津軽海峡東部に展開している海洋短波レーダ※1 観測網を活用し、海洋内の栄養の湧き出しについて、船舶観測の結果と結びつけることで、下北半島太平洋側や三陸沖での豊かな漁場形成メカニズムの理解および将来予測につながる、ごく狭い鍵領域を発見した。
この「砂漠の井戸」と呼ぶべき領域では、津軽海峡から太平洋へ流れ出る強い流れが尻屋崎沖の地形を乗り越える際に、深いところから栄養塩に富んだ水を巻き上げ、混合し、夏季から秋季にかけて太平洋側で形成される「津軽ジャイアー※2」と呼ばれる大きな渦の中の植物プランクトンの安定的な生産を支えていることがわかった。
海洋短波レーダによって得られた長期的な海面の流速変動データをもとに、これまで観測で見積もることが難しかったこの「巻き上げ・混合プロセスの長期的な強弱」を調べ、鍵領域が尻屋崎付近であることを探り当てた。この事例は海洋短波レーダデータの有効な活用例であるとともに、津軽暖流を通じた物質循環・漁場形成についての効率的なモニタリングや将来予測の精度向上に役立つ。
海洋短波レーダ (High Frequency Radar, HFR)
電波により海面流速を遠隔的・広域的・連続的に観測することのできる観測装置。海洋研究開発機構地球環境部門 むつ研究所では、津軽海峡東部において2014年からモニタリングを継続している。
津軽ジャイアー
津軽海峡を日本海側から太平洋へと流れる津軽暖流は、津軽海峡東部から太平洋側でユニークな流路季節変動を示す。12月〜6月ごろは下北半島に沿った「沿岸モード」を形成するのに対し、7〜11月には、太平洋側に流出したのち、直径100kmに達する大きな時計回りの渦を描く(ジャイアーモード)。この渦を津軽ジャイアーという。
国立研究開発法人海洋研究開発機構(理事長 大和裕幸、以下「JAMSTEC」という。)地球環境部門むつ研究所の金子 仁研究員らは、国立研究開発法人水産研究・教育機構の奥西 武グループ長、田中 雄大主任研究員(現所属:長崎大学)ほかと共同で、津軽海峡東部、尻屋崎沖の海底地形を津軽暖流が乗り越える際に生じる強い乱流鉛直混合が、より深い層から栄養塩を光の当たる表層付近に輸送すること、そしてこの栄養塩に富んだ混合水が太平洋側に流れ出し、夏季から秋季にかけて同海域で形成される直径100km スケールの「津軽ジャイアー」の中に広がることで、この渦内の植物プランクトン生産を支えているというしくみを明らかにしました(図1)。
図1. 本研究で得られた知見を模式的に表した図
尻屋崎沖の海底地形周辺が、栄養塩の湧き出すポイントとなっており(暖色系のカラーバーが対応)、「津軽ジャイアー」内の広い範囲の表層の植物プランクトンの安定的な生産(黄色・オレンジ色のコンターで表現)を支える「涸れない泉」のように重要な領域であることがわかった。カラーバーは観測された乱流強度を、色付きのコンターは夏季(8月・9月)に人工衛星によって観測された表面クロロフィルa 濃度分布を各グリッドの標準偏差で規格化したもの(クロロフィルのデータ期間は 2014年から2022年)。
海山などの特徴的な海底地形付近を強い流れが通過する際に、著しい乱流混合が生じ、顕著な栄養塩鉛直輸送が生じることは、定性的には指摘されていましたが、津軽海峡東部では、観測に基づく報告はありませんでした。また、乱流強度は刻一刻と大きく変動すること、船舶を用いた強流域における継続的な観測が難しいことなどから、このような乱流鉛直混合に伴う栄養塩輸送が下流域の植物プランクトン生産にどのような影響を与えているのかについては、分からないことが多く残されていました。津軽暖流によって津軽海峡の入り口から運ばれてくる水は、栄養の比較的少ない亜熱帯の水を起源としており、この水にどのように栄養が運ばれるかは、太平洋側の豊かな漁場形成メカニズムを理解する上でも重要でした。
本研究では、海洋短波レーダ (High Frequency Radar、以下 HFR) を用いた水平高解像度かつ長期的な海面流速のモニタリングデータを、海洋データ同化モデルの出力や船舶観測の結果と合わせて解釈し、HFR 海面流速の情報を栄養塩供給の指標とみなしました。この指標を人工衛星観測で得られた植物プランクトン分布に関する長期広域データと合わせて解析することで、栄養塩乱流鉛直輸送の影響について調べることができました。
