文部科学省委託事業

東海・東南海・南海地震の連動性評価研究

地震に強い社会をめざして。防災分野が連携して、東海・東南海・南海地震の連動発生を評価します。

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津波堆積物からわかる巨大南海地震の歴史

岡村 眞、松岡裕美(高知大学)

南海地震のような繰り返し発生する地震サイクルを理解するためには、数百年、数千年という長い時間にわたる地震の歴史を学ぶ必要があることは、いまや説明の余地のないものとなった。私達はこれまで九州東岸や四国南西岸の沿岸湖沼に残された津波堆積物の研究を行い、過去約3500年間の津波履歴を明らかにしてきた【図1、図2】。  本プロジェクトでは主に四国東岸域から紀伊半島にかけての地域において研究を行い、九州から四国、紀伊半島までの地域の津波履歴の対比することにより、地震サイクルの多様性を明らかにすることを目的としている。

南海トラフ沿いの津波堆積物の研究のために調査を行った湖沼は、宮崎から浜名湖まで30地点を越えるが、検討に値する安定した記録を得ることができたのは10地点に満たない。これらの湖沼は、主に地震時に地盤が沈降する地域に分布している【図2】。

津波堆積物の形成過程の模式図
【図1】津波堆積物の形成過程の模式図
調査を行った湖沼の分布図
【図2】調査を行った湖沼の分布図

九州東岸 龍神池での調査

九州東岸の龍神池では、宝永津波のような津波が300から700年程度の間隔で襲来してきたことがわかった【図3】。

龍神池では、過去3500年間に8層の顕著な砂層が確認できた。砂層1は1707年の宝永地震、砂層3は684年の天武地震に対比できる。これらの砂層は300~700年程度の周期を持ち、特に砂層3と砂層8が層厚、下位層の削り込み、植物片などの運搬量から規模の大きなものと考えられる。

九州東岸、龍神池における津波堆積物と年代測定結果
九州東岸、龍神池における津波堆積物と年代測定結果

四国南岸 土佐湾のただす池での調査

四国南岸にあたる土佐湾のただす池では300年に一回程度大きな津波が確認され、同じ土佐湾の蟹ヶ池では約2000年前の津波は、宝永津波よりも大規模であった可能性が示された【図4】。

蟹ヶ池では、宝永地震に相当すると考えられるⅠ層から約2000年前のⅤ層まで5層の津波堆積物が確認でき、また一部では最上部に安政地震に対比できる砂層も見つかっている。この中で特にⅠとⅤでは砂だけでなく海岸の礫や陸上の礫を含んでおり、大きな運搬力を示している。

四国土佐湾、蟹ヶ池の津波堆積物
四国土佐湾、蟹ヶ池の津波堆積物

四国東岸 蒲生田大池での調査

四国の東端にあたる徳島県阿南市蒲生田大池の湖底からは、過去約3000年間の安定した堆積物記録を得ることができ、さらにその中に残された津波の痕跡は、約2000~2300年前の一回だけであることが明らかになった【図5】。この池の周辺地域では、宝永、安政、昭和の南海・東南海地震の際に大きな津波被害は知られてはおらず、堆積物記録でもこれらの歴史津波の痕跡は確認することができなかった。ここで明らかになった約2000~2300年前の津波は、過去3000年間で唯一最大の出来事であると考えられる。

全長473cmのコア試料KMD11-4を1mごとにカットし縦割りにした写真。堆積物のほとんどが褐色の泥や明るい色の粘土によって構成されているが、湖底から約350cmに黒色の中粒砂~細礫を含む砂層がみられる。

四国東岸、蒲生田大池の堆積物試料の写真
四国東岸、蒲生田大池の堆積物試料の写真

各地の堆積物調査の結果比較

以上の結果から、まず、津波堆積物として記録されるような大きめの津波は300年程度の間隔で襲来している。このなかでも西暦1707年の宝永津浪は、歴史記録から言われているように、数百~千年に一回クラスの大津波であったことが堆積物の記録からも証明された【図6】。しかしながら過去数千年間という時間で考えれば、宝永津波が最大の津波であったと言うことはできない。九州東岸の龍神池では宝永よりも西暦684年天武や約3300年前の津波の方が大きい可能性が高い。一方、土佐湾から四国東岸にかけては約2000年前に大きな津波の記録が残されている【図7】。四国では約2000年前の津波が顕著だが、九州東岸ではその傾向は確認できない。

地域的な違いをより明確にし、その原因を探るために現在、紀伊半島での調査を進めている。

【図6】南海トラフ沿いの湖沼にみられる津波履歴の対比
【図6】南海トラフ沿いの湖沼にみられる津波履歴の対比
【図7】九州東岸から四国の津波堆積物の対比
【図7】九州東岸から四国の津波堆積物の対比