深海熱水噴出孔環境は生命が発生した場として長年有力視されてきたものの、アミノ酸などの生体分子の窒素源として欠かせないアンモニアが深海熱水噴出孔環境でどのように濃集していたのかは不明であった。
深海熱水噴出孔環境に普遍的に存在する鉄硫化物(マッキナワイト)が電気還元されると、層構造内にゼロ価の鉄原子からなるアンモニアの吸着サイトが出現することがわかった。この変化によって、アンモニアのマッキナワイトへの選択的な吸着・濃集が達成された。
本研究で実証された深海熱水噴出孔環境におけるアンモニア濃集機構は、生命の発生に不可欠な有機窒素化合物の生成プロセスの一つであったと考えられる。今回の発見は、深海熱水噴出孔環境における生命発生シナリオを大きく後押しする成果である。
国立研究開発法人海洋研究開発機構(理事長 大和 裕幸、以下「JAMSTEC」という。)超先鋭研究開発部門の高萩航研究生(現Rensselaer Polytechnic Instituteポストドクトラル研究員)、岡田賢研究員、高井研部門長、北台紀夫副主任研究員、地球環境部門の松井洋平准研究副主任、海域地震火山部門の小野重明センター長らは、東京大学大学院理学系研究科の高橋嘉夫教授との共同研究により、太古の深海熱水噴出孔環境にアンモニアが濃集するメカニズムを明らかにしました。
深海熱水噴出孔環境は生命が発生した場の有力候補の一つです。これまで実際の深海熱水噴出孔の環境を模擬した室内実験により、アミノ酸や核酸塩基などの生体分子が非生物的に生じていた可能性が示されてきました。しかし、これらの有機窒素化合物の生成には高濃度のアンモニアが必要となります。噴出孔周辺にアンモニアを供給する地球化学プロセスについてはいくつか提案がなされてきた(2019年6月21日既報)ものの、供給されたアンモニアがどのように保持・濃集されていたのかは不明でした。
今回、高萩研究生らの研究グループは、深海熱水噴出孔環境に普遍的に存在する鉄硫化物(マッキナワイト)を電気還元することで、ゼロ価の鉄原子(Fe0)からなる吸着サイトを層構造中に生じさせ、アンモニアの吸着能を劇的に向上させられることを実証しました(図1)。マッキナワイトのFe0への還元(FeS + 2H+ + 2e- → Fe0 + H2S)は、-0.6V(対標準水素電極電位※1)以下において進行し、48時間の実験では、太古の海水を模した水溶液(1 mol L–1 NaCl, 中性pH)から最大90%以上のアンモニアの吸着が達成されました(初期濃度1 mmol L–1)。
今回明らかとなったアンモニアの濃集に有利な電位条件(-0.6V以下)は、現存する熱水噴出孔環境でも観測されている、地球上で十分実現可能な条件です。加えて、太古の海洋底には、海底下の活発な岩石-熱水反応に起因して、高濃度の水素を含む還元的な(電位の低い)熱水が普遍的に噴出していました(図1)。先行研究で示された、硝酸・亜硝酸からのアンモニアの生成や、アミノ化に対するマッキナワイトの反応促進能を加味すると、太古の深海熱水噴出孔環境は、その場に生じるありふれた自然現象の結果として、アンモニアの生成・濃集・同化に適した場であったと考えられます。
本研究は、日本学術振興会 科学研究費補助金 19K04048、19K15379、20H00209、21H04527、22H05149、22K03801 及び 23K13211の支援を受け実施されました。本成果は「Proceedings of the National Academy of Science」に10月3日付け(日本時間)で掲載される予定です。
Extreme accumulation of ammonia on electroreduced mackinawite: An abiotic ammonia storage mechanism in early ocean hydrothermal systems
対標準水素電極電位:電位を表す際に利用される基準の一つ。1気圧の水素ガスが、pH=0の条件で酸化する(H2→ 2H+ + 2e-)際の電位を0Vと定めている。
【参考】
電位:電荷(電気量をもった物体や粒子)が電界(電荷がもっている電気量が周囲に力を働かせる空間)に逆らって移動をするのに必要なエネルギーを表すもの。単位はV(ボルト)。また電位の差が電圧(単位は同じV)。なお、電気回路に電源や別の回路から電圧や信号を与えることを「印加」するという。
生命を構成するアミノ酸や核酸塩基などの生体分子には、窒素(N)が多く含まれています。大腸菌を例にとると、細胞中の全有機化合物のうち約14%が窒素の重量だと見積もられています。このような生体内窒素は、主に生体内の酵素の働きによる生化学反応によって、大気中の窒素(N2)や水中・土壌中の硝酸(NO3–)・亜硝酸(NO2–)がアンモニアに変換され、生体分子に取り込まれたものです。では、生命発生前の太古の地球上においては、酵素の代わりにどのような地球化学プロセスが生化学反応を代行していたのでしょうか。
これまで、太古の深海熱水噴出孔環境を模した室内実験から、さまざまなアンモニアの供給機構が提案されてきました。一部は熱水から、又は海水中の硝酸・亜硝酸の還元を通じて、アンモニアは噴出孔周辺に定常的に供給されていた可能性が示されてきました。しかし、熱水から供給されるアンモニアの濃度はμmol/Lレベル、多くても数mmol/L程度と予想されており、そのような低濃度では生命の発生に必要な有機窒素化合物を合成することは困難です。また、海水中の高濃度な無機陽イオン(Na+など)の存在を考慮すると、噴出孔鉱物への静電気的吸着※2では、熱水から供給されたアンモニアの海水への拡散を防ぐのは難しかったと考えられます。一部の粘土鉱物(カオリナイト・モンモリロナイト・バーミキュライトなど)はアンモニアを選択的に吸着することが知られていますが、これらは主に陸生の鉱物であり、太古の深海底で利用できたとは期待できません。結果として、噴出孔環境におけるアンモニアの保持・濃集メカニズムは、深海熱水系からの生命の発生シナリオを構築する上で、重要な未解決問題となっていました。
