第1試合
『こうしてすべらない砂甲子園は生まれた』(すべらない砂甲子園秘話その5)
すべらない砂甲子園が無事終了した。結果はご覧の通りである。両砂とも素晴らしい試合を演じてくれました。半年にもわたり続いたこのすべらない砂甲子園だが、この企画が生まれたいきさつを、ここで掘り起こしてみたいと思う。
この企画の原案をJAMSTEC50周年記念・高知コア研究所前担当であった鈴木志野氏(現JAXA)に送ったのが2020年の8月28日。ではその前に何があったかというと、私が8月26日に黒田郡研究のLINEグループに以下の高知新聞の記事を紹介していた。
【土佐くろしお鉄道が「すべらない砂」販売 受験生に無料配布も】(8月26日付け) https://www.kochinews.co.jp/article/detail/392296
高知県の土佐くろしお鉄道が、列車の車輪が上り坂で滑らないよう、レールにまく砂を試験合格や就職を祈願する「すべらない砂」として販売する内容の記事である。うろ覚えの記憶をたどると、おそらくこの記事が発案の原点だと思われる。この記事をLINEグループ内で紹介したときは 「この『すべらない砂』の摩擦が本当に高い(=すべらない)のか、摩擦データを提供してはどう?」 と放言していたのに過ぎないのだが、そこから少しずつ『すべらない砂甲子園』へと変貌を遂げていったものと思われる。でも、なぜ「甲子園」なのか?2020年・・・夏の高校野球は、コロナの影響で交流試合は行われたものの実質的に中止となった。おそらく、高校球児の無念の残像が頭の片隅に残っていたのではと、思われる。そして、もう一つ、おそらく高知大学の山本教授の影響を少なからず受けていたのではないかと推察される。岩石磁気研究の専門家である山本教授は、実は何を隠そう、あるペンネームで日々ダジャレを制作・投稿していた知る人ぞ知るダジャレマニアである。。その彼とお昼休み一緒にランチを取ることが多いのだが、本当にみごとに「すべった」会話を投げてくるのである。すべらない砂甲子園の最終回でも見せたその「すべり」芸は尊敬に値するほどであるのだが、今となっては、本企画のアイデアは山本教授のすべり芸の影響も受けているかもしれないと思っている。
8月28日に企画案を高知コア研究所内で展開したところ、なかなかの好感だったので、ここで一気に一週間くらいかけてほぼ今と同じ形式の試合(=実験)を試してみて、実況を入れた動画編集もついでに行い、ぼんやりとした企画をくっきりとした形にしてみた。この一週間であるが、実は首のまわり全体が痛くて病院に見てもらったところ帯状疱疹(=大人の水疱瘡)にかかっていることが分かり、子供にうつさないために自宅内隔離を余儀なくされた。自宅内隔離された中、痛く寂しく一人部屋で行った動画編集であるが、この動画編集がまさにYoutube版すべらない砂甲子園の原型となっていることも、なんだか帯状疱疹のおかげかもしれないと思えてきた。11月12日にJAMSTECの理事が高知コア研究所に視察に訪れたので恐る恐る「すべらない砂甲子園」のプレゼンをしたところ、想像以上に好印象だったので、もうこれはお墨付きをもらったものと(勘違い)して、正式にJAMSTEC50周年企画の一つとしてスタートすることになった。
結局のところ、(私の目の届く範囲では)誰も反対しなかったので、自由にやらしてもらったのであるが、そのJAMSTEC・高知コア研究所の自由な環境があったからこそ生まれた企画でもある。いわゆる世間がイメージしている「JAMSTEC」像とはいくぶんかけ離れたこの企画に対して寛大に見てくれたJAMSTECにこの場をお借りして謝意を伝えたい。
P.S. TBS番組「クリスマスの約束」を見ながらこのコラムを書いているのだが、小田和正をみながら平朝彦先生年を取られはったな~、と想いをはせる・・・。
