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未来の海では貝が育たない? ―酸性化が進んだ"海の脅威"を数値化し、貝類幼生への影響を予測―

2025.09.18
国立研究開発法人海洋研究開発機構

1. 発表のポイント

  • 海洋酸性化の進行により、貝類やサンゴなどの石灰化生物※1 への影響が危惧されている。石灰化生物の殻は非常に微小であるために海洋酸性化の影響を数値化して定量的な評価をすることがこれまでできなかった。
  • 本研究では、0.1 mm程度の微小な石灰質の殻をもつ巻貝の幼生を、海洋酸性化が進行した棲息環境を模した環境下で飼育し、高解像度マイクロフォーカスX線CT装置(MXCT)※2 を用いて幼生の貝殻を三次元的に測定した。その結果、形成される貝殻が薄くて小さく、密度が低くなることを世界で初めて精密に数値化することに成功した。
  • また、貝殻形成に関わる遺伝子の発現領域が縮小することも明らかにした。これは、貝殻自体への影響だけでなく、生体応答を含めた海洋酸性化が生物に与える影響を総合的に理解するうえで大きな成果である。
  • 本研究の手法は巻貝以外の二枚貝やサンゴなど石灰質の殻や骨格を持つ生物にも応用が可能であり、今後の環境影響の評価や海洋保全、水産資源の管理において新たな展望を切り拓くことが期待できる。
図1

図1.幼生の貝殻の“殻密度”を測る技術で将来を予測

用語解説
※1

石灰化生物
海に溶けている炭酸イオン(CO32-)とカルシウムイオン(Ca2+)を利用して、石灰質の骨格や殻などの硬い組織を形成する生物。

※2

マイクロフォーカスX線CT(MXCT)
マイクロサイズの微小な物体に対して全方向からX線を照射することで物体の透過画像を取得し、それらをコンピュータ上で再構成することにより物体の表面から内部の形態情報を3次元で詳細に明らかにすることができる顕微鏡。

2. 概要

地球温暖化と並行して進行する「海洋酸性化」は、海の生態系に深刻な影響を及ぼすことが懸念されています。海洋酸性化は海水のpHの低下だけでなく、「アラゴナイト飽和度(Ωaragonaite [オメガ])※3、※4)」の低下を引き起こします。アラゴナイトは炭酸カルシウムの結晶のひとつで、「アラゴナイト飽和度」の値が1以上の時はアラゴナイトが過飽和の状態、1未満の時は未飽和の状態を示し、生物がアラゴナイトの殻や骨格をどのくらい作りやすいかを示す指標として使われています。そのため、アラゴナイト飽和度が低下すると、生物がアラゴナイトの殻や骨格を作りにくくなってしまうことが知られています。しかし、アラゴナイトの殻を持つプランクトンや貝類の幼生といった“初期発生段階”での影響については、成体に比べて殻が非常に微小(大きさが0.1 mm程度、厚みは数µm[マイクロメートル※5]程度)であるため、これまで精密に定量的な評価をすることが困難とされてきました。

このような課題に対し、国立研究開発法人海洋研究開発機構(理事長 大和 裕幸、以下「JAMSTEC」という。)地球環境部門 地球表層システム研究センターの清水啓介副主任研究員、木元克典グループリーダー代理、むつ研究所の脇田昌英副主任研究員は、東京大学総合研究博物館の佐々木猛智准教授との共同研究により、高解像度MXCTや走査型電子顕微鏡(SEM)※6 を用いて貝類の幼生の貝殻の形態解析と、遺伝子発現解析を行いました。その結果、アラゴナイト飽和度の低下が、アラゴナイト結晶で作られるわずか0.1 mm程度の極微小な貝殻の成長や構造にどのような影響を与えるかを人間の“骨密度”に相当する新たな指標(殻密度)で可視化・定量化することに世界で初めて成功しました。また、貝殻自体への直接的な影響だけでなく、幼生の貝殻形成に関わる遺伝子の発現領域にも影響を及ぼす可能性が示されました。この成果は、温暖化や酸性化などの環境変化による貝類やサンゴなどの石灰化生物への影響予測に役立ちます。

