最近(2021年3月)、私(北台)、山本正浩研究員、岡田賢研究員、高萩航研究生、高井研分野長らによる学術論文が出版されました [1] この成果は超先鋭研究プログラムが取り組む深海熱水電気化学メタボリズムファーストシナリオ構築の一環として得られたものです。
このシナリオはいくつかの書籍で解説されておりますが(例えば高井,2018 [2] )、その内容は逐次進歩していますので、ここでは改めて全体像を、今回加わったピースと共に紹介させていただきます。なお、英語での解説はコチラをご覧ください。
私たち人類を含む地球生命のルーツはどこにあるのでしょうか?深海熱水噴出孔は地球、更には宇宙における生命発生の場として注目されています。近年では、土星や木星の衛星(エンセラダスやエウロパ)の内部海に活発な熱水活動が予測され、地球外生命の存在可能性がリアリティーを持って議論されるようになりました(プレスリリース 2015/03/12 [3] 、2015/10/28 [4] )。NASAによって打ち上げられた火星探査機からは、初期海洋底での熱水活動を証拠づける画像が次々と送られてきています [5] 。系外惑星探査では、地球に類似した水惑星が多数発見され 2017 [6] 、また惑星や衛星に熱エネルギーを付与し長期間維持する様々なメカニズムが提案されていることからも [7] 、宇宙における熱水系の普遍性が強く示唆されています。
【深海熱水噴出孔】をネットで検索すると、ゴツゴツした黒い岩石の煙突から黒煙がモウモウと湧き上がる画像が出てきます。約40億年前に地球生命が誕生した環境もこのような様子だったのかもしれません。しかし、現在の熱水活動からは生命発生の兆候は見られていません。その理由は、今と生命が生まれた当時とでは、深海底の化学的・物理的特徴が大きく異なるためです。
一つの大きな違いは、当時の海洋中には鉄(Fe2+)やニッケル(Ni2+)などの金属元素が高濃度に溶け込んでいた点です [8] [9] 。現在見られる黒い熱水噴出孔(ブラックスモーカー)は、熱水に含まれる金属イオンや硫化水素が沈殿して生じる硫化金属を主成分としています。ブラックスモーカーの熱水は多くの場合、高温かつ酸性であり(例えば300℃以上,pH 4以下)、海底下で岩石から金属や硫化水素を溶かし込み、噴出後の急激な温度・pHの変化に伴い硫化金属を沈殿させます。一方、熱水がアルカリ性であった場合には(例えばpH 10)、海底下での熱水-岩石反応から金属や硫化水素はあまり供給されず、噴出孔は炭酸塩鉱物を主成分とするホワイトスモーカーになります。例えば大西洋中央海嶺にあるロストシティ熱水フィールドでは多くのホワイトスモーカーが観測されていますが、ここでは最大でも64 μmol kg–1の硫化水素しか放出されていません(活発なブラックスモーカーだとこの100倍以上)[10] 。
では、もしロストシティのホワイトスモーカーを40億年前の海洋底に置くとどうなるでしょうか?海水中に金属元素が多く含まれているため、熱水中の硫化水素が薄くても、硫化金属の溶解度を上回り、沈殿物を生じると予想されます [11] 。他にも炭酸塩鉱物やシリカなどの「ホワイト」な成分も沈殿したと考えられますが [12] 、噴出孔は「ホワイト」と「ブラック」が不均一に混じり合った斑模様となるでしょう。この【アルカリ性熱水を放出するブチスモーカー】という現在には見られないタイプの噴出孔が、深海熱水電気化学メタボリズムファーストシナリオの重要な舞台になります。
今から11年前、ブラックスモーカーを構成する硫化金属には金属に近い導電性と電気触媒能があることが、中村龍平博士らによって明らかにされました [13] 。深海底から噴出する熱水は海水と比べて低い酸化還元電位を持ち、熱水と海水を隔てる噴出孔の壁内には大きな電位差が生じています。この壁に優れた電気化学特性があるという事実から、壁内に生じる電位差に沿った電流の存在が予想されました。実際、2012年に山本正浩研究員らは人工熱水噴出孔に燃料電池を設置し、熱水中の硫化水素の酸化(H2S → S + 2H+ + 2e–)と海水中の酸素の還元(O2 + 4H+ + 4e– → 2H2O)とを組み合わせ、電流の発生を実証しました(プレスリリース 2013/09/03 [14] )。その後の沖縄トラフ熱水フィールドでの電気化学調査では、噴出孔を中心とした幅広い領域に発電現象が確認されました(プレスリリース 2017/04/28 [15] )。
