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  3. 北極海に生息する窒素固定生物のゲノム解読に成功―北極固有種の存在とその特徴が明らかに―
2023年 5月24日
東京大学
海洋研究開発機構
科学技術振興機構

北極海に生息する窒素固定生物の
ゲノム解読に成功
―北極固有種の存在とその特徴が明らかに―

1. 発表のポイント

北極海に生息する窒素固定生物のゲノム解読に成功し、その地球全体(全球)での分布と生存戦略を明らかにしました。
海洋窒素固定生物には海域固有種(北極固有種、低緯度固有種)と、極域と深海を含む全球に生息する普遍種の三つが存在することがわかりました。
窒素固定は海洋の主要な窒素栄養源であり、地質学的時間スケールで海洋生物生産をコントロールしています。海域固有種は環境変化に脆弱であることが多く、今後の北極海の変化が海域の窒素固定に影響を及ぼす可能性があります。
図1

2. 発表概要

東京大学大気海洋研究所の塩崎拓平准教授と海洋研究開発機構の西村陽介特任研究員らによる研究グループは北極海から得られたメタゲノムデータ(※1)から窒素固定生物のゲノム解読に成功しました。

生物を構成する4大要素(炭素、水素、酸素、窒素)のうち、海洋表層にほとんど存在しない窒素化合物は、微生物の行う窒素固定によって海洋生態系に供給されます。この窒素固定はこれまで長い間、熱帯・亜熱帯海域を中心とした低緯度域の貧栄養海域のみで行われると考えられてきました。しかし近年、塩崎准教授を中心とする研究グループは、北極海(関連のプレスリリース①)と南極海(関連のプレスリリース②)といった極域でも窒素固定が行われていることを明らかにしました。極域と低緯度域では水温や栄養塩、光などの海洋環境が大きく異なります。そのため、この極域の窒素固定生物がどのような特徴を持っているかを知ることが次の課題として挙げられていました。

本研究では計7種の未培養の窒素固定生物のゲノムを北極海のメタゲノムデータから得ることができました。そして、それらの全球の分布パターンから、北極海に生息する窒素固定生物は北極固有種と、全球に分布する普遍種に分けられることが明らかになりました(図1)。それぞれのゲノムの詳細を調べると、北極固有種は低緯度固有種や普遍種にはない特殊な遺伝子セットを持っており、北極の特殊な環境に適応できることが示唆されました。一方、普遍種はほとんどが非光合成生物であり、低温に適応するための遺伝子を持っていました。普遍種はこの低温適応性によって全球(深海や極域の冷水でも)に存在しうると考えられました。本研究成果は海洋窒素固定生物の地球上での分布と生態において新たな視座を与える発見です。


図1

図1:海洋窒素固定生物の北極固有種と、普遍種、低緯度固有種の全球分布

本研究は、日本学術振興会科研費(JP15H05712、JP19H04263、JP21H03583、JP22K15089、JP22H05714、 JP23H05411)、科学技術振興機構ACT-X(JPMJAX21BK)、文部科学省 北極域研究加速プロジェクト(ArCSⅡ)、東京大学FSIプロジェクト(オーシャンDNA:多次元生物海図の創出)の支援により実施されました。

本研究成果は、2023年5月23日に英国科学誌「The ISME Journal」のオンライン版に掲載されました。

タイトル:
Distribution and survival strategies of endemic and cosmopolitan diazotrophs in the Arctic Ocean
著者:
Takuhei Shiozaki1#*, Yosuke Nishimura2#, Susumu Yoshizawa3, Hideto Takami1, Koji Hamasaki1, Amane Fujiwara2, Shigeto Nishino2, Naomi Harada1
所属:
1. 東京大学大気海洋研究所, 2. 海洋研究開発機構, 3. 東京大学大学院新領域創成科学研究科
#共同主著者, *責任著者
DOI:
10.1038/s41396-023-01424-x

【用語解説】

※1
メタゲノムデータ:環境中から抽出した微生物のゲノムDNAを網羅的に読んだデータ

3. 発表内容

〈研究の背景〉

窒素固定は一部の原核生物によって行われる非常に特殊なプロセスですが、海洋への主な窒素源であり、地質学的時間スケールで海洋生物生産をコントロールしています。これまで長い間、海洋窒素固定は熱帯・亜熱帯海域を中心とした低緯度域で行われると考えられてきました。しかし、近年の研究によって窒素固定は極域でも行われることが明らかになりました。これにより海洋窒素固定はローカルなプロセスではなく全球的なプロセスであると認識されるに至っています。一方、極域における窒素固定生物に関する情報は現在のところ窒素固定の鍵遺伝子であるnifH遺伝子(※2)の配列情報に限られています。そのため、低緯度域と環境が大きく異なる極域に生息する窒素固定生物がどのような生理・生態を持っているかを知ることは、全球スケールの窒素固定を理解する上で重要な課題となっていました。

【用語解説】

※2
nifH遺伝子:窒素固定を担うニトロゲナーゼ酵素をコードする遺伝子の一つ

〈研究の内容〉

本研究では西村陽介特任研究員が中心となって構築した「海洋微生物ゲノムカタログ」(関連のプレスリリース③)の北極海のデータから窒素固定関連遺伝子を持つゲノムを抽出しました。その結果、7種の窒素固定生物の高品質なゲノムを得ることができました。その中にはUCYN-A(※3)と呼ばれる亜熱帯海域の代表的なシアノバクテリア性窒素固定生物のゲノムも含まれていました。

