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2016年 4月 29日
国立研究開発法人海洋研究開発機構
国立大学法人北海道大学
大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構
国立極地研究所

北極海の豊かな生態系を育む植物プランクトンの通年の生物量変化を初観測
―天然の有機物貯蔵庫が海洋生物のホットスポットを支えている―

1.概要

国立研究開発法人海洋研究開発機構(理事長 平 朝彦、以下「JAMSTEC」という)北極環境変動総合研究センターの西野茂人主任技術研究員らは、国立大学法人北海道大学の平譯享准教授らと共同で、GRENE北極気候変動研究事業(代表機関:国立極地研究所、※1)の一環として、2012年7月から2014年7月にかけて太平洋側北極海にあるチャクチ海南部のホープ海底谷で係留系観測を実施し、この海域の豊かな生態系を育む植物プランクトンの通年の生物量変化を初めてとらえることに成功しました。さらに、2012年及び2013年9月から10月に行ったJAMSTECの海洋地球研究船「みらい」による詳細かつ精密な海洋観測の結果、ホープ海底谷が有機物の貯蔵庫の役割を果たし、ここで有機物が分解されて生じる栄養塩が、春季だけでなく秋季にもみられた植物プランクトンの増殖(ブルーム)を引き起こしていることを突き止めました。

北極海では春に海氷融解に伴って光合成に必要な入射光量が増加し、植物プランクトンのブルームが起きることが知られています。特にチャクチ海南部ではこのブルームの規模が大きく、植物プランクトンを餌とする貝類、甲殻類、さらにそれらを餌とする魚類、海鳥、海生哺乳類など多様な生物が集まってきます。このため、この場所は生物のホットスポット(※2)と呼ばれています。研究グループによる係留系観測の結果、チャクチ海南部のホープ海底谷ではこのブルームが小規模ながら秋にも起きていることがわかりました。さらに海洋地球研究船「みらい」による海洋観測の結果、ホープ海底谷では底層水がドーム状構造をしており、この構造から、反時計回りの海洋循環がみられること、そして海底近くで流れが集まってくることが示唆されました。この流れに乗って有機物を含む様々な粒子が流入・蓄積し、その有機物が分解されることにより植物プランクトンの増殖に必要な栄養塩(アンモニア等)が生成され、秋季のブルームを支えていると考えられます。つまり、ホープ海底谷が有機物粒子をため込み植物プランクトンの栄養の元となる成分を作り出す天然の貯蔵庫になっているのです。

海洋生態系は食物網の底辺に位置する植物プランクトンの変化に大きく影響されると考えられるため、その変化を把握し変動要因を明らかにすることは、生物のホットスポットの形成・維持過程を理解するうえで極めて重要です。今回観測された植物プランクトンのブルームがより高次の生態系にどのように影響するのか、今後さらなる学際的な連携を強め、研究を推し進めていく予定です。

本研究はGRENE北極気候変動研究事業の一環として実施したものです。なお、本成果は、ヨーロッパ地球科学連合発行の学術誌「Biogeosciences」に4月29日付け(日本時間)で掲載される予定です。

タイトル:Water mass characteristics and their temporal changes in a biological hotspot in the southern Chukchi Sea
著者:西野 茂人1、菊地 隆1、藤原 周1、平譯 享2、青山 道夫3,4
1. JAMSTEC北極環境変動総合研究センター、2. 北海道大学大学院水産科学研究院、3. JAMSTEC地球環境観測研究開発センター、4. 福島大学環境放射能研究所

2.背景

ベーリング海峡の北に広がるチャクチ海南部、米国アラスカ州ホープ岬沖にあるホープ海底谷周辺の海域は、太平洋から栄養塩濃度の高い海水が供給されるため、世界で最も基礎生産力(植物プランクトンが光合成によって有機物を作り出す速度)が高い海域のひとつです。特に、海氷が後退し、太陽の光が海中に入る春季に発生する植物プランクトンは非常に高い基礎生産力があり、その増殖は春季ブルーム(もしくはその場所から氷縁ブルーム)と呼ばれています。この春季ブルームによって生じた植物プランクトンは、海底深度が浅いチャクチ海では動物プランクトンに捕食されるより先に海底に沈んでしまうため、あるいは動物プランクトンが春季には少ないため、貝類や甲殻類などの底生生物の餌となります。さらにその底生生物を食べる魚類、海鳥、海生哺乳類が集まってくることから、この海域は生物の存在量や多様性が高い生物のホットスポットとして知られています (図1図2)。

しかしながら、この海域は冬季から春季にかけて海氷に覆われるため、一年を通じて得られる観測データはなく、海氷融解と春季ブルームの発生時期との関係や春季ブルームの終焉とその後の植物プランクトンの変化等、その連続的な季節変化は明らかになっていませんでした。そこで、生物のホットスポットを支える植物プランクトンの季節変化はどのようになっているのか、さらにそのブルームがどのような要因で形成・維持されているのかを明らかにするため、研究グループは2012年7月に初めてチャクチ海南部のホープ海底谷に係留系を設置し2年間の時系列観測を実施、さらに2012年及び2013年9月から10月にはJAMSTECの海洋地球研究船「みらい」によって多項目にわたる詳細かつ精密な海洋観測を実施しました(図3図4)。