還元性成分の酸化から得られる電位は熱水の温度やpHに大きく依存し、高温・アルカリ性ほど低く、低温・酸性ほど高い傾向があります。例えば水素のプロトンへの酸化電位(H2 → 2H+ + 2e–)を二酸化炭素の一酸化炭素への還元電位(CO2 + 2H+ + 2e– → CO + H2O)と比べた場合(図1)、同じ温度・pH条件ではH2の酸化電位の方が高く、CO2の還元に必要な電気エネルギーを供給することはできません。しかし、H2を高温・アルカリ性に、CO2を低温・酸性に置き両者を導通すれば、H2酸化エネルギーでCO2還元を駆動することは十分可能になります。約40億年前の海洋はCO2に富み低温・弱酸性であり、一方、H2は海底下で起こる熱水-コマチアイト(当時の海洋地殻の主要な構成岩石)反応から豊富に生じていました [16] [17] 。また、硫化金属の数種は、CO2のCOへの電気還元を触媒します [18] [19] [20] 。このため、当時の海洋底に広く存在していた【アルカリ性熱水を放出するブチスモーカー】は、十分な電位と触媒を併せ持つCO2還元に適した環境であったと考えられます。
さらに最近、このような熱水発電場を想定した室内実験で、私たちは硫化鉄(FeS)がゼロ価の鉄(Fe0)へと数日スケールで電気還元することを見つけました [21] 。この途上に生じるFeSとFe0の複合体(FeS_PERM;PERMはpartially electroreduced to metalの略)は、異なる価数を持つFe原子の相乗効果によって、生命発生に重要な複数の(有機)化学反応を強力に駆動する触媒及び還元剤として機能することが分かりました(図2)。
補足すると、噴出孔の海水側での(電気)化学反応を考える私たちの研究戦略は、熱水側を反応場とする一般的な想定とは異なります。高温では様々な反応が一様に活性化するため、何らかの理由で有用な(有機)化合物が供給されても、有用・無用に消費され、有機反応はたちまち立ち行かなくなります。一方、低温の海水側ではランダムな反応が抑えられ、触媒による制御が有効になります。導電性の媒体(硫化鉱物)を介して電子の発生と消費の場を隔て、熱水側で高い電気エネルギーを獲得して海水側に送る仕組み(図3)は、このようにエネルギー・反応制御の両面でメリットがあり、生命発生のための重要な条件であったと考えられます。
ようやく本題に近づいてきましたが、私たちは今回、約40億年前の熱水発電場を想定した室内実験で、CO2の電気還元を経たチオエステルの合成に成功しました [1] 。チオエステルは、アセチルCoAという補酵素に代表される、生物代謝にとって必須の化合物です。代謝には異化(栄養素を小さな断片に分解して部品とエネルギーを取り出す過程)と同化(小さな部品から生命構成分子を構成する過程)の二方向がありますが、チオエステルはこれらの境界に位置し、多くの生合成に中間体として関わっています。その生物代謝への重要性から、これまで多くの生命起源シナリオにキープレイヤーとして登場してきました。メタボリズムファーストシナリオでは特に重役を担っており、炭素源としての役割の他、現在のアデノシン三リン酸(ATP)のようなエネルギー通貨としての働きも期待されています [22] 。しかし、原始地球上でのチオエステル生成をサポートする実験結果は限られており、特に、当時支配的な炭素化合物であったCO2からの合成ルートは分かっていませんでした。
