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プレスリリース

2021年 5月 18日
国立研究開発法人海洋研究開発機構

オンデンザメの遊泳速度と生息密度を世界で初めて計測
―駿河湾の深海に暮らす巨大ザメは世界一泳ぎの遅い魚だった―

1. 発表のポイント

駿河湾の深海域における最大種の1つであるオンデンザメの遊泳速度を世界で初めて計測し、体重比で最も遊泳速度の遅い魚類として知られるニシオンデンザメと同等であることを示した。
これまで、ニシオンデンザメの遊泳速度の遅さは生息する海域の低水温によって代謝が低下するからではないかと言われてきたが、今回調査した海域の水温等から視覚的相互作用仮説(Visual Interaction Hypothesis)で説明される可能性を示した。
深海域に生息する捕食者/腐肉食者の生息密度を推定する新たな手法を開発し、オンデンザメの生息密度を算出した結果、駿河湾には約1150個体が生息するものと推定した。

2. 概要

国立研究開発法人海洋研究開発機構(理事長 松永 是、以下「JAMSTEC」という。)地球環境部門の藤原義弘 上席研究員らは、2016年に実施したベイトカメラ(餌付きカメラ)による調査において、駿河湾に生息する深海性サメ類の中で最大種の1つであるオンデンザメ(Somniosus pacificus)(図1)の遊泳速度を明らかにしました。

駿河湾の水深約600メートルに設置した2台のベイトカメラには、全長約3メートルに達するメスのオンデンザメの映像が何度も記録されていました。この個体は吻に釣り糸を巻きつけており、左側の鰓蓋2枚がなく、両目には寄生性カイアシ類が付着しているという外見上の特徴を示しました。この個体はまず1台目に設置したカメラの前に姿を現し、その後しばらくして2台目のカメラに記録され、最終的にもう一度1台目のカメラの前に姿を現しました。2台のカメラ間の距離は436メートルで、この個体がカメラ間を移動した時間から遊泳速度を推定すると、平均対地速度と対水速度はそれぞれ秒速21センチメートルと秒速25センチメートルでした。この遊泳速度は、体重比で最も遊泳速度の遅い魚として知られるニシオンデンザメの秒速22〜34センチメートルと同等であり、オンデンザメもニシオンデンザメと同様に世界で最も泳ぎの遅い魚類であることがわかりました。ニシオンデンザメの場合、生息域の水温が非常に低い(2℃以下)ために代謝速度が低下し、その結果として遊泳速度が遅いのではないかと考えられていました。しかし、今回撮影したオンデンザメの生息域の水温は約5℃と相対的に高く、オンデンザメの遊泳速度の遅さは水温の低さに起因するものではないことがわかりました。視覚を有する深海生物では水深に関連した代謝の低下が報告されており、視覚的相互作用仮説(Visual Interaction Hypothesis)が提唱されていますが、オンデンザメの遊泳速度の遅さについてもこの仮説と矛盾しないことがわかりました。

また本研究ではベイトカメラ映像と流向流速データを用いた新たな深海生物の生息密度計算法を提案しました。その結果、駿河湾の水深500〜1000メートルには推定で約1150頭のオンデンザメが生息することがわかりました。

本成果は、「Journal of the Marine Biological Association of the United Kingdom」に5月18日付け(日本時間)で掲載される予定です。

タイトル:
First record of swimming speed of the Pacific sleeper shark Somniosus pacificus using a baited camera array
著者:
藤原義弘*、松本恭幸、佐藤匠、河戸勝、土田真二(いずれも海洋研究開発機構所属)
*責任著者
URL:
https://doi.org/10.1017/S0025315421000321

3. 背景

人間活動や地球規模の気候変動は海洋環境に大きな影響を及ぼしており、水温上昇や酸性化、低酸素化は深海にも波及しています。このような地球規模の変動の影響はまず大型の上位捕食者に現れ、徐々に栄養段階の低い生物へと拡がることが知られています。従って深海域に暮らす上位捕食者の現状を正しく把握することは喫緊の課題であり、その実施が期待されていました。本研究グループは駿河湾をフィールドとして、深海の上位捕食者に関する調査を2014年から進めてきました。その成果の一つとして、新種の巨大深海魚「ヨコヅナイワシ」を発見したことは記憶に新しいところです(2021年1月25日既報)。

このような背景のもと、2016年7月から2017年4月にかけて実施したベイトカメラ調査では、オンデンザメの貴重な映像を撮影することができました。オンデンザメは水深約2,200メートルまで生息する大型の深海性サメ類です。その大きさは4メートル以上になることが知られており、深海における上位捕食者に位置すると考えられています。近縁種であるニシオンデンザメは最も寿命が長い脊椎動物で約400年も生きると言われており、また遊泳速度が魚類の中でも極端に遅いことで知られていますが、オンデンザメについては調査研究が進んでおらず、その生態はほとんど未解明でした。

