海洋研究の歴史を語る 50周年記念コラム

2021.11.29 UP

海底からマントルへ挑戦!

MarE3 マントル掘削プロモーション室
主任研究員 阿部 なつ江

 私がJAMSTEC(当時海洋科学技術センター)に研究員として着任したのは、2003年3月でした。偶然にも出身地である横須賀で職を得られたことに、運命を感じずには居られませんでした。2000年3月からシドニー(オーストラリア)のマッコーリー大学でポスドクをしていたのですが、日本での就職の機会を狙って常にアンテナを張っていました。そこに「日本がマントルまで掘削できる掘削船を建造、海洋科学技術センターが運航予定」というニュースが入って来ました。マントルかんらん岩を研究している私としては、「誰が担当するんだろう?日本が主導するなら是非携わりたい!」と思ったのです。そして運良く、JAMSTECに採用して貰いました。採用試験の際に、上司となる末廣潔(当時)深海研究部長に「あなたの研究が、如何に国民に幸せをもたらすかをしっかり考えなさい」と言われたこと、特に「役に立つか」ではなく「幸せをもたらす」と仰ったことが強く印象に残っています。

船で調査すること

“チョッサー“って何ですか?

 それまでアメリカの掘削船JOIDES Resolution号にたった1回乗船した以外、船での調査経験がありませんでしたから、着任してからは、今までの生活とあまりにも違って戸惑いました。掘削船に一研究者として(しかも殆ど英語もできない!)ほぼお客さん状態で乗船し、ラボでひたすら岩石の記載を行ってレポートを書くだけでしたので、研究船の“いろは”については何も分かりませんでした。皆さんが話している用語もちんぷんかんぷん。初めて乗船する際に同僚に「チョッサー(一等航海士Chief officer)は誰ですか?」と聞かれても、「チョッサーって何ですか?」と聞き返す状態。船員さんは乗船中三交代制で、1日4時間x2回(0-4時、4-8時、8-0時)の就業時間ということも知らなかったし、そもそも航海が1年も前に決まっていて、数ヶ月前には実施要領書が確定して万事整えるということすら知らない状況で、毎日が新しいことの連続でした。日々の調査計画を立てるにも要領を得ずに船の皆さんにご迷惑をおかけし、皆さんに助けて貰いつつ実施することができました。本当に感謝しています。

プチスポット海底火山の発見

 そんな状況でしたが、着任2年目に、(当時)東京工業大学研究員だった平野直人さん(現東北大学・准教授)の航海に乗船させて頂いたのを皮切りに、自分でも科研費でプチスポット総合調査の予算を獲得し、ドレッジやピストンコア、地殻熱流量測定、シングルチャンネル反射法探査、広帯域海底地震計(BBOBS)、海底電位差磁力計(OBEM)、海底地形や重磁力調査などを行いました。この航海獲得に苦労したのは、そもそもプチスポットは、これまで何も起こっていない何の変哲も無いと思われていた「普通」の海洋底で、マルチナロービームでしか発見できないような小さな新しい火山を探すという点。なかなか理解が得られず、しかも地理的にも遠い事(三陸海岸からおよそ600km離れている)など、当時の深海調査の科学目標のターゲット海域(中央海嶺、沈み込み帯、ホットスポット)の何処にも属さないこと、代表研究者の平野さんはポスドクで、日本の大学や研究機関に直接雇用されている身分では無いことなど、いくつか初めての事例があって、航海獲得や実現に際して様々なハードルがありました。特に陸域から遠い遠洋で平凡な海底の調査に関しては、理解されるのに苦労しましたが、所内のセミナーや、Blue Earthシンポジウムなどでその科学的意義,面白さ、大発見であることなどを散々宣伝し、その後に町田嗣樹さん(現千葉工業大学・上席研究員)の高圧実験や、東北大学に職を得た平野さんの研究室のメンバーや、熱心に何度も日本に足を運んでくれたローザンヌ大学(スイス)のセバスチャン・ピレー博士との共同研究などにより、プチスポットという新しいタイプの海底火山が市民権を得られるようになりました。そして現在は、平野さん始め、東京大学大気海洋研究所の秋澤紀克助教が新たなステージへと発展させ,素晴らしい調査結果(そしてこれから素晴らしい研究結果となることは確実)へと昇華させられたことを誇りに思います。

