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2010年 7月 9日
独立行政法人海洋研究開発機構
ハワイ大学国際太平洋研究センター

最終退氷期初期の北太平洋における深層水形成を明らかに
〜新たな海洋循環像の提唱〜

1.概要

独立行政法人海洋研究開発機構(理事長 加藤 康宏)地球環境変動領域の岡崎 裕典 研究員らとハワイ大学国際太平洋研究センター(所長 Kevin Hamilton)は、東京大学大気海洋研究所およびベルギー・リエージュ大学と共同で、最終氷期が終わり現在の間氷期へと向かう最終退氷期(※1)初期(17500年から15000年前)に、北太平洋において水深2500m付近まで沈み込む深層水が形成されていたことを、海底堆積物記録と気候モデル実験(シミュレーション)から明らかにしました。

この北太平洋を起源とする深層水循環は、極域への熱輸送を通じて最終退氷期の気候に大きなインパクトを与えており、地球規模の海洋循環と気候変化における北太平洋の役割の見直しを促すものです。

なお、本研究は、海洋研究開発機構とハワイ大学国際太平洋研究センター間で締結された共同研究プログラム“JAMSTEC-IPRC Initiative”により行われました。

この成果は7月9日号の米国科学振興協会発行のScience誌に掲載されます。

タイトル : Deep Water Formation in the North Pacific during the Last Glacial Termination
著者名 : 岡崎 裕典、Axel Timmermann、Laurie Menviel、原田 尚美、阿部 彩子、近本 めぐみ、Anne Mouchet、朝日 博史

2. 背景

深層水循環は大きな熱輸送を担っており、地球の気候に重要な役割を果たしています。現在、深層水が形成されている海域は、北大西洋高緯度域と南極周辺で、北太平洋では表層水の塩分が低いために深層水は形成されません。約2万年前まで続いた最終氷期(※1)においても、北大西洋での深層水形成は弱まるものの、現在と同様に北大西洋と南極周辺で深層水が形成されていたと考えられています。

最終氷期が終わり現在の間氷期へと向かう最終退氷期初期(17500年から15000年前)に、北アメリカに存在していた巨大な氷床から氷山が北大西洋へ流出しました(ハインリッヒイベント1(※2))。流出した氷山の融解により、多量の淡水が供給された結果、北大西洋における深層水形成が著しく停滞しました。この深層水循環の大きな変化に伴い、北半球を中心に地球規模の急激な気候変化が起きたことが知られています。その影響は北太平洋の海洋循環にも及んだと考えられていますが、北太平洋は、大西洋に比べて海底堆積物の記録が乏しい上、堆積物の記録がまとまっていなかったため、海洋循環像を描けず、当時の急激な気候変化のなかでどのような役割を果たしていたかわかっていませんでした。

3. 研究手法の概要

最終退氷期初期の包括的な北太平洋海洋循環像を得るため、(1)海底堆積物から復元された海洋循環速度データの解析と、(2)ハインリッヒイベント1を模した気候モデル実験を行いました。(1)については、海底堆積物中に含まれる浮遊性有孔虫と底生有孔虫の放射性炭素年代差(※3)を過去の海洋循環の指標とし、北太平洋の様々な海域から得られた23000年から10000年前の期間(最終氷期から最終退氷期に相当)におけるデータを統合しました。(2)については、地球システムモデル“LOVECLIM”(※4)により、ハインリッヒイベント1を模して北大西洋高緯度海域に淡水を供給し、モデルがどのように応答するか調べる数値実験を行いました。

4.結果と考察

海底堆積物記録からハインリッヒイベント1の期間、北西北太平洋の水深900mから2800mにかけて、前後の時代と比べて浮遊性有孔虫と底生有孔虫の放射性炭素年代差が小さくなることをつきとめました(図1)。このことは、沈み込んでからあまり時間の経っていない深層水の存在を示し、当時北太平洋で深層水が形成されていたことを示唆しています。一方で、北東北太平洋では有意な変化は見つからず、北太平洋のなかでも、深層水の年齢に東西勾配があることがわかりました。気候モデル実験の結果は、これらの海底堆積物記録から復元された海洋循環の特徴を良く再現していました(図1)。気候モデル実験は、北太平洋における深層水形成が、北大西洋への淡水供給が引き金となって起こる大気海洋相互作用の結果、北太平洋の表層塩分が高くなるために起こることを示しました(図2)。また、地球の自転の影響により大洋の西側に強い深層流ができるため、北西北太平洋深層水の年齢が若くなることを明らかにしました。加えて、北太平洋深層水形成に伴い、北太平洋高緯度域へと多量の熱が輸送され、その熱輸送量は北大西洋深層水が停滞したために減少した極域への熱輸送量の約2/3に相当することが示されました。

5.今後の展望

本研究は、これまで蓄積されてきた堆積物記録の詳細解析と近年急速に発展してきた気候モデリングを併用した統合研究という点で画期的です。今回の結果から、最終退氷期初期の北太平洋がこれまで考えられてきた以上に地球規模の海洋循環の活動的な海域であったことを示唆するとともに、新たな海洋循環像を提案しました(図3)。ハインリッヒイベント1の時代は、大気二酸化炭素濃度が大きく上昇した期間としても知られており、氷期に海洋深層に蓄えられていた古い炭素がこの時に大気へと大量に放出されたかどうかが地球の気候システムの大きな謎となっています。本研究を契機に、気候システムにおける北太平洋の役割の見直しが進むことで、これまで大西洋に比べてデータの少なかった太平洋域の古海洋環境研究の新たな幕開けとなるとともに、北太平洋起源の深層水という新たな観点を得ることで最終退氷期の古い炭素放出と海洋循環の謎の解明へつながることが期待されます。

