平成17年2月2日
海洋研究開発機構
海洋最深部は微小な生物の天国
マリアナ海溝チャレンジャー海淵に
原始的な有孔虫が多数生息していることを発見

1.概要
  独立行政法人海洋研究開発機構(理事長 加藤康宏)地球内部変動研究センター(IFREE:センター長 深尾良夫)と英国サウサンプトン海洋研究所(所長 Howard Roe 教授)は、2002年10月、1万メートル級無人探査機「かいこう」によるマリアナ海溝チャレンジャー海淵調査1)(資料1)で得られた表層堆積物試料から、殻を持った海生単細胞生物の有孔虫類2)を多数分離することに世界で初めて成功した。堆積物表層試料10cm2当たり有孔虫類は449匹含まれており、その多く(85%以上)は細長い袋状の単純な形態と柔らかい殻を持った種類であった(資料2)。柔らかい殻を持った有孔虫は日本海溝・千島海溝などの海溝部にも分布しているが、それぞれの群集の中でそれほど多くの割合は占めていない。
  なお、今回、発見された柔らかい殻を持った有孔虫は、すべて分類学上未記載種ばかりである。これらの単純な形をした柔らかい殻を持った有孔虫は、遺伝子解析の結果、普通の海底で見られる複雑な殻形態をした殻を持つグループとは約8〜10億年前に遺伝的に分岐したと考えられており、いままで深海平原、淡水及び土壌環境から散点的に報告されていた。
  今回、世界の海洋最深部から多数見つかったことにより、これらのグループが、低温・高圧・貧栄養の深海底の極限的な環境に適応して分布していることが明らかになった。今後、地球生物学的な視点から研究を進めていくことにしている。この結果は、2月4日(米国:日本時間5日)に発行される米国科学誌、サイエンス誌に掲載される。

2 .背景
  暗黒、低温、高圧で栄養に乏しい極限的な環境である深海底は、宇宙と同様に人類がなかなか到達できない最後の極地である。とくに、世界の海洋最深部のチャレンジャー海淵に生息する生物については、そこが極めて水深が深く、サンプルを採取することが困難であることから、研究が行われていなかった。「かいこう」を用いたマリアナ海溝潜航調査は、当時の海洋科学技術センター 海洋生態研究部が、国内の長崎大学、宮崎大学、また、米国モンテレー湾研究所(MBARI)など多くの研究機関の協力を受けて2002年10月から11月にかけて実施(首席研究員は、橋本 惇長崎大学教授)。チャレンジャー海淵では6回の潜航を行い、さまざまな環境計測と生物試料の採取を行った。これらの試料を用いた研究は、多細胞生物、微生物及び環境測定について鋭意実施されており、興味深い成果が得られている。

3 .成果
  海洋研究開発機構 地球内部変動研究センター 地球古環境変動研究プログラム、北里プログラムディレクターと英国サウサンプトン海洋研究所、Andrew Gooday 教授とは、深海底の堆積物-水境界の動態を観測することを通じて、古環境情報3)がどのように地層に記録されるかを明らかにすることを目的として、太平洋の深海底の環境動態と生物多様性について、1998年より、共同で調査してきた。その結果,太平洋の5,000mを越える深海底には非常に多くの真核単細胞生物である有孔虫類が生息しており、海底表層部で沈降してくる有機物を分解し、また、地層形成に貢献していることを明らかにした。有孔虫類は、深海底(水深5,000m以下)において50%を越える生物量を占める主要な生物であり、太平洋の深海生有孔虫類は大西洋の深海群集と一部類似しているものの、その多くが太平洋に限定された地域種であることを明らかにした。今回の研究では、深海底からさらに隔離された海溝部に生息する有孔虫類についての新知見である。
  また、この成果はDeep-sea Research誌に公表し、生物多様性に関する国際共同研究プログラム4)に重要な知見をもたらしている。

4 . 意義と今後の発展
  海洋の生物は、浅海により新しい時代に分岐進化した生物が繁栄し、深海は古い時代の特徴を残した種類が多く残存していると考えられてきた。本研究の結果、世界の最深部には8〜10億年前に分岐したグループと同じ形態的な特徴を持つ有孔虫が多数生息していることが明らかになり、この成果は、上記の考えを支持する結果となった。
  また、今後、以下のように研究を発展させていく予定である。

