係留系観測
海中に温度や流速を測定する機器を設置する観測方法。観測船で、海中に係留系を設置し、1-2年後に回収することで、観測船が現地に行けない冬なども含めた1年を通したデータを取ることができる。海洋研究開発機構では、カナダ海盆へ流れ込む暖水の変化を捉える唯一の長期係留系観測を実施している。
海盆
水深3000m程度の深海域。
太平洋起源水
北太平洋からベーリング海峡を経由して北極海に流入する水の呼び名。夏は暖かく、冬は冷たくて栄養分が豊富。
図1 カナダ海盆に流れ込む海洋熱輸送の増加のメカニズムの概要。
国立研究開発法人海洋研究開発機構(理事長 大和 裕幸、以下「JAMSTEC」という。)地球環境部門 北極環境変動総合研究センター 北極海洋環境研究グループの伊東 素代副主任研究員は、カナダ海洋科学研究所と連携して、太平洋側北極海のカナダ海盆(アラスカ、カナダ沖)に流れ込む太平洋起源水の海洋熱輸送が、約20年間で1.5倍に増加したことを明らかにしました。
1990年代以降、地球温暖化の影響で北極海の海氷は減っており、チュクチ海やカナダ海盆を含む太平洋側北極海は、特に海氷減少が著しい場所です(図2)。バロー岬沖 (バロー海底谷)は、太平洋側北極海の海氷減少や海洋温暖化の鍵となる太平洋起源の暖水が、カナダ海盆へ流れ込む場所です。JAMSTECでは、バロー海底谷の海中に温度や流速を測る機器を設置する係留系観測を、2000年から現在まで続けています(図3)。
今回の研究成果では、JAMSTECの係留系の観測データに基づいて、バロー海底谷からカナダ海盆に流れ込む太平洋起源水の海洋熱輸送が、約20年間で1.5倍に増加したことを明らかにしました(図4)。また、人工衛星等も合わせた約40年間(1982-2022年)の解析から、この海洋熱輸送が2010年代後半から急激に増加したことも分かりました。海洋熱輸送の増加は、上流に位置するベーリング海峡の水温上昇に加えて、チュクチ海の海氷減少で、太平洋起源水がチュクチ海を北上する間に、日射を吸収して、水温が上がり、更に海氷を融かす、フィードバックが起こり、カナダ海盆に流れ込む太平洋起源水の水温が長期的に上昇したことが原因だと分かりました(図1)。カナダ海盆に流れ込んだ暖かい太平洋起源水は、夏には海氷を融かし、冬には結氷を遅らせることで、海氷を減少させたり、海氷直下の海水温を上昇させたりする効果があります。海氷減少や海洋温暖化は、そこに暮らす生き物にも影響を与えるなど複合的な環境変化を引き起こすため、今後も観測を続けて行くことが重要です。
本成果は、「Journal of Geophysical Research Oceans」に2月13日付け(日本時間)で掲載されました。また、本研究は文部科学省の北極域研究加速プロジェクト (ArCSⅡ: JPMXD1420318865)、北極域研究強化プロジェクト (ArCSⅢ: JPMXD1720251001)、科学研究費助成事業(16K00533, 22K03728, 25H00002)、Fisheries and Oceans CanadaおよびNational Science Foundation Officeなどの支援を受けて実施されたものです。
Increased Heat Transport Through Barrow Canyon and Its Impact on Subsurface Warming in the Western Arctic Ocean
図2 (左図)人工衛星に搭載されたマイクロ波センサーで捉えられた北極海の9月の海氷分布。観測史上最少の2012年(白)と1979-99年の海氷縁(白点線)を示す。黄色星印はバロー海底谷の係留系。ピンク色正方形は面積72万平方キロメートル (日本の国土面積の約2倍)に相当。(右図)人工衛星に搭載されたマイクロ波センサーによる9月の海氷面積の時系列。
北極域では、地球温暖化の影響で、近年、大きな環境変化が起こっています。特に夏季の海氷面積の減少は著しく、2010年以降は1979-1999年代の5-7割まで海氷が減少しました(図2)。太平洋側北極海は、特に海氷減少が著しい海域で、海氷が完全に融け切る期間が過去30年で、年間30-60日も増加しています。この局所的な海氷減少は、ベーリング海峡を通して太平洋側北極海に流入する温暖な太平洋起源水が、海氷融解の促進および海氷形成の抑制を起こすことが、一因と考えられています。また、太平洋側北極海の海盆域では、水深20-50mの貯熱量が過去20-30年で約2倍に増加し、海洋の温暖化が起こっていることも報告されています(Timmermans et al., 2018; Muramatsu et al., 2025)。
