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2008年10月17日
独立行政法人海洋研究開発機構

高解像度映像が解き明かした深海クラゲの生態と役割
〜相互依存がもたらす連鎖現象〜

[概要]

独立行政法人海洋研究開発機構(理事長 加藤康宏)極限環境生物圏研究センター海洋生態・環境研究プログラムのDhugal Lindsay(ドゥーグル リンズィー)技術研究主任らは、国内外の研究者(中央水産研究所、スペイン国海洋研究所、米国イーストストラウズバーグ大学など)と協力し、海洋の中・深層に生息するクラゲ類の調査研究を進めてきました。

今回、日本近海での調査航海にて得た高解像度映像と採集した試料などの解析により、これまで分布や生態が不明で希少な種類とされていたアカチョウチンクラゲ(※1)が日本海溝域の水深500m以深の深海に多く生息していることを初めて発見しました。

また、アカチョウチンクラゲの体にはこれまで知られていたウミグモ類(※2)の他に、ヨコエビ類(※3)、また他のクラゲ類の幼生などが付着し、多様な生物の住み処あるいは幼生の成育場所として利用されていることを初めて確認しました。

アカチョウチンクラゲは、幼生の時期において表層を浮遊する翼足類(※4)という巻貝の仲間に付着してポリプ(※5)となりクラゲへと増殖しますが、翼足類は海洋の酸性化(※6)により死滅すると危惧されている海洋生物で、翼足類が死滅すると、アカチョウチンクラゲも死滅することになり、さらにはアカチョウチンクラゲを利用していた他の浮遊生物も生息が維持できなくなる可能性があり、負の連鎖現象が発生することが予想されます。

今回の発見は、海洋の中層で浮遊する生物間の密接な相互依存を考慮すると、酸性化により生存が脅かされる生物群の数は予想以上に膨大であり、その影響は予測よりもすみやかに表層から深海へと広がることを示唆しているとともに、気候変動が海洋生態系や生物多様性にどう影響するかを予測するうえで現場調査による検証が不可欠であることを示しております。

この成果は、「Journal of the Marine Biological Association of the United Kingdom」2008年12月号に掲載されます。

タイトル:
The anthomedusan fauna of the Japan Trench: preliminary results from in situ surveys with manned and unmanned vehicles
著書名:
Dhugal Lindsay, Francesc Pages, Jordi Corbera, Hiroshi Miyake, James C. Hunt, Tadafumi Ichikawa, Kyohei Segawa, and Hiroshi Yoshida

[背景]

クラゲ類は脆弱なゼラチン質で体ができており、ネット等での採取が困難であるため、生活史(※7)や生態の解明が進んでいない海洋生物のひとつとして知られています。

また、これまでの深海調査において、海洋の中・深層から深海底にかけても多くのクラゲ類が生息しているのが観察され、海洋の食物網と物質循環に大きな役割を果たしていると推測されています。しかし、生息分布と個体数、幼生がどこで成育してクラゲとなるのか、他の生物との相互関係の実態など不明な点が多くありました。

アカチョウチンクラゲについても、世界各地で捕獲された例はありましたが、生息分布や生態を調べるに十分な調査データや観察記録は不足していました。

これまで二酸化炭素の増加に伴う海洋の酸性化に対しては、炭酸カルシウム(※8)により殻や骨格を形成するサンゴ類、石灰藻、貝類などが酸性条件で炭酸カルシウムの溶解により致命的な影響を受けるとして注目されており、海洋表層で浮遊生活をする巻貝の翼足類についても、酸性化により殻が溶解することで生存が危うくなる生物種として報告されています。(参考:平成17年9月27日プレス発表

[調査方法とその成果]

今回の調査研究では、1997年より日本海溝域、相模湾、琉球諸島沖等での調査航海において、無人探査機「ハイパードルフィン」、有人潜水調査船「しんかい2000」「しんかい6500」、ビジュアルプランクトンレコーダー(VPR)(※9)及びハイビジョンカメラ付き多段開閉式プランクトンネットなどにより撮影した生物映像、捕獲個体の観察映像記録、標本の直接観察を統合して解析しました。

その結果、蓄積された数多くのデータとともに、映像記録装置の性能向上により、微細な形態だけでなく、水槽内や標本では観察できないクラゲ類の行動やクラゲ個体の表面を生息場所とする甲殻類の存在、さらには翼足類の殻にクラゲのポリプが多数付着しているなど、多岐にわたるデータを得ることができました。

今回の解析で確認された海洋中・深層における浮遊性生物の密接な相互依存の関係は、海水中という不安定な環境で多様かつ豊かな生物群集が維持されている生存戦略の一角として特筆すべきです。この連鎖を構成する生物種のひとつが欠けると、これに依存する生物種の生存も危うくなります。現在、海洋酸性化による中・深層生物群集への明瞭な影響はまだ確認されていませんが、酸性化が顕著になれば、当初考えられていたよりも多くの生物群が間接的あるいは連鎖的に影響を受ける可能性があることが今回の解析結果から示されました。

[今後の展望]

