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物理法則を学習したAIにより南海トラフ域の複雑地下構造を反映した震源位置推定を手軽に ―震源位置推定ツール「HypoNet Nankai」の開発と公開―

2025.08.08
国立研究開発法人海洋研究開発機構

1. 発表のポイント

  • 地震研究での震源位置推定※1 において、複雑な三次元地下構造を考慮した高精度な解析は労力と計算コストが大きく、手軽に扱える単純モデルによる解析では精度が低下するという課題があった。
  • 物理情報深層学習(PINN)※2 により地震波到達の物理法則と南海トラフ域の複雑地下構造を学習したAIを活用し、従来の簡便ツールと同等の手軽さで高精度な震源位置推定を実現するツールを開発・公開。
  • このツールにより複雑な地下構造に基づく震源位置推定が容易となり、南海トラフ地震の予測精度向上に貢献するとともに、国内外の他のプレート沈み込み帯への展開も視野に。
用語解説
※1

震源位置推定
地震が発生した場所(震源)の位置と深さ、発生時刻を地震波の到達時刻などの観測データから計算する手法。震源位置の迅速かつ高精度な推定は、防災対応や地震発生メカニズムの解明において重要となる。

※2

物理情報深層学習(PINN: Physics-Informed Neural Network)
波動方程式などの物理法則を数学的な制約として組み込んだ人工知能(AI)技術。観測データと物理モデルの両方を同時に学習することで、従来のAIよりも高い信頼性と予測精度が期待できる。

2. 概要

国立研究開発法人海洋研究開発機構(理事長 大和 裕幸、以下「JAMSTEC」という。)海域地震火山部門の縣亮一郎研究員らは、地震波到達に関する物理法則と複雑な地下構造を学習したAIを活用し、南海トラフ域向けの手軽で正確度の高い震源位置推定ツール「HypoNet Nankai」を開発・公開しました。

南海トラフ域の地震研究において、正確な震源位置の把握は地震現象の理解と地震活動推移の予測の鍵となります。従来、複雑な三次元地下構造を考慮した正確な震源位置の把握には多大な労力と計算コストが必要なために容易に扱うことが困難で、現在でも多くの研究者は手軽に扱える単純化された地下構造に基づく推定方法(簡便ツール)を使用しています。

本研究では、AI技術を活用した革新的な震源位置推定ツール「HypoNet Nankai」を開発・公開しました。物理情報深層学習(PINN)により地震波到達の物理法則と南海トラフ域の複雑地下構造を学習させたAIが、従来の簡便ツールと同等の手軽さで、複雑な三次元地下構造に基づく正確度の高い震源位置推定を実現しました。このツール「HypoNet Nankai」が地震データ解析の研究に広く活用され、南海トラフ域地震現象の理解やハザード評価の高度化に貢献することが期待されます。今後は、更新された構造モデルの逐次取り込むことに加え、南海トラフ域に限らず国内外の他のプレート沈み込み帯への展開も視野に入れています。

本研究は、JSPS科研費 学術変革領域研究 (A) Slow-to-Fast 地震学(課題番号:24H01042)の助成を受けて実施されました。計算には、JAMSTECの地球シミュレータおよび東京科学大学のTSUBAME4.0を使用しました。

本成果は、「Seismological Research Letters」に8月7日付け(日本時間)で掲載されました。

論文情報
タイトル

HypoNet Nankai: Rapid hypocenter determination tool for the Nankai Trough subduction zone using physics-informed neural networks

著者
Ryoichiro Agata1、 Satoru Baba1*、 Ayako Nakanishi1、 Yasuyuki Nakamura1
所属
  1. 海洋研究開発機構 海域地震火山部門
* 現九州大学

