発表の図解要約(作成の一部作業に生成AIを使用)
ベイズ統計
ある仮説を検証するために、その仮説に関わる証拠や情報を逐次加えることで確率を更新していく数学的技法。本研究では、ある捕食者に食べられる特定の餌の組み合わせが起こる確からしさを計算する。
栄養位置
ある生物が食物網の中で占める地位をあらわす指標。一次生産者(植物プランクトンなど)は栄養位置1、一次消費者(動物プランクトンなど)は栄養位置2、さらに高次の捕食者(魚など)は栄養位置3、4…などとなる。一般には栄養段階とも呼ばれるが、場合によっては、整数でない値をとることもある(例:栄養位置2と栄養位置3の餌生物を半分ずつ食べる捕食者は、栄養位置3.5となる)。栄養位置は生物の安定同位体分析によって推定できる。
関連プレスリリース:
https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20231206/
海洋地球デジタルツイン
海洋・地球・生命と人間活動が複雑に影響し合う地球システムを、観測・分析データと先端シミュレーションを統合してデジタル空間に再現したもの。
https://www.jamstec.go.jp/reis/j/
国立研究開発法人海洋研究開発機構(理事長 河村 知彦、以下「JAMSTEC」という。)情報地球科学研究部門のEttore Barbieri主任研究員と同物質地球科学研究部門の石川尚人主任研究員は、数学的技法「重ね合わせ法(Superposition)」を用いて、海の中で誰が誰を食べるかをつないで描かれる、極めて複雑な生物同士のネットワークを、生物の栄養位置というたった一種類のデータだけから、80%以上という高い正解率で復元することに成功しました。
急速に変化する世界において、生物多様性を保全し、持続可能な漁業を管理していくためには、生態系のエネルギーの流れを理解することが不可欠です。ここでのキーワードは、栄養位置(ある生物が食物網の中で占める地位)です。栄養位置は、生物の安定同位体分析によって比較的簡単に推定できますが、その推定値を全ての捕食者と餌生物の関係まで網羅したネットワークへと変換することは困難でした。
そこで研究チームは、ある捕食者とある餌生物の栄養位置のみから、両者の間に食べる・食べられる関係が存在する確率を計算し、それを全ての捕食者と餌生物のペアで繰り返す「重ね合わせ法(Superposition)」を用いて、生物同士のネットワーク全体を紐解く革新的な手法を開発しました。これをEcoBase※4とよばれるデータベースに収録された全世界158の食物網にあてはめたところ、80%を超える正解率で生物同士のネットワークを復元できることが分かりました。
この手法を用い、フィールド観測と安定同位体分析による生物の栄養位置の推定、そして異分野で発展してきた数学的技法を組み合わせることで、これまで目で見ることが難しかった生物同士のネットワークを可視化できるようになります。将来的には、気候変動や人間活動の影響下における、野生動物、漁業資源、保護区域の管理・保全・持続的利用に対して大きく貢献することが期待されます。
本成果は、英国生態学会誌の「Methods in Ecology and Evolution」に8月6日付け(日本時間)で掲載されました。本研究は、JSPS科研費(22K19857)、JST創発的研究支援事業(JPMJFR2418)の助成および文部科学省の「世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)」の支援を受けて実施しました。
また、本研究は変動海洋エコシステム高等研究所(WPI-AIMEC)が解明を目指す課題、グランドチャレンジ※5の「海洋生態系の物理化学的要因に対する適応性と脆弱性の解明」「表層とトワイライトゾーンの生態系相互作用と生物地球化学的循環への影響」「海洋生態系の変化予測による惑星スチュワードシップの促進」に貢献するものです。
The Superposition Method for the Reconstruction of Food Webs
EcoBase
