25年の軌跡

2002年(第644~728潜航)

2001年12月30日~2002年1月27日
南西インド洋海嶺調査
2002年1月30日~3月5日
インド洋中央海嶺調査
2002年5月23日~5月30日
千島海溝調査
2002年5月30日~6月17日
南海トラフおよび熊野舟状海盆調査
2002年7月13日~9月2日
ハワイ諸島周辺調査
2002年8月2日
ハワイ諸島周辺海域で通算700回潜航達成
2002年10月6日
インドネシア入港式典 メガワティ大統領(当時)訪船
2002年10月7日~10月31日
ジャワ・スンダ海溝調査

前年12月30日から1月27日の間、南西インド洋海嶺における地形地質調査のため12回の潜航調査を実施した。2月27日から2月30日までは、研究者乗下船および「よこすか」の燃料補給のためレ・ユニオン島に停泊した。2月30日から3月5日までの間、インド洋中央海嶺の熱水活動域「かいれいフィールド」での地球化学的調査および熱水生物群集の調査のため10回の潜航調査を実施した。3月5日ポートヘッドランド港にて研究者下船後、「よこすか」は横須賀向け回航し、3月18日に横須賀港へ帰港した。3月22日から3月31日の間、駿河湾にて5回の訓練潜航を実施した。
5月23日から5月30日の間、千島海溝にて地形地質および冷湧水生物群集の調査で3回の調査潜航を実施した。5月30日から6月17日の間、南海トラフおよび熊野舟状海盆にて泥火山や断層地形などの潜航調査を12回実施した。その後、7月1日にこの年2回目の外航となるハワイ諸島周辺調査に向け出港した。7月13日から8月4日の間は、ハワイ諸島周辺海域調査の前半戦で15回の潜航調査を実施後、ホノルルにて研究者乗下船および燃料補給を行った。8月11日から9月2日の間は、ハワイ諸島周辺調査の後半戦で15回の潜航調査を実施した。研究者が下船した9月3日「よこすか」は、横須賀港向けホノルルを出港し、9月14日横須賀に帰港した。帰港後間もない9月25日には、この年3日目の外航となるジャワ・スンダ海溝調査のためインドネシアに向け出港した。ジャカルタに入港した10月6日には、入港式典および特別公開を実施し、メガワティ大統領(当時)も訪船された。10月7日から10月31日の間、ジャワ島南方海域においてスマトラ断層東方延長部の海底活断層の調査で13回の潜航調査を実施した。研究者および運航チーム下船後の11月1日「よこすか」はバリ島を出港し横須賀港へ向けた。11月11日横須賀港へ帰港した翌日より「しんかい6500」定期検査工事が開始された。この年は、1月のインド洋調査から始まりハワイ、インドネシアと3回の外航が実施され、とてもタイトな年となった。

2002年の運航チーム

2002年の運航チーム

生物サンプル容器に大量に挟まるリミカリス 2002年2月

生物サンプル容器に大量に挟まるリミカリス
2002年2月

インド洋中央海嶺熱水噴出域潜航調査を終えて 2002年3月

インド洋中央海嶺熱水噴出域潜航調査を終えて
2002年3月

12月30日~1月27日 南西インド洋海嶺調査(第644~655潜航)

1月1日の元旦から調査潜航が計画され早朝から潜航準備を開始ししたが、インド洋特有の南方からのうねりが大きくなり始め、元旦の潜航は海況不良により中止となった。翌日から更にうねりは大きくなり8日連続の潜航中止が続くこととなった。何時になったら潜れるのだろうと不安が増していく中、1月9日漸く潜航調査可能な海況へと回復した。この日から南西インド洋海嶺のAtlantis Bankで怒濤の12回連続潜航が開始された。12日間も連続した潜航作業は経験がなかったが、いつまた海況が悪化するとも限らない。そのため研究者・母船乗組員・運航チームが一丸となって12連続潜航を乗り切った。結果的に計画より3回少ない潜航調査となったが、この12回の潜航で多くの貴重な岩石サンプルが採取され研究者も満足いく調査となった。調査を終えたタイミングでインド洋上に大きな勢力のサイクロンが発生し、入港予定であるレ・ユニオン島に直撃する予報となった。「よこすか」もサイクロンからの避航を余儀なくされ、本来予定になかったマダガスカル島の西方に避航し、サイクロンの動静を注視しながら北上することとなった。サイクロン通過後レ・ユニオン島に入港したのは、計画より2日遅れの1月27日となり燃料もギリギリだった。島内の至る所で木の枝が倒れ重なり、島民の人たちが雨に濡れた家財道具を庭やテラスで天日干ししている光景が見られた。如何に勢力の大きなサイクロンだったかを物語っていた。

