海洋研究の歴史を語る 50周年記念コラム

2021.08.11 UP

「かいれい」が12年越しで見た、
海底の大変動

海域地震火山部門
富士原 敏也

「それでも海底は動いている」

海底地形データの解析を終えた研究員が、そうつぶやいたとか、つぶやかなかったとか…

私は1995年10月に、科学技術庁の科学技術特別研究員として、JAMSTECに来ました。その頃「よこすか」、新造される「かいれい」に船上重力計、海上磁力計、マルチビーム音響測深機 (図1) が搭載されることになり、そのデータを使える人間ということで、木下肇さんが当時部長であった深海研究部で採用してもらいました。

図1

図1:海底地形 (水深) 測定の基本原理は、調査船から音波を送信して海底からの後方散乱音波を受信し、音波の往復にかかった時間と海中での音波速度を掛けることにより水深値を得るというものです。海底地形調査にはマルチビーム音響測深機が用いられます。船の左右方向に扇状に伝わる音波ビームを送信し、受信ビームは船の左右方向を狭めて、送信・受信波が交差する限定された場所からの後方散乱音波を受信します。多方向からの入射波を受信することにより、一定幅の範囲の詳細な水深データを一度に得ることができます。海中の音速は海水の温度、圧力 (水深)、塩分濃度によって決まります。この内、海水温度は空間的、時間的に変化してしまうので、完全に正しい音速を把握することは難しいです。

私は海洋プレートのテクトニクスを研究しています。JAMSTECに来た当初は、海洋プレートが誕生して海底が拡大する場所である、中央海嶺の研究をしていました。プレートテクトニクスの研究では、1年間で海底が数cm移動し、何百万年かけて海洋プレート、海洋地殻構造が形作られる、というスケール感の話をしています。JAMSTECに入ってからは、海洋プレートが地球内部に沈み込む場所である、海溝の調査研究もするようになりました。

2004年12月26日、マグニチュード9.1 (M9.1) を記録する、インドネシア・スマトラ島沖地震が起こりました。この地震により巨大津波が起こり、20万人以上が犠牲になりました。近代的な地震観測史の中で、1960年チリ地震 (M9.5)、1964年アラスカ地震 (M9.2) はありましたが、スマトラ島沖地震が起きた時には、M9の地震なんて本当に起こるんだ…と思いました。

JAMSTECでは、慌ただしく準備を始めて、地震から2ヶ月後に「なつしま/ハイパードルフィン」を派遣し、スマトラ島沖のマルチビーム海底地形調査、シングルチャンネル反射法地震探査、余震観測、海底観察を行いました (NT05-02航海)。首席研究者は当時深海研究部長心得の東垣さんです。インドネシアの研究者を含む国際チームを組みましたが、JAMSTECからは町山栄章さん、荒木英一郎さん、平田賢治さん (レグ1)、当時研究担当理事だった末廣潔さん (レグ2)、そして私が参加しました。その時に、末廣さんが「この地震でわからなくてどうする?」と繰り返していました。滅多に起こることのない超巨大地震では様々な現象が顕在化する、そこから最大限の知見を得る努力をしなければならないと。

航海は、土地勘のない海域で、今日の結果を見ながら明日どこを調査するか、ギリギリまで議論する緊張の連続でした。調査の結果、余震の観測からスマトラ海溝に沈み込むインド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートとのプレート境界面の形状を明らかにしましたし、海底観察では海溝から陸側斜面の海底が高速破砕された様子が発見されました。しかしながら、地震前は現代的な調査はほとんど行われていなかった海域でしたので、あの地震で何が起こったかの確証としては、不十分なものも残りました。

2011年3月11日、日本の観測史上最大のM9.0を記録する、東北地方太平洋沖地震が起こりました。その時のことは、皆さんそれぞれに強く記憶に残っていると思います。私は東京大学の柏キャンパスにいました。2004年スマトラ島沖地震調査研究の取りまとめのワークショップの会議中でした。「なつしま」調査を一緒に行ったインドネシアの研究者をはじめ、海外の研究者も招待していました。動揺する外国人研究者に「大丈夫だから、席にいろ」と言っていたのですが、揺れは収まらず激しくなったので、建物から逃げだしました。尋常ではない地震とわかったときには、日本人の方が慌てたかも。避難した駐車場で、携帯のワンセグに映るスマトラの再現のような津波を愕然と見ていました。M9の地震が日本でも起こるとは…