3.成果

係留系観測の結果、水深50~60mの海域で、海底から7mの深さでの水温・塩分・濁度・溶存酸素・植物プランクトンの生物量の指標となるクロロフィルa濃度などについての時系列データを得ることができました(図5)。これらの観測結果と、同海域の海氷密接度データを合わせて解析した結果、植物プランクトンの春季ブルームは、海氷後退期ではあるものの海氷がまだ残る5月に急激に発生することがわかりました。その後、ブルームは7月下旬から8月上旬に一旦終焉し、さらに9月から10月の秋季にもブルームが起きていることが明らかになりました。また、秋季ブルームの前には海水濁度の増加と溶存酸素の減少がともにみられることから、この時期にホープ海底谷に粒子状の有機物が流れ込んで蓄積し(濁度増加)、その分解(溶存酸素減少)とそれに伴う栄養塩の再生が起きていることが示唆されました。このような環境が、秋季ブルームを引き起こす要因となっていると考えられます。意外なことに、この有機物粒子の海底への沈積が春季ブルーム時よりも、秋季ブルーム時に多くみられました。これらを合わせて考えると、秋季に海底に沈積する大量の有機物は、春季ブルームに伴い表層から沈降してきた植物プランクトンだけではなく、多くは周辺の海域からホープ海底谷に流されてきた有機物粒子であると考えられます。

この秋季ブルームの時期に海洋地球研究船「みらい」がホープ海底谷を横切る断面において行った現場観測から、同海域は秋季に低温、高塩分で、溶存酸素濃度が低く、アンモニア濃度の高い海水が溜まったドーム状の構造がみられることがわかりました(図6)。この観測結果から、係留系観測で示唆された有機物の分解(溶存酸素の消費)と栄養塩の再生(アンモニアの生成)が実際に起きていることが確認されました。またドーム状構造がみられることから、海底近くでは流れが集まってくることが示唆され、そのような流れの場が、同海域に粒子状の有機物を蓄積しやすい環境を作ったと考えられます。一方、ドーム状構造の上部では反時計回りの海洋循環とともに底層水が盛り上がり、上部で生じる鉛直混合によって海底で再生された栄養塩が表層に運ばれることで秋季ブルームを支えているのです(図7)。

近年の衛星観測から、北極海では海氷減少に伴い秋季にもブルームが起きていること、そしてそのような海域が広がり、またその頻度も増えていることが明らかになり注目を集め始めていましたが、そのメカニズムは、秋季のストーム、表面冷却、海氷生成等により水塊が鉛直混合し、一時的に下層から栄養塩が供給され起きるものと考えられてきました。しかし、本研究結果から、少なくともホープ海底谷での秋季ブルームは、夏季から秋季にみられる有機物粒子の沈積と分解、そして栄養塩の再生が引き金になって起きており、しかもそれが一時的ではなく1~2ヶ月程度も継続することが明らかになりました。

4.今後の展望

GRENE北極気候変動研究事業では、ホープ海底谷周辺海域で、本研究以外にも様々な研究が行われてきました。例えば、ある種のクジラや海鳥は、夏はベーリング海で過ごし、秋にはベーリング海峡からチャクチ海南部を利用していることがわかってきました。これは、クジラや海鳥の餌となる小型の生物(オキアミなど)が秋にチャクチ海南部に現れて成長し、それを求めて捕食者が移動してくるためではないかといわれています。これまで北極海域であまりみられなかった生物種がみられるようになるなど、生態系の北へのシフトが起き始めているともいわれています。このような海洋生態系を支える植物プランクトンの現状・実態を明らかにしたのが本研究成果です。

北極域は地球温暖化の影響が最も顕著に現れる場所のひとつであり、そこでの環境変化は地球上の他の場所に先駆けて起こっているといえます。その急激な環境変化に対して、北極海の生態系がどのように応答するのか、地球温暖化のアラームベルとして今後も注意深く調査していく必要があります。今回研究対象としたチャクチ海南部は、今後、温暖化が進行して海氷融解の早期化が更に進むと、春季ブルーム期に動物プランクトンの活動が十分に活発化し、さらにはこれを捕食する浮遊性の魚類が多く現れる状態になり得るといわれています。本研究を含むGRENE北極気候変動研究事業の研究成果からは、まだそのような状態にはなっていないといえますが、今後起こることが予想されている更なる海氷減少が、どのような過程を経て動物プランクトンや浮遊性の魚類が多く現れる状態をもたらすのか(もたらさないのか)、係留系観測や船舶観測を継続するとともに、より高次の生態系の研究グループと連携し、海洋環境の変動とそれに対する生態系の応答をモニタリングしていく予定です。