レビュー[大会委員長:谷川亘]
『こうしてすべらない砂甲子園は生まれた』(すべらない砂甲子園秘話その5)
すべらない砂甲子園が無事終了した。結果はご覧の通りである。両砂とも素晴らしい試合を演じてくれました。半年にもわたり続いたこのすべらない砂甲子園だが、この企画が生まれたいきさつを、ここで掘り起こしてみたいと思う。
この企画の原案をJAMSTEC50周年記念・高知コア研究所前担当であった鈴木志野氏(現JAXA)に送ったのが2020年の8月28日。ではその前に何があったかというと、私が8月26日に黒田郡研究のLINEグループに以下の高知新聞の記事を紹介していた。
【土佐くろしお鉄道が「すべらない砂」販売 受験生に無料配布も】(8月26日付け)
https://www.kochinews.co.jp/article/detail/392296
高知県の土佐くろしお鉄道が、列車の車輪が上り坂で滑らないよう、レールにまく砂を試験合格や就職を祈願する「すべらない砂」として販売する内容の記事である。うろ覚えの記憶をたどると、おそらくこの記事が発案の原点だと思われる。この記事をLINEグループ内で紹介したときは
「この『すべらない砂』の摩擦が本当に高い(=すべらない)のか、摩擦データを提供してはどう?」
と放言していたのに過ぎないのだが、そこから少しずつ『すべらない砂甲子園』へと変貌を遂げていったものと思われる。でも、なぜ「甲子園」なのか?2020年・・・夏の高校野球は、コロナの影響で交流試合は行われたものの実質的に中止となった。おそらく、高校球児の無念の残像が頭の片隅に残っていたのではと、思われる。そして、もう一つ、おそらく高知大学の山本教授の影響を少なからず受けていたのではないかと推察される。岩石磁気研究の専門家である山本教授は、実は何を隠そう、あるペンネームで日々ダジャレを制作・投稿していた知る人ぞ知るダジャレマニアである。。その彼とお昼休み一緒にランチを取ることが多いのだが、本当にみごとに「すべった」会話を投げてくるのである。すべらない砂甲子園の最終回でも見せたその「すべり」芸は尊敬に値するほどであるのだが、今となっては、本企画のアイデアは山本教授のすべり芸の影響も受けているかもしれないと思っている。
8月28日に企画案を高知コア研究所内で展開したところ、なかなかの好感だったので、ここで一気に一週間くらいかけてほぼ今と同じ形式の試合(=実験)を試してみて、実況を入れた動画編集もついでに行い、ぼんやりとした企画をくっきりとした形にしてみた。この一週間であるが、実は首のまわり全体が痛くて病院に見てもらったところ帯状疱疹(=大人の水疱瘡)にかかっていることが分かり、子供にうつさないために自宅内隔離を余儀なくされた。自宅内隔離された中、痛く寂しく一人部屋で行った動画編集であるが、この動画編集がまさにYoutube版すべらない砂甲子園の原型となっていることも、なんだか帯状疱疹のおかげかもしれないと思えてきた。11月12日にJAMSTECの理事が高知コア研究所に視察に訪れたので恐る恐る「すべらない砂甲子園」のプレゼンをしたところ、想像以上に好印象だったので、もうこれはお墨付きをもらったものと(勘違い)して、正式にJAMSTEC50周年企画の一つとしてスタートすることになった。
結局のところ、(私の目の届く範囲では)誰も反対しなかったので、自由にやらしてもらったのであるが、そのJAMSTEC・高知コア研究所の自由な環境があったからこそ生まれた企画でもある。いわゆる世間がイメージしている「JAMSTEC」像とはいくぶんかけ離れたこの企画に対して寛大に見てくれたJAMSTECにこの場をお借りして謝意を伝えたい。
P.S. TBS番組「クリスマスの約束」を見ながらこのコラムを書いているのだが、小田和正をみながら平朝彦先生年を取られはったな~、と想いをはせる・・・。