海洋研究の歴史を語る 50周年記念コラム

2021.10.26 UP

「かいれい」での邂逅~KR21-11航海での出会い~

株式会社天童木工
企画部企画課 稲葉 鮎子

"ここまでベタナギなのは、珍しいですよ"

「かいれい」のデッキから駿河湾を眺める私たちに掛けられた言葉は、普段使う言葉と違う響きがした。"ベタ凪"とは、風が静かで海面に波が立っていないことを言うそうだ。海にまつわるボキャブラリーをほとんど持たない私にとって、この言葉から海洋研究の世界に触れる航海が始まった。

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−− 7月下旬、国内各地からプロダクトデザイナー、グラフィックデザイナー、テキスタイルデザイナー、ラッパー、音楽家、美術家、編集者、料理家、スタイリスト、PRといった様々な肩書きを持つメンバーが集まった。JAMSTECの50周年記念に合わせて企画された本プロジェクトは、海洋研究に興味がある表現者が実際の現場でJAMSTECのメンバーと共同し、その体験をもとにサイエンスとアート/デザインのコラボレーションを試みるという魅力的なものであった。
しかし、感染症が流行中といった状況でのプロジェクトとあって、事前の打ち合わせやオリエンテーションは全てオンライン。できる限りの予防対策を講じたうえで臨んだ当日だったので、研究船に乗れる喜びと期待、そして緊張と不安とが入り混じる心持ちであった。そんなこともあって駿河湾のベタ凪は、私たちのような門外漢の航海を優しく歓迎してくれているような気がした。(とはいえ、相手は自然。人間の状況などおかまいないのだから、その日の運でしかなかったとも思う。)

さて、2日間にわたって実施された本プロジェクトでは深海調査研究船「かいれい」と無人探査機「かいこうMK-IV」を用いた採水・採泥・観察作業・プランクトンとプラスチックゴミの採取、そして、海底までの往来時と海底での実験に立ち合わせていただくといった内容であった。私は、ともに乗船したグラフィックデザイナーの夫と共に「かいこうMK-IV」(以下、ROV)で海底に文字を書いてもらう「文字描画実験の実施」と「採泥試料を用いたインク生成・染色の検証」、「研究船のフィールドワーク」という自主企画を持ち込んでいた。

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1日目。
船内にエンジンの振動音が響き、丸い小さな窓から見える景色が動きはじめた。目的地に向かう途中、富士山を背景にした地球深部探査船「ちきゅう」も見えて、そのフォトジェニックな様子に思わずシャッターを切った。
目的地に到着。ROVの潜航準備に取り掛かると船内は出港の時よりもほんの少し慌ただしくなった。指令を出すブリッジからの音声とデッキに集まった乗組員たちとの応答が響く。周囲になにもない海原に「船」という陸の擬似的な環境を作り出し、大きく高度な機械に対して緻密でダイナミックな仕事が展開されていく光景に胸が熱くなった。未知の領域を切り拓くサイエンスの背景に、プロフェッショナルたちの地道な仕事があったことに気づかされたのだ。

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海へ潜り水深を深めていくROVから届く映像は、無数の星屑がただよう空を泳いでいるような感覚であった。時折アナゴやクラゲ、鮮烈な色彩のエビが前を通る。水深約1350 mの海底に到着。ヒトデやナマコがコミュニティをなしていることに驚いている横で、海水や泥、ゴミのサンプリングが進められていった。多数の確認事項と限られたROVの動作範囲を把握した操縦士たちが海底での作業を進めていくが、ひとつひとつの動作に時間を必要とする。海底の砂が巻き上がり「待つ」時間があったことも印象的であった。この「待つ」時間は、仕事にテマヒマをかけるの「ヒマ」= 自然と人間との間合いのようにも感じた。

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いよいよROVが特製の筆(スティック)を持ち海底に文字を書く。海底描画「Aっ」と、操縦士に伝えられた指令に少しその場がざわついた。最初に「A」を、次に「I」を書いてもらった。複数のモニターが並ぶ操縦盤の前で、ROVのマニピュレーターという"手"を操作して海底の泥に線を書くのは難しく、歯痒さを感じながらも海底に文字が書かれていく。そのおぼつかない線や文字になるかならないかの狭間の表現であること、そして多勢の人間が関わることで特定の人格が介在しない文字のような気がして、とてもおもしろいものが生まれたと思った。タイムリミットが来て1日目の実験はここで終了。船は清水港に戻った。

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2日目。
朝食前に夫が、湾内にイルカが泳いでいたかも…と言った。奄美育ちの彼が言うのだから間違い無いだろう。そんな朝からはじまった。