3. 背景

南海トラフ域などの巨大地震発生帯で地震が発生した際、その震源がプレート境界断層に位置していたのか、別の断層に位置していたのかなど、正しい震源位置の把握を行うことは、その後の地震活動の推移等を予測するために不可欠です。このために、地震計で観測された地震波形のデータの解析による震源に関するパラメータの推定が行われます。その方法の一つが、地震波が地震計に到達する時間(走時)の読み取りデータを使った位置推定です。この推定手法では多くの場合、地中の岩石を地震波が伝わる速度(地震波速度)の構造モデルを事前に設定し、仮定した震源位置から地震計までの到達時間を計算します。そして、計算値が観測値と十分に一致するまで震源位置を繰り返し調整します。気象庁では、地震発生時に基本的な地震情報を迅速に社会に発信するため、比較的単純な地下構造モデルを用いて速報的な震源位置を公表しています。

一方、地震研究のコミュニティでは、地震現象の理解をより深めることを目的としているので、速報的な推定結果を補完して独自の観測網や手法を用いたより精緻な震源決定が試みられています。その際、震源位置を正確に推定するには、地震波到達時間の計算を行う際に現実に即した複雑な地下構造を考慮することが一つの鍵となります。つまり、不正確な地下構造に基づいた推定では、特に震源の深さを正しく把握できません。南海トラフ域のようなプレート沈み込み帯においては、地震波速度が深さ方向だけでなく水平方向にも変化する、つまり地下構造の三次元的な不均質性が顕著であると考えられています。このような場所では、現実的な三次元地下構造に基づく震源位置推定を行うことが重要です(図1(a))。そのため、南海トラフ域では三次元地下構造の把握に向けた調査観測研究を中心とした取り組みが精力的に進められているほか、その構造に基づく震源位置推定の研究や、リアルタイムの震源位置推定システムの開発研究も進められています。

三次元的に不均質な複雑構造を考慮した到達時間計算を行うには、細かい格子状の計算モデルで地下構造を表現し、その計算モデルを用いた到達時間計算を行う必要があります。しかし、これらの計算技術の実装と必要な計算機資源の準備は、計算機の能力が向上している現在でも容易ではありません。一方、単純化された地下構造モデルを仮定し、例えば地震波速度の深さ方向の変化のみを考慮し、水平方向の変化を無視することで、震源位置推定に必要な計算を大幅に削減できます。(図1(b))。このような理由から、単純モデルに基づく簡便な解析ツールが存在し、必ずしも速報性が重要ではない研究の場においても依然として広く使われています。ただ、簡便さの反面、震源位置推定の精度が低下する場合があることは否定できません。したがって、複雑な三次元地下構造を考慮した震源位置推定を、簡便な解析ツールと同等の手軽さで行える解析ツールが利用できることは、地震研究コミュニティにおける震源位置推定の精度向上と地震現象理解の深化のために大きく貢献すると考えられます。

図1

図1 走時観測データを用いた震源位置の推定地下構造モデルの関係性。(a)複雑な地下構造モデルを用いた震源位置推定。地震計での波形データから地震波の到達時刻を読み取り、走時データを準備する。現実に即した複雑な地下構造モデルを設定。地震波の伝播経路と伝播の所要時間を繰り返し計算することで、震源位置を推定する。(b)単純な地下構造モデルを用いた震源位置決定。地震波速度の深さ方向の変化のみを考慮した単純モデルを用いると、地震波伝播の所要時間の計算は大幅に簡略化。しかし、推定される震源位置(特に深さ)は、複雑な地下構造モデルを用いた場合と比べ大きく異なる場合がある。