しかし、カナダ海盆へ流入する太平洋起源水の海洋熱輸送の長期的な変化を明らかにする研究は国際的にもあまり実施されていませんでした。JAMSTECでは、太平洋側北極海の海氷減少や海洋温暖化の鍵となる太平洋起源水のモニタリングに最適なバロー海底谷で、海洋地球研究船「みらい」などの観測船を用いて、係留系を設置し、1-2年後に係留系を海中から回収することを繰り返して、2000年から現在まで、係留系による時系列観測を継続しています(図3)。これは海盆域への海洋熱輸送の変化を捉える、国際的にも唯一の長期観測で、本研究では、この観測データを解析することで、海洋熱輸送の長期変化とそのメカニズムを明らかにしました(図1)。
図3 バロー海底谷の係留系観測の模式図。
ベーリング海峡から北極海に流入する太平洋起源水は、チュクチ海(水深50m程度の大陸棚域)を北上し、バロー海底谷を通って、カナダ海盆(水深3000m程度の深海域)へ広がります。本研究では、JAMSTECがバロー海底谷で継続的に実施してきた温度・流速を測定する機器の係留観測データから、太平洋起源水のカナダ海盆への海洋熱輸送の約20年の長期変動を初めて明らかにしました(図4)。流速には長期的な変動傾向は見られませんでしたが、水温には長期的な上昇が見られ、その結果、海洋熱輸送にも増加傾向(0.068 TW※4/年)があり、約20年間で1.5倍に増加したことが明らかになりました。さらに、欧州中期予報センターから提供されている風のデータや人工衛星による海面水温のデータも合わせた、約40年間(1982-2022年)の解析から、この海洋熱輸送は2010年代後半から急激に増加したことも分かりました。
バロー海底谷の海洋熱輸送の年毎の変化は、チュクチ海北部の初夏の海氷分布の影響を受けており、初夏に海氷が少ない年には海洋熱輸送は大きく、逆に海氷が多い年には熱輸送が小さいことも分かりました。白い海氷が日射をほとんど反射するのに対して、海水は日射の大部分を吸収するため、一度海面が広がると、海水温が上昇し、更に海氷融解が進むフィードバックが起こります。これまでにも、ベーリング海峡では太平洋起源水の水温上昇が報告されていますが(Woodgate et al., 2018)、そのことに加えて、近年のチュクチ海の海氷減少で、海に入る日射の増加が起こることで、カナダ海盆に流れ込む太平洋起源水の水温が長期的に上昇し、海洋熱輸送が増加したことが明らかになりました(図1)。
バロー海底谷の海洋熱輸送の増加に伴って、カナダ海盆の貯熱量にも増加が起こっており、海洋温暖化の原因になっていることを示しました。ただ、カナダ海盆で観測された貯熱量の増加は、バロー海底谷の海洋熱輸送の約1割であるため、これまでも言われてきたように、カナダ海盆に流れ込んだ暖かい太平洋起源水の熱の多くは、夏には海氷を融かし、冬には結氷を遅らせることに使われていると考えられます。バロー海底谷で観測された太平洋起源水による熱が、全て海氷を融かすことに使われた場合は、厚さ1 mの海氷を最大で72万平方キロメートル (日本の国土面積の約2倍)融解させる熱量に相当することも示しました。
図4 バロー海底谷における海洋熱輸送(赤線)、海面水温(青線)、海氷密接度(緑線)。海洋熱輸送は係留系観測、海面水温と海氷密接度(海氷が占める割合)は人工衛星によるデータを用いた。
現在、バロー海底谷では、2025年9月に「みらい」の最後の北極航海で設置した係留系が観測を続けており、2027年夏に計画されている北極域研究船「みらいⅡ」の最初の北極航海で回収して、2年間の観測データを取得する予定です。砕氷船である「みらいⅡ」を用いることで、これまで「みらい」では実施できなかった冬から初夏の航海もできるようになるため、太平洋起源水の熱による、海氷融解の促進と海氷形成の抑制が、いつどの位起こるのかも明らかにしていくことが期待されます。
一方で、北極海では、2020年以降も、海氷が少ない状況は続いていますが、2000年代までの急激な減少傾向とは異なり、年毎の変化が大きいため、変動を注視していく予定です。2020年以降の海洋環境の変調の原因や影響を明らかにするためには、船舶観測に加えて、今後も係留系による時系列観測を引き続き行っていくことが重要です。
また、太平洋起源水は、海氷減少や海洋温暖化の原因になることに加えて、海洋生態系の底辺を支える植物プランクトン増殖に必要な栄養分をカナダ海盆に運んでいます。この栄養豊富な海水の影響で、バロー海底谷は太平洋側北極海で最大の生物ホットスポットでもあり、国際北極科学委員会のプロジェクトや中央北極海漁業協定の重点海域にも指定されています。そのため現在は、バロー海底谷で生物・化学データの取得も進めています。
TW(テラワット)
熱輸送の単位で、1TW=1兆ワット。
Timmermans et al., 2018, Sci. Adv. 4(8), eaat6773
Muramatsu et al., 2025, Sci. Rep. 15(24)
Woodgate 2018, Progress in Oceanography, 160
お問い合わせ先
(本研究について)
地球環境部門 北極環境変動総合研究センター 北極海洋環境研究グループ(報道担当)
海洋科学技術戦略部 報道室