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2日目も同じ駿河湾内ではあるが、初日とは異なる場所へと進路を進める。潜航予定点へ到着、ROVの潜航準備、潜水、海底へと向かい、サンプリングと潜航調査が着々と進められていく。
そしてまた楽しみにしていた海底に文字を書く実験がはじまった。1日目の経験がすでにフィードバックされ、ROVが持つ筆がブラッシュアップされていた。こちらが要望せずとも精度を高めて取り組んでもらっていることに感謝しながら文字を書くROVを応援した。

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「T」「E」

何度か操縦士が変わり、水深980 m〜847 mの海底を移動しながら「J」「C」「M」「S」「T」「E」「R」「W」「O」「Q」「5」「N」「V」「Y」「!」と書き進めていただき、1日目とあわせて計15文字の描画が完了した。
これらのアルファベットを用いるとどのような単語が生まれるか、みなさんはどんな想像をされるだろうか。当初目指していたフォント化のための文字は揃わなかったが、これらをもとにタイポグラフィを試みたいと考えている。

「海底描画」。持ちこんだ企画は少々奇妙なものであったかもしれないが、時折、室内の緊張が和らぎ笑いもこぼれたことは、ユーモアを重要視する我々にとってひとつの成果であった。素性のわからない私たちと操縦士、乗組員をつなぐアイスブレイクのような実験となっていたらよかったのだが…実際はどうだったのだろう。いつか操縦士の方とお会いできる時がきたらその時の感想を聞いてみたいと思う。

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海底から採取した泥。においや質感を確かめる。この細かさを活かして染色への応用を試みる。

話はそれるが船内での食事が想像以上に美味しくて驚いた。
1日目の昼食は、長崎ちゃんぽんと竹皮に包まれた中華粽。2日目の昼食は、まぐろのカマ焼きに海鮮丼、ロールケーキがデザートだった。温かいごはんは温かく、冷たいものはひんやりとした状態でサーブされる。他のメンバーが進めた調理チームへのインタビューによると、レトルト食品やインスタント食品、出来合いのものを持ちこんで食事を用意するのではなく、スープもケーキもすべて食材そのものから調理するという徹底ぶりだという。

時に長期に渡る航海も、こんな風に温かくて美味しい食事が体を健やかに保ち、精神までも保養をするのよね…と食事の大切さをしみじみ感じた。(そして、食堂のテレビで流れていたお昼のニュースで、駿河湾にイルカが泳いでいたというトピックがあがっていた。やはり、夫が見たのはイルカだったようだ。イルカもまた心地よいベタ凪に誘われて港に立ち寄ったのかもしれない。)

もうひとつ驚いたことがある。食堂のサロンに私が勤務する家具メーカーのイスが並んでいたのである。後ろ姿を見てすぐにそれと分かったが、フリルがついたカバーごしに触れて間違いがないことを確認した。日本におけるデザイン、ジャパニーズモダンの礎を築いたデザイナー剣持勇が創設した剣持デザイン研究所による天童木工製のイスである。暮らしの中心、皆が自然と集まる中心地という意味が込められたチェントロ(Centro)という愛称を持っている。「かいれい」の就航は1997年であるから、船上でほぼ四半世紀が過ぎたことになる。普遍的で古びない優しい雰囲気を持つこのイスが、世界の海原を何十年も航海し海洋研究の日々に寄り添ってきた時間を感じられた気がしてとても感慨深かった。遠く山形の土地から出荷されるときには想像もしていなかっただろう。

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「チェア [T-5344]」は、現在も製造が続いているイス。

…「ものづくり」と真摯に向き合う職人のそばで仕事をしていた私にとって、この船上での出会いは心底嬉しいものであった。目を凝らすとイスの他にも船内のあちらこちらに時の蓄積を感じさせる大切に使われてきたモノがあった。きっとそれらのモノや道具は、たくさんの出会いのそばにあり、新たな創造を助け、工夫を生み、イノベーションを起こす要素だったのではないだろうか。(私は、そうあってほしいと願っている。)

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−−この50周年記念航海を通じて、私はJAMSTECの最先端のサイエンス、エンジニアリング、航海のオペレーションは、日々練磨されながら継承されてきた伝統の先にある仕事なのではないかと感じた。それと同時に、感性を磨き信じた事柄に真摯に取り組むこと、恐れずに挑戦を重ねることこそがより良い未来につなぐ今を生きる私たちのタスクだとも考えた。今後この経験を日々の創作活動や業務に活かし、小さくても未来の海洋研究の追い風になるような仕事をすることができたらと思う。

最後に、このような貴重な機会をくださったこと、様々な制約があるなかで最大限のサポートで協力してくださったJAMSTECの皆様と3710Labの皆様に深くお礼申し上げます。

JAMSTEC 50 T(H) ANNIVERSARY
WE ARE JAMSTEC !

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顕微鏡をのぞくと、美しい浮遊性有孔⾍たちにも 出会えた。