本成果は、Journal of Molluscan Studiesに2025年9月18日付(日本時間)で掲載されました。なお本研究は科学研究費補助金(科研費)(JP23H02299)の助成のもと実施されました。

論文情報
タイトル

A window into the effect of ocean acidification on molluscan larval shell development using quantitative approach

著者
清水啓介1、 木元克典1、 脇田昌英2、 佐々木猛智3
所属
  1. 海洋研究開発機構地球環境部門地球表層システム研究センター
  2. 海洋研究開発機構地球環境部門むつ研究所
  3. 東京大学総合博物館
用語解説
※3

アラゴナイト
炭酸カルシウム(CaCO3)は結晶構造の異なる、アラゴナイト(あられ石)、カルサイト(方解石)、バテライトの3種類が存在する。貝類の幼生の貝殻はアラゴナイトからなるが、成体の貝殻にはアラゴナイトまたはカルサイトが含まれ、生物種によって貝殻に含まれる炭酸カルシウム結晶の種類が異なっている。

※4

アラゴナイト飽和度(Ωaragonite)
海水中のアラゴナイトの飽和度を示す値で、1以上であれば過飽和、1未満であれば未飽和の状態を示す。そのため、この数値が高いほど生物は炭酸カルシウム(アラゴナイト)の殻を作りやすく、低いほど作りにくくなる。海洋酸性化の程度を示す指標としてpHとは別に用いられる。

※5

マイクロメートル (µm)
1ミリメートル (mm) の1000分の1の長さの単位

※6

走査型電子顕微鏡(SEM)
電子ビームを試料表面にあてて得られる信号をもとに、ナノメートル(100万分の1ミリ)単位の微細な構造を立体的に観察できる顕微鏡

3. 背景

人類の活動によって排出される二酸化炭素は、地球温暖化を引き起こすだけでなく、海洋の化学的な性質にも大きな影響を与えています。大気中の二酸化炭素(CO2)は海水に溶け込むと、水(H2O)と反応して炭酸(H2CO3)を生成し、さらにそれが解離して水素イオン(H+)が生じることで、海水のpHが低下します(図2)。この現象は「海洋酸性化」と呼ばれており、現在、世界中の海でその進行が確認されています文献1。しかし、海の豊かな生物資源を食物連鎖の底辺で支えている海洋プランクトン、特に、石灰質(炭酸カルシウム)の殻をもつ動物プランクトンへの海洋酸性化の進行による影響については研究例が極めて少なく、その実態は明らかになっていません。

図2

図2.海洋酸性化のしくみ
大気中のCO2が海水に溶け込むと、水と反応し水素イオンを発生する。この水素イオンが海水のpHを低下させる。

海洋生物がつくる石灰質の殻は、海水中のカルシウムイオン(Ca2+)と炭酸イオン(CO32-)から構成されています。海水のpHが低下し酸性側に傾いていくと、殻の材料となる海水中の炭酸イオンは炭酸水素イオン(HCO3-)へと変化し、炭酸イオンの濃度が減少します。その結果、炭酸カルシウム(CaCO3)飽和度Ω(値が1以上の時は炭酸カルシウムが過飽和、1未満の時は未飽和の海水の状態を示す指標)が低下し、石灰質の殻を形成しづらくなる、すでに形成された殻が溶けるといった現象が引き起こされます。石灰質の殻が十分に形成されないことで、外敵に捕食されやすくなったり、感染症にかかりやすくなったりするなど、生物の生理生態に対して様々な悪影響を及ぼす可能性が危惧されています文献2。特に、貝類幼生の貝殻の炭酸カルシウムはアラゴナイト結晶からなり、他の炭酸カルシウムの結晶に比べて海水に溶けやすいため、私たちはアラゴナイト飽和度(Ωaragonite)の変化による貝類幼生への影響に着目して、実験を行うことにしました (図3)。

図3

図3.青森県むつ市(関根浜)で採集したクサイロアオガイ
クサイロアオガイ(図左)をひっくり返して観察すると、名前の由来にもなっているように、きれいな青緑色(草色)をしている(図右)。オスとメスを採集し、実験室内で人工授精を行って、実験を行った。