本研究では、今回取得した映像および流向流速データに基づき、オンデンザメの遊泳速度を世界で初めて明らかにするとともに駿河湾内でのオンデンザメの生息個体数を推定しました。

4. 成果
オンデンザメの観察と遊泳速度解析

2016年7月21日に2台のベイトカメラ(BC1、BC2)をそれぞれ水深609メートルと603メートルに設置しました(図2)。BC1からBC2までの距離は436メートルで、BC1から126.3°の方向にBC2を設置しました。9時53分にBC1を海底設置し、その43分後に最初のオンデンザメが現れました(図3)。出現した個体はメスで(図3C)、全長は推定約3メートルでした。この個体の吻には釣り糸が巻き付いており(図3A、E)、左側のエラが2枚剥がれ(図3B、D-F)、両目に寄生性のカイアシ類が付着していました(図3A、D-F)。この個体は41分間、BC1の周辺に留まり、何度もカメラの画角を出入りしました。この間、オンデンザメは餌カゴを突っついたり、カメラフレームにぶつかったり、餌カゴ周辺の泥を吸い込んだりしました(映像)。この時、流向はBC1設置点では西向き、BC2設置点では北向きで、オンデンザメがBC1を去った直後から両地点とも東向きに変わりました(図2)。

BC1の前からオンデンザメが姿を消して37分後に、同じ形態的特徴を示すオンデンザメがBC2に記録されました(図3D、E).この個体がBC1を去ってからBC2に達するまでの期間において、海域の平均流速は秒速7.3センチメートルで、流向はBC1からBC2への方位に近い139.9°でした。オンデンザメがBC1からBC2へと直線的に移動したと考えた場合、この期間のサメの対地速度は秒速20センチメートル、方位126.3°で、対水速度は秒速13センチメートル、方位118.6°でした。餌の匂いの拡散範囲を推定したところ、この時点ではBC2からの匂いはBC1には達していないことがわかりました。BC2に到達したオンデンザメはこの周辺に33分間滞在し、餌カゴやカメラフレームに接触しました(ビデオ1)。この個体がBC2を去ったときに、BC1からの餌の匂いの拡散範囲はBC2まで最短134メートルのところまで到達していました(図2)。

さらにこの個体BC2を離れてから31分後、同じオンデンザメが再びBC1に現れました(図3F)。この個体がBC2を離れてから再びBC1に現れるまでの期間の平均流速は秒速14センチメートル、流向は105.4°でした。この間のサメの対地速度は秒速23センチメートルで方位306.3°、対水速度は秒速37センチメートルで方位298.3°でした。この個体は3分間、BC1周辺に滞在し、その間に一度、カメラフレームに体を擦り付けました。

オンデンザメの遊泳ルートが2つのカメラ間で直線ではなかった場合、その遊泳速度を過小評価してしまう可能性がありました。そこで、撮影した映像に移る幅30センチメートルの餌カゴを通り過ぎるときの経過時間から、予察的にオンデンザメの遊泳速度を算出しました。その結果、秒速14センチメートル〜22センチメートルであることがわかり、この数値はベイトカメラ観察からの結果とよく一致しました。

本研究はオンデンザメの遊泳速度を計測した世界初の報告です。近縁種のニシオンデンザメの遊泳速度については研究が進められ、体重換算で最も遊泳速度の遅い魚類であるということが知られており、その遊泳速度は秒速21〜34センチメートルでした。一方、本研究で示したオンデンザメの平均遊泳速度は対地で秒速21センチメートル、対水で秒速25センチメートルであったことから、ニシオンデンザメと同様に体重比で、最も遊泳速度の遅い魚類であることがわかりました。

ニシオンデンザメは非常に水温の低い北極域に生息します。従って、その遊泳速度が非常に遅いのは、運動に関わる筋肉の機能に低水温が負の影響を与えるためであろうと考えられていました。しかしながら本研究を実施した駿河湾の水深600メートル付近の水温は5℃以上あり、ニシオンデンザメが暮らす極域の低水温(2℃以下)と比較して高いにも関わらず、ニシオンデンザメと同様の遊泳速度を示すため、低水温による運動機能の低下とは考えにくいことがわかりました。

このような運動能力の低下を説明する仮説として、視覚的相互作用仮説(Visual interactions hypothesis: VIH)があります。この仮説では光がない場合、捕食者と被食者の間の距離が短くなり、それによって追跡と回避のために素早く泳ぐという能力に対する選択圧が低下します。この仮説は、毛顎動物、クラゲ類、ゴカイ類などのうち視覚に依存していない動物群は水深に関連した代謝率の低下を示さないが、頭足類、甲殻類、硬骨魚類など視覚が発達している分類群では水深に関連した代謝の低下を示すという証拠によって裏付けられています。板鰓類(サメ、エイの仲間)でも深海種は浅海種よりも運動能力と代謝能力が低いことが知られており、硬骨魚類と同様に暗所での運動能力の低下はVIHで説明しうるものかもしれません。

