」の第1,000回目の潜航予定は、沖縄の南西諸島、鳩間海丘周辺。2007年3月中頃の予定だ。定期的に行われる「しんかい6500」の点検整備の直後ということで、潜航目的はスタッフのための訓練潜航となる。しばらく乗船していなかったパイロットの腕慣らしや新人の教育が目的だ。「特に、大きなイベントという感じではありませんね。1,000回という潜航数より、やはりそれまでの航海や潜航を順調にやってこれたことが一番です」
「しんかい6500」2006年最後の航海は、長期の外航だった。8月の中旬に出航し、帰ってきたのが11月中旬。パラオからマリアナ諸島周辺をまわり、最後に立ち寄ったのがタヒチ周辺だ。この時も、悪天候には苦労したという。南半球はちょうど春から夏への季節の変わり目で、風が強く、うねりが高い時期が続いた。「その航海は地質系の研究者の潜航で、溶岩の採取が目的でした。研究者の希望で3,000mくらいの水深を狙っていたんですが、毎日、3mから4mのうねりがあって、なかなか希望のポイントまで行けない。結局、調査海域の島々の周辺でうねりのない場所を探して1,500m程度のところで潜航するなどして、何とか予定の潜航回数だけはクリアしました」。深海調査というと、私たちは深いところへ潜る危険をまず想像するが、実際に一番トラブルが起きやすいのは潜水船の着水、揚収といった海上での作業時だという。「潜水船は一度海面下に潜ってしまえば、少しくらい海上が荒れていても静かなんです。むしろ、天候に左右されるのは、船体を吊して着水するまでなんですね。それに作業班のボートによる仕事もありますから。ですから、理想をいえば、海面下で潜水船を揚収できる母船があればいいんですけどね」。ロシアの潜水調査船「ミール」の母船などは、大きな船体で風をさえぎり揚収作業をしやすいよう工夫してあるというが、母船が大きすぎると、今度は小回りが利かなくなる。そのバランスはなかなか難しいようだ。

現在、有人潜水調査船としては世界で最も深くまで潜れる「しんかい6500」だが、建造から17年を経過した現在、老朽化の問題も気になるところだ。「老朽化という意味では、船体よりも電子部品などのパーツの方が問題です。ものによっては、古くてメーカーの在庫がないものもありますから、今後、そういう部分は考えていかなければなりません。でも、船体の方はまだ十分使えますよ」。今年度の整備でも、いくつかの機器が新規搭載される予定だといい、今後も深海から、よりリアルな情報を届けてくれると期待してよさそうだ。
では、さらに次世代の潜水船が目指すべきものは何なのだろう。さらなる展望を伺ってみた。「できれば“ ful ldepth”、海底の最深部まで到達できる11,000m級の船をつくってほしいと思います。やはり、一番深くまで行ってみたいという欲望はあります。ただ、それ以上に、そこで技術が鍛えられるということが重要なんです。前人未踏の海底へ潜る技術は、ほかにはないわけですから。そういう意味でも、ぜひ挑戦してほしいですね」。世界一深く潜れるということは、それを成し遂げるための技術を持つということ。「しんかい6500」がこれまで果たしてきたその功績は、単に未知の世界の見聞を広めたことだけではないのだ。
海の現場が大好きだという今井司令だが、そこで積み上げてきた経験を、後進に伝えていくことも大事な役割のひとつだ。しかし、自分たちの経験を押しつけることだけはしたくないという。「若い人の視点から行ったことで、私たちと違った結果が出てくることもある。そして、それがいい場合もあるんです。もちろん、伝えなければいけない技術は、きちんと伝えていきますけどね」。海の研究は、地球環境問題などにも非常に深く関わる大事な分野だ。だからこそ、若い人たちはもっと海に目を向けてほしいと今井司令はいう。そして、そうした問題を解明するデータは、現場に出なければ手に入れることはできない。「そういう意味で、海洋科学の研究者ばかりでなく、技術者の方にも、もっと海に関心を持ってもらいたいと思うんですよ」
いまい・よしじ
●1947年 新潟県生まれ。1983年海洋科学技術センター(現、海洋研究開発機構)へ入所。「しんかい2000」運航チーム配属。以来、潜水船業務に関わり、現在に至る。1994年「しんかい6500」運航チーム配属。1999年より「しんかい6500」運航チーム司令


