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プレスリリース

2013年 5月 29日
独立行政法人海洋研究開発機構
国立大学法人山口大学
国立大学法人高知大学
南デンマーク大学
スコットランド海洋科学協会

日本海溝海底における震災4か月後の環境撹乱状況
―原発事故に伴う放射性核種の挙動解析―

1.概要

独立行政法人海洋研究開発機構(理事長 平 朝彦、以下「JAMSTEC」という。)海洋・極限環境生物圏領域の小栗一将技術研究副主幹らは、山口大学、高知大学、南デンマーク大学、スコットランド海洋科学協会等と共同で、東北地方太平洋沖地震(以下、「震災」という。)から4か月後の2011年7月、震源から110km離れた日本海溝の海溝軸の地点(水深7,553m:以下、「海溝軸」という。)及びそこから4.9km東に位置する太平洋側の地点(7,261m:以下、「太平洋側」という。)において、JAMSTECが開発したフリーフォールカメラシステムを用いて水中と海底の状況をハイビジョンビデオ撮影し、さらに堆積物コアの採取を行いました。

取得映像を解析した結果、両調査地点において海底から30m~50mの高さまで非常に強い濁りの層が存在することが分かりました。また、海溝軸の海底には生きた底生生物はほとんど見られませんでした。さらに、海底には一方向に強く・継続する流れの存在が確認され、生物の死骸や魚等が、より深い方向へ運ばれるなど、これまでに報告されたような、ナマコ類が海底に見られる環境とは大きく異なった異質な状況にあることが判明しました。太平洋側の海底においては、海溝軸で観察されたような強い流れは存在せず、ヨコエビなどの生物が泳ぐ姿が確認されました。

海溝軸及び太平洋側の両地点から採取された堆積物については、X線CTスキャナーによる解析及びガンマ線分析装置を用いた放射性核種分析を行いました。X線CTスキャナーによる解析の結果、海溝軸で採取された堆積物の表層から深さ31cmまでは、本震や余震で生じたと考えられる乱泥流によって斜面の堆積物が移動・再堆積した「タービダイト」(※1)と呼ばれる層であることが分かりました。一方で太平洋側の堆積物からは、タービダイトは確認されませんでした。

ガンマ線分析装置を用いた堆積物中の放射性核種濃度を分析した結果、太平洋側で採取された堆積物の表層(深さ0~1cm)から福島第一原子力発電所事故(以下、「原発事故」という。)に由来するセシウム134が検出されましたが、海溝軸で採取された堆積物からは検出されませんでした。

原発事故後数か月で、日本海溝の海底でセシウム134が検出された理由として、マリンスノー(※2)に吸着し、沈降したことが考えられます。この証拠として、日本海溝周辺において、震災後の3月下旬から4月上旬にかけて植物プランクトンの大発生があったことが衛星リモートセンシングで確認されており、また、本研究の航海前の緊急航海(6月)で行われたディープ・トウによる海底観察の結果、この時期に生産・沈降したと考えられるマリンスノーの集合体が日本海溝斜面の海底を覆っていたことが確認されています。

太平洋側からわずか4.9km離れた海溝軸でセシウム134が検出されなかった理由は、セシウム134が海底に沈降した後に発生した乱泥流によって、表層付近の堆積物と混合され、検出限界以下まで希釈されたためと判断されます。このことは、日本海溝の斜面は本震や度重なる余震により、重力的に不安定で乱泥流が生じやすい状態にあり、また、海底環境の撹乱は余震によって維持されていたことを示唆します。

本成果は、Scientific Reports(ネイチャー出版会のオンラインジャーナル)に5月29日付け(日本時間)で掲載される予定です。

タイトル:
Hadal disturbance in the Japan Trench induced by the 2011 Tohoku-Oki Earthquake
著者:
小栗一将1,2、川村喜一郎3、坂口有人3、豊福高志1、笠谷貴史4、村山雅史5、藤倉克則1、Ronnie N. Glud6,7,8、北里 洋1
1. 海洋研究開発機構 海洋・極限環境生物圏領域、2. 海洋研究開発機構 海洋工学センター、3. 山口大学大学院 理工学研究科、4. 海洋研究開発機構 地球内部ダイナミクス領域、5. 高知大学 海洋コア総合研究センター、6. 南デンマーク大学 北欧地球変動研究センター、7.スコットランド海洋科学協会、8. オーフス大学 極域研究センター

2.背景

JAMSTECでは、2011年3月11日に発生した震災について、その発生メカニズム、海底・海洋環境の変化及び生態系への影響に関して、所有する船舶を中心として震源海域での緊急調査航海を数次にわたって実施し、地球物理学、海洋化学、地球化学、生物学、地質学など多角的かつ広範な分野・観点から、それらの解明に向けて取り組んできました。この取組の成果として、「震災前後の海底地形を比較した結果、震源に近い日本海溝最深部での地形の変化を確認(2011年4月28日プレスリリース)」、「「しんかい6500」による調査潜航の結果、地震によって海底に生じたと考えられる亀裂やバクテリアマットの発見(2011年8月15、16日プレスリリース)」、「採水や観測の結果、海底には強い濁りが存在し、海底下から湧出した水によって深海の化学環境が変化、微生物生態系の活発化を確認(2012年2月17日プレスリリース)」、が発信されています。

