無細胞タンパク質合成系(無細胞系)
試験管の中でDNAの持つ遺伝情報からタンパク質を合成するバイオ技術。
VHH (Variable domain of Heavy chain of Heavy-chain antibody) 抗体
ラクダ科動物特有の重鎖抗体の可変領域を利用した小さい抗体。
リポソーム
水と油の性質を持つリン脂質が自発的に形成する球状の二重膜構造。
イムノリポソーム
リポソームの表面に抗体が結合したもの。
国立研究開発法人海洋研究開発機構(理事長 大和 裕幸)超先鋭研究開発部門の車 兪澈 主任研究員らのグループは、ジーンフロンティア株式会社、東京科学大学 総合研究院 細胞制御工学研究センター 丹羽 達也 助教と共同で、試験管内で合成した抗体タンパク質を脂質修飾し、脂質ナノカプセル(リポソーム)の表面に固定化する技術を開発しました(図1)。この方法は培養細胞などを使用しないため、これまでの技術では通常数週間から数ヶ月間かかっていた工程をわずか2日間で完了することができます。また抗体だけではなく、原理上全ての水溶性タンパク質をリポソームの表面に結合させることができます。この方法で低分子抗体(VHH抗体)を合成してリポソーム上に固定すると、ターゲット抗原を表面に持ったがん細胞に特異的に結合することが実証されました。リポソームは抗がん剤や遺伝子を膜構造のカプセルの中に封入することができるため、遺伝子治療や特定の細胞に薬剤を届けるドラッグデリバリーシステムなどへの応用が期待できます。
本成果は、「ACS Synthetic Biology」に6月20日付け (日本時間)で掲載されました。なお本研究は、日本学術振興会 科学研究費補助金(課題番号:24K02000, 24H02287, 21H05156, 20K06519)、JST CREST(課題番号:JPMJCR18S6)、Human Frontier Science Program (HFSP, Grant Number: RPG0029/2020) の支援を受けて実施されました。
Lipid modification and membrane localization of proteins in cell-free system
図1 本研究で開発した無細胞系の概要図. 再構築型の無細胞系PURE systemで合成したVHH抗体はTEVプロテアーゼでトリミングを受けた後、 ミリストイル基転移酵素によりミリストイルCoA(脂質源)またはパルミトイルCoAから脂質を修飾される。 これにより疎水的相互作用が働きリポソーム表面に固定される。抗体を固定したリポソームは標的となるがん細胞に結合する。
タンパク質や抗体、mRNAなどのバイオ素材を使った新しいモダリティ(診断や治療の手法)は、がんなどの難治性疾患の新たな治療法として注目されています。なかでも「リポソーム」と呼ばれる人工的な脂質のカプセルは、薬を内包して体内に運ぶ“ドラッグキャリア”として広く研究されています。このリポソームが特定の細胞のみを認識して中の荷物を届けるには、リポソームの表面に標的細胞を認識するタンパク質や抗体などの機能性分子を固定する必要があります。しかし、固定するタンパク質を、培養細胞などを利用して入手するプロセスに時間がかかるなど技術的に煩雑なプロセスを要することが問題でした。そのため、一度に多種類のタンパク質を固定化するための並列作業が行えないという課題もありました。
これに対し本研究グループは、細胞を一切使わずに抗体タンパク質を合成し、それをナノサイズのリポソームの表面に高効率で固定する技術を開発しました。この技術により、がん細胞など特定の細胞だけに結合する“機能性リポソーム”を、試験管の中だけで作ることが可能となります。
この技術の鍵となるのは、無細胞タンパク質合成系(PUREシステム)と呼ばれる手法です(文献1)。これは大腸菌由来の翻訳因子など、最小限の要素を純粋に再構成してつくったタンパク質合成のための試験管内システムで、細胞そのものを使わずにタンパク質を合成できます。本成果の研究チームは、PUREシステムに脂質化を促す酵素と脂質源(ミリストイルCoA)を加え、タンパク質合成とその脂質化を短時間で行えるシステムを構築し、2023年に発表しました(文献2)。脂質化されたタンパク質は人工脂質膜に移動する結果も得られましたが、その効率は低く合成したタンパク質の20%ほどしか脂質膜に局在しないという結果でした。この効率を上げるために、今回我々は脂質化されるタンパク質の構成を改良しました。また、脂質化した抗体タンパク質をリポソーム膜に結合させ、標的である乳がん細胞に特異的に結合することを実証しました。