JAMSTECでは、沖縄トラフ熱水フィールドをはじめとする様々な深海熱水系への電気化学調査から、噴出孔周辺に生じる発電現象(熱水発電)を明らかとしてきました(2017年4月28日既報)。この現象は、熱水中に含まれる還元性分子が噴出孔の内側で酸化され(例えばH2 → 2H+ + 2e–)、生じた電子が電気伝導性の高い噴出孔鉱物(主に硫化金属)を通じて移動することによって生じ、噴出孔の海水側に還元的な電気化学反応場をもたらします(図1)。この発見を受け、我々の研究グループは、太古の深海熱水噴出孔環境を模擬した室内実験を実施してきました。その結果、熱水発電によりCO2や硝酸などの海水中成分が電気還元されること、そして、硫化金属の一部がゼロ価の金属へと還元されること(例えばFeS + 2H+ + 2e– → Fe0 + H2S)を明らかにしてきました。この反応の途上に生じる部分的に還元された硫化金属は、純粋な硫化金属・金属の双方に見られない特異な反応性を有し、生命発生に重要な様々な無機・有機反応を駆動します(2021年7月7日付解説記事)。今回のテーマであるアンモニアの選択的吸着においても、この硫化金属の部分的な電気還元が重要なプロセスであることが明らかとなりました。
静電気的吸着:固体表面に反対の帯電状態にある物質が吸着する現象。例えば、負に帯電した鉱物表面には正に帯電したイオンが引き付けられる。中性~酸性pHの水中では、アンモニアは主に1価の陽イオン(NH4+)として存在するが、このような帯電状態では鉱物表面への静電気的吸着力は強くない。このため、海水中に高濃度に存在する他の陽イオン(Na+)との競合を加味すると、本現象によるアンモニアの濃集は期待できない。
これまでの先行研究から、太古の海水は、現在よりも塩濃度が濃く、また大気中のCO2が溶け込むことで現在の弱アルカリ性よりもpHは低く、酸性側に近い中性付近であったと考えられています。一方、深海熱水噴出孔周辺では熱水に含まれる硫化水素と海水に含まれる鉄イオンが反応し、マッキナワイトの沈殿物を生じていたと予想されます(Fe2+ + HS- → FeS + H+;図1)。
このような太古の熱水発電場を模擬するため、実験では1 mol/Lの塩化ナトリウム水溶液にCO2ガスを吹き込みながら、塩化鉄と硫化ナトリウムの混合から用意したマッキナワイトに定電位(-0.5から-1.0V)を印加しました。水溶液にはあらかじめ1mmol/Lの塩化アンモニウムを加え、アンモニアがマッキナワイトに吸着した量を、アンモニアの溶存濃度の減少から計算しました。その結果、電位を印加しない場合にはアンモニアの溶存濃度はほとんど変化しなかったのに対し、-0.6V以下の電位を印加すると大きく減少しました。例えば-0.8Vを48時間印加した後のアンモニア濃度は0.056 mmol L-1にまで低下しました(図2)。この電位印加による変化は、アンモニアの溶存量と吸着量の比(固液分配係数)で表すと55倍の増加に相当します。
今回明らかとなったアンモニアの濃集に有利な電位条件(-0.6V以下)は、現存する熱水噴出孔環境でも観測されている、地球上で実現可能な条件です。ただし、十分低い(エネルギーの高い)電位を生じるには高濃度の水素を含むアルカリ性の熱水が有利となりますが(図1右)、このような熱水を噴出する現存の深海熱水噴出孔は、主に電気伝導性が低い炭酸塩鉱物によって構成されています。一方、太古の海水にはFe2+を主とする金属イオンが豊富に含まれていたため、熱水中の硫化水素との反応から生じた硫化金属は噴出孔の主成分となり、 活発な電流の発生を可能にしたと考えられます。特に、マッキナワイトを含む鉄硫化物は主要な硫化物成分であり、不純物として含まれる他の金属イオン(Ni2+など)の触媒活性も合わさって、 様々な酸化還元反応を促進していたと予想されます。加えて、太古の海洋底には、海底下の活発な岩石-熱水反応に起因して、高濃度の水素を含む還元的な(電位の低い)熱水が普遍的に噴出していました(図1)。これらのことから、今回実証されたアンモニアのマッキナワイトへの濃集は、太古の海洋底で普遍的に起こっていたと考えられます。
元素分析/同位体比質量分析計(EA/IRMS):サンプルを燃焼し、放出されたガス成分を分析することで、窒素を含む様々な元素の量や安定同位体比を定量できる装置。
今回、アンモニアの濃集という有機窒素化合物の生成に欠かせないプロセスが、太古の深海熱水噴出孔環境で起こる普遍的な現象の結果として進行することが明らかとなりました(図1)。マッキナワイトはさらに、硝酸・亜硝酸からのアンモニアの生成や、アミノ化反応(例えばケト酸からのアミノ酸生成)に対してよい触媒(或いは還元剤)として働くことが知られています(2019年6月21日既報)。このため、マッキナワイトはアンモニアの生成・濃集・同化を通じて生命発生に欠かせない鉱物であったと言えます。
研究チームは今後も引き続き、深海熱水発電のみならず、液体/超臨界CO2の噴出(2022年11月16日既報)など、深海底で起きている興味深い現象の原理を解き明かす研究と、これらの現象が生命発生に果たした役割を明らかにする研究を展開し、地球や宇宙における生命の起源や初期進化の謎に挑戦していきます。
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