その結果、尻屋崎沖の地形の尾根の下流(東)側、太平洋へと流れ出る津軽暖流がこの地形を乗り越える10km 四方程度のごく狭い領域が重要であることを明らかにしました。具体的には、この海域での海面における流れの「発散」すなわち「湧き出し」の強さが、太平洋側に夏季から秋季にかけて形成される、津軽ジャイアー内の表層クロロフィルa分布と有意な正の相関を広い範囲で示す、ということを明らかにしました。これは深いところから栄養塩に富んだ水が表面に湧き出し、混合し、津軽暖流によって下流域に広く広がっていくという物質循環像を示すものです。また私たちは、海洋データ同化モデルの出力から、この地形から下流域に、表層水がどの程度の時間でどの程度の範囲まで流されうるかを追うことで、地形付近で観測された栄養塩輸送量が下流域の生物生産を支えうるレベルであることを定量的にも確認しました。
本研究は、地形と強い流れが狭い領域で継続的に引き起こす栄養塩の鉛直的な輸送が、より広い領域の生物生産を維持し得る事例を示しました。また、津軽海峡周辺海域の生態系理解に関わる海洋環境モニタリングを継続する上で、特に注意・注力すべき鍵領域がどこであるかを明らかにしました。津軽ジャイアー内の生物生産がこのような安定的な栄養塩供給―あたかも「砂漠の井戸」のような―によって維持されているユニークな系となっている可能性も示しました。このユニークな生態系の存在が、太平洋側での豊かな漁場形成にも寄与しているかもしれません。今後船舶による観測などをこの鍵領域に集中して行うことで、より効率的な研究の発展に結びつけていくことが期待できます。
本研究は科学研究費助成事業(JP23H04826、JP22H05201)及び水産庁事業「水産資源調査・評価推進委託事業」の支援を受けて実施されたものです。
本成果は、「Nature Communications」に4月22日付け(日本時間)で掲載されました。
Topographically driven vigorous vertical mixing supports mesoscale biological production in the Tsugaru Gyre
津軽海峡では、日本海側から太平洋側へ向けて流れる、津軽暖流と呼ばれる東向きの強い流れが存在します。太平洋側に抜けた津軽暖流はその流路を季節によって大きく変え、7月から11月にかけて、大きく張り出し、直径100kmにも及ぶ時計回りの大きな渦状の流路を形成します。これは津軽ジャイアーと呼ばれます文献1,文献2 (図2)。
この津軽ジャイアー周辺では、サバの好漁場が形成されることなどから、生物との関わりにおいても津軽ジャイアーの特性を理解することは重要です。津軽ジャイアーが形成される時期には、生態系を支える植物プランクトンの光合成維持のために、より深い深度からの栄養塩の供給が重要になります。これは光の届く表層付近では、冬季の鉛直混合によってもたらされた栄養塩が、春頃からの植物プランクトンの生産活動により消費されているためです。この時期には、表層に軽い水が、深い方に重い水が分布する特徴が強まるため、何らかの混合が生じない場合、鉛直的な栄養塩供給は生じにくい状態にあります。さらに、特にこの時期に津軽暖流によって津軽海峡の入り口から運ばれてくる水は、九州の南西で黒潮から分かれた栄養の比較的少ない亜熱帯の水を主たる起源としており、この水にどのように栄養がもたらされるのかは、太平洋側の豊かな漁場を形成するメカニズムを理解する上でも重要でした。
津軽暖流が津軽海峡内の複雑な海底地形を乗り越える際に、乱れた流れ(「乱流」)による強い鉛直混合と鉛直的な栄養塩供給が生じることは、海峡西部、竜飛岬沖では、私たちのグループにより報告がなされていました文献3。しかしながら、津軽ジャイアーに接続する津軽海峡東部では、観測に基づく報告はありませんでした。また、乱流強度は時事刻々と大きく変動すること、津軽暖流のような強い流れのもとでは、船舶を用いて同じ場所で継続的に乱流混合による鉛直供給を計測するのは難しいことなどから、地形に伴う栄養塩乱流鉛直輸送が下流域の植物プランクトン生産にどのような影響を与えているのかについては、不明な点が多く残されていました。また船舶による調査観測を行うのにも時間や資源が限られるため、広い領域に大きなインパクトをもたらす鍵領域を探ることが大きな課題となっていました。
