生物活動を通した海洋の二酸化炭素吸収(生物ポンプ※1)は、大気の二酸化炭素濃度をコントロールする重要な機能を持つことが知られているが、生物ポンプの推定値には未だ大きな不確かさがあった。
海洋表層の溶存酸素収支※2 を、観測データを用いて詳細に計算することで、生物ポンプの空間分布を全海洋で明らかにし、その総量を年間74億トン炭素と評価した。
得られた結果は、従来の推定(年間130億トン炭素)が過大評価であった可能性を示唆した。今後、生物ポンプが気候変動とともにどのように変化していくかを引き続き注視していく必要がある。
生物ポンプ
海洋が二酸化炭素を吸収するメカニズムのひとつ。大気から溶け込んだ二酸化炭素が、海洋表層での植物プランクトンの光合成によって固定され(取り込まれ有機炭素となり)、固定された炭素がその後さまざまな経路で深層に輸送される結果、炭素が海洋深層に貯蔵される。
溶存酸素収支
海水に溶けている酸素の濃度変化を、変化を駆動する過程(海水の流れや混合、光合成や呼吸など)毎の寄与に分解することで、その要因を調べること。
国立研究開発法人 海洋研究開発機構(理事長 大和 裕幸、以下「JAMSTEC」という。) 地球環境部門 海洋観測研究センターの山口 凌平 研究員、纐纈 慎也 主任研究員は、JAMSTECを含む世界の研究機関によって取得された海水の溶存酸素データを用いて、表層海洋の溶存酸素収支を、海洋循環に関する最近の研究成果を取り入れて詳細に計算することで、海洋の生物活動によって1年間に吸収される二酸化炭素の空間分布と総量を明らかにしました。
海洋は、巨大な炭素の貯蔵庫として、二酸化炭素を吸収し、長い年月にわたって大気から隔離することで、今日の穏やかな気候を形作る上で重要な役割を果たしています(図1左)。海洋が二酸化炭素を吸収・隔離するメカニズムのひとつに、「生物ポンプ」と呼ばれる、海洋表層の生物活動を介した吸収・隔離機構があります(図1右)。生物ポンプを構成する、植物プランクトンによる二酸化炭素の固定(光合成)や、その後の固定された炭素の下層への炭素輸送経路は、非常に複雑で多岐にわたるため、全ての経路について炭素輸送量を直接的に測定することは困難であり、一体どこでどれほどの二酸化炭素が生物ポンプによって海洋に吸収されているかについての推定値にはこれまで大きな不確実性がありました。
本研究は、植物プランクトンが太陽光の届く海洋表層で光合成を行う際に、消費する二酸化炭素量に対してほぼ一定の割合で酸素が生成されるという関係を利用することで、海洋表層の溶存酸素の収支計算で得られた生物による正味の酸素生成量の分布から、海洋全体の生物ポンプによる二酸化炭素吸収量を算出することに成功しました。その結果、生物ポンプによる実際の海洋炭素の取り込み量は年間74億トン炭素であり、これは、これまでの推定値(年間130億トン炭素)よりも大幅に少ないことが明らかになりました。また、本研究が初めて明らかにした全球海洋の空間分布は、各半球の高緯度域や熱帯域において、海洋への炭素の取り込みに対して生物ポンプが相対的に重要であることを示しました。
これらの成果は、海洋炭素循環についての基礎的な理解を深めるだけでなく、将来気候予測に用いられている地球システムモデル※3 の性能向上にも役立ちます。今後、観測体制の更なる強化とそれに伴うデータの拡充が実現することで、本研究の成果が、生物ポンプの気候変動に伴う変化やポンプを構成する諸過程のより詳細な理解につながることが期待されます。
本成果は、「Communications Earth & Environment」に12月16日付け(日本時間)で掲載されました。また、本研究は、JSPS科研費 JP24H0222および、JP22H05207の支援を受けたものです。
Global upper ocean dissolved oxygen budget for constraining the biological carbon pump
地球システムモデル
スーパーコンピュータを用いて、将来気候を予測するために用いられている数値モデル。サブシステム(大気や海洋、陸域)での流体運動や生態(炭素循環を含む)がそれぞれモデル化され、そのサブシステムが結合された地球システム全体の仕組みや将来変化を調べるために用いられる。