実際に、日本の沿岸、津軽海峡において、10年以上にわたる海洋観測の結果から、海洋酸性化の進行が確認されています。図4は、クサイロアオガイを採集した青森県むつ市・関根浜における、アラゴナイト飽和度(Ωaragonite)の観測結果(青線)と、最も値が低くなる2月のデータ(赤線)です。この図からも分かるように、季節変化を伴いながらも、Ωaragoniteは全体として低下傾向にあり、冬季(2月)に最も低くなります。このまま酸性化が進めば、今世紀末には、炭酸カルシウムの中でも特に溶解しやすいアラゴナイト結晶が作りにくい海水環境、すなわちΩaragoniteの値が1を下回る状態(Ωaragoniteが1以上の時はアラゴナイト結晶が過飽和、1未満の時は未飽和の海水の状態)に至ると予測され、アラゴナイト結晶の殻を持つ生物への影響が懸念されています。

図4

図4.クサイロアオガイを採集した青森県むつ市(関根浜)での海洋酸性化の進行
10年にわたる海洋のモニタリングの結果、アラゴナイト飽和度(Ωaragonite)(青線)が徐々に低下していることが明らかとなった。文献3 (細青線:Ωaragoniteの毎週の観測結果、太青線:Ωaragoniteの年平均の低下傾向、細赤線:2月の低下傾向)

また、将来予測される低Ωの海水環境の模擬的な飼育実験では、石灰質の殻をもつウニやカキなどの幼生で、成長が著しく阻害されるという報告例があります文献4。つまり、貝類やウニなどの石灰化生物の幼生期(初期発生段階)は、海洋酸性化に対して感受性が高く、殻の形成や発達が妨げられることで、個体の生存だけでなく将来の個体群維持にも深刻な影響を与えるおそれがあります。しかしながら、従来の手法では微小な殻の密度や構造変化を定量的に比較することが難しく、種や発達段階間の影響を把握する上で大きな障壁がありました。

4. 成果

本研究では、日本国内の潮間帯に広く分布する巻貝の仲間であるクサイロアオガイ(Nipponacmea fuscoviridis)(ヒメカサガイ属の一種)を青森県むつ市(関根浜)や茨城県ひたちなか市(平磯海岸)で採集し(図3)、実験室内で人工授精を行い、異なる炭酸アラゴナイト飽和度(Ωaragonite)の海水環境下で受精卵から幼生期に至るまでの間、飼育する実験を行いました。その後、JAMSTECが独自開発した高解像度MXCT装置(図5)を用いて、幼生の貝殻の厚さ・体積・密度をマイクロメートルスケールで三次元的に測定しました。さらに、SEMによる貝殻の表面構造観察や、貝殻形成に関与する遺伝子発現領域を染色する手法(in situハイブリダイゼーション法)で可視化しました。

図5

図5. 微小な貝殻を精密に分析可能なマイクロフォーカスX線CT

その結果、海洋酸性化を模倣した環境では以下のような影響が明らかになりました:

  • 幼生が作る貝殻が非常に小さくなった(図6)。
  • 貝殻の表面にみられる規則的な稜や模様が消失し、穴が開くなど表面構造が不明瞭となった(図6 電子顕微鏡像)。
  • 貝殻の厚さが約40%、貝殻中の炭酸カルシウムの密度が約30%減少し、貝殻全体が薄く脆弱な構造となった(図6 MXCT像)。
  • 貝殻を形成する領域(貝殻形成に関わる遺伝子が発現する領域)が約30%縮小した(図7)。

本研究により、貝類幼生における貝殻形成の成否が、海洋酸性化による海水の変化に極めて敏感に反応し、海洋酸性化が進行した海水では非常に脆く不健全な貝殻を作ることしかできなくなる可能性が示されました。従来の光学顕微鏡や電子顕微鏡による観察では、非常に微小な貝殻への影響について定性的な評価をすることしかできませんでしたが、高解像度MXCT装置を用いることで、貝殻の大きさや厚み、密度への影響を、非破壊かつ高精度に定量し、数値化することができることが示されました(図6)。