図2. 夏季(8月・9月)の津軽海峡東部に津軽ジャイアーの分布と、人工衛星によって観測された表面クロロフィルa 濃度分布を各グリッドの標準偏差で規格化したもの(Ichl。クロロフィルのデータ期間は 2014年から2022年)。マゼンタの印は 2021年8月の観測点を示す。黄緑色の枠領域は、サブパネルのクロロフィルa 濃度に関するヒストグラムを作成するのにデータを抽出した領域。流速は OSCAR (Ocean Surface Current Analysis Real-time) による2014年から2021年のデータを平均したもの。灰色の線は海底地形を表す。三角のマーカーは HFR のアンテナ位置を示す。
私たちは上記のような背景や課題を踏まえ、津軽海峡東部、尻屋崎から北に突き出した尾根状の海底地形に着目しました。津軽暖流が夏季〜秋季にこの地形を乗り越える際に、流れが大きく乱れ、大きな栄養塩乱流鉛直輸送が生じると考え、水産研究・教育機構の漁業調査船「若鷹丸」を用いて、2021年8月下旬に、津軽暖流の流れに沿ったドリフト観測をこの海域で実施しました。私たちは主要な栄養塩の一種である硝酸塩について、乱流鉛直混合による鉛直的な輸送量(硝酸塩乱流鉛直フラックス)に着目しました。その結果、尾根の下流側(東側)において強い乱流鉛直混合や硝酸塩乱流鉛直フラックスが生じていたことを明らかにしました(図3)。乱流強度は、外洋域で一般的に生じるレベルの1万倍、硝酸塩乱流鉛直フラックスは、大きいところでは竜飛岬での観測値の100倍にも及んでいました。
図3. 尻屋崎沖の海底地形を横切る観測線(2021年8月)上における (a) 乱流運動エネルギー散逸率、(b) 鉛直拡散係数、(c) 硝酸塩乱流鉛直フラックス。(a) の細い黒線、灰色線はそれぞれ水温、塩分、(b) の太い黒線はポテンシャル密度偏差、(c) の灰色線は硝酸塩濃度を表す。
私たちは観測により、地形によって駆動される大きな乱流鉛直フラックスの存在をつかみました。しかし、1回の船舶観測からでは、これが下流域の植物プランクトン生産にどのような影響を及ぼしているかまで明らかにすることは容易ではありません。そこで、私たちはJAMSTEC 地球環境部門 むつ研究所が 2014年から継続して運用・観測しているHFR による海表面の流速データに着目しました。津軽暖流が地形を乗り越え、顕著な乱流鉛直フラックスが生じる際に、地形の下流側(東側)に、表層流速の「発散」、すなわち「湧き出し」が起こる領域が生じることに着目したのです(図4)。ただし、海洋内部の鉛直的な流速は水平的な流速よりもはるかに小さいため、観測から両者を比較することは容易ではありません。そこで私たちは、海洋内部の状態と海面付近の状態を結びつけて理解するため、JAMSTEC 付加価値情報創生部門 アプリケーションラボが地球シミュレータを用いて計算した海洋データ同化モデル JCOPE-T DA の出力を利用しました(図5)。これにより、夏季〜秋季の成層が強い(鉛直的な密度差が大きい)時期には、津軽暖流が地形を乗り越える際に、不安定が生じやすく、その尾根の下流(東側)で数10〜100m 付近の深度に上昇流が生じ、表層が「湧き出し」域になることを確認しました。これらの情報をもとに、HFR の長期のモニタリングデータと、人工衛星によって得られる、植物プランクトン分布の指標である海面クロロフィルa分布の長期データを比較することによって、地形性駆動の栄養塩乱流鉛直輸送が、どの程度の領域に、どのような影響を及ぼすかを検討しました。
図4. 海洋短波レーダ (HFR) による表層流速およびその「発散」(湧き出し)の分布(暖色が発散、寒色が収束を表す)。(a) 2020年12月から2021年6月、(b) 2021年6月から12月の平均値。マゼンタの線は 2021年8月の観測点。シアン色の四角は「発散」(湧き出し)の指標値 (divES) を計算した領域。
図5. (a) および (b): 海洋データ同化モデル JCOPE-T DA による、2019年の表面流速およびその「発散」(湧き出し)。(a) 1月-6月および12月の平均値、(b) 7月-11月の平均値。シアン色の波線は (c) および (d) の鉛直断面緯度を示す。(c) および (d): 水温(色)および密度偏差(灰色線)、鉛直流(黒線)。(c) 1月-6月および12月の平均値、(d) 7月-11月の平均値。実線が上向流、破線が下降流を示す。なお2019年を利用したのは先行研究において、観測値との検証を行ったデータであることに基づく文献4。