私たちが暮らすこの地球において、海洋は熱の輸送、水蒸気の供給、水産資源の涵養など、さまざまな機能を持っています。そのひとつに、大気存在量の約40倍、陸域貯蔵量の約11倍の容量を持つ巨大な炭素の貯蔵庫としての機能があります(図1左)。海洋は大気から二酸化炭素を吸収し、吸収した炭素を長い時間にわたって大気から隔離することで大気二酸化炭素濃度をコントロールし、数十年から百年スケールの気候の変調において重要な役割を果たしています。現在進行中の人間活動に起因する気候変動においては、産業革命以降に人類が排出した二酸化炭素の約3割を海洋が吸収して大気の二酸化炭素濃度の増加を緩和していることがわかっており、海洋は急激な地球温暖化による気候の変化を和らげる役目を担っているといえます。海洋がどのように二酸化炭素を吸収し、深層に送り込んでいるかを詳細に理解することは、地球全体の炭素循環についての理解を深め、将来の気候変動を精度良く予測していく上で重要な課題です。JAMSTECではこれまでにも、継続的な船舶観測によって、海洋深層に貯留されつつある人為起源二酸化炭素の量の推定等に貢献してきました(参考文献2)。
海洋が二酸化炭素を取り込むメカニズムには大きく分けて、「溶解度ポンプ」と「生物ポンプ」の2つがあります(図1左)。溶解度ポンプは、大気から溶け込んだ二酸化炭素が、海洋循環によって深層に運ばれる機構であるのに対し、生物ポンプは海洋表層の生物活動を通した二酸化炭素の取り込み機構を指します。生物ポンプでは、海水に溶けた二酸化炭素が、太陽光が届く海洋表層での植物プランクトンによる光合成によって有機物(有機炭素)として固定され、その後、固定された炭素が下層に沈降または輸送されることで、炭素は深層に貯蔵されていきます(図1右)。生物ポンプが海洋全体の炭素循環において極めて重要な役割を果たしていることは広く認識されています。
これまでの観測データに基づく海洋全体の生物ポンプ推定には、生物ポンプを構成する素過程(二酸化炭素固定とその輸送)に着目し、広大な海のごく限られた観測点での集中的な直接観測によって得られた測定値を、多くの仮定のもと全球に拡張するボトムアップ的なアプローチが行われてきました。しかし、生物ポンプを構成する海洋表層での植物プランクトンの増殖と動物プランクトンによる摂餌・呼吸・糞粒などの排出や微生物による有機物分解といった生物過程(正味として二酸化炭素固定)は非常に複雑です。さらに、固定された炭素の深層への輸送経路は、粒子としての重力沈降や溶存態としての輸送、または鉛直移動生物による輸送など、多岐にわたります。全ての経路についてその炭素輸送量の時間・空間変化の直接観測を行うことは困難であり、一体どこで、どれほど、生物ポンプによって炭素が海洋に取り込まれているかについて、これまでの推定には依然として大きな不確実性がありました。
本研究では、全球海洋の生物ポンプを定量化するために、海水の溶存酸素濃度データを用いるアプローチを採用しました。植物プランクトンが二酸化炭素を固定(光合成)する際に、消費される二酸化炭素に対してほぼ一定の割合で酸素が生成されることが知られており、この関係性を利用することで原理的には、酸素濃度変動の詳細な調査から生物による二酸化炭素固定量を算出することができます。
このアプローチの鍵となる海水の「溶存酸素濃度」は、海洋学における代表的な変数である「水温」「塩分」についで、古くから世界の研究機関で測定されてきました。JAMSTECでも海洋地球研究船「みらい」をはじめとした多くの観測船によって高精度な観測がなされてきました。また、近年の国際的な協力による溶存酸素センサーを搭載した自動観測フロート(BGC-Argo※4 )の展開が観測の大きな役割を担っており、海水の溶存酸素濃度のデータが蓄積されています。近年は、全球のほぼ全て海域で水深2,000mまでの年間サイクルを記述することができる水準にまで到達しています(図2)。本研究成果は、海洋における観測データの充実により創出されたものです。
約40万を超える溶存酸素データを用いて、海洋表層の溶存酸素の収支(出入り)の計算した結果を図3に示します。ある地点の海洋表層をひとつの“箱”とみなすと、箱内の溶存酸素濃度の変動は、3つの物理過程(大気海洋間交換、水平/鉛直移流、水平/鉛直拡散)による寄与と、箱内部の生物過程(光合成と呼吸との差)による寄与によって記述されます。本研究では、物理過程に関わる最新の知見とデータをフルに活用し、全ての物理過程からの寄与を正確に計算することで、生物活動による寄与、すなわち、植物プランクトンが光合成によって生成した酸素量から呼吸によって消費された酸素量を差し引いた、生物活動全体による正味の年間酸素生成量を、全球海洋で求めることに初めて成功しました。
