図1:桧原湖に水没している二の鳥居。奥に桧原山神社と一の鳥居が見える。
図2:(a)(b)磐梯山と桧原湖の位置。(c)桧原湖湖底に沈む桧原宿の位置。
1888 年磐梯山噴火
明治21年7月15日に磐梯山が噴火し、周辺の集落が大きな被害を受けました。噴火に伴う土石流が河川をせき止めたことで桧原湖、小野川湖、秋元湖などの湖沼が形成され(図2b)、その結果、桧原宿や街道の一部が水没しました。
桧原宿
江戸時代に米沢街道の宿場の一つとして、会津領の国境近くに位置していた近世の宿場町です。1888 年の磐梯山噴火に伴う桧原湖の形成により湖底に没し、近代の火山災害によって水没した遺跡としても知られています。一方、桧原宿の山神社である桧原山神社の社殿は水没を免れ、現在も当時の景観をしのばせています(図1)。
マルチビーム音響測深
船舶に搭載したソナー(音響測深機)から複数の音波を発射し、水深を計測して水底地形を把握する技術です。「マルチ(多数の)ビーム(音波)」を扇状に放射することで、複雑な地形や水中の構造物を高精度・広範囲に計測できます。
水没前に作成された地籍図
明治6年の地租改正に伴って作成された、桧原村の土地境界を示す図面です。土地の境界だけでなく、区画の大きさ・形状、土地利用の状況、河川などの地形も詳細に記録されています。
国立研究開発法人海洋研究開発機構(理事長 大和 裕幸、以下「JAMSTEC」という。)高知コア研究所の谷川 亘研究員らの研究チームは、福島県耶麻郡北塩原村の桧原湖に沈む自然災害遺跡である旧桧原宿跡(会津・米沢街道の宿場町)の湖底地形を、高分解能マルチビーム音響測深機を用いて詳細に計測し、水没した町並みを3次元的に復元することに成功しました。本研究は、明治21年の磐梯山噴火で形成された桧原湖の湖底に残る町の構造を、非破壊的な地球科学的手法で明らかにした初の事例です。
本研究はJSPS科研費22H00028と京都大学防災研究所共同研究 2021K-07 の助成を受けたものです。
研究成果は、Journal of Cultural Heritage(Elsevier社)に2025年12月に掲載されました。
Reconstructing a submerged post town: Microtopographic analysis of Hibara Village beneath Lake Hibara
近年、国内外で自然災害が頻発する中、その理解には過去に発生した歴史自然災害の実態把握がますます重要となっています。しかし、歴史自然災害の多くは文書資料でのみ確認され、開発に伴う土地改変などにより、災害遺構を現地で確認することが困難な場合が少なくありません。一方、水底は陸上と比べて人為的開発の影響が限定的で、かつ嫌気的な環境にあることから、遺跡や遺物が損なわれにくく、水没当時の情報を良好に保持している可能性があります。また、水底は人目が届きにくい場所であるため、歴史自然災害の痕跡が残存していることも期待されます。
海洋研究開発機構では、こうした『水中に記録された歴史自然災害の痕跡(=水中災害遺構)』を対象とした調査を進めてきました(例:黒田郡調査※5)。本研究はその一環として、1888 年の磐梯山噴火に伴って形成された水中災害遺構を対象に実施したものです。1888 年の磐梯山噴火は山体崩壊等により477名の犠牲者を出した、近代以降で国内最大級の火山災害として知られています。噴火時には山体崩壊に伴う土石流が旧桧原川などを堰き止め、現在の桧原湖が形成されました。この際、磐梯山北側に位置していた桧原宿は湖底に水没しました。以後 130 年以上にわたり、人為的な改変を受けることなく、江戸時代から宿場町として栄えた当時の景観が良好に保存されている可能性があります。また、水没や湖形成の過程が明確で、関連する歴史資料も残されているため、調査結果との照合が可能である点も大きな特徴です。
このような利点を最大限に活用するため、本研究では考古学・地質学・地形学などの学際的なアプローチにより、水中災害遺跡の全容解明を目指しました。これまで、潜水調査やサイドスキャンソナー観測により、石垣や鳥居など一部の構造物が局所的に確認されていましたが、集落全体の景観を再構築するには至っていませんでした。そこで本研究では、広域かつ高精度な湖底地形データを取得し、集落景観の復元に取り組みました。
