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話題の研究 謎解き解説

■前編■
北極海のホープ海底谷が、天然の栄養貯蔵庫となって生き物を支えていた!

北極海というと、生物の少ない厳しい環境を連想するのではないでしょうか。ところが北極海太平洋側に位置するチャクチ海南部は、世界の海と比べても特に生物活動が盛んな海域です。その海に、新たな知見がもたらされました。今回は、こちらを紹介します。

北極海の豊かな生態系を育む植物プランクトンの通年の生物量変化を初観測
―天然の有機物貯蔵庫が海洋生物のホットスポットを支えている― (2016年4月29日発表)

論文タイトル:Water mass characteristics and their temporal changes in a biological hotspot in the southern Chukchi Sea

  • 北極海のチャクチ海南部で、係留系による通年観測と海洋地球研究船「みらい」による多項目にわたる精密な観測を行った。
  • ホープ海底谷では、春に増殖した植物プランクトンやその他の生物粒子などの有機物がたまり、その分解にともなって栄養塩が再生されていた。
  • 再生された栄養塩は表層へ運ばれ、それを利用した植物プランクトンが秋に増殖していた。

なぜ、植物プランクトンを調べるのでしょうか。秋に増殖するって、どういうこと? 前編では、ヨーロッパ地球科学連合発行の学術誌「Biogeosciences」に論文発表した西野茂人主任技術研究員に、北極海の豊かな生態系を生み出す仕組みについて聞きます。

生物のホットスポット、チャクチ海

西野さん、こんにちは! 今回研究したチャクチ海とは、どんなところですか?

西野:こんにちは(写真1)。


写真1 西野茂人主任技術研究員

西野:チャクチ海(図1)は北極海の太平洋側に位置し、水深約40~50m程度の比較的浅い大陸棚が広がる海域です。南部に窪みのようなホープ海底谷(水深約60m)があります。太平洋から流入する海水によって、植物プランクトンのエネルギー源となる豊富な栄養塩が運ばれてきます。


図1 北極海マップ

なぜ、植物プランクトンを研究するのですか?

西野:チャクチ海の豊かな生態系を支える植物プランクトンの、季節変化とその仕組みを知るためです。
春に海氷がとけて太陽光が海中に差し込むようになると、太陽のエネルギーと海水中の栄養塩を利用して、植物プランクトンは一気に増殖します。こうした増殖は、春に陸上植物が芽吹くこと(英語でブルーム)になぞらえブルームと呼ばれます。春のチャクチ海は植物プランクトンを食べる動物プランクトンがまだ少ないため、その増殖した植物プランクトンの多くは海底へ沈み、カニやヒトデ、貝など海底の生き物のエサとなります。それらを目当てに鯨など大型哺乳類が集まり、チャクチ海は様々な生物がたくさん集まる「生物のホットスポット」となっています(図2)


図2 チャクチ海南部の生物のホットスポットの模式図

西野:しかし冬になるとチャクチ海は海氷で覆われることから1年を通した観測は行われておらず、従って植物プランクトン量の季節変化は十分には分かっていませんでした。

そこで我々は、チャクチ海の植物プランクトンが年間を通じてどのように季節変化するのか、またその変化はどのような仕組みかを明らかにするため、ホープ海底谷の海底付近に係留系を設置し、2012年7月から2014年7月まで2年間の観測を実施しました(図3)。同時に、2012年と2013年の9~10月に海洋地球研究船「みらい」による研究航海で多項目にわたる精密な観測を行いました。


図3 係留系と「みらい」による観測点

植物プランクトンの秋のブルームを発見

結果はいかがでしたか。

西野:まず、係留系の観測データが図4です。植物プランクトンの量は、植物プランクトンが持つ光合成色素「クロロフィルa」を指標にします。5月に増殖してから夏に一度終息し、9~10月に小規模ながら再び増殖していました(図4中)。春だけではなく、秋にも植物プランクトンのブルームがある、ということです。

北極海は秋には海氷に覆われるため秋のブルームはない海域が多いのですが、チャクチ海南部では秋にブルームがあることが判明しました。


図4 係留系による観測結果(上:水温と塩分、中:クロロフィルa、下:濁度と溶存酸素)