1) 11,000mを越える海溝部に適応して生息する生物の機能と、海洋および地殻表層部における物質循環に果たす役割を解明すること。
2) 海溝の生物群は、光合成を基幹とする生態系に所属すると考えられるが、水深が深いために供給される餌が少ない。このような極限環境に生息する真核生物はバクテリアを共生させることによって栄養を摂取している可能性がある。実際、深海に生息する柔らかい殻を持った有孔虫細胞には、バクテリアに関連した器官であると考えられているステルコマータと呼ばれる細胞内構造がある。遺伝子解析および電子顕微鏡を用いた組織学的な研究を行うことを通じて、深海の極限環境に生息する生物の環境適応機構を明らかにするとともに、バクテリア共生の実態と共生に関連した生理機構の解明を目指す。有用な機能遺伝子の発見につながる可能性もある。
3) 太平洋には、マリアナ海溝の他にフィリピン海溝、日本海溝、千島海溝、アリューシャン海溝、ペルー・チリ海溝などの多くの深い海溝に取り巻かれている。最近、行われた予察的な研究では、異なった海溝には、それぞれ異なった種類の生物群が分布していることが示唆されている。太平洋を取り巻く海溝の成立過程とそこに分布する生物を研究することを通じて、地球史における海溝の発達と海溝生物群の進化を解明することができる。
4) 6〜10億年前にかけての地層からは、袋状の形をした所属不明の微化石が数多く発見されている。今回チャレンジャー海淵で数多く発見された柔らかい殻を持った有孔虫との関係を解明することは、生命史の記録の空白部を埋められる可能性がある。


【用語の説明】
1)チャレンジャー海淵調査:海淵は、マリアナ海溝南部に位置し、1951年にイギリスの調査船チャレンジャー3世号が発見した事に基づき命名されている。その後、旧ソ連の調査船ビチャージ号が1957年に11034mの水深を測定し、これが現在の所、世界の最深記録である。旧海洋科学技術センターでは1996年にROV「かいこう」による潜航調査を行っている。その時採取された泥試料から秋元ら(Akimoto et al., 2001)は、4種の固い殻を持った有孔虫類を報告した。しかし、彼らは、試料処理の過程で乾燥させてしまったために、今回報告する有機膜を持ったグループは壊れ、検出されていない。

2)有孔虫類:有孔虫類とは、単細胞性真核生物であり、ありとあらゆる海洋環境に分布する。淡水や土壌からの報告が、最近なされている。有孔虫は、石灰質や膠着質の硬い殻を持つグループと柔らかい有機膜に包まれたグループからなる。固い殻を持ったグループは化石として地層に残ることから、古生物学的な研究が数多くなされている。一方、有機膜に包まれた種類は、10年ぐらい前まではほとんど研究対象とされて居らず、その実態は不明なままであった。最近、このグループが分子系統上、固い殻を持つグループと深いところ(分子時計による推定だと約8〜10億年前)で分岐していること、淡水や土壌などの極端な環境に分布していることがわかってきた。これらの極限環境に生息するグループや微小なサイズであるために無視されてきた単細胞生物グループが極めて多様な形態と遺伝的な特徴を示すために、隠された生物多様性に関する研究が最近盛んになっている。

3)古環境情報:地層に残存する有孔虫などの生物遺骸や化学物質などに含まれている過去の海洋環境に関する水温・塩分・溶存酸素量・栄養塩類・海流などの情報のことを指す。古海洋学では、地層に残された化石や化学物質などの痕跡から過去の海洋環境を復元する。

4)国際共同研究プログラム:海洋の生物多様性に関する国際共同研究はCensus of Marine Life, DIVERSITUS などいくつか立ち上がり、研究が進んでいるが、当機構が参加しているのは、米・英・仏・独・日の研究者による研究計画、Kaplan Project「太平洋深海ノジュール地域の生物多様性、種の豊富さと遺伝子流動:深海底鉱物活動に伴う環境影響予測と保全」である。本研究の目的は、深海底の主要生物群の多様性、豊富さそして遺伝子流動を、形態解析および遺伝子解析を通じて明らかにすることを通じて、採鉱活動という人為擾乱に対する環境と生物への影響を評価する基礎資料を得ることにある。

資料1:チャレンジャー海淵調査位置

資料2:採取した主な有孔虫類

【参考図】
図1:これまでに発見された有孔虫の分子系統樹(Pawlowski ほか、2003)。今回発見されたチャレンジャー海淵の有孔虫は、図の左側(殻を持たない有孔虫)に位置するグループに属する。

図2:時間軸を入れた分子系統樹(Pawlowski et al.、2003)。チャレンジャー海淵の有孔虫の85%が所属する単室形(赤い線で示される)の有孔虫は、10〜8億年前に祖先群から最初に分岐した。

図3:深海に生息する有孔虫。今回、発見された有孔虫は図の左下に位置する袋状の種類である。

図4:海溝別に採取した有孔虫類の数。千島海溝、日本海溝等で実際に計測された数である。

本件に関する問い合わせ先
  独立行政法人海洋研究開発機構
   地球内部変動研究センター
   プログラムディレクター:北里
   電話:046-867-9767
   FAX:046-867-9775

  総務部 普及・広報課:高橋 五町
   電話:046-867-9066
   FAX:046-867-9055
   ホームページ http://www.jamstec.go.jp