操船だけではパイロットは務まらない
幅広い好奇心が潜航と研究を充実させる
佐々木義高潜航長は1989年に有人潜水調査船「しんかい2000」の運航要員として入所した。その後、有人潜水調査船「しんかい6500」が完成し、1993年から「しんかい6500」の運航チームに配属される。整備士、航法管制士、潜航士など各職を経験し、現在は潜航長。これまで「しんかい2000」では75回、「しんかい6500」では149回の潜航経験を持つ。まだ誰も潜ったことのない場所で最初の目撃者となるのは、いまだに魅力的な体験だという。

これまで経験した海域はどこも面白いという佐々木潜航長だが、やはり熱水噴出孔周辺はパイロットとしても楽しい場所だという。「大規模な熱水は大好きですね。海底一面にエビがいたり、深い海のなかとは思えないくらい生物量が多くて、とにかくにぎやかです」。しかし、ときに熱水噴出孔は潜航技術を要する難所でもある。「地形が複雑で流れが速いんです。大西洋中央海嶺などでは、熱水が大量に吹き上げて、まわりから水を吸い込み、チムニーの周辺に大きな対流が起こる。温度を測ろうとマニピュレータを差し出すんですが、操船を誤るとそのまま対流に持ち上げられて、ぴゅーっと100m近く飛ばされることもあります」。ひどいときには、目的の作業を行うまでに2回も3回も飛ばされることがあるそうだ。また、高温の熱水は真っ黒で視界も奪う。「潜水船の水中投光器は1灯が自動車の強力なヘッドライト3個分くらいの明るさです。それを4灯使って照らしても、熱水に入ると墨汁のなかに放り込まれたように真っ暗なんですよ」
また、海底では長年の経験がものをいう場面も多い。「以前、潜った場所にもう一度行きたいといわれたとき、昔の位置情報が不確かだったりすると非常に苦労します。潜水船の視界はせいぜい10m。つまり、目的地に30mまで接近していても、気づかずに素通りしてしまうことがあるんです」。もちろん、当時の潜航データを入手して周囲の状況も確認したうえで潜航するのだが、それでも見つからないことはあるという。そうなると、頼りは勘だ。たとえば、一度潜ったことのある場所には、潜水船の“足跡”が残ることがあるという。「潜水船は通常、海底から浮上して航走します。のぞき窓の高さが着底脚から1m50cmくらいですが、高度を2mくらいとると海底が見づらくなる。だから、海底を観察しようとギリギリまで降りたときに着底脚を引きずることがあります。堆積速度が遅いところなら5、6年後でもその痕跡が残っていたりするんです」。生物などの痕跡と、船の痕跡を見極めるには、やはり経験と勘が必要だ。ちなみに近年は、音響航法装置の精度も上がり、潜航位置の特定も以前ほど苦労はしなくなったそうだ。

海底には熱水噴出孔のような活動的な場所もあるが、その多くは石と泥に覆われた単調な世界だ。「そんな景色でも、その成り立ちを知っていれば好奇心を満たすことができます。だから、パイロットでも生物や地質、地球物理など、できるだけ多くのものに興味を持つことは大事ですね。私たちはさまざまな分野の研究者と潜ります。つまり、その時々で一流の先生が隣にいるわけです。そこで聞いた知識を積み重ねながら、自分なりに勉強をしていくことが、潜航時に研究のアシストをしたり、的確な判断を下すのにも非常に役に立つんです」。特に、定員わずか3
名という潜水船では、研究に関わる試料のサンプリングや研究機器の設置などあらゆる仕事がパイロットとコ・パイロットに課せられる。潜水船の操船や機械的な知識だけではパイロットは務まらないのだ。
佐々木潜航長が「しんかい6500」に乗り始めたのは、第167回潜航からだが、年々、100回ごとのタイミングが短くなっている気がするという。「実際に達成期間も短くなっています。機械の改良などで潜航回数が増えたこともありますが、感覚的にもスタートから500回までより、500回から今まで(通算潜航回数993回)の方があっという間でした。いずれにしても、1,000回潜るということは訓練潜航などを差し引いても800人近い人を海の底まで連れて行った計算になりますね」。目で見る海底の景色は、どんなに性能のいいカメラで見るよりも鮮明であり、生で見た質感は絶対に映像には残せないという。そして、その世界をより多くの人に伝えてくれる800人の人たちを、無事連れて帰ってきたことが、自分たちの一番大きな成果だと佐々木潜航長は続ける。「『しんかい6500』がある限り、安全に最高の成果が上げられるように努力するのが私たちの責務です。だから、今後もこの仕事を続けていけるよう、『しんかい6500』にももっともっと頑張ってほしいですね」
ささき・よしたか
●1966年宮城県生まれ。1989年海洋科学技術センター(現、海洋研究開発機構)へ入所。「しんかい2000」運航チーム配属。潜水調査船の整備、潜航、音響測位業務に携わり日本近海の調査に参加。1993年「しんかい6500」運航チーム配属。大西洋、東太平洋、インド洋などの調査に参加。2004年海洋工学センター研究支援部 船舶運用グループ配属。2005年より「しんかい6500」運航チーム配属