※1 最終退氷期と最終氷期

地球の気候は過去100万年あまりの間、寒冷な氷期と温暖な間氷期を10万年周期で繰り返してきた。最後の氷期(最終氷期)は、約10万年前から2万年前まで続き、巨大な氷床が北アメリカ北部と北ヨーロッパを覆っていた。このため、海水準面は現在より100m以上低く、ベーリング海峡を含めた多くの陸棚域が陸化していた。最終氷期から現在の間氷期へと向かう移行期を最終退氷期と呼ぶ。この期間に、大気中の二酸化炭素濃度が増加し、北アメリカと北ヨーロッパの氷床の融解と海水準面上昇が起こった。最終退氷期の気候は温暖化と一時的な寒冷化を繰り返す激しいものであった。

※2 ハインリッヒイベント1

17500年から15000年前の期間、当時北アメリカに存在したローレンタイド氷床から大量の氷山が流出し、北部北大西洋で融解したために、氷山に含まれていた多量の岩くずがばら撒かれたイベント。発見者の名前をとってこう呼ばれている。同様のイベントが過去5万年間に5回見つかっており、若い順に番号がふられている。

※3 浮遊性有孔虫と底生有孔虫の放射性炭素年代差

炭素の放射性同位体である炭素14は、約5730年の半減期で減っていく性質を持つことから年代測定(放射性炭素年代測定)に利用されている。海水には無機炭素が溶けており、その放射性炭素を測定することで海水の年齢を知ることができる。深層水の年齢はその水が沈み込んでから(大気との接触を断ってから)の時間を反映する。動物プランクトンの一種である有孔虫は、炭酸カルシウムの殻を持つ。彼らは殻を作る際に周囲の海水から炭素を取り込むため、有孔虫殻の放射性炭素年代は、当時の海水の年齢を記録している。有孔虫には、海洋表層に生息する浮遊性有孔虫と、海底面に生息する底生有孔虫がおり、それらの放射性炭素年代は、それぞれ表層水と深層水の年齢を記録している。したがって、堆積物試料の同じ層準から得られた両者の年代差は、当時の表層水と深層水の年齢差を示す。たとえば、ある時代に循環が活発になり深層水が形成されると、両者の年代差は若くなる。

※4 LOVECLIM

大気、海洋・海氷、植生、氷床、炭素循環の5つの独立したモデルを結合させた中程度の複雑さを持つ地球システムモデルで、古気候研究のような長時間スケールの大規模な現象を扱うのに適している。

図1.(左)海底堆積物記録から復元された、最終退氷期の北西北太平洋の水深900mから2800mにおける海水循環年齢変化(深層水の年齢から表層水の年齢を差し引いた値の変化)(※3)。黒がオリジナルデータでオレンジ線が平滑化したもの。ハインリッヒイベント1の時に中深層水の循環年齢が若くなっている。(右)気候モデル実験によるハインリッヒイベント1を模した北大西洋への淡水供給実験前後における、北太平洋の海水年齢偏差(実験後の海水年齢から実験前の海水年齢を引いた値)。北太平洋起源の深層水が形成されたことで、淡水供給後に北太平洋の水深500mから2500mに若い海水が存在している。四角は堆積物記録から得られたハインリッヒイベント時と最終氷期の海水循環年齢差。

図2. 最終退氷期初期の北太平洋における深層水形成機構。(1)氷山が北大西洋に流出・融解し、多量の淡水が供給される。淡水は密度が低いので、北大西洋で深層水が形成されなくなり、その結果、メキシコ湾流によって北部北大西洋高緯度域へ運ばれていた熱輸送も止まるため北大西洋は寒冷化した。(2)北大西洋が寒冷化し蒸発量が減少することで大西洋から太平洋へと輸送される水蒸気量が減る。加えて、熱帯収束帯(赤道付近に位置する低気圧帯)が南下することで、北太平洋東部の降水量が減少し表層海水の塩分が増加する(3)高塩分表層水は、北太平洋高緯度域へと運ばれそこで冷やされて密度が高くなる。

当時は、海水準が低くベーリング海峡は陸化していたため、表層水は北極海へと流出せず、北太平洋高緯度域において深層水が形成される。

図3.(左)最終氷期(21000年から19000年前)と(右)最終退氷期初期(17500から15000年前)における海洋循環像。深層水形成海域が異なっている(最終氷期:北大西洋および南極周辺、最終退氷期初期:南極周辺および北太平洋)。赤線は表層海流、水色の線は深層海流をそれぞれ表す。白色の陸地は大陸氷床を示す。当時は海水準低下に伴い、ベーリング海北部やオーストラリア北部などの広大な陸棚域が陸化していた。

お問い合わせ先:

独立行政法人海洋研究開発機構
(本研究について)
地球環境変動領域 物質循環研究プログラム 古海洋環境研究チーム
研究員 岡崎 裕典 電話:046-867-9515
(報道担当)
経営企画室 報道室長 中村 亘 電話:046-867-9193