25年の軌跡

2005年(第860~917潜航)

2005年3月21日~4月21日
南西諸島海溝、駿河湾、相模湾にて試験・訓練潜航
2005年5月11日~5月27日
北西太平洋調査
2005年6月10日~7月8日
南海トラフ調査
2005年7月11日~8月10日
マリアナトラフ調査
2005年7月26日
マリアナトラフ南部にて通算900回潜航達成
2005年8月13日~11月15日
中間検査工事
映画「日本沈没」の撮影に協力
2005年11月19日~12月3日
南西諸島海溝にて試験潜航
2005年12月6日~12月12日
相模湾調査

2005年の始まりも検査工事完了後の試験潜航から。横須賀沖での沈降試験(母船との吊り索は離さずに潜水船を海面下に沈めて行う試験)を含め5回の試験潜航を行い、安全性を確認する。正式にはこの試験潜航の終了をもって検査工事が完了となる。試験に引き続いて行われた訓練潜航では、新人の育成だけでなく現役パイロットの錬成、特にコパイロットをパイロットにするための訓練に重点がおかれ、先輩パイロットの指導の下に実戦さながらの訓練が行われる。また、この訓練潜航の期間中に、報道関係者の取材潜航も合計2回、相模湾初島沖にて行われた。
その後いよいよ調査潜航に入り、5月に日本列島東方沖の北西太平洋での調査潜航を行った。この航海は行く手を巨大な低気圧に阻まれ、「よこすか」が全く前進できなくなるほどの荒海を越えての航海であった。
2005年度はインド洋での調査潜航が計画されていた。インド洋の調査海域は陸地から遠く離れた大洋の真っただ中で、一度海が荒れてしまうとなかなか回復しないことから、現地のベストシーズンである夏季(即ち、日本の冬季)に行くことが計画され、そのために例年冬に行っている検査工事を早めて夏から秋にかけて実施した。そして、この検査工事期間中に、映画「日本沈没」に全面協力することとなり、JAMSTEC本部でも何度か撮影が行われた。整備場に帰投した潜水船の整備を行っているシーンでは、既に検査工事に入っていてバラバラになっていた潜水船の外皮だけを復旧してそれらしく見せたり、逆に「しんかい6500」が沈没した後のシーン撮影では外皮も機器も付いていない潜水船を上手く使って撮影したりと、苦労しながらも楽しい撮影協力であった。何より、撮影スタッフのプロ意識の高さ、妥協のなさには運航チームにも似通う部分があり、気が付けば助監督と運航チームでああでもないこうでもないと、シーンの流れから小道具の配置まで現場で色々と協議している風景があちこちで見られた。
検査工事終了後に試験潜航を行い健全性を確認した後、インド洋に向かう前に相模湾で短い調査潜航行動を実施した。研究者からの要望でシャトルエレベーター(係留系に調査観測機器を搭載して潜水船とは別に投入、海底で潜水船で近づいて作業を行うもの)を使った生物採取を主とした調査潜航を実施した。潜水船でのサンプリングと異なり、シャトルエレベーターに搭載された仕掛けによって大量の生物サンプルが採取され、多くの研究者が潜航終了後はラボにこもって作業を行っている中、運航チームが明日の潜航準備作業を行っている傍らで、サンプルを処理するひとりの女性研究者の姿があった。12月真冬の相模湾の寒さは運航チームにとってもかなり堪えるものであったが、そんな極寒の夜の船上で、腕まくりして冷たい海水に手を入れて黙々と作業をするその後ろ姿からは、何とも言えない研究者のプロ根性がビシッと伝わってきた。

2005年の運航チーム(5月26日、北西太平洋での調査を終えて)

2005年の運航チーム(5月26日、北西太平洋での調査を終えて)

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映画「日本沈没」の撮影に協力

映画「日本沈没」の撮影に協力

映画に「しんかい2000」も登場

映画に「しんかい2000」も登場

シャトルエレベーターでの作業 第914潜航 2005年12月8日

シャトルエレベーターでの作業
第914潜航 2005年12月8日

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