国立研究開発法人海洋研究開発機構(理事長 大和 裕幸、以下「JAMSTEC」という。)地球環境部門 地球表層システム研究センターの杉江恒二 副主任研究員、University of StrathclydeのBingzhang Chen上級講師、JAMSTEC地球環境部門 北極環境変動総合研究センターの西野茂人 主任研究員および北海道大学大学院水産科学研究院の平譯亨 准教授(当時、現:情報システム研究機構 国立極地研究所教授)との共同研究により、環境変化に対する北極海のプランクトン群集の影響を調べました。
2017年の海洋地球研究船「みらい」および2018年の北海道大学練習船「おしょろ丸」航海において現場のプランクトン群集を採取し、船上に設置した水槽で水温と二酸化炭素濃度を操作した培養実験を実施しました(図1)。その結果、昇温によって植物プランクトンの増殖速度が加速し、その加速度は従来理論と比較して、10 µm以上の大型植物プランクトンで平均8.8倍、それより小さい小型植物プランクトンで平均4.7倍大きいことを発見しました。また、二酸化炭素濃度の上昇は、大型植物プランクトンの増殖を抑制する一方で小型植物プランクトンの増殖速度を加速させることも初めて解明しました。
微小動物プランクトンの摂餌速度は植物プランクトンの増殖速度を超えることがほとんどなく、また植物プランクトンの増殖速度と相関していました。室内実験による従来の理論では、動物プランクトンは、昇温による代謝速度の上昇率が植物プランクトンより大きいといわれていましたが、自然環境では餌不足であり、餌環境に依存していることを示唆しています。また、二酸化炭素の増加が直接的に微小動物プランクトンの動態に影響しないことも明らかにしました。
これらの結果は,微小動物プランクトンは環境変化に対して堅牢性が高いものの、植物プランクトンが影響を受けることで高次栄養段階生物の生産量が減ることを示唆します(図2)。北極海は、海氷の後退や温暖化などの環境変化が世界で最も劇的に変わっている海域です。本研究は、環境変化に対する現場のプランクトン群集の応答性を理論的に解明したものであり、劇的に変化する北極の生態系の現在~将来像を予測する上で重要な発見です。
本成果は「Scientific Reports」に8月20日付け(日本時間)で掲載されました。また、本研究は文部科学省の北極域研究加速プロジェクト (ArCS Ⅱ: JPMXD1420318865)および科学研究費助成事業(15K21683)の支援を受けて実施されたものです。
Temperature and CO2 alter trophic structure of Arctic plankton assemblages
図1. 2017年と2018年,それぞれの航海で実験を行った観測点(左)。右写真の右端の緑のカバーでおおわれた温調器で2つの培養水槽の水温を現場水温と現場水温+4℃に保持している。
図2. サイズの異なる植物プランクトンを起点とする生態系ピラミッドの概略図(左)。本研究により、将来起こり得る温暖化と海洋酸性化によって左図の右側に示す小型植物プランクトンが優占し、高次栄養段階生物(Top predator)が減る可能性が示唆された。右側は大型・小型植物プランクトンおよび微小動物プランクトンの顕微鏡画像。
地球の環境変化の影響を最も強く受けて水温の上昇や海氷の融解が起こっている北極海において、劇的な環境変化が生態系に及ぼす影響を解明することは急務の課題です。大気の二酸化炭素濃度(CO2)の上昇は、温暖化を通じて海面水温を上昇させるとともに海水に溶解した二酸化炭素によって弱アルカリ性の海水が酸性側に近づく、いわゆる海洋酸性化の問題も引き起こしています。過去の我々の研究によって、北極海における温暖化と海洋酸性化の相互作用によって植物プランクトン群集の中で小型のものが優先して増えてくることを明らかにしました(Sugie et al., 2020)。しかしながら、先の研究結果は、生態系という複雑系における環境変化が、小型植物プランクトンに有利になったのか、あるいは捕食者側に変化が起きたのかなど、生態系の構成員毎の応答が未解明であり、生態系が変化するメカニズムの解明が課題でした。生物は多様であり、結論が発散しがちな生態系の研究を理論的に解釈するために、生態系を構成する機能の異なる生物群(植物・動物や大きい・小さいなどの違い)ごとの影響を評価するための新たな実験手法を開発し、現場海域での実践研究によって環境変化がプランクトン生態系に及ぼす影響を把握する必要がありました。
本研究では、植物プランクトンの増殖速度と微小動物プランクトンの捕食速度の両方を分離して解析可能な2点希釈法(Chen, 2015)を応用し、現場水温(LT)、現場水温+4℃の昇温区(HT)、二酸化炭素添加区(LTHC)、および、昇温と二酸化炭素を添加する実験区(HTHC)の合計4系連動して行うことで各環境パラメータが機能の異なる各生物群に及ぼす影響を把握することを可能としました。さらに、10 µm以上とそれ以下にサイズ分けをすることで、生態系の高次栄養段階への影響が大きいサイズ組成(図2)に及ぼす影響も調査可能な実験系を構築しました。本実験法により,生態系内で様々な機能を有する生物部群集,それぞれの機能群集に対する複数の環境影響評価を行うことを世界で初めて可能としました。
本研究は,CO2濃度の上昇が大型植物プランクトンの増殖には阻害要因、小型植物プランクトンには促進要因として働くこと、微小動物プランクトンは環境の変化の直接的な影響をほとんど受けず、環境の変化に影響を受けた餌となる植物プランクトンの動態から間接的な影響を受けることを明らかにしました。すなわち、Sugie et al. (2020)で見られた傾向は、環境の変化に対する植物プランクトンの動態が鍵を握っていたといえます。そのメカニズムは以下のとおりです。