4. 成果

そこで本研究では、AI(人工知能)を活用し、南海トラフ域の複雑地下構造を考慮した震源位置推定を手軽に行うツール「HypoNet Nankai」を開発しました。AIの用途として一般的に知られるのは、大量の学習データに基づいた訓練により、文章や画像を処理・生成することなどです。近年、地震波の伝播・到達といった物理法則をAIに学習させる手法が注目を集めており、その代表的な手法として、物理情報深層学習(Physics-informed neural network、PINN)があります。既往研究により、地震波の到達時間を決定する物理法則は、物理情報深層学習と相性が良いことが示されています。また、南海トラフ域においては、これまで海洋研究開発機構が担当してきた文部科学省委託事業において、現実的な三次元地下構造モデルの構築が進められてきました。HypoNet NankaiのAIは、物理情報深層学習に基づき、地震波到達の物理法則と当該事業の成果物である南海トラフ域の複雑地下構造モデルを合わせて学習済みです。AIの学習自体には、学習に適したスーパーコンピュータが必要となり、大きな計算コストがかかります(図2(a))。しかし、いったん学習を終えたAIは、汎用的なPCでも快適に動作し、地震波到達時間を極めて(1秒よりはるかに)短い時間で予測することが可能です。HypoNet NankaiはWEB上で公開され、誰でもダウンロードして利用可能です(https://github.com/eagleray2020/HypoNet_Nankai_P)(図2(b))。

図2

図2 HypoNet NankaiにおけるAIの学習と使用。(a)AIの学習プロセス。物理情報深層学習(PINN)により、地震波到達の物理法則と南海トラフ域地下の三次元地下構造モデルを学習済み。AIの学習には、それに適したスーパーコンピュータ(海洋研究開発機構の地球シミュレータなど)を使用。 (b)ツール使用のイメージ。学習済みAIを搭載したHypoNet NankaiはWEB上で公開され、誰でもダウンロード可能。汎用PCでも数秒で震源位置推定を、複雑な地下構造を考慮した正確度の高い解析を、単純モデルに基づく簡便ツールと同等の手軽さで実現する。

これにより、個々の解析者が労力をかけて実施してきた複雑な地下構造に基づく解析と同等の震源位置推定が、単純モデルに基づく簡便ツールと同等の手軽さで実現できることになりました。HypoNet Nankaiは、震源一つの推定に長くても数秒程度しか要せず、リアルタイム解析への応用も期待できます。AIのデータ効率の高さにより、HypoNet Nankaiのデータ量は500MB程度に抑えられています。また、地下構造モデルの定義域内であれば、HypoNet Nankaiは観測地点の追加にも柔軟に対応します。

5. 今後の展望

HypoNet Nankaiは、現段階では地震データ解析の研究に活用されることを想定しています。南海トラフ域で普段発生している中小地震やスロー地震の震源位置推定の正確度向上を通じて、震源がプレート境界断層に位置するのか、別の断層に位置するのかなどの精緻な議論をより進めやすくし、地震現象の理解やハザード評価の高度化に貢献することが期待されます。

HypoNet Nankaiの搭載するAIの学習に用いられる地下構造モデルは、震源位置推定の正確度を左右する重要な要素です。また、現在のHypoNet Nankaiは初期到達(P)波の速度構造を用いて訓練されたAIによるP波到達時間の解析のみを対象としています。P波より遅れて到達するS波の到達時間の解析も可能とすることで、その適用範囲はさらに広がります。より多くの地震データや高度なデータ解析手法を用いた南海トラフ域のP波速度構造モデルの高度化とS波速度構造モデルの作成は、海洋研究開発機構と連携機関において現在進行中の重要な課題となっており、HypoNet Nankaiもそれらの最新のモデルの更新情報を取り込んで逐次アップデートされる見込みです。機構では構造モデル更新に物理法則を学習するAIを活用する取り組み(https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20231011_2/)も進めており、これらの成果を統合したHypoNet Nankaiのさらなる発展が期待されます。

HypoNet Nankaiで採用されている、地震波到達の物理法則と複雑な地下構造モデルを学習したAIによる震源位置推定の枠組みは、地下構造モデルを入手可能な他の沈み込み帯においても活用可能です。今後は、巨大地震発生のリスクが懸念される国内外の他のプレート沈み込み帯へと展開も視野に入れ、本震源位置推定ツール「HypoNet Nankai」のコンセプトを広げていくことを目指します。

本研究のお問い合わせ先

国立研究開発法人海洋研究開発機構
地震発生帯研究センター
縣 亮一郎 研究員

報道担当

海洋科学技術戦略部 報道室