「かいれい」は地震の当日、小笠原海域を調査中でしたが、急遽JAMSTECに引き返し、余震観測のための海底地震計などの装備を調えて、3月14日に東北沖に向かいました。小笠原調査の乗船研究者であった海宝由佳さん、野徹雄さんがそのまま調査に向かいました (KR11-05航海)。その調査で、震源地に近い宮城沖、200 km沖合の日本海溝付近にも漂流物が漂う中、地震前の1999年と2004年に「かいれい」(KR99-08, KR04-10航海) が行った測線と同じ測線を走りきり、地震後のマルチビーム海底地形データとマルチチャンネル反射法地震波探査データを得ました (図2)。

図2

図2:2011年東北地方太平洋沖地震直後に「かいれい」が海底地形調査した測線を、黄色い枠で示しています。1999年と2004年にも同じ測線を「かいれい」で調査しています。×印は震源、赤い枠は震源域を示しています。星印は2012年の「ちきゅう」による断層掘削 (IODP第345次航海: JFAST) の掘削点を示しています。

「かいれい」の帰港後、私は海底地形データの解析を任されました。正直にいうと、地震の前後を比較して海底地形の変動を見るのは難しいと思っていました。なぜなら、測深値の精度、空間分解能 (地形の識別に関わる能力) は水深が深いほど低下します。7000 mを超える水深の日本海溝では、メートル単位で海底地形の比較するのは難しいだろうと。また、測深中に完全に正しい海中音速を把握することは困難で、測深機に入力した海中音速と真の海中音速に誤差があり、水深の絶対値の誤差、測深点の位置の誤差、海底地形のゆがみを生じている調査なんて普通だからです (といっても過言ではありません)。

地震後の2011年と地震前1999年の海底地形データの差を単純に取ってみると、測線全体に一定の水深差が出ました。これは、海中音速の誤差による絶対水深値の誤差を示しています。船から遠い外側の受信ビームデータに海底地形のゆがみが大きく出てしまっています。

「そうそう、こうなるよね、海中音速は正確にはわからないから」(解析中の心の声)

そこで、外側ビームのデータは解析から外し、比較的精度の高い船の直下に近い内側ビームのデータ同士で比べました。海溝軸から海側、太平洋プレート側の斜面は、地震時の変動は小さいと考えて、測線全体にわたる海底地形データに含まれるバイアス的な位置のずれ、水深値のずれを海側斜面で見積もって、そして、海溝軸より陸側斜面の海底地形変化を調べることにしました。こうすると、相対的な変化だけを見ることになるため、誤差の影響の一部を避けることができます。

「えっ?何?この陸側と海側のはっきりした違い?」(再び漏れる心の声)
「あれっ?陸側斜面は海底地形がずれている、どの位ずれている?」
「ええっ?おおっー!」

図3は不細工なカラーリボンのような絵ですが、驚愕の結果を示しています。2011年と1999年の海底地形を比較すると、海溝軸近くの約40 kmの長さにわたる陸側斜面は平均して16 m上昇しているという結果になりました。海底地形の上昇は海溝軸の位置までおよび、海溝軸が明瞭な境目になっています。陸側斜面の水深変化をよく見ると、縦 (南北方向) に筋状の模様が見えています。これは、海底地形の小さな峰と峰、谷と谷の位置がずれ、局所的な高低差が出たためです。2011年の陸側の海底地形データの位置を西北西に56 mずらすと、1999年の海底地形パターンと合います。地形パターンを合わせた位置での平均高低差は10 mとなります。