まず、合成するタンパク質の上流に合成効率を上げるためのアミノ酸配列とプロテアーゼ(タンパク質中のペプチド結合を切断するハサミのような酵素)で切断される配列を改良しました(図2A)。合成したタンパク質にTEVプロテアーゼが反応すると上流の余計な配列が除去され、脂質化酵素が認識できる配列が剥き出しになります。この領域に脂質化酵素が反応することで、ミリストイルCoAの脂質部分をタンパク質の先端(N末端側)に結合します(図2A)。この仕組みにより、ほぼ100%の効率でタンパク質を脂質化することができます。しかし、残念ながら脂質化したタンパク質はそのままではリポソーム表面に固定化されませんでした。この問題を解決するため、脂質化部位の下流側にプラスの電荷を持つアルギニン(タンパク質をつくるアミノ酸の一種)の連続配列を挿入しました。このポリアルギニンの挿入により、脂質化されたタンパク質の先端がプラスに帯電します。その結果、脂質化タンパク質がリポソーム表面に固定されることが確認できました(図2B)。また、パルミトイルCoAを基質として用いることで、より疎水性の高い脂質(C16:0)が結合し、高効率にタンパク質をリポソームに固定化することができました。
図2 脂質化タンパク質のリポソーム膜への固定化。 (A)脂質化タンパク質の配列設計。ポリアルギニン配列(PolyR)はRRR(R3), RRRRRR(R6), Rなし(R0)をテストした。それぞれのタンパク質はポリアクリルアミドゲル電気泳動法(SDS-PAGE)により解析した。(B)リポソームが存在する条件でのタンパク質(sfGFP)の脂質化と、リポソーム膜への局在化効率を示す。
この方法により、抗HER2-VHH抗体をリポソーム表面に固定しました。解析の結果、80%以上のVHH抗体タンパク質がリポソーム表面に固定化されたこと(図3A)、また約2,000分子のVHH抗体が直径100nmのリポソーム表面に結合しているということがわかりました。その後、抗HER2-VHH抗体を固定化したリポソームと乳がん細胞を反応させたところ、HER2タンパク質を細胞表面にもつ乳がん細胞のみに強く結合している様子が観察されました(図3B)。反対に、HER2タンパク質を持たない細胞には全く結合していませんでした。これらの結果から、PUREシステムで合成され脂質化されたVHH抗体は抗原結合能を維持した状態でリポソーム膜に固定化され、標的となる細胞のみに結合することが実証されました。VHH抗体の合成から標的結合型リポソームの生産までわずか2日で完結できることが本手法の大きな利点です。
図3 脂質化したAnti-HER2 VHH抗体を固定化したリポソームと選択的な乳がん細胞への結合。(A)リポソームが存在する条件でVHH抗体を脂質化した後、密度勾配遠心法によりリポソームを単離しVHH抗体タンパク質の共局在を調べた。Fraction (Frac.) 1と2がリポソーム画分。グラフ下はVHH抗体タンパク質をゲルで検出した結果。膜局在化率は全タンパク質中のFrac.1+2の割合を算出して得た。グラフ上は反応後のリポソームのモデル図 (B)AのリポソームをHER2を細胞表面に持った乳がん細胞と反応させて顕微鏡で観察した。リポソーム膜はRhodamine色素で染色。
本研究で開発された「無細胞タンパク質合成と脂質修飾によるリポソーム機能化技術」は、さまざまな分野への応用が期待されます。例えば、リポソームに抗がん剤を内包させることで、正常細胞への影響を抑えながらがん治療効果を高める、次世代の抗体修飾型薬剤キャリアとしての応用が見込まれます。また、siRNAやmRNAを封入することで、遺伝子発現を制御するような治療法やワクチンの開発も視野に入っています。さらに本技術は、遺伝子組換えや細胞培養に伴う時間的・法規制的なハードルを回避できるという点で、バイオ医薬品製造の新たなプラットフォームとしても利用価値が高いと言えます。簡易性・純度・スピードに優れることから、創薬スクリーニングやバイオセンサー開発、合成生物学的研究にも展開が可能です。現時点では、脂質修飾がN末端(タンパク質の先頭)に限定されるという制約がありますが、今後は他の修飾酵素の導入などにより、C末端(タンパク質の最後尾)や中間領域への脂質化などより柔軟なタンパク質デザインが可能になると期待されます。
本研究で示された「細胞を使わずに、膜機能を持つスマートカプセルを自在に作り出す」というコンセプトは、生命科学・医療・材料科学を横断する新しい技術基盤として今後ますます応用が期待できます。
Y. Shimizu, et al., 2001, Cell-free translation reconstituted with purified components, Nature Biotechnology, 19:751-755, https://doi.org/10.1038/90802
R. Matsumoto, et al., 2023, Regulated N-Terminal Modification of Proteins Synthesized Using a Reconstituted Cell-Free Protein Synthesis System, ACS Synthetic Biology, 12:1935-1942, https://doi.org/10.1021/acssynbio.3c00191
本研究のお問い合わせ先
報道担当