オンデンザメの生息密度推定

全48キャストのベイトカメラ調査の結果、4つのキャストでオンデンザメの出現を確認しました。今回の調査でオンデンザメが出現したのは水深500〜1000メートルの範囲であり、この水深帯の個体数密度を匂いの拡散範囲から推定した結果、1平方キロメートル当たり1.6個体であり、駿河湾に生息するオンデンザメは約1150個体であることがわかりました。このようなオンデンザメの個体数密度の推定はこれまでに報告がありませんでした。今回オンデンザメで示した1平方キロメートルあたり1.6個体という個体数密度は、ニシオンデンザメの生息密度のうち北極域での最小値(1平方キロメートルあたり0.4個体)よりも大きく、同海域での最大値(1平方キロメートルあたり15.5個体)よりも小さい値となりました。駿河湾の一次生産は比較的高いことが知られていますが、北極域と異なり、駿河湾にはカグラザメ、アイザメ類、ユメザメ類といった大型の捕食性の深海性サメ類が数多く生息しており、それらの種間競争がオンデンザメの個体数に影響を及ぼしているかもしれません。

5. 今後の展望

野生動物にデータロガーを装着して取得した塩分、水温、水深、加速度、尾ビレの動き、光強度などのさまざまな計測値は、深海生物の生態を理解するうえで極めて重要です。しかし一方で、深海生物を水面まで引き上げて機器を装着することが与える影響や引き上げられた個体がその後どのような回復を示すのかについてはいまだ十分な知見がありません。また、何らかの負荷を与える可能性のあるデータロガーを装着した個体から得られた結果が何も施されていない個体から得られる結果と同じであるかどうかも不確かです。対照的に、本研究で使用した方法は基本的に野生動物への負荷がほとんどありません。唯一の不自然な物理化学的パラメータは、撮影のために使用する赤色光ですが、これはサメが自らの意思で避けることのできるものです。深海底に設置したベイトカメラは、捕食者/腐肉食者の生物多様性や個体数の推定などのフィールド調査には適していますが、個体を継続的に追跡することはできません。従って、ベイトカメラを他の手法と相補的に運用することで、生物への影響の小さい、環境低負荷な深海生態系調査を実現できるものと考えます。世界中の多くの捕食者は絶滅の危機に瀕しており、厳重に保護されています。また大型の深海性サメ類は海洋生態系の頂点に位置し、生態系の維持と安定に不可欠な存在です。従って、将来的には深海生物、特に脆弱性の高い捕食者を調査するために、より生物への負荷の低い方法を検討すべきだと考えます。JAMSTECでは、これまでに実施されている調査方法に加え、迅速かつ簡便に海洋生態系の現状を把握することができる環境低負荷な手法の開発に取り組んでおり、地球環境変動が深海生態系に及ぼす影響を正確に評価することを目指しています。

a
図1a b
図1b

図1
a: 2016年8月、駿河湾の水深約500メートルで捕獲された体長約2.8メートルの
オンデンザメ(ベイトカメラで撮影したものとは別個体)。
b: ベイトカメラの餌カゴに食らいつくオンデンザメの様子。

図2

図2 調査海域とベイトカメラ設置地点。:ベイトカメラ設置点。拡大図は餌の匂いの拡散範囲[BC1-10(青)、BC2-10(赤)]を示す。a: BC1着底からオンデンザメが最初にBC1に現れるまでの期間の匂いの拡散範囲、b: BC1周辺にオンデンザメが最初に滞在した期間の匂いの拡散範囲、c: オンデンザメがBC1からBC2に移動している期間の匂いの拡散範囲、d: BC2周辺にオンデンザメが滞在した期間の匂いの拡散範囲、e: オンデンザメがBC2からBC1に移動している期間の匂いの拡散範囲、f: BC1周辺にオンデンザメが二度目に滞在した期間の匂いの拡散範囲。

図3

図3 ベイトカメラにより撮影されたオンデンザメ映像のビデオキャプチャー。a–c: BC1周辺にオンデンザメが最初に滞在した期間の映像、d–e: BC2周辺にオンデンザメが滞在した期間の映像、f: BC1周辺にオンデンザメが二度目に滞在した期間の映像。矢印は交接器のない左側の腹ビレ(メスの特徴)を示す。

オンデンザメの遊泳速度と生息密度を世界で初めて計測
国立研究開発法人海洋研究開発機構
(本研究について)
海洋生物環境影響研究センター深海生物多様性研究グループ 上席研究員 藤原義弘
(報道担当)
海洋科学技術戦略部 広報課
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