さらに、貝殻を形成する細胞で発現している遺伝子を染色することで、実際に貝殻を作っている細胞で囲まれた領域が小さくなることが明らかになり、貝殻だけでなく貝殻を作る場所への影響がある可能性が示されました(図7)。

本研究では、2023年にJAMSTECが開発した殻の精密分析技術文献5を活用し、進行しつつある各海域での海洋酸性化が海洋生物の殻形成に及ぼす影響を定量的に明らかにしました。さらに、遺伝子レベルでの影響評価と組み合わせることで、将来の海洋環境変化に対する生物の応答を予測する研究への展開が期待されます。

図6

図6. 海洋酸性化実験による貝殻への影響
青森県むつ市(関根浜)でのモニタリング結果(図4)から試算される、約100年後(2130年頃)の冬季の海洋環境を模した飼育実験により、幼生の貝殻が小さくなり、貝殻の厚みが約40%程度、貝殻の炭酸カルシウム密度が約30%程度低下する可能性が示された。(図右下のスケールは40マイクロメートル)
pHの低い海水中で飼育された貝殻は、非常に脆くなることが確認され、成長も不健全であることが明らかとなった。このような環境下では、貝類の生存が著しく困難になる可能性がある(図中のpHは本実験で使用した値)。
本手法の導入により、従来の光学顕微鏡や電子顕微鏡による観察では困難であった貝殻への影響を、定量的に評価し、正確に数値化することが可能となった。

図7

図7.海洋酸性化実験による貝殻を作る細胞領域への影響
貝殻を作る細胞を可視化するため、貝殻の材料として使われるキチンを合成する酵素(キチン合成酵素)遺伝子を染色した(上段の赤矢印)。(図右下のスケールは20マイクロメートル)
将来の海洋酸性化を模した環境では、貝殻を作る細胞に囲まれた領域が約30%縮小することが示された。
海洋酸性化が進行すると、幼生の貝殻を作る現場に影響を与え、最終的に小さくて脆い不健全な貝殻となる可能性がある。

5. 今後の展望

本研究により、海洋酸性化が微小な貝殻形成に及ぼす影響を、生物の初期発生段階において正確に評価できる手法が確立されました。これは、これまで「ブラックボックス」とされていた、石灰質の殻を持つ微小なプランクトンや貝類の幼生の初期成長過程に光を当てる重要な成果です。この手法は、私たちの食生活にも深く関わる二枚貝類や巻貝類などの貝類に限らず、ウニやサンゴなど他の石灰化生物にも応用可能であり、地球規模で進行する海洋環境変化に対する生物応答の評価や将来予測に向けた研究に幅広く役立てられることが期待されます。

今後は、この手法を国際的に展開し、世界各地の海洋酸性化の影響評価や、水産資源の持続的管理、生態系保全戦略の立案に向けた科学的な基礎情報の一つとしての活用していく予定です。

参考文献
  1. WMO Greenhouse Gas Bulletin, No.10, (2014). World Meteorological Organization.
  2. Orr et al. (2005). Anthropogenic ocean acidification over the twenty-first century and its impact on calcifying organisms. Nature, 437, doi:10.1038/nature04095.
  3. Wakita et al. (2021) Rapid reduction of pH and CaCO3 saturation state in the Tsugaru Strait by the intensified Tsugaru Warm Current during 2012–2019. Geophysical Research Letters, 48, e2020GL091332. https://doi.org/10.1029/2020GL091332.
  4. 木村ほか (2010) 海洋酸性化が石灰化生物に与える影響の実験的研究(2008-2010). 課題成果報告, 環境省. https://www.env.go.jp/policy/kenkyu/special/houkoku/data_h22/A-0804.html.
  5. Kimoto et al. (2023) Precise bulk density measurement of planktic foraminiferal test by X-ray microcomputed tomography. Frontiers in Earth Science, doi:10.3389/feart.2023.1184671.

本研究のお問い合わせ先

国立研究開発法人海洋研究開発機構
地球環境部門 地球表層システム研究センター 海洋生態系研究グループ
副主任研究員 清水 啓介

報道担当

海洋科学技術戦略部 報道室