その結果、津軽ジャイアー領域の広い範囲において、尻屋崎沖地形の狭い領域の表層流の湧き出し強度とクロロフィルa濃度の間に有意な正の相関があることを確認しました(図6)。また私たちは JCOPE-T DA の出力を用いた粒子追跡実験を行い、尻屋崎沖で栄養塩の付加を受けた水が、どの程度の時間スケールで、どこまで広がるかについても検討を行いました。この時空間スケールの情報をもとに、水温や日射量などの様々なファクターから見積もった生物生産量と、観測された硝酸塩乱流鉛直フラックスの推定値を検討し、観測されたフラックスが現実的に津軽ジャイアー内の生産を支え得るレベルであることを示しました。これらの解析により、津軽ジャイアーという広い領域の生物生産を支える鍵領域が、尻屋崎沖海底地形を津軽暖流が横切る、ごく狭い領域であることを突き止めました。この領域が、あたかも「涸れない泉」のように栄養の湧き出す場所となって、広い領域の生産に寄与していたのです。
図6. 尻屋崎沖海底地形の表層「発散」(湧き出し)とクロロフィルa濃度についてのラグ1日の相関マップ(2014年から2022年までの8月と9月のデータを利用。ただし2015年についてはHFR データ不良につき除く)。(a) 尻屋崎沖地形の東側 (41.65°N–41.70°N, 141.60°E–141.65°E) の領域で計算した発散 (divES) のケース。(b) 地形の西側 (41.65°N–41.70°N, 141.50°E–141.55°E) における領域で計算したケース。ラグ1日は移流による効果を加味。矢印は 2014年から2021年の8月、9月の表面流速の平均分布。灰色の線は地形を表す。
本研究により、数100kmスケールに及ぶ大きな海洋構造における生物生産について、ごく狭い領域が大きな影響力を有する事例が存在することが明らかになりました。津軽ジャイアー内の生物生産を支える鍵領域が特定されたことで、私たちは次のステップに進む時に、どこに着目すれば良いのか、大きな手がかりを得たことになります。
上に述べたように、乱流強度は大きな時空間変動を示すため、より精度の高い見積もりを行うためには、さらなる観測が必須です。鍵領域に集中した観測を行うことで、限られた時間やその他のリソースの中で、より精度良く、効率的に研究を深化させていくことができると期待されます。また他海域においても、このような鍵領域の特定は重要な課題となると考えられ、同様の事例に関するモデルケースとなるものと考えられます。津軽海峡の事例に話を戻せば、津軽暖流の中長期的な勢力変化の影響や、継続的・安定的な栄養塩類の供給システムの存在が津軽ジャイアー内の生物相にどのような影響を及ぼすのか、といった点など、明らかになっていない課題はまだまだ多くあります。今後も HFR によるモニタリング、青森県むつ市を船籍港とする北極域研究船「みらいⅡ」や、岩手県大槌町を船籍港とする東北海洋生態系調査研究船「新青丸」などの船舶による観測、JCOPE シリーズ等の数値モデルを用いた解析など、継続的・多角的なアプローチによる研究が、これらの解明にとって重要になります。上記のアプローチを通じて、複雑で多様な豊かな津軽海峡から三陸沖の海洋環境や生態系変動の理解の促進につながることが期待されます。
Conlon, 1982, La Mer,20, 60–64.
Kaneko et al., 2021, Geophys. Res. Let. 48,e2021GL092909., DOI:10.1029/2021GL092909
Tanaka et al., 2021, J. Oceanogr. 77, 215–228. DOI:10.1007/s10872-020-00588-w
Kaneko et al., 2022, Prog. Earth and Planet. Sci. 9, 53 DOI:10.1186/s40645-022-00509-z
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