しかしながら、震源域近傍の深海部における海水、あるいは海底の環境・状況については、深度が深く、未だ頻度高く発生する余震によるリスク等が懸念されるため、十分な調査はなされておらず、同エリアにおける放射性物質についても、把握が困難でした。

JAMSTECは、我が国唯一の深海域までを調査・研究対象とする独立行政法人として、そのためのツール開発を併せて行っており、深海域で世界でもトップクラスの高感度・高精細な映像を取得できる「フリーフォールカメラシステム」を2009年に開発し、保有しています。

3.成果

今回の緊急調査は、震源付近で最も深い日本海溝最深部において、震災による海底環境の変化を詳細かつ具体的に明らかにするため、支援母船「よこすか」による緊急航海(YK11-E06, Leg1、2011年7月11~27日)において、震源から110km離れた日本海溝の海溝軸(水深7,553m)と、そこを起点として東方向4.9km先に位置する太平洋側の地点(水深7,261m)の2地点に、JAMSTECが開発したビデオカメラ付き採泥器を備えたフリーフォールカメラシステムを投入し、震災直後の7,000mを超えた深海での水中及び海底の高精細映像撮影を世界で初めて行うとともに、海底堆積物の採取を行いました(図1)。

今回の調査において、降下中のカメラによって撮影された映像から、海底付近には、通常見られるマリンスノーとは明らかに異なった、ごく細粒の鉱物粒子から構成される非常に強い濁りが確認されました。各深度の画像について、ライトからの光の散乱強度(濁りの強さを示す)を計算して濁りの層の厚さを解析した結果、海底から海溝軸で50m、太平洋側で30mと両地点とも非常に厚いことが判明しました(図2)。海底部について、海底には強い継続した一方向への流れが存在し、ナマコやクラゲの死骸、さらには自分で位置を維持できない魚(シンカイクサウオの仲間)などが、より深い海底に流されていく様子が確認されました。さらに海溝軸の海底では、従前の調査で確認されたナマコなどの底生生物はほとんど確認されませんでした。一方、太平洋側では、流れが海溝軸ほど強くなく、ヨコエビの仲間(端脚類)が生存し、活動している様子が確認されました。

海溝軸から採取された堆積物には、表層から深さ31cmの位置に顕著な境界が見られました。X線CT分析を行った結果、31cmまでの堆積物中からは、薄い高密度の層と厚い低密度の層の繰り返しが3回確認されました。これは、海底で生じた乱泥流が堆積して形成した「タービダイト」と呼ばれる構造で、3回の乱泥流によって形成されたことを示しています。また、ガンマ線分析装置を用いて堆積物中の放射性核種濃度を分析した結果、通常の深海堆積物の場合、海底の表面付近に含まれると考えられる天然放射性核種である鉛210(半減期22.3年)が、タービダイト内でほぼ一定の高い濃度を示しました。さらに、この層内からは過去の地上核実験によって放出されたセシウム137(半減期30年、地上核実験の年間回数が最大となった1963年に最も多く放出された)もほぼ一様に検出されました。これらのことから、海溝軸に達した乱泥流による堆積物の起源は、元々は海溝斜面の表層にたまっていた堆積物粒子であること、さらに、乱泥流の到達後、さほど時間が経っていないことが推定されました。一方で、原発事故に由来するセシウム134(半減期2年)は検出されませんでした。

太平洋側から得られた堆積物には、海溝軸で見られたようなタービダイトは確認されませんでしたが、表層0~1cmから、微量のセシウム134が検出されました(図3)。海溝軸と太平洋側の地点はわずか4.9kmしか離れていないため、セシウム134が太平洋側の海底にのみ堆積したと考えるのは現実的ではありません。むしろ、セシウム134が検出されない海溝軸堆積物にはタービダイト構造が見られることから、海溝軸に おいては、一旦堆積したセシウム134が乱泥流によって表層堆積物と混合し、検出限界以下に希釈されたものと推定されます。このことは、日本海溝の海溝軸付近の斜面は震災後、重力的に不安定な状態がずっと続いており、乱泥流が数回発生するような環境になっていたことを示唆します。

