JAMSTEC KOCHI / DIGITAL ARCHIVE 自然災害伝承碑デジタルアーカイブ
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須崎新町津波之碑

チリ地震被害を受けて実施した対策事業の竣工を記念して建てられた
津波被害の歴史碑であると同時に、防災インフラ整備の記念碑としての性格をもつ

高知県 須崎市 宝永地震/昭和南海地震/チリ地震

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概要

須崎市内で発生したチリ地震被害を受けて実施した対策事業の竣工を記念して建てられた碑。

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基本情報

名称須崎新町津波之碑
よみすさきしんまちつなみのひ
所在地高知県須崎市新町2丁目7-12
緯度・経度33.390898, 133.29345
関連災害1707年宝永地震 1946年昭和南海地震 1960年チリ地震
建立年代昭和四十年(1965年)2月28日
材質
備考

碑文

津波之碑 高知県知事 溝渕増巳書 須崎港は県下随一の良港であるが 古来しばしば津波の災いを被って いる 近世の大津波はまず宝永四年の津波で この津波は十月四日巳の 刻の強震が誘起し その高波は西は新荘川を下郷までさかのぼり 東は 土崎神田などを洗い 死者四百余を出している 次いで昭和二十一年の 南海大地震が誘起した大津波は 暮れ二十一日午前四時十四分の初震の 後三十余分にして三波が襲った その潮の前線は桜川の上流に及び 多 の郷吾・の平野部の大部分を侵し 多大な損害をもたらしたが さらに その引き潮は二五メートルの落差をなして 無数の材木を矢のように流 動させつつ 古倉沿いに奔流となって原町から新町浜町をひとのみにし 全市を席巻した この空前の災害により死者六十一 負傷者百四十一家 屋の倒壊百九十八 流失百六十八 焼失九を出し 失った船舶六百八十 三に及んだ 昭和三十五年のチリ津波は幸い死者は無かったが 堀川が 導入した高潮で家屋四千余が浸水し損害八億円に達した たび重なる津 波による惨害にかんがみ 須崎市はこのたび港湾に堅固な防波堤をめぐ らし さらに常に災害の誘因となった堀川を埋め立てて 自今の備えと 万一に際し 市民の城山避難の安全を期した この碑はその記念に建て て津波の恐ろしさを後世に伝える 西暦一九六五年五月 高知大学  学長 久保佐土美 撰 吉村 照吉 書

解説

この碑は、須崎港が古くからたびたび津波の被害を受けてきた歴史を記録し、その恐ろしさを後世に伝えるために建てられたものである。碑には、宝永4年(1707)の津波で四百余人の死者が出たこと、昭和21年(1946)の南海地震津波では市街地の広い範囲が被災し、多数の死傷者や家屋・船舶の被害が生じたこと、さらに昭和35年(1960)のチリ津波でも大きな浸水被害があったことが記されている。あわせて、こうした災害を踏まえて防波堤の整備や堀川の埋立てが行われたことを示し、防災の歩みを記念している。

ギャラリー

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