土井威志
気候変動予測応用グループ 研究員
ニンガルー・ニーニョとはオーストラリア西岸域の海水温が平年に比べて異常に暖まる現象です。この現象が近年頻発するようになったため、海洋学者や気候学者が活発に研究を進めています。例えば国際連合教育科学文化機関UNESCOの政府間海洋委員会IOCの科学レポートでもとりあげられています。
特にアプケーションラボではニンガルー・ニーニョの"予測"に注目して研究を進めており、最近[Doi et al. 2015, JGR, in press]を発表しました。本コラムではニンガルー・ニーニョ研究の最先端のレビューと合わせて、[Doi et al. 2015, JGR]で発見された面白い点について紹介したいと思います。
オーストラリア西岸域の海水温が平年に比べて異常に暖まる現象です。従来はこの海域を岸に沿って南向きに流れるルーウィン海流の変動が引き起こす海洋現象と認識されていました。しかし、最近になって大気と海洋が相互に作用し合うことで発生する新しい気候変動現象であると認識されました。
海表面水温の観測データから描画した2011年2月の平年値からのズレ(°C)。豪州西岸の海表面水温が平年よりも3℃近く暖まることを記録した。このイベントを契機にニンガルー・ニーニョ現象の研究が活発化した。
大陸西岸域で12月〜2月頃にかけて海水温が異常上昇する点が、太平洋赤道域の気候変動現象であるエル・ニーニョ現象と類似していることから、山形俊男 東大教授(当時)(兼 アプリケーションラボ所長)がそのメカニズムの解明を大学院生の片岡崇人さんの学位論文テーマとして取り上げていました。片岡さんらは、2011年から研究を始め、2012年3月に"オーストラリア西岸域の沿岸ニーニョ現象"というタイトルで日本海洋学会春季大会(筑波, 3/29, 口頭)で発表しました。たまたま同様の現象に関心を持っていたオーストラリア連邦科学産業研究機構のミン・フェン博士と2012年秋にサンフランシスコの米国地球物理学連合の秋季大会でお会いした際に、スワディヒン・ベヘラ グループリーダーも交えて、この地域の地名 Ningaloo(アボリジニの言葉で「深い海に突き出した陸」の意)にちなみ、ニンガルー・ニーニョと名づけたそうです[1]。 新しい現象には人々が覚えやすい名称が必要ですが、カンガルーに近い響きを持っていることもあって、この新用語は世界の人たちにたちまち受け入れられたようです。
東京大学の研究チームが過去50年の観測データ解析をベースに、ニンガルー・ニーニョの発生の指標として、オーストラリア西岸域[108°-116°E, 28°-22°S]で領域平均した海表面水温の偏差(平年値からの異常値)でニンガルー・ニーニョ指標を定義しました。[2]
ニンガルー・ニーニョが発生するとオーストラリア西岸の海洋生態系は甚大な被害を受けます[3][4][5]。例えば、2011年2月に発生した極めて強いニンガルー・ニーニョの発生に伴い、オーストラリア西岸の珊瑚の白化現象が顕著であったことが報告されています。また降水量にも影響を与えるため、オーストラリア西岸の農業や水管理にも影響を及ぼす可能性も高いです[2][6]。従ってニンガルー・ニーニョは数100kmスケールで発生する当該地域社会に密接に関連した気候変動現象であると言えます。また、オーストラリアの南西部(パース周辺)はオーストラリアの穀倉地帯で、日本はこの地域から大量に小麦を輸入しています。従ってこの地域の豊凶予測は当該地域だけでなく、国際的にも重要であると言えます。
いくつかのメカニズムが提唱されています。まず一つは太平洋熱帯域で発生するラ・ニーニャ(エル・ニーニョの逆の現象)によって遠方から強制され発生するメカニズム[1]です。次に、オーストラリア西岸で地域的な大気海洋相互作用よって増幅するメカニズム(沿岸ビヒャクネス正フィードバック:[2])も提唱されました。また、風ー蒸発ー海表面水温(WES)正フィードバックの重要性を指摘する研究もあります[7]。これら発生メカニズムの相対的な重要性は現在も活発に研究されているところです[8]。