図3

図3:Aは2011年に調査した測線に沿った海底地形、赤い三角で挟まれた場所は海溝軸 (水深7600 m) を示します。海溝軸より左側が陸 (東北) 側斜面 (北米プレート)、右側が海側斜面 (太平洋プレート) です。Bは2011年 (地震後) と1999年 (地震前) の間の水深変化を示しています。青と赤の三角間で示される領域 (幅約40 km) で、海底地形の変化が大きく出ています (領域全体平均で16 mの上昇)。2011年の陸側斜面データは1999年データに対して、東南東方向 (113°) に56mの位置ずれしていることが解析されます。Cは2011年 (地震後) と2004年 (地震前) の変化。1999年データとの比較と同様の傾向が見られます、ただし、使用するデータによって若干の数値の違いが出ています。Dはともに地震前である2004年と1999年データの比較では、海底地形変化が見られません。

これらの結果を読み解くと、海溝陸側斜面は海側斜面に対して、東南東方向、海溝軸に向かって水平に56 m、上方に10 m (+ 海底斜面勾配による追加上昇6 m = 16 m)、地震で動いた、海底の動きは地震によるプレート境界断層のすべりにより、その断層すべりは海溝軸まで達し切った、ということになります。海溝軸付近のプレート境界断層の浅い部分では地震性すべりは起こりにくいと考えられていましたし、50 mを超える超巨大な断層すべり量は今までに報告されたことはありません。

答え大丈夫か!?本当かなあ?2011年と2004年の比較も見てみよう…

「それでも海底は動いている…」

2011年と2004年の比較は、1999年データとの比較と同様の傾向が見られました。ただし、使用するデータによって若干の数値の違いが出ています。解の値に数mの違いが出るのは、やはり、海底地形調査が持つ精度、分解能が影響していると思われます。ともに地震前である2004年と1999年データの比較では海底地形変化が見られず、解析の妥当性を確認できました。

一瞬にして海底が水平に50 mも動く、10 mも隆起する…
そこにいたら、どんな感じなのでしょうか…?私はこれまで、年間数cmという海底の動きを見てきましたが、こんなカタストロフィックな海底の変動もあることに認識を新たにさせられました。

日本海溝のプレート沈み込み帯は、地震以前にも国内外の大学・研究機関により数多くの調査が行われていました。2011年東北地方太平洋沖地震は、そのような観測網の中で起こったため (起こってしまいましたが)、多くの科学的知見を得ることができました。とりわけ、海底における地殻変動の観測は、海溝型地震についての新しく重要な定量的情報でした。JAMSTECも基礎的な海底調査データの蓄積と管理があって、結果を見いだし大きく貢献することができました。

「かいれい」が1999年から12年越しで見たものは海底地形の変動だけではありません。小平秀一さんらが解析した反射法地震波探査の記録でも、地震前後の海溝軸付近の地下構造を比較によって、断層の動きが原因と思われる地殻の変形が確認され、海溝軸まで断層の破壊とすべりがおよんだことは確からしいとわかりました。

その後も私は「この地震でわかること」を探して、地震前データがある場所を通る海底地形調査を続けて調査範囲を拡げていきました。津波は海底が急激に上下変動することが原因ですから、直接的な証拠となる海底地形変動の分布の全貌が正確にわかれば、津波発生メカニズムの理解が飛躍的に進むに違いありません。しかしながら、震源から遠い場所では海底地形変動が小さくなります。そうなるとやはり、地震前に海底変動の検出を目的としない形で取られた海底地形データの分解能、精度が解析の妨げとなっており、今は悪戦苦闘が続いてます。

今後もJAMSTECは、より正確に海底の変動を知って、プレート沈み込み帯のダイナミクスがわかるように、その時の技術で成し得る限りで高分解能、高精度の調査データを繰り返し取得し、管理、評価しておくことは大事と思います。今後、どの船が何を見る、見せてくれるのでしょうか?

末筆ながら、すべての犠牲者の方々に深く哀悼の意を表します。

参考

スマトラ島沖大地震 緊急調査報告 Blue Earth 2005年77号
東北地方太平洋沖地震に関連するJAMSTECによる調査・研究 その成果と今後 Blue Earth 2012年118号
東北地方太平洋沖地震から10年 次の巨大地震・津波に備える Blue Earth 2021年166号