なお、日本は世界第6位の長さを持つ海岸線を有し、水域を生活と密接に関わらせてきた歴史から、桧原宿跡をはじめとする多くの水中遺跡を包蔵している可能性があります。しかし、日本の水中遺跡調査は国際的にみて遅れており、その背景には水中調査に伴う物理的困難さ、調査に要する費用・時間、学際的な研究体制の不足などが挙げられます。本研究で得られた成果が、国内における水中考古学・水中災害遺跡研究の発展を促す契機となることを期待しています。
黒田郡調査
高知県沿岸部には、684年に発生した南海トラフ地震とされる白鳳地震によって海に沈んだとされる集落「黒田郡(くろだごおり)」の伝承が広く残されております。そのため、水没集落の調査が地球科学的な視点で実施されてきました。
集落の想定水没地域における測深調査で取得した深度データをCS立体図※6 として処理した結果(図3)、町割り・道路・水路・参道と思われる明瞭な線形構造が検出された。磐梯山噴火以前に製作された地籍図と比較した結果、位置関係と各地割のサイズが高い一致を示しました(図4)。
図3:マルチビームスキャナで取得した3次元深度データをもとに作成したCS立体図。(a)(b)(c)との位置関係。(b)桧原山神社に続く参道付近の拡大図。(c)桧原宿中心部のCS立体図。NS1~NS4、EW1~EW8、:南北、東西方向に延びる線模様。南北線と東西線はそれぞれ参道および街道に平行に伸びている。南北線と東西線は直角に交差している。
図4:(a)1888年磐梯山噴火以前に作成された桧原宿の地籍図。(b)地籍図に描かれている土地区画の長さ、面積、および土地利用形態。(c)地籍図をもとにCS立体図で集落を復元。CS立体図で推定した一部の土地区画は地籍図の情報と一致が認められた。
さらに、村落は小規模扇状地(=沖積錐)の地形と水理構造を巧みに活用して形成されており、住宅地は扇端部、農作地は扇央部、水路は扇底部に配置されていました(図5)。この配置は、湧水や伏流水を利用した利水システム(灌漑・生活用水)を前提として設計されていたことを示唆します。すなわち、当時の村落は自然の地形と地下水流動を理解したうえで、水資源を効率的に分配する土地利用と用水路網を構築していた可能性が高いと考えられます。このことから、近世、近代に栄えた宿場町が自然環境に適応した合理的設計を有していたことが明らかになりました。
図5:桧原宿の村落の立地・形成に影響を及ぼした自然地形と断面図。
CS立体図
視覚的な直感性を高めた地形表現図法で、2012 年に長野県林業総合センターにより開発されました。代表的な地形量である「標高」「傾斜」「曲率」をそれぞれ異なる色調で表現し、重ね合わせて透過処理を行うことで、複雑な地形を一目で把握できる図として可視化します。
水没集落を対象として、自然地形に基づく利水や水理構造の活用を踏まえた土地利用の実態を示したことは、歴史地理学および地形学の両分野において重要な成果です。このような、地形・水文特性と調和した集落形成に関する知見は、現代の防災計画や土地利用計画にも示唆を与えると考えられます。
一方で、宿場町を特徴づける一里塚、旧河川、橋梁跡といった構造物については、湖底堆積物が集落跡地を覆い始めているため、微地形解析のみでは位置や形状を十分に評価することができませんでした。推定した宅地や農地についても、実際の地盤情報を用いた確認が今後の課題となります。
今後は、水中発掘調査、湖底堆積物のコアリング、さらにサブボトムプロファイラ(SBP)※7 を用いた湖底下の埋没構造物探査を組み合わせることで、考古学的・地質学的視点から歴史的景観の復元をより精緻化していく予定です。
サブボトムプロファイラ(SBP)
サブボトムプロファイラ(Sub Bottom Profiler: SBP)とは、低周波(数 kHz)帯の音波を湖底へ照射し、その反射波を解析することで湖底下の地層構造を可視化する水中調査手法です。これにより、湖底下に分布する堆積物の層序や埋没した遺構の位置・規模を高精度に把握できます。
本研究のお問い合わせ先
報道担当