オーストラリア西岸域の海表面水温が平年値より冷たくなる現象はニンガルー・ニーニャ現象と呼ばれています。ニンガルー・ニーニョ現象の単純な逆符号として説明できる部分(シンメトリー)と、説明できない部分(非シンメトリー)があります。[2]
近年の地球温暖化傾向と太平洋数十年規模変動(注1)の負位相によって、オーストラリア西岸の海水の平均気温や海洋表層の蓄熱量が1990年代後半から急激に上昇しています[Doi et al. 2015, JGR][9]。それに伴い、オーストラリア西岸は緯度的には中緯度であるにも関わらず、熱帯の海のように振る舞うようになりました[Doi et al. 2015, JGR]。具体的には、暖かい海洋が、上空で背の高い対流を直接的に駆動するようになり、地域的な大気海洋相互作用(沿岸ビヒャクネス正フィードバック:[2])を活性化させることで、ニンガルー・ニーニョの振幅を増幅させやすくなりました。つまり、太平洋数十年規模変動の負位相(注1)が継続すれば、今後も極端に強いニンガルー・ニーニョが、極端な降水量増加を伴って頻繁に発生する可能性が高いと言えます。ニンガルー・ニーニョ現象が近年頻発していることは珊瑚の観測データからも確認されています[10]。
アプリケーションラボで運用・開発されている「SINTEX-F1季節予測システム」(注2)を、JAMSTECが有する地球シミュレータで計算したところ、過去30年のニンガルー・ニーニョおよびニーニャの発生を約半年前から予測可能であることを明らかにしました[Doi et al. 2013, Scientific Reports]。特に2011年に発生した極めて強いニンガルー・ニーニョの発生については9か月前から予測できました。更に最先端の研究では、1990年代後半から頻発するニンガルー・ニーニョによって西オーストラリアの降水量の季節予測精度が劇的に向上していることを発見しました[Doi et al. 2015, JGR]。
[Doi et al. 2015, JGR]の最も面白い点は、1990年代後半から西オーストラリアの夏季降水量の季節予測精度が劇的に向上していることを発見したことです。
その主な理由は下の模式図の通りです。1990年代後半より前(左図)は、オーストラリアの夏季降水量の年々変動は、インド洋の気候変動現象(ダイポールモード, マッデン・ジュリアン振動、オーストラリアンモンスーンなど)や、太平洋の気候変動現象(エル・ニーニョ/ラ・ニーニャ現象やエル・ニーニョモドキ/ラ・ニーニャモドキ現象など)から複合的に影響を受ける(テレコネクション)ことが多い状況でした。このように遠方海洋からの間接的な影響は複雑で、SINTEX-Fシステム(注2)のような数理モデルを使った予測で捉えることは難しいのが現状です。しかし、1990年代後半から状況は劇的に変化しました(右図)。地球温暖化や太平数十年規模変動の影響を受け、豪州西岸ではニンガルー・ニーニョ現象が頻発するようになりました。この現象が発生すると、上空の大気の対流活動が活発化し、直接的にオーストラリアの降水量に影響することになります。言い換えると、オーストラリア西岸は緯度的には中緯度であるにも関わらず、熱帯の海のように振る舞うようになったと言えます。本現象は局所的な大気海洋結合正フィードバックを伴うようになったことで、極端に強い現象に発達し、極端な多雨傾向を西オーストラリアにもたらす頻度が多くなりました。一方、皮肉なことに、豪州西岸沖からの直接的な影響が支配的になったので、その極端な多雨傾向を数理的に予測し易くなりました。
アプリケーションラボでは、ニンガルー・ニーニョの発生予測精度を更に向上させる研究を進めることはもちろんのこと、ニンガルー・ニーニョが引き起こす農業分野や水管理分野への自然災害に対する早期警戒システムの構築を図り、季節予測情報を具体的に社会に応用するための研究を進めています。
謝辞:
本研究は環境研究総合推進費(2-1405:"最近頻発し始めた新しい自然気候変動現象の予測とその社会応用")の補助を受けています。
参考文献:
引用論文:
海洋研究開発機構
アプリケーションラボ研究員
土井威志
takeshi.doi”at”jamstec.go.jp