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エッセイ4:加古里子さんの科学絵本

 私が今仕事をしている世界に足を踏み入れることになった、最初の切っ掛けが何だったのか、実家のある町の海岸には崖があって、そこからは貝の化石が出ました。父がそういう場所に連れて行ってくれたこともあると思いますが、そういった地面や地球の中のことに興味を持つようになった決定的なものに、幼稚園に通っていたときに母が買ってきてくれた、加古里子さんの「地球−その中をさぐろう」(福音館書店)という絵本があります。

 加古里子さんの科学絵本シリーズは、このほかにも「かわ」「海」「宇宙」などがあり、どれもたいへん優れた作品です。どこが優れているのかと言いますと、海なら波打ち際から次第に深く、地球なら足下から地面の底へ、宇宙なら昆虫のジャンプからロケット、太陽系までと、身近な題材から次第にスケールを広げていくという手法によって、気がつくと夢中になって読んでしまうような壮大な物語になっている点です。絵ひとつひとつにも細かい書き込みがあって楽しめますが、それらが連続することで、筋の通った話になる、というのはとても重要なことです。子供向けにせよ大人向けにせよ、科学を説くためには、トピックを個別に描くことだけでなく、哲学に裏打ちされたストーリーをきちんと示すことが必要ではないでしょうか。そしてそれは、対象は小さくとも、研究者が研究を始めて結果を出し、それを論文をまとめる際にも、同じように留意すべきことと思います。

 先日、ネットの新聞記事で加古里子さんのインタビュー(朝日新聞、2012年1月20日付)を発見し、とてもなつかしい気分になりました。この記事を読んで驚いたのが、

 「科学絵本も、20年先を予測して描いています。大人になった時、「お前の書いたものを読んで育ったけれど間違いだった」では申し訳ないですから。 」

 というコメントです。インタビューによると、「地球」が書き下ろされたのは1975年、しかしこの本ができるまでに5年の時間をかけていました。1970年代、日本の地質学は混沌とした時代で、プレートテクトニクス論と、地向斜論の大論争のまっただ中にありました。前者は欧米の若い研究者達が学際的なデータの積み上げによって提唱した仮説であり、後者は古典的な定説でした。

 私が大学で学んだ頃(90年代前半)にもなると、観測や分析技術の大幅な進展に伴って、プレート運動に関する直接的な証拠が次々と得られるようになり、この論争は終結ました。しかし、地球の仕組みについての学説が侃々諤々だった時代に加古里子さんが発表した「地球」には、大洋の真ん中で生産されるプレートや、大陸の縁辺で生まれる火山や山脈(島弧)が描かれているだけでなく、地殻の下にあるマントルの対流までもが描かれていました。地震波を使ってマントルの動きをぼんやりと描けるようになったのは1990年代になってからであることを考えると、この本は、未来の科学が地球の中身を解明するのを先取りした絵本だったと言えます。

 このような大胆な絵を描くために、加古里子さんは詳細な文献調査を行い、当時プレートテクトニクス論を強力に推していた竹内均さんに取材をしたりと、かなり苦労をされたようです。ただ、あえてまだ確定していない説を絵にしたということは、この学説がやがて証明されるという確信があったからに違いありません。そして、その目論見は見事に当たったわけです。

 こんな本を子供の頃に読めたことは、ほんとうに幸せなことと思います。じつは、「うみ」から「宇宙」に至るまでの科学絵本は,読み過ぎてボロボロになった状態で手許に保存してありました。このエッセイを書くためにもう一度読み直してみましたが、最後のページを見て、またも驚きました。

 この通りになった人が少なくとも一人はいるわけですから、この本は、予言の書だったのかも知れません。「地球」に親しんで、こんな仕事に就けた奴が居ますと、加古里子さんにお礼を伝えたい気分でいます。

 追記:2018年5月16日に、加古里子さんの訃報を耳にしました。童話や科学絵本によってどれだけの子供達に夢や希望を与えたか、計り知れない功績があると思います。謹んでご冥福をお祈りすると共に、第二の加古里子さんの誕生を期待しています。科学の進展を示すものに成果がありますが、その背景には、科学への憧れや理解を広め、見えない形で長い時間をかけて貢献した人々は必ずいるものです。

更新日 Oct/22/2012、追記 May/16/2018

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海洋プラスチック動態研究グループ
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