北極海の植物プランクトンは、海水温を上昇させると増殖速度※1 が高まり、現場CO2の条件では大型、小型の植物プランクトン共に1℃上昇するごとに約0.1 day−1加速しました(図3上段,※2)。この上昇速度は、室内実験により導き出された従来の理論と比較して、10 µm以上の大型植物プランクトンで平均8.8倍、それより小さい小型植物プランクトンで平均4.7倍大きく、北極の植物プランクトンが温度変化に対して非常に敏感であることを意味します。この上昇率はCO2濃度によって変化し、CO2濃度が高い時に昇温させたとき,大型植物プランクトンは有意に低下、小型植物プランクトンは反対に有意に上昇する傾向が見られました(図3)。CO2の増加に対する応答の平均値は−0.019~0.023 day−1 100 µatm CO2−1(※2)と温度と比較すると影響は小さいものの、大型植物プランクトンは高水温の時にCO2濃度が上がると増殖速度が低下すること、反対に小型植物プランクトンは高水温の時にCO2濃度が上がると増殖速度が上昇する傾向を明らかにしました(図3)。すなわち、北極海で水温とCO2濃度が共に上昇すると、大型植物プランクトンと比較して小型植物プランクトンの生存に有利に働くことが考えられます。
図3. 昇温(上段)とCO2増加(下段)による植物プランクトンの増殖速度の変化。
微小動物プランクトンの摂餌速度※3 も植物プランクトンと同様に温度やCO2濃度によって変化する傾向が見られましたが、この背景には植物プランクトンの増殖速度と微小動物プランクトンの摂餌速度が相関していることが要因と考えられました。特に、CO2濃度上昇に対する微小動物プランクトンの応答については未解明であったため、温度変化に伴う植物プランクトンの変化の影響を排除するように基準化し、CO2の影響について抽出して解析しました。その結果、CO2濃度の上昇は微小動物プランクトンの摂餌の活性に直接的な影響を与えないことを世界で初めて解明しました(図4)。すなわち、微小動物プランクトンの摂餌の活性は、環境の変化に影響を受けた植物プランクトンの増殖が制御しており、環境の変化は間接的な要因と考えられます。
図4. 餌環境(昇温による植物プランクトンの増殖速度の上昇)の影響を基準化したときの微小動物プランクトンの摂餌速度を、現場CO2の時と高CO2の時で比を取った値。大型・小型植物プランクトン共に1と統計的に違わず、CO2の影響がないことを意味する。
微小動物プランクトンが環境変化に臨機応変に対応していることは、生態系の堅牢さを示すものですが、大きさの異なる植物プランクトン、それぞれに異なる影響が出ると生態系のバランスが崩れます。生態系ピラミッドにおいて、食う-食われるの関係が1回起こると、捕食者側の代謝等で消費されるために約90%のエネルギーが消失します。すなわち、小型植物プランクトンから始まる生態系は、生態系ピラミッドの栄養段階の数(=食う-食われるの回数)が多いため、一次生産のエネルギーが高次栄養段階生物に伝わる効率が悪いといえます(図2左)。本研究は、北極海において二酸化炭素濃度の上昇による温暖化が進行すれば、大型植物プランクトンが減少し、小型植物プランクトンが繁栄することで高次栄養段階生物の量が減ってしまう可能性を示唆します。
増殖速度
単細胞生物のプランクトンは細胞分裂で倍-倍と指数関数的に増えるため、1日に増えた細胞の数や生物量そのものは、例えば1~2日目と3~4日目では異なるので、速度として採用できません。そこで各サンプリング時の細胞数や生物量の対数(loge)の差分を培養時間(本研究では1日当たり:day−1)で除したものを増殖速度としています。正確には,比増殖速度と表されます。
増殖速度は、水温を1℃あたりの変化、CO2を100 µatmあたりの変化とすることで,水温とCO2、それぞれ異なる環境要因の変化に対するプランクトンの反応をほぼ同じ規模で比較可能としました。これは、大気CO2濃度が約370 ppmの2000年から2100 年に750 ppmに達した時の地球温暖化が+4℃になる将来予測の結果に基づいています。
摂餌
動物プランクトンの餌を食べる様式は多岐にわたるため、捕食や採餌のように捕らえる、採りに行くような漢字を当てず、摂餌と表します。
本研究で新たに構築した培養法により、生態系で機能の異なる構成員の環境変化に対する動態を評価することが可能となりました。海域毎に問題となる環境要因は異なるので、それぞれの海域の影響評価に本研究の手法が応用されれば、生態系の機能とその変化について解明することが可能となります。また、生態系の研究は、しばしばそれを構成する生物種が非常に多様であるが故に結論が発散しがちですが、生態系における機能毎に理解し、理論的に解釈していく本研究のような試みは非常に重要です。今後は、北極海以外の海域でも実験を重ね、実際の環境から得られたデータに基づく生態系の理論を構築し、複雑系である海洋生態系を可能な限り単純化・数式化し、シミュレーションによる将来予測の高度化に貢献していきます。
Chen, B. Assessing the accuracy of the “two-point” dilution technique. Limnol. Oceanogr. Methods 13, 521–526 (2015).
Sugie, K., Fujiwara, A., Nishino, S., Kameyama, S. & Harada, N. Impacts of temperature, CO2, and salinity on phytoplankton community composition in the western Arctic Ocean. Front. Mar. Sci. 6, 821 (2020).