有人の深海調査を続けるためにも
「しんかい6500」による優れた研究成果を
高井プログラムディレクター(PD)は、有人潜水調査船「しんかい6500」初乗船となった2002年のインド洋調査潜航で、熱水活動域に地球最古の生態系と非常によく似たハイパースライムを発見。さらに鉄の鱗を持つ巻貝、スケーリーフットを捕獲した。その後も積極的に「しんかい6500」を活用しており、公募後最多の15回潜航で、多くの研究成果をあげている。その背景には、有人潜水船ならではの、人間の目で深海を見る貴重な機会を守ろうとする、高井PDの強い思いがあったのである。

高井PDは、1998年の沖縄トラフ潜航以来、水深2,000mまでの潜航能力を持つ有人潜水調査船「しんかい2000」との縁が深かった。「もともと生物・微生物系の研究者は、熱水活動域や冷湧水域のある日本近海の比較的浅い海域をターゲットに『しんかい2000』で調査を進め、『しんかい6500』はもっと深いところ、もしくは海外の調査という棲み分けができていました」
高井PDが初めて「しんかい6500」に乗船したのは、2002年のインド洋調査潜航に首席研究員として参加したときだ。同年11月「しんかい2000」が活動を休止。高井PDも2003年から、「しんかい6500」をフル活用し、多くの成果をあげてきた。
特に印象的だったのは、2004年、南太平洋での「NIRAI KANAI(ニライカナイ)太平洋大航海※」中の出来事であるという。高井PDたちはラウ海盆の熱水活動域を調査し、新たに2つの熱水活動域を発見した。「ある日『しんかい6500』のパイロットが北と南を間違えて走ったときに偶然、真っ黒な煙に遭遇して熱水活動域を見つけることができました。パイロットは『自分の嗅覚で見つけた』といっていますが(笑)、ともかく、人間が潜ったからこそ見つかったというのは事実ですね。そのときハワイ大学も同じ場所をAUV(自律型無人潜水機)で探査していました。ハワイ大学のAUV『ABE(エイブ)』は高性能で、目覚しい業績をあげていますが、ラウ海盆の同じ場所ではついに新しい発見が出ませんでした」。最新型のコンピュータ制御AUVに、有人潜水船が勝利した例となった。

「しんかい6500」は生物・微生物の研究者にとってはベストマッチではないと高井PDはいう。窓の配置が離れすぎていてパイロットと研究者の視野がずれるし、居住スペースが狭い。一方、「しんかい6500」が優れているのは、使用できる総電力が大きいこと、マニピュレータが2本あり、サンプルバスケットが大きいことだ。これはサンプリングのときに威力を発揮する。
「しんかい2000」の運航中、「しんかい6500」は地質など観察中心の研究者が乗船し、マニピュレータやサンプルバスケットでのサンプリングはそれほど多くなかった。しかし生物・微生物の研究者が乗船するようになると、パイロットには非常に細かい作業が要求されるようになった。「たとえば熱水孔の特定の場所に、サンプリング用の道具をこの角度で挿してほしいなど細かい要求をしますが、そんな要求にも対応してくれるし、それこそマニピュレータで箸が持てるくらい、パイロットの腕がよいのです。そして研究者とパイロットの息が合わないと研究はうまく行かないということがよくわかりました。修練されたパイロットがやると作業効率が非常によく、研究が進みます」。高井PDは、ぜひこの優れた操作技術を伝承していってほしいという。

