JAMSTEC KOCHI / DIGITAL ARCHIVE 自然災害伝承碑デジタルアーカイブ
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須崎寶永津浪溺死之塚

宝永地震150年忌に際して建立計画された碑
建立計画中の安政地震の発生により二つの地震記録が刻まれる

高知県 須崎市 宝永地震/安政地震

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概要

宝永地震150年忌に際して糺池(ただすいけ)の南に埋葬されていた犠牲者の改葬とともに計画された碑であるが、計画中に安政地震が発生した。その記録および将来への警鐘が刻まれる。

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基本情報

名称須崎寶永津浪溺死之塚
よみすさきほうえいつなみできしのつか
所在地高知県須崎市須崎627-1 お馬神社北
緯度・経度33.395178, 133.284167
関連災害1707年宝永地震 1854年安政南海地震
建立年代安政三年(1856年)10月4日
材質
備考

碑文

須崎寶永津浪溺死之塚 寶永津浪溺死之塚 此塚ハ昔寶永四年丁亥十月四日大地震して津浪起り須崎の地にて 四百餘人溺死し池の面に流れ寄り筏を組か如くなるを池の南地に長き坑を 二行に堀り死骸を集め埋め在しを今度百五十年忌の弔に此處に 改葬するもの也其事を営まんとする折しも安政元年甲寅十一月 五日又大ゆりして海溢しけるか昔の事を傅聞且記録もあれハ人〃思ひ當りて 我先にと山林に迯登りけれハ昔の如く人の損しハ無りし也惟其中に舩に 乗り沖に出んとして逆巻浪に覆され三十餘人死たり痛ましき事也 何なれハ衆に洩て斯ハせしそと云に昔語の中に山に登り落くる石にうたれ 死し沖に出たる者恙なく帰りしと云事の有を聞誤認しもの也 早く出て沖にあるハしらす其時に当りて舩出する事ハ難かるへし誡むへき 事にこそ将昔の人ハ地震すれハ迚津浪の入る事を弁へす浪の高く 入來るを見るよりして迯出たれハおくれてかたの如き難に逢り哀 にも又悲まさらんや地震すれハ津浪は起るものと思ひて油断ハすまし き事なりされとゆり出すや否浪の入るにも非ず少の間ハあるもの なれハゆりの様を見斗らひ食物衣類等の用意して扨石の落さる高 處を撰ひて遁るへしさり迚高山の頂迄登るにも及ハす今度の浪も古市 神母の邊ハ屋敷の内へも入らす昔も伊勢か松にて(数)人助かりしといへハ津浪 とてさのみ高きものにも非ず是等百五十年以來二度迄の例しなれハ考にも成 へきなり今茲此営を成すの印旦後世若斯る折に逢ん人の心得にもなれ かしと衆議して石を立其事をしるさんことを余に請ふ因て其荒増を 挙て為に書付る者也 安政三年丙辰十月四日古屋尉助識

解説

この塚は、宝永4年(1707)の津波で須崎において四百余人が溺死し、その遺骸を葬った場所を、百五十年忌にあたって改葬したことを伝えるものである。ちょうどその最中、安政元年(1854)11月5日に再び大地震と津波が起こったが、人々は宝永津波の伝承や記録を思い起こして山へ逃れたため、前回(宝永地震)のような多くの犠牲は出なかった。一方で、船で沖へ逃れようとした者は波に覆われ、三十余人が命を落とした。碑は、この教訓をもとに、地震があれば津波が来ると心得て油断せず、わずかな時間のうちに食料や衣類を整えたうえで、落石のない高所へ避難すべきことを後世に伝えている。

ギャラリー

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