※1 GRENE北極気候変動研究事業:大学や研究機関が戦略的に連携し、世界最高水準の研究と人材育成を総合的に推進することを目的として文部科学省が2011年度から5年間にわたって実施した「グリーン・ネットワーク・オブ・エクセレンス(GRENE)事業」における北極気候変動分野事業(代表機関:国立極地研究所)。JAMSTECなど国内の39機関が参加し、急変する北極気候システム及びその全球的な影響の総合的解明をめざして研究を推進した。

※2 ホットスポット:様々な意味で用いられる言葉であるが、ここでは生物の存在量や多様性が高い場所を指す。

図1

図1. チャクチ海南部の生物のホットスポットの模式図。この海域では、海底水深が浅く、植物プランクトンが増殖する速さが動物プランクトンに捕食される速さよりも大きいために、ブルームで生じた植物プランクトンの多くは海底に沈降し貝類や甲殻類などの底生生物の餌となる。さらにその底生生物を捕食する魚類、海鳥、海生哺乳類も多くみられ、この海域は生物の存在量や多様性が高い生物のホットスポットとなる。

図2

図2. (a) ホープ海底谷、及び (b) ベーリング海峡の北側で撮影された海底映像のキャプチャ(映像:北海道大学大学院水産科学研究院 提供、山本潤博士 撮影)。 (a) ホープ海底谷ではふわふわと有機物が大量に懸濁している。 (b) ベーリング海峡の北側ではカニが多くみられる。

図3

図3. (a) 北極域での調査海域(赤丸内)と広域地図、及び (b) 「みらい」2012年の観測点 (赤点)、2013年の観測点(青点)、及び係留系観測点(緑ダイヤ)。図 (b)の赤い破線内がチャクチ海南部の生物のホットスポットを表す。また黒い破線内の観測点データから得られる海洋の南北断面を図6に示す。

図4

図4. (a) チャクチ海南部・ホープ海底谷に係留系を設置した時の「みらい」船上の作業風景(2012年10月3日)。係留系の構成を左に模式的に示す。この係留系では、海底から7mの深さでの水温・塩分・溶存酸素・濁度・クロロフィルa濃度などのデータ取得を1時間ごとに行った。 (b) ベーリング海峡にて「みらい」から水温・塩分・深度計(CTD)と採水器を海中に投入する様子(2013年8月31日)。

図5

図5. チャクチ海南部・ホープ海底谷の係留系観測により得られた (a) 水温 (赤線)と塩分 (青線)、(b) 濁度(赤線)と溶存酸素(青線)、及び (c) クロロフィルa (Chl-a; 緑線)の時系列。図(c)で破線より下の濃度範囲を拡大している。また、海氷が存在していた期間を水色のバーで示す。Chl-aの時系列グラフ(図5c)から、チャクチ海南部では春季と秋季に植物プランクトンのブルームが起きていることがわかる。秋季ブルームは濁度の増加と溶存酸素の減少とともにみられることから(図5b)、この時期にホープ海底谷に粒子状の有機物が流れ込んで蓄積し(濁度増加)、その分解(溶存酸素減少)と栄養塩の再生が起きていることが示唆される。このような環境が、秋季ブルームを引き起こす要因となっていると考えられる。

図6

図6. 2012年9月中旬に「みらい」の観測により得られた (a) 水温、(b) 溶存酸素、(c) アンモニアの南北断面(図3の黒い破線内の観測点データを使用)。図中の等値線は塩分分布を示す。北緯68度付近に低温・高塩分・低溶存酸素・高アンモニア濃度の水塊のドーム状構造がみられる。

図7

図7. チャクチ海ホープ海底谷での秋季ブルームの模式図。図中の「○の中に・」、及び「○の中に×」の記号は、それぞれ図の裏から表に向かう方向の流れ、及び図の表から裏に向かう方向の流れを表す。ホープ海底谷では底層水がドーム状構造をしており、このため反時計回りの海洋循環がみられるとともに、海底近くで流れが集まってくると考えられる。この流れに乗って有機物を含む様々な粒子が流入・蓄積し、その有機物が分解されることにより植物プランクトンの増殖に必要な栄養塩 (アンモニア等)が生成され、秋季のブルームを支えていると考えられる。

国立研究開発法人海洋研究開発機構
(本研究について)
北極環境変動総合研究センター
主任技術研究員 西野 茂人
センター長代理 菊地 隆
(報道担当)
広報部 報道課長 野口 剛
国立大学法人北海道大学
(報道担当)
総務企画部 広報課 広報・渉外担当
大学共同利用機関法人情報・システム研究機構 国立極地研究所
(GRENE北極気候変動研究事業について)
国際北極環境研究センター
総務企画チーム 上曽 由紀江
(広報担当)
広報室 室長 本吉 洋一、主任 山田 嘉平
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