後編:深海で生まれる酒と新たな研究
圧力に挑む酵母
2回目の挑戦。深海の温度条件を見直し、酵母の数を増やす。さらに、酵母の深海での生存可能性を少しでも上げようと、上東氏が深海の圧力を見越した加圧処理を事前に施した。
彼らはそれを、あえてこう表現する。――「酵母を鍛える」と。
設置水深は約6,225メートル、約四か月の深海滞在。今度こそ、祈りながら開けた培養器の扉の向こうに、生還した酵母のコロニーがあった。108株のうち14株が生還。
これで宇宙深海酒が作れる。
関係者の顔に安堵の笑みが広がった。
その年、深海から生還した酵母で約2万3千リットルの日本酒が造られ、人々ののどを潤した。
酒造りの可能性が広がる
もっと多様な味わいの深海酒を造りたい。
3回目の挑戦。高知の蔵で使われている酵母96株を選抜し、再び深海へ送った。水深約5,623メートル。
戻ってきた酵母は、96株すべてが生存していた。
そのまま仕込みに使える状態で、酒造りの選択肢は一気に広がった。
酵母の生還、そしてそこから作られた酒が人々の手元に届いたことは、諸野の胸に静かな実感を残した。
「高知の酒が好きで、それに少しでも役に立てたことが、うれしかった」
酒づくりは、次の研究へ
この取り組みは、酒づくりだけに終わらなかった。
「日本酒のテロワール※を、科学で捉えたい」
土地、気候、微生物。長年、感覚と経験で語られてきた“違い”を、成分として可視化する。
現在、県内十数社の酒蔵とともに、酒の化学分析と微生物解析に取り組んでいる。
可視化は、現場の感覚を否定するためではない。
むしろ、違いを言葉にし、選ぶ楽しさを広げるための手がかりだ。
研究と現場は、本当に別の世界なのだろうか。
酒をきっかけに始まったこの挑戦は、いまも静かに、次の一歩を探し続けている。
※ワインやコーヒー、農産物において、その風味が生まれる「土地の環境(土壌、気候、地形、標高など)」を指すフランス語由来の概念です。