写真1
写真2

 プチスポットに関しては、さらに逸話があります。2004年「かいれい」 (YK04-08) 航海中にドレッジでプチスポット火山の玄武岩質溶岩を採取したことを足がかりに、翌2005年に「しんかい6500」による潜航調査(YK05-06)で海底火山を目視で確認しながら試料採取できたのですが、その水深は6039m~6478mでした。「しんかい6500」は、世界の97%の海底を探査できる6000mが当初の開発目標でしたが、日本海溝など6000mよりも深い場所での探査ができるようにと500mプラスして水深6500m対応へと変更した経緯があります。このプラス500mのお陰で、プチスポット火山は発見できたことになります。

みらい、チリ沖航海

 2008年度から、それ以前は研究分野で分かれていた海洋地球研究船「みらい」と、深海調査船「かいれい」「よこすか」「なつしま」「かいよう」を、分野問わず効率的に運航できるように相互乗り入れすることになりました。それまであまり一緒に航海を組み立てたことが無かった分野の方々と一緒に「みらい」で航海することになりました。固体地球分野で応募したテーマの中から、私が応募したチリ沖海嶺沈み込み帯の調査が採択され、2009年1月に大雪の降る青森県むつ市の関根浜を出港し、2月上旬にパペーテ(タヒチ)に寄港、3月中旬にチリのバルパライソに入港するまでの2ヶ月間の航海(MR08-06 Leg 1)を実施することができました。元々のテーマは、当時筑波大学講師だった安間了さん(現徳島大学教授)と、当時東京大学地震研究所助教だった折橋裕二さん(現弘前大学教授)、そして東京大学地震研究所の岩森光教授らと、私がJAMSTECに採用が決定した頃から実現させたいと話してきたテーマでした。これ以降、チリ沖の調査は「みらい」で3回行う事ができました。まだまだやりたい調査は残っているのですが、調査船を持たないチリの研究者とともに、現地で調査ができることは、両国にとっても大きな意義があると思います。

写真3
写真4
写真5

チリ沖の航海実現には、様々な困難がありました。中でも2008年の原油価格急騰により、年度末を跨いでの航海へとスケジュールが変更になり、いくつかあった課題の主担当者が乗船できなくなったこと、そしてEEZ内調査(MSR)の許可がなかなか下りず、またチリ大学の共同研究に際して学部長のサインが届かないことから、急遽チリ現地に直談判へ行ったこと。共同提案者の現地球環境部門長の原田尚美さんと共に急遽チリへ飛びました。そしてチリ大学のカウンターパートと共に、チリ大学理学部長やチリ海軍や漁協省へ説明に赴きました。外交ルートで正式に申請している為に時間がかかっていたけれど、その後直ぐに許可が下り、無事に航海を実施できましたが、本当に実施できるかどうか不安でヒヤヒヤしたものです。また、2回目、3回目の航海では、EEZ内調査はOKだけれど領海内の調査許可が取れなかったり、3回目の領海内はOKだけれど、往復のEEZ内での航走観測ができなかったり、となかなか完璧な調査ができずに、完全な形での調査実施は難しいのだと思い知らされました。それでも、実施してきた航海の成果が着実に何年経っても論文になって発表されていくことで、苦労が報われていることを実感します。

写真6

科学掘削

掘削船JOIDES Resolution(JR)号と「ちきゅう」、
インド洋そしてオマーン陸上掘削

 2015年、それまでJR号には5回も乗船しているのに、「ちきゅう」には乗船したことはありませんでした。そんな時、「ちきゅう」でインド共和国沿岸海域におけるメタンハイドレート掘削調査を行う事になり、合計7週間乗船する機会が巡ってきました。始まる前は様子も分からず、日本から空路インドまで3日間かけて移動し、そこからヘリで「ちきゅう」に乗船するという私に取っては“大冒険”を経験しました。30分近い飛行の後、ヘリから「ちきゅう」が見えたときには、無性に懐かしく思えて、「やっと(ちきゅうに)帰ってきた」とホットしたものです。船上には、JAMSTEC所属の掘削経験豊富な研究者が一堂に解しての船上作業は、得るものが大変多く、毎日とても楽しかったです。結局日本との往復を挟んで2回の乗船し、インド亜大陸での複雑なイミグレーション手続きなども経験し、また行きたいか?と問われたら「う〜ん。。。」と考え込んでしまいますが、「ちきゅう」の安定した掘削作業や、使い勝手の良い広いラボ、痒い所に手が届く手厚いラボテクのサポートなど、感謝と感激の日々を送ることができました。その年の暮れには、またも偶然インド洋にて6回目のJR航海(IODP Exp. 360 Slow-spreading Moho)に年越し2ヶ月参加しました。両者を比較すると、どちらもとても快適で好きなのだけれど、JRはなんとなく“親戚の家にお正月にみんなで集まる”感覚、「ちきゅう」は”実家に帰省”した感じ、というのが私の感想です。