全世界の様々な食物網データ(生物同士のネットワークが既にわかっているデータセット)を収録するオープンデータベース。
https://ecobase.ecopath.org
グランドチャレンジ
WPI-AIMECが2025年8月に定めた、海洋生態系の変化をめぐる、包括的で本質的でありながら未解明の5つの重要課題。
https://wpi-aimec.jp/news/2624/
食物網は、地球という惑星に特有の仕組み(いわば地球の物質循環を駆動するエンジンの一つ)であり、生物同士のネットワークを通じてどのようにエネルギーや物質が動いているかを記述しています。食物網は人為的な撹乱に対して脆弱であり、それを構成している生物同士のネットワークを理解することは環境科学において極めて重要です。ところが、この生物同士のネットワークを描くことは甚だ困難であり、これまで生態学者たちは気の遠くなるほど長い時間を費やしつつ、生物の直接観察や胃内容物の分析、あるいはDNAメタバーコーディング(DNAから生物の種類を判定する技法)を駆使しながら、野外で生物たちが何を食べているかを調べてきました。
ここ数十年は、安定同位体分析を用いて生物の「栄養位置」を推定する研究が発展してきました。例えば、ある捕食者の栄養位置が3であることは、その捕食者の餌は栄養位置が2の植食者であることを示唆します。しかし、栄養位置の値だけでは、その捕食者がどの植食者を食べているかまでは分かりません。既存の手法でも、捕食者と餌生物のペアをモデル化する試みはなされてきましたが、餌生物の候補があまりにも多い場合、数学的な制限から推定誤差が大きくなってしまうという問題点がありました。このため、本研究開始時点では、栄養位置のみから生物同士のネットワークを正確に復元できる手法はありませんでした。
この壁を乗り越えるために、研究チームは数学的技法の一つ「重ね合わせ法(Superposition)」を、食物網の研究に応用する手法を開発しました。本手法では、ある捕食者の餌となる生物をゼロから考えるのではなく、食べる・食べられる関係を一回経ると1増える栄養位置の定義から最も節約的な予測、つまり、捕食者は自らの栄養位置より1小さい餌生物を好んで食べるという前提条件を設定しています。また、ベイズ統計というもう一つの数学的技法を用いて、一つの食物網を潜在的な餌生物のペアにまで分解し、前提条件を満たす餌生物に高い確率を与える一方で、現実的ではない餌生物(例えば、頂点捕食者にとっての微細藻類など)には数学的にペナルティを課すという仕様にしました。これらを全ての捕食者と餌生物のペアで繰り返して最後に重ね合わせることで、誰が誰を食べているかという目に見えないネットワークを、可視化することに成功しました(図1)。
研究チームは、EcoBaseに収録された全世界158の食物網データ(生物同士のネットワークが既にわかっているデータセット)において、まず生物の栄養位置を計算しました。その後、開発した手法を用いて、「正解」のネットワークをあえて隠した上で、生物の栄養位置のデータだけからネットワークを「復元」させました(図2)。そして、「正解」と「復元」のネットワークを比べて「答え合わせ」したところ、80%以上の正解率と5%以下の誤差で、正解のネットワークを復元できていることが分かりました(図3)。さらに、本手法は、ノイズがあったりデータが不完全であったりしても、極めて安定していることが示されました。
本研究は、数理工学と生態学の異分野連携による自由な議論から生まれた成果であり、これまで困難だった生物同士の見えないネットワークの可視化を、栄養位置の情報のみで可能にする革新的な手法を開発したものです。
図1.重ね合わせ法の図解
横軸の栄養位置の順に、生物1から11までを並べている。ここでは捕食者8(オレンジ)に注目。捕食者8は、自らの栄養位置より1くらい低い栄養位置の餌生物4, 5, 6, 7を食べていると推定。矢印の太さは食べている割合の大きさを表し、実線の矢印は正解のネットワークにも存在するリンク(真陽性)を、点線の矢印は正解のネットワークには存在しないリンク(偽陽性)を表す。
図2.生物同士のネットワーク復元の一例