西野:続いて海底の海水の濁り具合を示す「濁度」と海水に溶け込んだ「溶存酸素」を見ると(図4下)、春より秋のブルーム時の方が海水は濁り、溶存酸素は低くなっています。ホープ海底谷の海底に沈積した有機物粒子で濁り、その分解に伴い酸素が消費されたと考えられます。

「みらい」がホープ海底谷を横切るように観測したデータを見ましょう。図5が2012年9月中旬、つまり秋のブルーム時の海中を横から見たものです。クロロフィルa、透過度 (水の清濁の指標)、溶存酸素、栄養塩であるアンモニアや硝酸がそれぞれ、どこにどんな値で分布するのかわかります。


図5 「みらい」による観測結果。海水の特性や成分の断面図。それぞれの図の中の黒線は、塩分の等値線。

西野:表層ではクロロフィルaが高くなり植物プランクトンが多いことを示していますね。ホープ海底谷に注目すると、周囲とは違う特徴、つまり異なる性質の水が盛り上がるようにたまっています。その水は透過度が低くとても濁っていて、また溶存酸素も低いですね。これは、係留系の結果と一致しています。一方で、栄養塩であるアンモニアと硝酸濃度は高くなっています。

ホープ海底谷には、濁って溶存酸素の低い、栄養塩豊かな水がたまっているのですね。どういうことですか?

西野:ホープ海底谷で、プランクトンなどの有機物粒子がたまって濁り、その有機物の分解に伴い酸素が消費され、栄養塩であるアンモニアが再生されたことを示しています。

なぜ、ホープ海底谷でそのようなことが起きるのでしょうか。

西野:海洋物理法則の話なのですが、ホープ海底谷のような窪地では、主に海水中の水平圧力差と地球の回転の効果によって反時計回りの流れが生じ、底層の水が盛り上がるような海洋構造ができます。ここでは、この盛り上がるような海洋構造を「ドーム状構造」と呼ぶことにします。実際にこの海域では反時計回りの海流が、「みらい」でも観測されています(図6)。こうした反時計回りの流れは、底層で周りから中に向かって物を運び込む傾向があります。


図6 「みらい」で観測された反時計回りの流れ

西野:つまりホープ海底谷では、春に増殖した植物プランクトンやその他の生物粒子などの有機物が海流により集められ、秋にはそれらが蓄積し、その有機物の分解に伴い酸素が消費され栄養塩が再生されます。その再生された栄養塩が、ドーム状構造の盛り上がりによって上層へ広がります。ある程度上に行くと、今度は上層の混合で表層へ運ばれます。その栄養塩が植物プランクトンに利用され、秋に1~2ヶ月にわたるブルームが起きていたのです(図7)。


図7 植物プランクトンの秋のブルームの仕組み

植物プランクトンは、春は太平洋から流入する栄養塩で増殖し、秋は海底にたまった有機物の分解で再生された栄養塩で増殖するのですね。びっくりです。

西野:実は、植物プランクトンの秋のブルームは、秋の荒天 (嵐)や海面冷却、海氷生成に伴う海水の混合で下層の栄養塩が表層に供給されるために起きると考えられていました。ですが、今回の観測から、夏から秋にかけて海底に沈積した有機物粒子の分解(栄養塩の再生)とドーム状構造を通した栄養塩の表層への供給が、秋のブルームを支えていることが明らかになったのです。

秋のブルームは、嵐や海面冷却、海氷生成に伴う一時的な現象ではなく、1~2ヶ月に渡り起きていたのです。ホープ海底谷は有機物粒子をためこみ栄養塩を再生する、天然貯蔵庫の役割を果たすと言えます。

そうなると、海底谷があればどこでも同じことが起きるのでしょうか。

西野:そうではありません。チャクチ海のホープ海底谷は、太平洋からやってくる海水に流されて運ばれる有機物粒子が最初にたまる窪地だからこそ、起きた現象といえます。

とても興味深いです。ところで、こうしたデータを得た観測についても、お話聞かせてください。続きは、後編で!