サイクロン通過後のレ・ユニオン島の様子

サイクロン通過後のレ・ユニオン島の様子

Atlantis Bank西側で観察された急崖 第645潜航 2002年1月10日

Atlantis Bank西側で観察された急崖
第645潜航 2002年1月10日

Atlantis Bank東側での岩石サンプリング 第653潜航 2002年1月18日

Atlantis Bank東側での岩石サンプリング
第653潜航 2002年1月18日

1月30日~3月5日 インド洋中央海嶺調査(第656~665潜航)

この調査は、インド洋ロドリゲス三重点22km北方に位置する「かいれいフィールド」の調査を目的としていた。「かいれいフィールド」は、2000年に「かいれい」及び「かいこう」によって発見され命名されたが、更なる詳細調査をすべくトランスポンダを3本海底設置し、久しぶりのLBL測位で望んだ。
「かいれいフィールド」には熱水を噴出しているチムニー群があちこちに点在しているので各々の位置関係を詳細にマッピングする必要があった。この熱水チムニーは、すでに研究者が名前を決めておりインド洋にちなんでインドの神様の名前が付けられていた。ものすごい勢いで黒い熱水を噴き上げる「カーリー」、熱水系生物が群がる「ビシャモン」、スケーリーフットを含むや多くの巻き貝が生息する「モンジュ」や「ダイコク」等、「しんかい6500」では初めての調査である。
当然、運航チームもチムニーの名前を言われてもその位置関係は分かるはずも無く、SSBL測位より正確な測位ができるLBL測位は有効な手段だった。この航海は、調査前半に続いた海況不良により10日連続の潜航中止があり計画より5回少ない10回の調査潜航であったが、多くの岩石や生物採取そして詳細な海底マッピングも実施でき、目的は十分に達成できた調査航海だった。皮肉なことに調査後のポートヘットランドへの回航は、海況も安定し揺れの少ない快適な回航だった。

勢いよく熱水を噴出するチムニー(カーリー) 第659潜航 2002年2月15日

勢いよく熱水を噴出するチムニー(カーリー)
第659潜航 2002年2月15日

「かいれいフィールド」で観察されたユノハナガニの産卵 第665潜航 2002年2月24日

「かいれいフィールド」で観察された
ユノハナガニの産卵
第665潜航 2002年2月24日

5月23日~5月30日 千島海溝調査(第671~673潜航)

千島海溝では3回の調査潜航を実施した。初めて調査する海底であったが、「よこすか」のシービーム広域地形調査で得られた海底地形図から冷湧水生物群集が生息していそうな断層地形を選んで潜航調査を実施した。運もあるのだろうが見事、新たなシロウリガイ群集の発見があった。海底地形調査を主体に岩石試料採取や熊手によるシロウリガイ採取、生物トラップによる生物採取を試みた。またこの海域では、オトヒメノハナガサを見かけることが多かった。

千島海溝で観察されたオトヒメノハナガサ 第671潜航 2002年5月25日

千島海溝で観察されたオトヒメノハナガサ
第671潜航 2002年5月25日

海底設置した生物トラップに近づくソコダラ 第673潜航 2002年5月27日

海底設置した生物トラップに近づくソコダラ
第673潜航 2002年5月27日

5月30日~6月17日 南海トラフおよび熊野舟状海盆調査(第674~685潜航)