生体内でアセチルCoAを合成する酵素の一つに、アセチルCoA合成酵素(acetyl-CoA synthase; ACS)があります(図3左)。この酵素はNi、Fe、Sからなるクラスターを持ち、活性中心であるNiの価数を+1から+3の間で変化させることで、酸化・還元両方の中間ステップを駆動しています [23] 。この反応に必要となるCOは、活性中心にNi-Fe-Sクラスターを持つ別の酵素,CO脱水素酵素(CO dehydrogenase; CODH)、がCO2から合成しています。これらのクラスターは深海熱水噴出孔にあるNiSやFeS鉱物を連想させるため、深海熱水噴出孔で起こった生命発生前イベントの名残である可能性が長年指摘されてきました。しかし、純粋なNiSやFeSの触媒能を調べた先行研究では、チオエステルはCOやメタンチオールの熱水反応から微量に検出されたものの、より安定な生成物(酢酸)に至る短命な中間体にすぎませんでした [24] 。
今回、私たちはNiSの電気還元によって生じるNiSとゼロ価のニッケル(Ni0)との複合体(すなわちNiS_PERM)が、COとメタンチオールからのチオエステル生成を室温・中性pHというマイルドな条件で促進することを発見しました。この反応はNiS_PERMを純粋なNiSやNi0に置き換えるとほとんど或いは全く進行しません。また、NiS_PERMはその生成過程でCO2の電気還元を触媒し、生じたCOを表面に結合・濃集していきます。このため、NiS_PERM表面はCOの生成・濃集・反応というステップを経てCO2からのチオエステル合成を実現します。NiSにFeやコバルト(Co)を混ぜた硫化金属を使った同様の実験では、チオエステル生成効率がむしろ向上し、必要な電位条件もよりマイルドになる(–0.6 VSHE以下)という結果が得られました。
これらの現象を理解するまでの苦労としては、NiS_PERMは同定にX線吸収端微細構造分析などの高度な手法が必要で、また空気に触れると即座に酸化し失活する点が挙げられます。さらに、NiS_PERMに吸着したCOも見た目には分かりませんし、一般には表面被毒(Surface Poisoning)というネガティブな印象を持たれた現象なので、始めは調べようと意識すらしませんでした。このため、私たちの先行研究 [19] [21] では見過ごしていました。しかし後から見るとヒントはいくつか転がっており、それらをなんとなく感じながらうまくいくかもしれないと思ってこなした試行錯誤が功を奏しました。予定調和でない超先鋭研究プログラムらしい研究と言えるでしょう。
NiS_PERMの生成やチオエステル合成に必要な電位条件(–0.6 VSHE以下)を持続的に達成できる環境は、深海底の熱水発電場を除くと非常に限られています。陸上でもこの電位条件を満たすアルカリ熱水が一部で観測されていますが(プレスリリース 2017/07/21 [25] )、噴水が貯まる池や湖の組成が熱水に近づいてしまえば(すなわち温泉になれば)、噴出孔内外の電位差が縮まり、最終的に電流は止まってしまうと予想されます。一方、このような環境の制約は、深海熱水噴出孔のメタボリズムや生命の発生場としての優位性を示しています。メタボリズムファーストシナリオでは、私たちが持つメタボリズムの中枢には、生命誕生の発端となった(有機)化学反応プロセスの核心部分が刻まれている、とされています。私たちの成果から、深海熱水噴出孔はこのようなシナリオを達成しうる唯一の環境に躍り出ることとなりました。
今回の成果のポイントは、1960年代から長らく指摘されてきた、チオエステルは生命発生に必須だと思われるがその生成過程がよく分からない、という問題に対して、熱水発電を考慮すれば簡単に進むことを示した点にあります。ただ、玄人の読者の中には、メタンチオールはどこから来るのか、NiSは深海熱水噴出孔に濃集していたのか、などの問いを持たれた方もいるかもしれません。これらへの解説は、他のテーマも含めて、また次の機会とさせていただければと思います(私がやるとは言っていない)。
今後も深海熱水電気化学メタボリズムファーストシナリオの進歩をご期待ください。