海洋の植物プランクトンが光合成によって有機炭素を生成する際に、消費される二酸化炭素と同時に生成される酸素の量比は、全球海洋でほとんど一定であることを利用します。それにより、溶存酸素収支計算から得られた正味の年間酸素生成量は、生物による正味の年間二酸化炭素消費量、すなわち、正味の年間有機炭素生成量に変換されます。さらに、仮に、“箱”を海洋表層全体と設定すると、1年の季節サイクルが終了した後に箱の中は元の状態に戻るという前提条件から、箱内での正味の年間有機炭素生成量は、1年間に箱から下層に出ていった有機炭素量、すなわち生物ポンプに一致することになります。
このような計算を行った結果、現在の全球海洋は、年間74億トンの炭素を生物ポンプによって取り込んでいることがわかりました。年間74億トンの炭素は、日本の年間二酸化炭素排出量(炭素量換算で2.83億トン(2022年度)、参考文献3)の約26倍に相当します。今回の結果は、生物ポンプによる海洋の年間二酸化炭素吸収量が、従来考えられていた値(年間130億トン炭素)よりも少ないことを示しています。値が異なる原因としては、本研究の溶存酸素収支に基づく見積が、生物ポンプを構成する多様な炭素輸送経路を問わず、全ての経路での輸送の正味和として得られる一方で、従来の推定値は、経路毎についての複数の独立した研究に基づいているため、それらを合計する際に無視できない重複の影響が生じていた可能性が示唆されます。
また、生物ポンプの大きさは海域によって変化し、特に各半球の高緯度海域と熱帯域において大きな生物活動による海洋の炭素取り込みが生じていることがわかりました(図4)。今回明らかとなった生物ポンプの空間分布を、先行研究の海面における二酸化炭素フラックスの分布と組み合わせることで、もう一つのメカニズムである溶解度ポンプを含む、海洋表層における“炭素の動き”の全体像の可視化を試みました。その結果、生物ポンプの値が特に大きい各半球の高緯度海域と熱帯域では、海面から供給される炭素に等しい、もしくはそれよりも多くの炭素が生物ポンプによって下層に運ばれており、同海域での海洋への炭素の取り込みにおいて生物ポンプが支配的に寄与していることわかります。一方で、両半球の亜熱帯域(緯度20-40°)では生物ポンプと溶解度ポンプとの両方が、海洋の二酸化炭素吸収を駆動する上で重要であることが明らかになりました。
BGC-Argo(Biogeochemical Argo)
2000年代始めに国際協力のもと全球に展開された水温塩分自動観測ロボット(Argoフロート)に、溶存酸素やクロロフィルなどの生物地球化学量のセンサーを搭載したもの。10日に一度、深さ2000mから海面までを観測し人工衛星経由でデータを取得(図2参照)。現在海洋全体で、Argoフロート3888台、BGC-Argoフロート700台が稼働中。
現在、地球システムモデルを用いて、海洋や陸域の生態・物質循環を含んだ将来の気候予測の取り組みがなされています。しかし、一般にこれらのモデルでは生態系の役割が十分に表現されていないという問題があります。本研究は、生物ポンプによる海洋の二酸化炭素吸収の総量とその空間分布について、地球システムモデルによる計算値に対して新たな観測的制約を与えました。今後、本研究により得られた知見を地球システムモデルの改良に活用することで、将来気候予測の精度向上に資することが期待されます。
本研究で初めて成功した全球海洋を対象とした溶存酸素の収支計算は、半世紀を超える高精度船舶観測、さらに近年の国際協力に基づく自動観測網の構築によって、膨大な数の高品質な観測データが蓄積されたことで実現可能となりました。今後、気候変動の進行とともに生物ポンプがどのように変化していくのか、それによって私たちの暮らしや地球の気候がどのような影響を受けるのかを理解していくためには、さらなる海洋観測の強化とそれに伴う観測データの拡充が必要不可欠です。将来的に、本研究のアプローチを発展させ、生物ポンプを構成する諸過程それぞれについてのより詳細な理解が得られることが期待されます。
IPCC Sixth Assessment Report, Working Group 1, Chapter 5 「Global Carbon and other Biogeochemical Cycles and Feedbacks」, https://www.ipcc.ch/report/ar6/wg1/chapter/chapter-5/
JAMSTEC BASE 研究者コラム「海洋観測が明らかにする海とCO2の関係」, https://www.jamstec.go.jp/j/pr/topics/column-20231002/
環境省報道発表資料「2022年度の我が国の温室効果ガス排出・吸収量について」(2024年4月12日付), https://www.env.go.jp/press/press_03046.html