潮岬南東方海域で7回、熊野舟状海盆で5回の潜航調査を実施した。潮岬南東方海域では、潮岬海底谷に沿って露出するout-of-sequence thrust (OODT) 帯の性状解明を目的に海底観察と試料採取を行った。海底航走中には頻繁にシロウリガイコロニーが観察され、断層によるものと推測される冷湧水現象が確認された。
熊野舟状海盆海域では、いくつか確認されている泥火山の内、3つの泥火山について調査を実施した。泥火山では岩石採取、採泥および冷湧水生物の採取の他、海底設置型TVカメラ装置の設置や回収作業などが行われた。調査期間中に台風4号が発生し、三河湾入口付近で2日間の台風避泊を余儀なくされたが、全体的には天候に恵まれ計画通りの12回の潜航調査が実施できた。

潮岬東方海域でSAHFプローブによる熱流量計測

潮岬東方海域でSAHFプローブによる熱流量計測

泥火山で設置作業したγ線測定器と海底設置型TVカメラ装置

泥火山で設置作業したγ線測定器と
海底設置型TVカメラ装置

7月13日~9月2日 ハワイ諸島周辺調査(第686~715潜航)

ハワイ島周辺海域での調査は、1990年の調査から3年ぶり2回目の調査となった。潜航調査はオアフ島周辺では9回の潜航調査、ハワイ島周辺では島全体を取り囲む様に21回の潜航調査を実施した。ハワイ島周辺の海底火山では、とても新鮮な溶岩も観察され表面はガラス質で覆われており「しんかい6500」が着底するたび耐圧殻内にバリバリとガラスが割れるような音が伝わってきたのが印象的だった。
また堆積物がほとんど乗っていない枕状溶岩にも驚いた。
この航海では、主配電盤の電源が勝手に切れてしまう不具合や主蓄電池の単電池交換作業が発生するなど不具合の多い航海であったが、少ない整備日に対処しながら計画された30回の調査潜航を全て実施することができた。8月2日の潜航調査で通算700回の潜航を達成した。

ハワイ島南西沖斜面での岩石サンプリング

ハワイ島南西沖斜面での岩石サンプリング

ロイヒ海底火山で観察された枕状溶岩 第696潜航 2002年7月28日

ロイヒ海底火山で観察された枕状溶岩
第696潜航 2002年7月28日

10月7日~10月31日 ジャワ・スンダ海溝調査(第716~728潜航)

10月6日ジャカルタ入港後、大々的に入港式典と特別公開が催された。式典にはメガワティ大統領(当時)も訪船され「しんかい6500」の耐圧殻内の見学もされた。翌日にはジャカルタを出港し調査海域に向けたが、前半数日は海況不良が続き潜航中止となったが後半は安定した天候の中、順調に13回の調査潜航が実施できた。インドネシアのスンダ沖は、インドネシアに沈み込むユーラシアプレートとオーストラリアプレートの境界線が位置する場所で水平に伸びるジャワ海溝と斜めに伸びるスマトラ海溝の分岐点という得意な海域であった。潜航調査は順調に進み多くの採泥や岩石試料を採取した他、海底には冷湧水系生物であるシロウリガイも頻繁に発見され、生物採取やガンマー線測定などを実施した。また地震によると推測される断層なども観察された。
順調に調査が進んでいた10月12日にバリ島南部の繁華街タグで停車していた自動車が爆発するという爆弾テロが発生し、外国人観光客を含む多くの方が犠牲となった。研究者と運航チームは、テロ事件後の11月1日バリ島で下船し帰路についたが、搭乗したジャンボジェット747(バリ島−成田直行便)は、空席ばかりで研究者と運航チーム20数名での貸し切り状態だった。このテロ事件は、バリ島の観光業にも大きなダメージを与えたことが察しられた。


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ジャワ島南西沖で確認された断層と推測される地形 第726潜航 2002年10月25日

ジャワ島南西沖で確認された断層と推測される地形
第726潜航 2002年10月25日

ジャワ島南西沖で観察されたシロウリガイコロニー 第727潜航 2002年10月26日

ジャワ島南西沖で観察されたシロウリガイコロニー
第727潜航 2002年10月26日

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