このデータを基に、全球のメタゲノムデータベース(海洋微生物ゲノムカタログの元となるデータベース)中に、北極海で得られた窒素固定生物のゲノムがどのくらいの割合で存在するか調べました。すると、主に北極海のメタゲノムデータのみで存在が確認できる種と、それ以外に低緯度のデータからもその存在が確認できる種に分かれました(図2)。すなわち、北極固有種と全球に生息する普遍種が存在することを示します。

図2

図2:北極固有種と普遍種のメタゲノムデータ(>0.2 µmのサイズ画分)における割合(一例)

円の大きさは割合の大きさを示す。円の色はサンプルの深度を示す。Arc-Bacteroは北極海周辺のみで検出されるが、Arc-Alphaは北極海だけでなく、低緯度域や南極海でも検出されることがわかる。

北極固有種はそのゲノムのアミノ酸使用やコドン使用、全体の機能(図3)で見ると、他の窒素固定生物と顕著な違いは見られませんでした。しかし、北極固有種は他の同綱もしくは同種の窒素固定生物が持たない特殊な遺伝子セットを持っていました。具体的にはガンマプロテオバクテリア綱は多様な芳香族化合物分解遺伝子や多数のグリコシルトランスフェラーゼ遺伝子を持ち、また北極海のUCYN-Aは低緯度海域のUCYN-Aが持たないDNA修復遺伝子を持っていました。さらに北極固有種のいくつかはウイルス画分(<0.2 µm)のメタゲノムデータに主に出現しました(おそらく、体サイズは非常に小さい)。すなわち、これら北極固有種は何らかの北極海の特殊な環境に適応するためにこのような特殊な遺伝子セットを持っていたり、体サイズを小さくしていると考えられました。

図3

図3:a.ゲノム中のマーカー遺伝子を用いて作成した系統樹と
b.ゲノムから推定した生理代謝機能のパターンからクラスタリングを行った結果

門もしくは綱毎に色分けしている。Arc-から始める太字は北極海で得られた7種の窒素固定生物のゲノム、それ以外は低緯度から得られた窒素固定生物のゲノム。a.では系統毎に顕著なクラスターに分かれていることがわかる。b.では北極海で得られたゲノムが同じ門もしくは綱の生物と同じクラスターにあることがわかる。

本研究では、全球に生息する窒素固定生物の普遍種の存在を初めて明らかにしました。この普遍種はそのほとんどが非光合成生物でした。そのゲノムの詳細を調べると、低温ショックタンパク質をコードする遺伝子(cspA)を持っていることがわかりました。このタンパク質は低温下でRNAの構造を維持するために用いられるもので、低温に生息する微生物が持つ代表的なタンパク質の一つです。すなわち普遍種は低温適応性があることが示唆されました。海洋では極域だけではなく、低緯度でも深海は非常に低温(約2℃)です。非光合成生物は低緯度域でも光のある表層だけではなく深海まで広く分布します。そのため、低温適応性を持つ非光合成生物が普遍種となりうると考えられます。一方、シアノバクテリア性窒素固定生物のほとんどはcspA遺伝子を持っていないことが本研究で明らかになりました。これは、光合成をするため表層に留まる必要があること、高温を好むことが関わっていると考えられます。すなわち、シアノバクテリア性窒素固定生物のほとんどは低緯度固有種なのです。

【用語解説】

※3
UCYN-A:Candidatus‘Atelocyanobacterium thalassa’の通称名。ハプト藻に共生している。

〈今後の展望〉

本研究によって、海洋窒素固定生物は北極固有種、普遍種、低緯度固有種の三つに分けられ、それぞれを特徴付ける機能があることが示唆されました。海域固有種は環境変化に非常に脆弱である可能性があります。北極海は海氷減少に代表されるように、現在地球上で最も環境変化の大きい海域の一つです。本研究成果は、海洋窒素固定生物の地球上での分布と生態において新たな視座をもたらしただけではなく、現在及び将来起こりうる北極海の窒素固定に関する理解に資すると期待されます。


〈関連のプレスリリース〉

「北極海の「砂漠」で生物生産を支えるエネルギー供給源が明らかに ―窒素固定が北極海及び全海洋の窒素源として重要な可能性が―」(2018/5/23)

https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20180523/

「南極海海氷域における窒素固定の発見 −窒素固定が全球プロセスであることが明らかに−」(2020/10/27)

https://www.aori.u-tokyo.ac.jp/research/news/2020/20201027-1.html

「「微生物ダークマター」を解き明かす ―世界最大の海洋微生物ゲノムカタログ―」(2022/6/17)

https://www.aori.u-tokyo.ac.jp/research/news/2022/20220617.html

〈研究に関する問合せ〉
東京大学 大気海洋研究所
准教授 塩崎 拓平(しおざき たくへい)
海洋研究開発機構 生命理工学センター
特任研究員 西村 陽介(にしむら ようすけ)
〈報道に関する問合せ〉
東京大学 大気海洋研究所 附属共同利用・共同研究推進センター 広報戦略室
海洋研究開発機構 海洋科学技術戦略部 報道室
科学技術振興機構 広報課
〈JST事業に関する問合せ〉
科学技術振興機構 戦略研究推進部 先進融合研究グループ
宇佐見 健(うさみ たけし)
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