世界的には無人化の流れが進むなか、「しんかい6500」は稼働率が最も高い有人潜水船である。「有人潜水にはお金がかかるし、無人探査機にはよいところも多いです。ただ、実際に潜って見る海底の風景と、カメラが送ってきた風景はぜんぜん違います。狭いし、寒いし、緊張するし、たいへんですが、自分の目で見ることにはそれだけの価値があります」。その数値化できない価値を守るために、高井P D はあえて、「しんかい6500」を使って業績をあげることにこだわっている。
また、AUVや無人探査機と有人潜水船が連携して、それぞれの得意分野を生かすべきだと高井PDはいう。「カメラで見ると遠近感が分かりませんが、人間の目は3次元で把握しますから、一瞬見ただけでモノの位置がわかります。まずは24時間働くAUVで探査して、なにか見つけたら人の目で確かめたほうがいい。大量にサンプルを捕獲するのは無人探査機がやればいいのです。有人も含めて効率的な運用をすればよいのではないでしょうか」
特に最近の海洋研究は、研究分野を超えて共同でひとつのターゲットを解明するという形になっている。それだけに、潜水船や母船の組み合わせ方や使い方もより多様になってきた。「しんかい6500」も、母船や無人探査機、AUVと最も研究効率の良い組み合わせで、フレキシブルに運用することが求められてきているのである。
たかい・けん
●1969年京都府生まれ。農学博士。1994年米国ワシントン大学客員研究員、1997年日本学術振興会、科学技術振興事業団研究員、1999年米国パシフィックノースウエスト国立研究所博士研究員を経て、2000年海洋科学技術センター(現、海洋研究開発機構)へ入所。その後、地殻内微生物研究領域グループリーダーを経て現職。2002年第1回極限環境微生物学会学会奨励賞、2004年第1回JAMSTEC分野横断研究アウォード受賞
有人潜水調査船「しんかい6500」は、有人としては世界最深の潜水能力を持ち、平成2年6月の初潜航から17年間の運用を経て、平成19年3月15日に、通算1,000回目の潜航を達成しました。
この1,000回の潜航達成を記念して、「しんかい6500」とその支援母船「よこすか」の一般公開および講演会を実施します。
主催:独立行政法人海洋研究開発機構 協力:日本科学未来館 財団法人東京港埠頭公社
開催内容について
- 一般公開:
- 平成19年3月27日(火)13:00〜16:00(受付終了15:30)
- 平成19年3月28日(水)10:00〜16:00(受付終了15:30)
- 講演会:
- 平成19年3月28日(水)16:00〜17:00
- 講演者:
- ノンフィクション作家 山根 一眞氏
- 講演テーマ:
- 「有人潜水船による深海調査の成果と展望」
- 講演概要:
- 有人潜水調査船「しんかい6500」乗船での得がたい体験や深海調査への期待を映像の紹介もあわせて講演する予定。
※一般公開、講演会ともに参加の事前登録は、不要です。また、入場は無料です。
場所
東京港晴海埠頭 (別紙 案内図)
(講演会は晴海客船ターミナルホールで行います。)
- 都バス:
- 晴海埠頭行き、終点下車
- 都03
- 四ッ谷駅発(半蔵門、銀座四丁目経由)
- 都05
- 東京駅丸の内南口発(数寄屋橋、勝どき駅経由)
- 東12
- 東京駅八重洲口発(月島駅経由)
- 錦13甲
- 錦糸町駅発(豊洲駅経由)
- 水上バス:
- 日の出桟橋(JR浜松町から徒歩約8分)から10分「晴海」にて下船
その他
1)悪天候等により中止となることがあります。中止の場合は、本ホームページにてお知らせいたします。
2)見学者用の駐車場はありません。
3)船内は段差が多く危険なため、ハイヒール・サンダル等での、または酒気を帯びての見学はご遠慮ください。
4)小学生以下は、保護者が必ず同伴ください。
お問い合わせ
海洋地球情報部広報課 TEL:045-778-5440E-mail: PR@jamstec.go.jp