地球発見 まだまだ知らない「ちきゅう」がある。

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For the Future:恩田裕治船長インタビュー

東日本大震災が発生したとき、「ちきゅう」は青森県の八戸港に着岸していた。高さ8m超の津波のために港内は一時的に洗濯機のごとく濁流が渦巻く状態になったが、船内見学のために来訪していた小学生48人を含む乗船者全員が無事。船体の損傷も最低限に抑えられた。あの日、「ちきゅう」の船内では何が起きていたのか、恩田裕治船長にお話しいただいた。
(2011年12月 掲載)

最善策を決断する勇気

 地震発生の瞬間、私は船長事務室にいました。船体が上下に大きく揺れて、2日前に発生した地震以上の規模だと感じました。急いでブリッジに向かい、周囲の状況を確認すると陸上では工場の建屋から黒や白の煙が立ち上っています。船内見学中だった小学生のなかには、大きな揺れに不安を感じる子もおり、「この船に乗っていれば大丈夫だよ」と伝えました。
 船にとっての脅威は地震よりも、その後の津波です。地震発生直後に発令された津波警報は高さ1m。危険な状態と判断し、すぐに荷役作業の中止と、岸壁周辺の作業者の乗船を命じました。ただ、「ちきゅう」は係留した状態でも凌げると判断し、この時点ではその後に比べるとまだ落ち着いた心持ちでした。
 ところが、15時30分ころに津波警報の高さが8mに修正されます。そのレベルだと波の威力で船体が岸壁に打ちつけられ、破損する可能性もありました。いち早く港の外に出たいところですが、港から出るには通常でも40分間ほどかかります。第一波の予想到達時刻を見ると、もう十分な時間は残されていません。
 最善策は何か? このとき一瞬だけ迷いが生じました。人命を最優先に船体も守るという意味ではどの船も同じですが、「ちきゅう」には地球探査という重大なミッションがあります。先々のスケジュールがびっしりと決まっていますし、ほかに代替できる船はありません。判断をくだす際には大きな緊張が伴いました。

津波到達時の八戸港岸壁の様子

津波到達時の八戸港岸壁の様子

  津波到達時の八戸港岸壁の様子

津波襲来時の「ちきゅう」の挙動