フランスのトー湖の食物網の解明を試みたもの。横軸の栄養位置の順に、具体的な名前とともに生物を並べている。ここでは全体に注目。薄い灰色の矢印は正解のネットワークにも復元されたネットワークにも存在するリンク(真陽性)を、点線の矢印は正解のネットワークには存在しないリンク(偽陽性)を、赤線の矢印は正解のネットワークには存在するが復元されたネットワークには存在しないリンク(偽陰性)を表す。この例では真陽性率が81.25%に上り、偽陽性率は11.29%に抑えられた。
図3.本手法のパフォーマンス
ネットワーク復元に用いた158の食物網の (a) 正解率の指標(Area Under the Curve)と (b) 誤差の指標。正解率の平均値は83.07%で誤差の平均値は約4%。
安定同位体分析技術の発展に伴い、生物の栄養位置を簡便に推定することができるようになりました。栄養位置さえ分かれば、それだけでこれまで目に見えなかった生物同士のネットワークが可視化できることを示した本研究の成果は、食物網や生態系の研究に革命をもたらす可能性があります。言い換えれば、生物の栄養位置の値は、これまで考えられていたよりもはるかに多くの情報を含んでいることが示唆されます。本手法を用いることで、いつでも、誰でも、そしてどんな生態系でも、生物同士のネットワークが復元できる基盤環境の構築を我々は目指しています。
一方で、本手法には、シンプルであるがゆえの弱点もあります。例えば、現実には餌生物が異なる捕食者同士でも、お互いの栄養位置が同じであれば同じ餌生物を食べていると誤って推定されてしまう点です。これは特に栄養位置の低い生物において起こりやすく、本手法の正解率が100%にならない要因の一つです。しかし、生物の種名、体サイズ、さらにバイオマスといった観測できる他の生態情報をベイズ統計において事前に考慮することで、この弱点を克服し、本手法の正解率を向上できる可能性があります。
将来的には、フィールド観測と安定同位体分析による生物の栄養位置の推定、そして異分野で発展してきた数学的技法を組み合わせた新しい研究を展開することで、変動環境下における海洋生態系の安定性や変動性の理解、さらには海洋生態系の構造や機能変化の予測につながることが期待されます。これは、変動海洋エコシステム高等研究所が多分野の融合によって創生を目指す、海洋生態系の変化の解明・予測とその地球規模への適用を扱う新たな学術領域に直接貢献するとともに、持続可能な漁業や生態系の安定性を担保する政策を策定する際の学術的な根拠を提供することにより、JAMSTECの科学的責任を果たすものです。
加えて、本研究で開発した手法をネットワーク理論へと一般化することで、他の多様な学術分野への応用も視野に入ります。例えば、細胞内で生化学反応や分子の動きをマッピングし、代謝ネットワークの理解を促進できる可能性があります。また、金融システムにおけるリスク、負債、資産を追跡することができれば、経済的な脆弱性の予測にも役立ちます。さらに、インターネット上のデータやウィルスの流れを解析することで、情報ネットワークのセキュリティ管理にもつながる可能性を秘めています。
【WPI-AIMEC(エイメック)とは】(https://wpi-aimec.jp/)
東北大学と海洋研究開発機構(JAMSTEC)が2024年に共同で設立した「変動海洋エコシステム高等研究所(WPI-AIMEC)」は、気候変動や人間活動がもたらす環境の変化に対する海洋生態系の反応を解明し、その将来予測に取り組む国際的な研究拠点です。
物理学・生態学・数理科学を融合させるアプローチのもと、地域から全地球までに適用できる海洋生態系の予測を実現し、新たな学術領域の確立を目指します。得られた知見をもとに社会と対話し、持続可能な海洋と地球、人間社会の未来へ貢献していきます。
※世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI):
文部科学省による平成19 年度開始の拠点形成事業で、研究力と国際研究環境を有する「世界から目に見える研究拠点」の形成を目的としています。
お問い合わせ先
(本研究について)
海洋研究開発機構 情報地球科学研究部門 数理科学・先端技術研究開発センター(報道担当)
海洋研究開発機構 事業推進部 報道室