写真7
写真8
写真9

インド・メタンハイドレート掘削「ちきゅう」船上にて

国際陸上掘削計画(ICDP)オマーン掘削計画

 2017年と2018年の7〜9月にそれぞれ2ヶ月ずつ合計4ヶ月間、世界中から延べ200人の研究者が入れ替わり立ち替わり集合し、清水港停泊中の「ちきゅう」船上ラボで中東オマーンの陸上掘削で得られた岩石コア合計3000m長を記載、測定、分析しました( ICDP Oman DP, ChikyuOman)。詳しい様子は、「話題の研究 謎解き解説 オマーン掘削プロジェクト〜かつての海洋プレートを掘る!〜」にありますので、そちらをご覧頂くとして、ここでとても印象に残ったエピソードを紹介します。地球深部探査船「ちきゅう」は、2003年に始まった国際深海掘削計画(IODP)に合わせて、主に4つの科学目標を掲げて建造されました。その内の一つが「人類未到のマントル到達」です。しかし、現在までマントル掘削で想定されるいわゆる“ハードロック掘削”は行われておらず、故に岩石学や岩石を対象とした研究を行っている研究者が「ちきゅう」に乗船する機会はほぼありませんでした。一方、マントル掘削の実現を目指している世界中の研究者が、このオマーン掘削計画では「ちきゅう」に“乗船”し、実際の掘削航海と同様に船上生活を送りながら船上ラボでの作業を行ったことは、私達マントル掘削そして深海掘削研究コミュニティーにとって非常に大きなインパクトとなりました。長年モホール計画の実現に向けて活躍してきた重鎮も、そして学生の頃から「ちきゅう」でのマントル掘削を熱望してきた若手も、初めて「ちきゅう」に乗船し、そのファシリティーやラボテク、船員さん達と交流し、「ちきゅう」という船の大ファンになってくれたのです。「この船ならマントルまで掘れると確信した!」と、口々に話していました。

結び、マントル掘削

 JAMSTECに来てから、掘削航海に合計14ヶ月(+「ちきゅう」船上作業4ヶ月)乗船したり、「みらい」で日本〜チリまで2ヶ月かけて太平洋横断したり、プチスポット発見から物理探査を実施したりと、海でできる調査に色々挑戦してきたのですが、それらは全てマントル(掘削)に繋がっています。「みらい」での日本からチリまでの地球半周航海は、同じ品質で2万kmもの海洋プレートのデータを取得できた貴重な航海です。海洋プレートの亀裂を縫って浸み出してきたプチスポットのマグマは、海洋プレートを貫通してその下のアセノスフェアを観測できる謂わば地球深部(マントル)への窓です。オマーン掘削は陸上にのし上がった海洋プレートの化石。それらを観察、観測することで、地球のマントルの状態を推測しています。オマーン掘削で集結した研究者だけでなく、世界中の多くの研究者が、人類未到のマントルまでの掘削実現を熱望しており、「ちきゅう」の活躍が期待されています。
 私は、JAMSTECに採用されてから海域の試料や船での調査に乗り出しました。参加してみると、苦労も多いけれどそれを上回る感動と楽しさを実感しています。2003年に乗船したJR号での掘削航海で、アメリカの海洋岩石学の重鎮ヘンリー・ディック氏に「日本の海域調査は、アメリカから20〜30年遅れている。特に女性の首席研究員を聞いたことがない。お前はJAMSTECに就職したのなら、必ず首席を張れるようになれ」と激励(?)されました。就職間もない私にはどんな様子なのか全く想像もつかなかったのですが、2年後の2005年にKR05-10プチスポット総合調査で首席研究員を務めることができました。幸いにして、私の周りには東京大学大気海洋研究所教授の沖野郷子さんや原田尚美部門長が、日本の女性研究者として既に首席を何度も務めていたので、勝手に(心の)メンターとなってもらって、今でも目標としています。現在、日本でも複数の女性が首席研究員を経験していることは、とても喜ばしい事です。自分の経験からも、ロールモデルはとても大事で、さらに多くの多様な人材がこの分野で活躍できるように、今度は自分が後人のロールモデルとなれるよう努めていきたいと願っています。そしてJAMSTECが日本のそして世界の海洋研究をリードする研究所としてこれからも進んでいけることを願っています。

写真10