3Dデジタルモデル
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石碑の形状、表面の凹凸、文字の残り方などを確認できます。クリックして3Dモデルを読み込み、回転・拡大縮小を行いながら任意の角度から観察してください。
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四万十市中村町の為松公園内にある震災碑
中村は昭和南海地震により甚大な被害を受けた
石碑の形状、表面の凹凸、文字の残り方などを確認できます。クリックして3Dモデルを読み込み、回転・拡大縮小を行いながら任意の角度から観察してください。
南海大地震記念碑 昭和二十一年十二月二十一日午前四時十五分突然起っ た南海大地震は史上稀なものでわが中村町は一瞬にし て全壊一千百余半壊六百余全焼六十六戸実に全町の八 割を失い加うるに二百七十八人の生命を奪い千数百の重 軽傷者を出してさながらこの世の地獄を現出した 震源地は潮の岬西南五十粁の海底であるにもかゝわらず 中村町の被害が特に大きかったのは、地盤が軟弱である 事が重大な原因であると學者は指摘している 太平洋戦禍に次ぐ震禍で中村町の復興は至難であると 思われたが不屈の町民性と燃ゆるが如き郷土愛はその 後四ケ年にしてほとんど復興を完成したその間各方面 から寄せられた特別の同情援助に對しては永遠に感謝 を忘れてはならない 安政大地震すぎて九十二年今又この震災に遭うて後人 に残す言葉は 「災害は忘れかけた頃にやってくる」ということである 一九五○年一二月二一日 中村町
この碑は、昭和21年(1946)の南海地震によって中村町が甚大な被害を受けたことを記録し、後世に教訓を伝えるために建てられたものである。地震により町の家屋の大半が倒壊・焼失し、278人の命が失われ、多くの負傷者が出た。中村町で被害が特に大きかった背景には、地盤の弱さがあったとされる。一方で、町は住民の強い結束と郷土愛、そして各方面からの支援によって復興を遂げた。碑はその経験をふまえ、「災害は忘れかけた頃にやってくる」という教訓を後世に伝えている。