知ろう!記者に発表した最新研究

【番外編】
30年間ありがとう!おつかれさま!
淡青丸たんせいまる」の引退いんたい

学術研究船がくじゅつけんきゅうせん淡青丸たんせいまる」が、2013年1月31日正午をもってジャムステックの学術研究船としての役目を終え引退いんたい(退役)しました。今回は、ちょっと番外編。30年以上にわたって海洋研究をささえた研究船にせまります。


「淡青丸」

母港の台場桟橋だいばさんばしに停泊中の「淡青丸」

「淡青丸」は、1982年に山口県下関で東京大学海洋研究所の学術研究船として誕生たんじょうし、2004年からジャムステックが運航することになりました。全長は51m、総トン数は479.54トンです。船名の由来は、東京大学のスクールカラー「ライトブルー(淡青)」。主に日本近海の調査で活躍かつやくし、海洋科学・技術の発展はってんに大きく貢献こうけんしました。672回の研究航海を行い、航行距離は地球約27.6周分にあたる1,103,236km。乗船した研究者は約7,800名になります。このたびの引退の理由は、老朽化ろうきゅうかが進み最新の研究調査への対応たいおうがむずかしくなったためです。

船長たちにインタビューしてきました。

「淡青丸の強みは、小ぶりであること。かんたんな設備せつびしかなくともみんなの知恵と工夫で色々な観測作業かんそくさぎょうができること」。そう語るのは、2002年から2012年まで「淡青丸」と「白鳳丸はくほうまる」の船長だった鈴木 祥市すずきしょういちさんです。

鈴木前船長

鈴木前船長。約10年、淡青丸と苦楽を共にしました。


研究室

研究室。作業をする甲板こうはんと直結していて使い勝手が良い。

悪天候あくてんこうで大きな波が来た時、大型船おおがたせんだと波に乗り切れず、船尾せんびのスクリューが空中に飛び出てしまったり、船首せんしゅと船尾をちがう波がつき上げて船をり曲げてしまう。しかし淡青丸は小型だから、波に乗ることができるんだ」。

鈴木前船長が2006年3月に房総半島ぼうそうはんとう東南東方沖に出た時、低気圧からのうねりに潮波しおなみが重なり、高さが10mにも達するうねりが発生しました。「周囲には巨大きょだいなうねりばかりなので約6時間ブリッジに立ちっぱなしで、海全体をみて、うねりの大きさや速さ、船の長さを考えながら操船そうせんをした」とふり返ります。

ブリッジ

ブリッジ


そうした海況かいきょうの悪い中でも無事故で航海をまっとうした淡青丸。心臓部しんぞうぶともいえるエンジンを管理する梶西 喜代徳かじにしきよのり機関長きかんちょうは、「大きなトラブルもなく、ちゃんと回ってくれた。本当にありがとうという感謝かんしゃの気持ちでいっぱい」とその労をねぎらいます。

梶西機関長

梶西機関長。長年の経験でつちかったするどい"五感"でエンジンを管理。


機関室

ディーゼルエンジンの轟音ごうおんがひびきわたる機関室


東北地方太平洋沖の海底には、東北大学とうほくだいがく火山噴火予知かざんふんかよちセンターの観測航海で十年以上前からいくつもの海底局を設置していて、地震にそなえ定期的に海底の変動を観測していました。2011年の東北地方太平洋沖地震以降、淡青丸は、その観測データを回収して地震発生メカニズムの解明かいめいに役立てる他、三陸沖や福島沖で放射性物質ほうしゃせいぶっしつの広がりや生物への影響えいきょうに関する調査を行いました。

2006年から乗船している井上 孝道いのうえたかみち船長は、「地震によるがれきが多く残る中を、サーチライトで照らしながらゆっくり進んだのが心に大きく残った」と語ります。

井上船長は、「淡青丸の最後の船長として貢献できたことをほこりに思う。無事故で終えることができたのも乗組員をはじめみなさんのおかげ。感謝している。」とほっとした表情で、でもさびしそうに語りました。

ブリッジに立つ井上船長

ブリッジに立つ井上船長


「ありがとう淡青丸」―。引退前々日の1月29日、ジャムステック横須賀本部の岸壁がんぺきには、「淡青丸」の最後の出港を見届けようと約三百人の関係者が集まりました。ぬけるような青空のもと出港する「淡青丸」に、「ありがとう、ありがとう」と手をふる姿すがたが数多く見られました。

横須賀本部から最後の出港

横須賀本部から最後の出港


今後、淡青丸は、別の会社の船として新たなスタートを切ります。鈴木前船長は「2005年から2007年にかけて自分たちが船全体をくまなく整備した。今後10年は元気に活躍できる」と力強く太鼓判たいこばんを押します。

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