Hydrogen isotope systematics among H2-H2O-CH4 during the growth of the hydrogenotrophic methanogen Methanothermobacter thermoautotrophicus strain ΔH.
Kawagucci, S., Kobayashi, M., Hattori, S., Yamada, K., Ueno, Y., Takai, K., and Yoshida, N.
Geochim.Cosmochim. Acta 2014 142, 601-614.
この研究はJAMSTECに入ってすぐのポスドク時代(2010-2011年度)に進めていたものです。学生時代には「指導教員から与えられたお題に沿った研究」や「誰かが企てた大きな研究計画の一部を担当する研究」しかしてきませんでした。なので「自分でイチから計画を立てて進める研究」としては初めてで,プロの研究者としての試金石というか,そういう風に捉えて取り組んでいました。
「自分でイチから」と偉そうに言ったものの,この研究の中で実施している培養と分析はすべて,ボクではなく,2番目の著者であるコバヤシさんがやりました。コバヤシさんは大学院から上京し,東京工業大学に進学して吉田研究室 (外部サイトにリンクしてます)に所属したのに,何の説明もないまま先輩のハットリくん(3番目の著者)にJAMSTECまで連れてこられて,その日のうちにJAMSTECで研究をすることに決まっていました。まぁ修士論文のテーマは大抵こんな具合で,本人の与り知らぬ大人の事情のようなもので決まるものなんですが,強引だったかなと反省する部分ではあります。そういうことでこの論文は,初めて誰かから与えられる立場ではなく独立した立場でやったと同時に,初めて学生にテーマを与えて一緒に進める立場でやった研究なのです。しかもそれがうまくいって,生まれた成果物が地球化学界最高峰の誉れ高いGeochimica et Cosmochimica Acta誌(通称GCA)に掲載されたわけで,こんなに嬉しいことはないのです。
「同位体比最強説」をご存じでしょうか。
ご存じない!?
そうでしょう。ボクが作った造語ですから。
しかしフレーズは造語ですが,この「同位体比最強説」という思想は,今日の地球科学業界で覇を唱えるに至っています。
「同位体比なくして地球科学なし!」と言っても過言ではないでしょう。
「ホントに同位体比が最強なの?」と問われれば「プロレスって八百長なんでしょ?」と問われた時に勝るとも劣らない勢いでナニコラタココラと問答する準備はあります。
ありますが,それをやっているといつまでたっても論文紹介に突入できないので,やめておきます。
世の中にはすでにたくさんの「同位体比最強説」に関する書籍が流通しているので,興味のある人は勝手に勉強してください。
ここではボクに「同位体比最強説」を刷り込んだ日本地球化学界のサラブレッド・角皆 潤(ツノガイ ウルム)・現名古屋大学教授の例え話を使って説明していきます。
【コンサート会場から出てくる人の年齢層を見ればアーティストが「GLAY」か「五木ひろし」かがわかる。同位体比はこの時の年齢層である。】
「そんなシチュエーションありえないでしょ・・・」という野暮なツッコミは許しません!!
そういうシチュエーションがあるという前提の例え話なんです。
この例え話をあらためて地球科学的な見方と対照してみると,この例え話がわりと優れたものであることがわかります。
「コンサート会場=地球内部」
「人=メタン」
「年齢=同位体比」
「GLAY=化学反応」
「五木ひろし=微生物代謝」
とします。
つまり『地球内部から噴出しているメタンが生物によって作られたか否かは,メタンの同位体比を調べればわかる』ということです。
これを逆さまに読むことで『メタンの同位体比が微生物代謝起源であることを示しており,すなわち,地球内部にメタン菌生命圏が存在するのである!』と喝破することが可能になるわけです。
これはまさに
この論文は「メタン生成古細菌(メタン菌)を培養してメタンの水素同位体比を調べる」研究です。
着眼のポイントは3つ。「水素同位体比」「同位体システマチクス」「成長段階」です。
メタン(CH4)は炭素と水素からなり,その両方に安定同位体比が存在します。
しかしメタンを対象とした安定同位体比の利用と言えば,その研究例は質・量ともに圧倒的に炭素同位体比に軍配があがります。
炭素同位体比の方が圧倒的な理由としては「炭素は生物骨格」「構造中心なので変化が少ない」などそれらしいモノがあげられるでしょうが,一番の理由はもっと卑近で「分析が簡単だから」です。
これは間違いない。
