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プレスリリース

2018年 5月 23日
国立研究開発法人海洋研究開発機構
国立大学法人東京大学大気海洋研究所

北極海の「砂漠」で生物生産を支えるエネルギー供給源が明らかに
―窒素固定が北極海及び全海洋の窒素源として重要な可能性が―

1. 概要

国立研究開発法人海洋研究開発機構(理事長 平 朝彦、以下「JAMSTEC」という。)地球環境観測研究開発センターの塩崎拓平特任研究員らと国立大学法人東京大学大気海洋研究所の共同研究グループは、北極海(図1)の窒素固定の特異性と窒素循環における役割を明らかにしました。

北極海を含む海洋の生物生産において、窒素は基礎的な栄養源として非常に重要な役割を担っています。窒素固定とは、大気や海洋中に存在する窒素分子を生物が利用可能な栄養塩へと微生物が変換するプロセスです。窒素固定は、他の窒素栄養塩(硝酸塩やアンモニウム塩)を利用するプロセスに比べてエネルギーを大量に消費することから、他の窒素栄養塩が枯渇した「海の砂漠」と称されるような熱帯・亜熱帯貧栄養海域で主に行われているとこれまで考えられていました。しかし、北極海においても季節的かつ部分的に貧栄養海域が出現することが知られています。

本研究グループにより、海洋地球研究船「みらい」による調査を行った結果、北極海では広く窒素固定が行われ、貧栄養水塊では重要な窒素供給源となっていることを明らかにしました(図2)。北極海の中でもカナダ海盆域では、近年の海氷融解によって貧栄養化が進行しています。そのような海域では今後、窒素固定が生物生産の理解の要となる可能性が考えられます。また、窒素固定は貧栄養の水塊だけではなく、窒素栄養塩が十分にある海域でも観測されました(図3)。さらに、北極海に生息する窒素固定生物はシアノバクテリア主体の熱帯・亜熱帯貧栄養海域とは大きく異なり、嫌気性細菌が主体となることがわかりました(図4)。つまり、北極海の窒素固定は光に依存しない可能性が高いことがわかりました。これは北極海の中深層や冬期の極夜の時期でも窒素固定が行われている可能性を示唆します。海洋の窒素循環(図5)において、供給源である窒素固定と、除去プロセスである脱窒の収支が合わない(窒素固定が過小評価されている)問題が以前から指摘されており、北極海の窒素固定はこの問題を解決する鍵となると考えられます。今後は北極海窒素固定の全貌を明らかにするために、より広範囲かつ季節を通した観測が望まれます。

本成果は、国際陸水海洋学会連合発行の学術誌「Limnology and Oceanography」に5月21日付け(日本時間)で掲載されました。なお、本研究は日本学術振興会科学研究費補助金JP25-7341、JP15H05712、JP15H05822およびJP15H01725の助成を受けました。また、本研究を実施した航海はGRENE北極気候変動研究事業ならびに北極圏研究推進プロジェクト(ArCS)の一環として実施されたものです。

タイトル:Diazotroph community structure and the role of nitrogen fixation in the nitrogen cycle in the Chukchi Sea (western Arctic Ocean)
著者:塩崎拓平1,2、藤原周3、伊知地稔2、原田尚美1、西野茂人3、西真郎4、永田俊2、濵﨑恒二2
1. JAMSTEC 地球環境観測研究開発センター、2. 東京大学大気海洋研究所、3. JAMSTEC 北極環境変動総合研究センター、4. JAMSTEC 海洋生命理工学研究開発センター

2.背景

北極を含む海洋の生物生産は、窒素によって制限を受けます。窒素固定は窒素分子(N2)を還元してアンモニアを生成するプロセスであり、海洋における窒素供給源の1つとして知られています。海中に窒素分子は大量に存在しますが、窒素分子は三重結合で強力に結びついているため、非常に安定で、通常の生物はその窒素を利用することができません。窒素固定を行うことができるのは一部の微生物に限られています。窒素固定生物はその三重結合を壊して窒素を利用するために、他の窒素栄養塩(硝酸塩やアンモニウム塩)を利用するよりも大量にエネルギーを消費します。そのため、窒素固定生物が生息できるのは窒素栄養塩が乏しい海域に限られるとこれまで長い間考えられてきました。また、海洋性窒素固定生物としてTrichodesmium属やRichelia属、Crocosphaera属のシアノバクテリアがこれまでよく知られていましたが、これらの生物は温度依存性があり、一年中温暖な熱帯・亜熱帯海域のみに生息することが知られていました。そのような背景があり、海洋での窒素固定の研究は主に熱帯・亜熱帯貧栄養海域で行われてきました。この海域は窒素栄養塩が非常に乏しい「海の砂漠」と呼ばれるような海域です。窒素固定は熱帯・亜熱帯貧栄養海域では生物生産を支える主要な窒素源となることがこれまでの研究で明らかになっています。

水温の低い高緯度でも窒素固定が行われていることが分かったのは極めて最近のことで、北極での窒素固定は2012年に初めて報告がありました。その報告によって北極においても窒素固定生物が存在し、窒素固定が行われていることが明らかになりましたが、海洋環境との関係や窒素固定生物群集組成、窒素循環の中での窒素固定の役割についてはわかっていませんでした。北極海は高緯度にも関わらず、貧栄養となる海域が存在することが知られています。そのような海域では窒素固定が重要な窒素源となっている可能性があることから、本研究グループでは太平洋側北極海に位置するチュクチ海を対象として窒素固定に関する調査を行いました(図1)。この海域は、栄養塩が豊富で生物生産が活発な陸棚域から貧栄養の陸棚縁辺域まで環境が大きく変わることが知られており、北極海窒素固定の海洋環境との関係を明らかにする上で最適な環境と考えられました。

