冬季の成層圏において気温が数日間にわたって数十度も上昇する「成層圏突然昇温」という現象が存在し、このような現象が我々の住む地域の気候にも影響を与えていることが知られているが、その発生予測はこれまで困難であった。
我々は、アンサンブル大気再解析データ※1 を用いてアンサンブル間のずれの大きさを表すスプレッドと呼ばれる統計量によりアンサンブルの「揺らぎ」を求めることで、成層圏突然昇温が発生する数日前に、この揺らぎが先駆的に増大することを発見した。
アンサンブルの揺らぎを成層圏突然昇温発生前に検出することで、その発生を事前に伝える早期警戒情報を提供できる可能性がある。
アンサンブル大気再解析データ:現実の大気状態を復元した複数(アンサンブル)の3次元の気象データで、過去に遡って精度などが変わらない均質な大気状態を復元したものを再解析データという。予報の初期値に用いられたり、気候変動の要因調査に用いられたりするほか、天気予報に機械学習を応用する際の教師データとしても用いられる。
国立研究開発法人海洋研究開発機構(理事長 大和 裕幸、以下「JAMSTEC」という。)付加価値情報創生部門アプリケーションラボの山崎哲研究員と九州大学大学院理学研究院の野口峻佑助教は、2018年の12月と2019年の9月に、北半球と南半球で1回ずつ発生した成層圏突然昇温現象の数日前に、先駆的に大気状態の不確実さを示す「揺らぎ」が発生することを発見しました。アンサンブル大気再解析データを用いることで、この「揺らぎ」をスプレッドと呼ばれる統計量で検出できることがわかりました。成層圏突然昇温は予測が難しいとされる現象の一つで、そのメカニズムや予測可能性の解明に注目が集まっています。成層圏突然昇温の発生直前に現れる「揺らぎ」の検出は、従来の研究と異なる新しい知見や手がかりを与える可能性があります。本研究は、過去の大気状態を長期にわたって復元したアンサンブル大気再解析データをJAMSTECで作成を続けてきたことで、現実に起こった成層圏突然昇温前の「揺らぎ」の検出に成功しました。
本成果は、米国気象学会誌の「Monthly Weather Review」に10月18日付け(日本時間)で掲載されました。なお、本研究は、JSPS科研費(20H01976,18K13617,19H05702)、およびArCS IIの助成を受けたものです。
Precursory analysis ensemble spread signals that foreshadow stratospheric sudden warmings
成層圏突然昇温(Stratospheric Sudden Warming、 以下「SSW」という。)とは、極域成層圏の気温が数日間に数十度(高度約30km以高では時に1週間で50℃以上)も上昇する現象です。この現象は1950年代に発見され、その後多くの研究がなされてきました。日本の研究者がSSWの発生メカニズム解明に重要な貢献をなし、20世紀の間にSSW研究は多いに発展しました。しかし、現象そのものの非線型性の強さから最近でもその発生の正確な予測が難しい大気現象の1つとされています。さらに近年では、SSWが、遠く離れた、我々の暮らす対流圏の気象や気候にも大きな影響を与えることがわかってきました。例えば、SSWが発生すると、北米や欧州に寒波が到来しやすくなるといったことが知られています。また、最新の研究において、2019年の南半球でのSSWが台風活動に影響を与えた可能性があることが指摘されました(2020年8月7日既報)。こういったことから、SSWの予測精度の向上はますます重要なものとされています。
近年、物理学(非線形科学)や生態学などの分野で、気候システムの不可逆な変化、生態系での生物種の急激な変動、金融市場での特定の株価の暴落など、ある複雑なシステムやネットワークが急激な遷移(変化)を起こす前に不確実性が増す=「揺らぎ」が生じることが、力学系理論に基づいて説明されるようになってきました。この理論では、揺らぎを、劇的な変化(現象)が生じる前の早期警戒情報として利用することが期待できます。そこで本研究では、SSWの予測に関して従来と異なるアプローチから研究を行いました。それは、SSWに伴う揺らぎを検出することです。