メタンの炭素同位体比であれば,市販の分析システム一式を手に入れれば誰でも分析できます(、、3000万円ぐらいは必要ですが)。
一方の水素同位体比の分析は,パッケージ化されているものをさらに改造する必要があったりして,同位体比分析に詳しい人じゃないと難しい。でも水素同位体比も使えるようになれば,使った方が良いに決まっています。
先の例 (GLAY vs 五木ひろし) で言えば「年齢層(炭素)」だけじゃなくて「男女比(水素)」も利用できる方が,より正確な推定が可能になるのは明らかなわけです。
この論文で言えば,コバヤシさんの所属する研究室のヤマダさん(4番目の著者)は「メタンの水素同位体比分析法の改善」という論文を執筆している専門家なので,一般的には大きな障壁になってしまう分析にまったく憂いがなかった,というのがポイントです。
1980年に
「メタン菌が作るメタン(CH4)の水素同位体比は,培地の水(H2O)の水素同位体比だけに影響を受ける」
という説が提案され,以降30年以上にわたって
「メタンと水の二者間での同位体比の関係性」を追究する研究がごく最近まで行われてきました。
しかしボクはこの説について「ホンマかいな」と疑問を持ちました。
その理由は,メタン菌の代謝反応式を見れば誰もが抱く疑問だと思います。
培養でえられた結果を地球科学的な視点でまとめると次の通りです。
・メタン菌の生成するCH4の水素同位体比は,従来考えられてきた培地のH2Oの水素同位体比のみならず,基質であるH2の水素同位体比の影響も受ける。
・H2が及ぼす影響の程度は成長初期において最大でじょじょに減少していく。本研究の培養では成長後期まで影響が見えたが,ヴァレンティンのデータからH2の影響がまったく無くなることも想定される。
・環境中のH2の水素同位体比は起源毎にまったく異なる値を持つので,これに十分注意してCH4の水素同位体比からその起源を推定する必要がある。換言すれば,CH4の水素同位体比から,メタン菌がどのような起源を持つH2を利用したのか推定することが可能になった,とも言える。
30年以上にわたる定説を覆したわけで,単純にこれだけでもGCA掲載レベルのインパクトがある研究だと言えるでしょう。
しかしこの論文では(蛇足を承知で)「なぜこのような同位体システマチクスが見られるのか。メタン菌の細胞内で何が起こっているのか。」という部分にまで踏み込んだ解釈に挑戦しました。
最初に投稿したバージョンの原稿では「CH4を構成する4つのC-H結合のうち,2つはH2のHをそのまま引っ付けているのである。」とだけ主張しました。
この解釈に対し「... not supported by an abundance of biochemical literature」という査読コメントがヴァレンティンから送られてきました。
文面からは「ナニコラ!」という怒りのオーラを感じさせる完全否定です。
しかし,こんなコメントをしておきながら具体的な参考文献を示していないので,こちらとしても「何がコラじゃコラ!」という怒りがこみ上げてきます。
ヴァレンティンは査読コメントの中でより妥当な解釈として
「H2からCH4に直接Hが渡されたのでは無く,細胞内でH2-H2Oの二者間で同位体交換が起こることでH2Oの同位体比が改変され,このH2OからCH4の4つのHが供給されているのだ。だからCH4のHはすべてH2Oに由来するという従来説で問題ないのだ。」
と主張してきました。
確かにこのヴァレンティン説は定性的には極めて妥当で,さすがヴァレンティンと思えました。
でもマジメに計算をしはじめると,果たしてヴァレンティン説が成立するのか,疑問に思えてきました。
この問題を定量的に解くには
「細胞内のH2およびH2Oの総量」
「H2およびH2Oの細胞膜通過速度」
「細胞内H2消費速度=細胞内H2O生成速度」
「H2-H2O間の同位体交換速度」
などを把握する必要があります。
しかし細胞スケールのミクロな視点での物質移動現象自体よくわかっておらず,従ってその速度や同位体比についてもまったくわかりません。
たとえば「細胞膜はH2Oを通さないがH2は小さな分子なので自由に通過できる」という定説がありますが
「H2Oは通過しないがH2は通過する」という現象が
「H2OにH2が溶存している」という状況下で起こるというのは
「それってば,どういうことだってばよ・・・」なわけです。
定量的に解釈しようと思えば思うほど,もはや本来の目的である地球科学から遠く離れた生化学の理解が必要になってきました。
ここでギブアップし,再投稿にあたっては「オリジナル説」と「ヴァレンティン説」の両論を併記した原稿を用意して,これが再査読を経て採択されました。