3.成果

本調査は2015年9–10月にJAMSTECの海洋地球研究船「みらい」によって行いました。

調査の結果、最低海水温は0℃を下回る環境にもかかわらず、窒素固定はほぼ全ての観測点で検出されるとともに鉛直的に複雑な分布をしていました(図2)。熱帯・亜熱帯貧栄養海域では窒素固定は一般に表面で高く、深くなるにつれて低くなります。これは同海域ではシアノバクテリアが主要な窒素固定生物であり、光合成のために光を必要とするからであると考えられています。北極海において表面で窒素固定が高くなる傾向を持たないことは、窒素固定を行う生物が非光合成生物であることを示唆しました。事実、窒素固定生物の組成について次世代シーケンサーを使って網羅的に調べると、ほとんどの観測点で嫌気性細菌と考えられる窒素固定生物が主要となりました(図4)。これはシアノバクテリアが主体である熱帯・亜熱帯貧栄養海域の窒素固定生物群集と大きく異なります。嫌気性細菌は酸素のほとんどない環境で生育する生物です。観測した海域は嫌気性細菌が生存しうるほどの低酸素環境ではありませんでしたが、このような環境では海水中の粒子内に存在する微小な無酸素空間で生息していると考えられています。また、本研究によって窒素栄養塩濃度の高い水でも窒素固定が起こっていることが示されました(図3)。これも熱帯・亜熱帯貧栄養海域とは異なる点です。

さらに、窒素固定の北極海の物質循環における重要性を明らかにするため、硝酸塩とアンモニウム塩の取り込み速度を測定し、窒素固定と比較しました。硝酸塩とアンモニウム塩は海洋生物生産の窒素栄養塩として最もよく知られ、その重要性が認識されています。特に硝酸塩の取り込み速度が海洋の物質循環を考える上で重要です。硝酸塩は表層生態系の外部から供給される栄養塩で、正味の生産をもたらすものだからです。アンモニウム塩は沿岸域の場合は表層生態系の外部から供給されることがありますが、基本的には表層生態系の内部で再生され、再循環されるものです。測定の結果、窒素固定はアンモニウム塩取り込み速度に比べると1–2桁ほど小さくなっていました。一方、硝酸塩取り込み速度と比べると、貧栄養水塊では局所的にですが、窒素固定が同じかそれを上回っていることがありました。また水中積算値で比べると窒素固定は硝酸塩取り込み速度に対して最大で21%に相当していました。これらの結果は、窒素固定が北極海の物質循環に確かに寄与していることを示していました。

4.今後の展望

本研究では窒素固定が北極海において広く行われ、貧栄養海域では物質循環に寄与していることが示されました。カナダ海盆では近年の海氷融解の進行により、貧栄養化が進み、硝酸塩の供給量が減少してきていることが示されており、このような海域では将来、窒素固定の生物生産における役割が相対的に増すことが考えられます。

また地球規模の物質循環を考える際、北極の窒素固定が重要な鍵となる可能性があります。窒素固定は海洋への新規の窒素栄養塩供給プロセスであり、それに対して海洋からの窒素除去は脱窒(窒素化合物が窒素分子に変換される過程)という過程が知られています(図5)。海洋中の窒素固定と脱窒は、地球全体では平衡すると考えられていますが、これまでの測定結果を統合すると窒素固定が脱窒を下回っていました。この原因として、窒素固定の過小評価、すなわち窒素固定の観測に空白域があったと考えられます。その空白域の1つが北極海なのです。

本研究では、北極の窒素固定は光や栄養塩濃度にかかわらず起こっていることを明らかにしました。すなわち、この結果は冬期の極夜の時期や、今回の観測した範囲よりもさらに深い深度(100 m以深)でも窒素固定が起こっている可能性を示唆しています。北極海における窒素固定は、地球規模の海洋窒素循環の謎を解決する鍵となるかもしれません。今後はより広範囲かつ季節を通した観測で北極海窒素固定の全貌を明らかにしていく必要があります。

図1

図1 本研究の調査海域と観測地点(黄色丸)。海洋の色は観測時の海表面水温と海氷密接度を示す。

図2

図2 窒素固定の観測線に沿った観測断面。光合成による窒素固定を主体とする熱帯・亜熱帯貧栄養海域は海面表層で盛んになるのに対し、北極海では水深に依存していない。

図3

図3 窒素固定と硝酸塩、アンモニウム塩との関係。図中の色の付いた丸が窒素固定が起こっていたことを示す。右上にいくほど硝酸塩、アンモニウム塩濃度が高いが、そこでも高い窒素固定があったことがわかる。

図4

図4 (a) nifH遺伝子(窒素固定を行うニトロゲナーゼをコードする遺伝子)の系統樹。赤字が本研究で得られた45の代表配列。嫌気性細菌に該当する配列は緑の線で示している。(b) 陸棚域と陸棚縁辺域の窒素固定生物群集組成の鉛直分布例。

図5

図5 海洋中の窒素循環の簡略図

国立研究開発法人海洋研究開発機構
(本研究について)
地球環境観測研究開発センター 特任研究員 塩崎 拓平
(報道担当)
広報部 報道課長 野口 剛 
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