昨今、気候変動が海洋生物に及ぼす影響はこれから顕著になると予想されており、この影響を正確に評価するには、生物に対する影響をモデル予測により推定するとともに、現場調査による検証が不可欠です。海洋生物は、幼生と親において形態や生息環境が違う種類が数多く知られており、単純に親の生息分布だけを調べても、今回のような連鎖現象の結論を得ることは難しいです。

深海の中・深層にはクラゲ類をはじめとする数多くの生物が生息しており、探査機やVPR等の観測機器による調査方法を改良し、今後も優れた生物観測を実施して調査研究を重ねることで、生物多様性の様相や気候変動にともなう影響をより明確にできると考えています。

今後も、海洋の生物多様性を明らかにし、気候変動にともなう影響評価を検証できるデータを収集することで、海洋生態系のより信頼性の高い変動予測に向けた一助をなしたいと考えます。

※1 アカチョウチンクラゲ:

学名Pandea rubra。ヒドロクラゲ類の一種であり、翼足類のダイオウウキビシガイ(Clio recurva)を成育場所とする種特異性を持っている。傘は釣鐘型で深く、傘高は17cmまで。触手は非常に長く、14〜30本あり、その長さは傘高の6倍以上にもなる。主に深度450〜900mに出現する。全世界の中層に分布し、極地圏に関しては南極海での報告はあるが、北極海からは出現報告がまだない。

※2 ウミグモ類:

節足動物でカブトガニやクモを含む門鋏角亜門に属する。足は4対、とても細長く、先に爪がある。消化管は枝分かれして足に入り込んでいる。軟体動物や刺胞動物の体に口吻をさし込んで体液を吸収することが多い。現在1300種類が記載されている。

※3 ヨコエビ類:

節足動物でアミ類を含むフクロエビ上目に属する端脚目の総称。1万種類以上が知られる大きなグループで、熱帯から極地まで世界中に分布する。名称は、体の両端に脚がある、との意で、胸部の歩脚の他に、腹部後方と尾部の附属肢が歩脚状になる例がある事による。食性は種類によって異なり、プランクトンや生物の死骸、デトリタスなどを食べるが、他の生物に寄生するものも多い。いっぽう、敵は刺胞動物や魚類、鳥類など多岐にわたる。食物連鎖の下位ながらも、生物の死骸や糞を食べる分解者として、また他の動物の餌として重要な位置を占める。

※4翼足類: 

翼足類は一生を浮遊生活で過ごす巻貝の仲間で、表層を生息場所としている種類が大半である。有殻翼足類と裸殻翼足類があり、一般に有名なのは殻を持たない裸殻翼足類ハダカカメガイで「クリオネ」と呼ばれている。今回の報告では、殻を持つ翼足類が対象である。

※5 ポリプ: 

刺胞動物が生活史においてしめす体構造のひとつ。クラゲ類の多くでは、卵から生まれたプラヌラと呼ばれる幼生が基質上に定着し、ポリプというイソギンチャクのような形態となる。このポリプ、或はポリプ群集から親のクラゲが生まれる。

※6 海洋の酸性化:

二酸化炭素は、水に溶けると重炭酸イオンと炭酸イオンに分かれて水素イオンを放出して弱酸として振る舞う。海水では二酸化炭素・重炭酸イオン・炭酸イオンが平衡し、表層ではpH8程度の弱アルカリ性を維持している。大気中の二酸化炭素濃度が上昇すると、海水中に溶解する二酸化炭素の量が増加してpHが低下する。これを「海洋の酸性化」と称している。

※7 生活史:

生物の固体が発生または出生してから生体となり死ぬまでの生活様式に衆目した過程

※8 炭酸カルシウムへの影響:

海洋生物が骨格や殻として生成する炭酸カルシウムには、結晶構造の違いによりアラゴナイト(あられ石)とカルサイト(方解石)の2種類がある。翼足類やサンゴはアラゴナイト、円石藻や有孔虫はカルサイトを生成し、海水中の炭酸イオン濃度が飽和濃度以下になると結晶は溶ける。アラゴナイトの飽和濃度はカルサイトに比べて高く、このため海洋の酸性化においてはアラゴナイトへの影響が先に出現すると予測されている。

※9 ビジュアルプランクトンレコーダー(VPR):

調査現場で微小な生物の姿をとらえるための水中顕微鏡。海中で、生きたプランクトンを撮影するデジタルカメラで、2本のアームの先端部にカメラと光源が装備されている。光源は周囲から光があたるように作られており、透明なプランクトンの輪郭を浮き上がらせる「暗視野」を作り出す構造になっている。

拡大図[PDF:859KB]

お問い合わせ先:

独立行政法人海洋研究開発機構
(本内容について)
極限環境生物圏研究センター
海洋生態・環境研究プログラム 海洋生態系変動研究グループ
Dhugal Lindsay技術研究主任 電話:(046)867-9563
研究推進室長 高橋 賢一 電話:(046)867-9600
(報道担当)
経営企画室報道室長
村田 範之 電話:(046)867-9193