ヴァレンティンからのコメントを全面採用した上で定性的な議論に留める原稿に改訂することも可能でしたし,その方がすんなりと採択されていたとは思います。
でもやっぱり納得いかないことに従ってまで採択を目指すってのは「科学者としてどうなの?」ってこともあるし,何より「負けた感じ」がするのでイヤでした。
もちろんこの論文ですべてが解決したわけではなく,まだまだ疑問は残っていますし,むしろ新たな問題が生じています。
たとえば,この研究では高いH2濃度で培養を行っていますが,自然界でこれほど高いH2濃度は熱水噴出口周辺でしかありえません。
天然に存在するメタン菌のほとんどは非常に低いH2濃度環境でひっそりと生育しているので「低いH2濃度レベルでのメタン菌の炭素・水素同位体システマチクスはどうなってるの?」という謎は,水素同位体比の地球科学的利用において,必ず解いておかねばなりません。
この謎については,2013年度からポスドクとしてJAMSTECに所属しているオクムラさんを中心に現在取り組んでいて,なかなか面白そうな結果がえられています。
これに加え,ヴァレンティンからのコメントを受けて考えさせられた「どのような細胞内メカニズムで水素同位体システマチクスが支配されているのか」という生化学的な謎も残っています。
これに対してどうやって取り組んでいくか,はっきりとした方針はまだ定まっていません。
でも,これはある意味でチャンスだとは思っていて,掘り下げていけば大きな研究になると感じています。
これまでに培ってきた「地球科学的な同位体比利用の方法論」を利用することで「生化学の問題」に新たな知見を提供するかもしれないからです。
これまで,調査航海に乗船して,試料を採取してきて分析するという方法を主戦力にしてきました。でもこのやり方には,2つの意味で限界があると思っています。
1つは調査に不発があることです。
調査航海は,荒天や機器の不具合など,自分ではどうしようも出来ない要因で不調に終わることがあります。どれだけ入念に準備をしてもダメな時はダメで,サンプルが手に入らない事態が懸念されます。原油価格の高騰で航海そのものが行われないという事態も今後は増えていくでしょう。
もう1つは肉体的・社会的な制約です。病気や怪我で体に自由が効かなくなったら乗船は出来ませんし,育児や介護といった状況に陥ると「仕事か家族か」という究極の選択を迫られることになります。
そうやって考えると「フィールド調査ありき」の研究スタイルというのは大変リスキーなわけです。そういう意味で,この研究は「実験室のみで完結する研究」という新たな角度からボクの人生を照らしているように感じています。
(乗船に比べれば)成功率が圧倒的に高いし,(乗船に比べれば)自分の都合に合わせて進めることが出来る。そんな可能性を見出せたことは,今後なにかが起こった時に,自分を助けてくれるんじゃないかな,と。
もちろん深海調査は世界的にも限られた機関でしか実施できないので,特権的に貴重な試料にアクセス出来る利点があります。つまり「サンプル自体の価値」に便乗して「他に類を見ない研究」が実現できてしまうという旨味があるわけです。
そうした側面で言えば,今回のような「実験室のみで完結する研究」で「他に類を見ない研究」を実現するためには,網羅的かつ詳細に先行研究を勉強して,隙のないロジックを組み立てて,必要最小限かつ実現可能な研究計画をデザインする必要があり,つまり誤魔化しの効かない「研究者としての力量」が極めて直接的な形で問われるのです。
それを今回の研究では痛感しました。今回は着眼点と分析技術で押し切ったけども,精緻にデザインされた美しい実験だったかと言われると,まだまだ改善の余地があったというのが本当のところなのです。
DNAの二重螺旋構造を発見したジェームズ・ワトソンは言います。
「単に出来るという理由だけでやっていないか。他にすべき重大な実験の妨げになっていないか。」
「実験をするのは易しい。それだけに,実験に時間を使いすぎて,考えたり議論したりする時間が足りない。」
「二流の研究に時間と労力を費やすなら死んだ方がまし。」
まさにその通りです。ぐうの音も出ません。
先にフィールド調査型の研究はリスキーであると言いましたが,フィールド調査の成否は短期的に判明し,かなり明確です。一方の実験室での研究は,実験作業自体は結果にかかわらず無限に実行できるので,その研究が成功なのか失敗なのかの判断が難しく,ずるずると続けてしまい泥沼化してしまうという,長期的にはより大きなリスクがあるようにも思います。
そんなこんなで,この論文も業績リストに載せてしまえば他の論文とかわりない単なる一報ですが,自分研究史的には極めて重要な位置を占めています。
今後も,こういう論文を書いていきたいと思っておりますので,応援よろしくお願いいたします。