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土佐市にある安政地震の碑
正面に「南無阿弥陀佛」と大きく刻まれ、円柱全体に碑文が刻まれている
石碑の形状、表面の凹凸、文字の残り方などを確認できます。クリックして3Dモデルを読み込み、回転・拡大縮小を行いながら任意の角度から観察してください。
萩谷口にある円柱塔状の安政地震碑。円柱一周全体に碑文が刻まれており、正面に「南無阿弥陀佛」と大きく記され、左回りで文章が続く。高知県の石碑としては珍しい形状である。碑の下に写経が収められているといわれる。宇佐町の安政南海地震の被害・避難の様子が刻まれる。山手へ避難したものは無事で、衣食を用意するのにぐずぐずしていたり、船に移動したものは助からなかったと記される。犠牲者の追福、後世への心得、四国遍路の通り筋であるが故念仏を称えられるということが建立理由として「真覚寺日記」に記される。
| 名称 | 萩谷名号碑 |
|---|---|
| よみ | はぎたにみょうごうひ |
| 所在地 | 高知県土佐市宇佐町宇佐1577 萩谷 |
| 緯度・経度 | 33.455403, 133.438032 |
| 関連災害 | 1854年安政南海地震 |
| 建立年代 | 安政四年(1857年)11月 |
| 材質 | |
| 備考 |
南無阿弥陁佛 安政元甲寅歳十一月五日申の刻大地震日入 前より津浪大に溢れ進退八九度人家漂流 残る家僅六七十軒溺死の男女宇佐福島を 合而七十餘人なりき都て宇佐の地勢ハ前高く 後低く東ハ岩崎西は福島の低ミより汐先迯 路を取巻故昔寶永の変にも油断の者夥 敷流死の由今度もその遺談を信し取あへ す山手へ逃登る者皆恙なく衣食等調度し又ハ 狼狽て船にのりなとせるハ流死の数を免れす 可哀哉其翌日ハ御倉開けて御救米頂戴し 凍餓に至るものなく誠ニ難有 御仁沢下りけれ ハ後代の変に逢ふ人必用意なくとも早く山 の平らなる傍に岩なき所を択ひて逃よかし且流失 の家材衣服等拾ひ得し人暫時内福に似たれとも間 もなく流行の悪病ニ染ミ悉皆なくなりしを眼 前見聞したるとを告残し殊ニ両変溺死の人の 菩提を弔ん為にと衆議して此碑を立る ものと云爾安政丁巳十一月(西)邨畊助識 南無阿弥陁佛 世話人 緑屋傳平 久市屋菊右エ門 梶和屋源次郎
この名号碑は、安政元年(1854)11月5日の地震と津波の被害を記録し、後世への教訓を伝えるものである。津波は日没前から幾度も押し寄せ、家々の大半が流失し、宇佐と福島を合わせて七十余人が溺死した。碑は、過去の宝永地震の教訓を信じて山へ逃げた者は助かった一方、持ち物を整えたり船に乗ったりして逃げ遅れた者は命を落としたことを伝える。また、災害後には救米が施され、飢えに至る者はなかったが、流失物を拾って一時利を得た者も、のちに疫病にかかって亡くなったという。こうした見聞を後世に伝え、両度の災害で亡くなった人々の菩提を弔うために建てられた碑である。