また、セシウム134が、事故からわずか4か月以内に水深7,261mまで運ばれた主な原因として、春先に海面で発生した植物プランクトンの大発生(ブルーミング)が考えられます。NASA Aqua衛星に搭載された中分解能撮像分光放射計(MODIS)によって取得され、宇宙航空研究開発機構(JAXA)と東海大学によって受信・可視化処理された東日本周辺のクロロフィルa濃度分布画像によると、原発事故に由来する放射性物質の放出量が最も多かった3月下旬から4月上旬に合致するように、日本海溝付近で大規模なブルーミングが起きていたことが明らかになりました(図4a)。この時生じた大量のマリンスノーが、大気中からのフォールアウト(※3)、あるいは海流によって海洋表面に到達したセシウム134を吸着し、すみやかに海底に沈降させたと考えられます。このことは、本観測航海前の6月に行われた「よこすか」緊急航海(YK11-E04、Leg1)において、ディープ・トウカメラを使って海溝斜面の水深5,800mの海底を撮影したところ、この時につくられたと考えられるマリンスノーの集合体が海底を覆っている様子が確認されたことからも支持されます(図4b, c)。

4.今後の展望

(1)今回撮影された海底のハイビジョン映像から、震災は水深7,200mを超える深海域の環境や生態系にも大きな撹乱を与えたことが実証されました。深海生態系の維持や発達についてはほとんど知見が無いため、今後、地震によって破壊された深海の生態系が、どのくらいの時間を経て復元していくかを知るための、経時的な調査を行う必要性を合理的に示唆する成果です。

(2)海溝軸の堆積物中に確認されたタービダイトの存在は、堆積物のさらに深部にも、過去の大地震で生じたタービダイトが存在する可能性を示唆します。ピストンコアなどでより長尺の堆積物試料を採取し、タービダイトの周期やそれらの堆積年代を調べることができれば、大地震の発生周期の合理的推定等、防災・減災の効果的対応に大きく寄与することが期待されます。

(3)本成果により、原発事故に由来するセシウム134が短期間のうちに深海底に達し、その移送が植物プランクトンのブルーミングと、それによって生じたマリンスノーによって説明されたことは、今後、海洋への放射性核種の輸送過程や放出量を推定する上で極めて重要な基盤情報となります。

※1 タービダイト:斜面において発生した乱泥流によって、斜面の堆積物がより深い海底に移動・再堆積し形成されたもの。乱泥流は斜面を流れている間に、粒子の大きさにより分化し、最初に粗粒な粒子が堆積し、その後細粒な粒子が堆積して形成される。

※2 マリンスノー:海水中を降下する有機物の集合体。植物プランクトンの死骸などによって構成される。潜水艇からの観察によって静かに降り積もる雪のように見えたことから、こう呼ばれる。

※3 フォールアウト:核実験や原発事故などによって放出された放射性物質が、大気中から地上あるいは海上に降下すること。

図1

図1 調査地点地図。左上の地図の赤い星印は震源を示す。黒実線は1,000m間隔の等深線である。右下の地図は、左上の赤枠部分を拡大したもので、黒実線は100m間隔の等深線。海溝軸地点と太平洋側地点の距離は4.9km。オレンジから紫色になるに従い、水深は深くなる。

図2

図2 ビデオ映像から求められた水中を撮影した画像の明るさ。濁度が高いと乱反射によって画像は明るくなるため、間接的に濁度の強さを示す。明るさは定性的な任意単位であり絶対値ではないが、水深に対して画像の明るさをプロットすることで、濁りの層の厚さを推定できる。

図3

図3 堆積物コアのX線CT画像と放射性核種の濃度。CT値が高いほど堆積物の密度が高い。海溝軸の堆積物の0~31cmは、薄く密度が高い層と、厚く密度の低い層が積み重なって形成されていることが分かる。太平洋側の深さ13~15cm付近に見られる密度の高い層は火山ガラスが主成分であり、今回の震災とは関係がない。測定した放射性核種は鉛210、セシウム137とセシウム134であった。凡例中のExcess 210Pbは、大気中や水中から海底にもたらされる鉛210を示す。

図4

図4 (A)、NASA Aqua衛星によるリモートセンシングで得られたクロロフィルaの濃度分布とその時間変化。3月25日から4月3日にかけて、大規模な植物プランクトンのブルーミングが発生している(黒色の円内)。図中の赤丸は二つの調査地点を含むエリアを示す。衛星データの公開はNASA、JAXA地球観測研究センターと東海大学情報技術センターの厚意による。
(B)、6月に行われた緊急航海(YK11-E04, Leg1)の際、ディープ・トウカメラによって撮影された日本海溝斜面の海底5,800mの様子。白矢印で示されるオリーブ色のマット状の物質は植物プランクトンの凝集物である。
(C)、ドレッジによって採取された植物プランクトン凝集物の顕微鏡写真。珪藻殻から成り立っている。写真内の白線は100μmを示す。

お問い合わせ先:

独立行政法人海洋研究開発機構
(本研究について)
海洋・極限環境生物圏領域 技術研究副主幹 小栗 一将 電話:046-867-9794
(報道担当)
経営企画部 報道室長 菊地 一成 電話:046-867-9198