本研究で用いるアンサンブルデータは、現実の「気象」状態を考慮しない気候シミュレーションとは異なり、現実的な大気状態を表現できる必要があります。例えば、2018年9月1日にある場所に台風が存在した、という現実を全てのアンサンブルメンバーで共有している必要があります。そこで、実際の大気の状態をアンサンブルで表現できる再解析データとして、我々は、JAMSTECが独自に作成を進めているアンサンブル再解析データALERA※2(図1)を用いました。ALERAは、過去の大気状態を復元したデータで、かつ全ての時刻において63アンサンブルメンバーの存在し得た「現実」の状態を有しています。
ALERA:JAMSTECが運用する「地球シミュレータ」で作成され、長期間にわたって大気の状態を復元したアンサンブル大気再解析データセット。公開されているアンサンブルでかつ解析値のデータセットは世界的にも限られている。
https://www.jamstec.go.jp/alera/alera3.html
大気大循環は、生態系などと同様な複雑なシステムの一種です。大気大循環中で起こるSSWを大循環の急激な変化とみなすことで、SSW前の揺らぎを検出します。この揺らぎは、大気の不確実さの増大に相当するので、不確実さを数値化する必要があります。そこで我々が目をつけたのが、アンサンブル「スプレッド」と呼ばれる統計量です。スプレッドは、アンサンブルデータを用いることで定義が可能となります。アンサンブル間のずれの大きさがスプレッドと呼ばれ、各アンサンブルメンバーとアンサンブル平均とのずれの大きさで定義されます。
我々は、ALERAデータセットを使って、2018年12月にかけて北半球で発生したSSW(北半球SSW)と2019年9月に南半球で発生したSSW(南半球SSW)について、揺らぎの発生を調査しました。ここで取り上げた北半球SSWは強い昇温が起こったSSWであったこと、南半球SSWは南半球で観測史上2番目のSSW (前回は2002年)だったことから、社会的・科学的にも注目されています。
図2 は北半球SSW・南半球SSWの発生前後での高度約30kmでの気温の変動と揺らぎ(スプレッド)を示しています。北半球SSWは2018年12月30日から2019年1月2日に、南半球SSWは2019年9月2日から9月19日くらいにかけて昇温が発生していることがわかります(黒線)。それぞれのSSWで実際の昇温が始まる数日前に、スプレッドが増幅し、大きな揺らぎが発生していることがわかりました(赤線)。これらの揺らぎは、成層圏中部の実際の気圧配置に対して極渦(低気圧)と中緯度高気圧のちょうど間で大きくなっていました。
今回得られた結果より、揺らぎ(スプレッド)を監視することで、SSW発生の早期警戒情報を出すことやSSW発生時の大気状態のより高度な特徴付けを行うことが可能である、と期待できます。これらの情報は、予測精度の低下をもたらす要因やその改善を見出すための重要な基礎となり得ます。今後、大気アンサンブル再解析データに包含されている有益な情報が効果的に活用されることが望まれます。
アンサンブル大気再解析データを使ったSSWの揺らぎの検出は、以下のような複数の展望が見込まれます。
新しい知見の獲得によって、SSWの予測精度向上に資する可能性があります。
SSW以外にも、急激な遷移(変化)が起こる様々な大気・海洋・地球物理現象が存在します。そういった現象は一般に予測が難しいことが多いです(例えば、黒潮大蛇行現象など)。そのような現象についてもアンサンブル空間で揺らぎが検出できる可能性があります。
SSWに対する理解の促進は、予測精度の向上と、成層圏が、我々の住む地域の気候へどのように、どういった影響を与えるかについての新たな知見の獲得につながります。
現在、十分なアンサンブル数と十分な精度で長期間のアーカイブを有する大気再解析データはわずかしかありません。我々のグループで作成を続けているALERA は、今後さらに過去に遡って10年以上の期間をカバーするデータセットとなる予定です。また、海洋の長期アンサンブル解析データなど、大気以外の様々な地球システムを対象としたアンサンブル解析データが現在作成されています。こういったデータを利用して、揺らぎの検出研究がさらに発展する可能性があります。
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