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超先鋭研究プログラム

研究内容紹介

[2020年]

プレスリリース
「スケーリーフットの全ゲノム解読に成功
―生物の硬組織形成の起源と進化に新たな知見―」
では語りきれなかったスケーリーフット研究小史

(裏ストーリー)(註1



書き人:チョン・チェ・ケンタッカイ
(国籍不明ルポライター)

註1:

スケーリーフット研究小史(表ストーリー)は、今回プレスリリースを行った研究成果をわかりやすく理解して頂く参考資料として作成したもので(太字部分に相当します)、インド洋での深海熱水発見の歴史やスケーリーフット発見やその研究の歴史を、客観的かつ簡潔に、そしてエスプリに富んではいるものの安心・安全クオリティーの文体で紹介しています。しかしそれだけだとイマイチ満腹感が得られないマニアもいるのでははないか?なにより研究当事者の「もっとイロイロドロドロと語りたい」欲が満たされていなかったではないか?そんな自己満足的欲求から、表ストーリーでは(デンジャラス過ぎて)語られることがなかった衝撃のエピソードや噂をメガ盛りで、この裏ストーリーをお届けしたいと思います。   


裏ストーリー少し?かなり長いので先に下記7章建てなことをお伝えしておきます!
クリックして頂くと各章に飛びますので目次としてもご利用ください。
本編と合わせて「インド洋熱水スケーリーフット研究史(年表)」もどうぞ!?(編集者より)

【インド洋での深海熱水発見】

【スケーリーフットという奇妙な形態の生物の発見】

【広がるスケーリーフットの生息地】

【化学合成共生システムもユニーク】

【「スケーリーフットふしぎ発見」のミステリー】

【スケーリーフットが絶滅危惧種に!】

【「スケーリーフットふしぎ発見」のラストミステリーへの挑戦=本研究】


年表:インド洋熱水スケーリーフット研究史 (別ページ)



【インド洋での深海熱水発見】

JAMSTEC X-starの布教活動により今や地球生命誕生の最有力な場として知られる深海底熱水噴出孔ですが、発見されたのは意外と最近で、ほんの40数年前の1977年のことです。そして、インド洋ではじめて発見されたのは太平洋・大西洋での発見に遅れること20年余、2000年のことでした。東京大学海洋研究所(当時)の観測船「白鳳丸」が1993年に得た観測結果をもとに実施されたJAMSTECの深海調査研究船「かいれい」及び無人探査機「かいこう」の調査航海によって、インド洋海域で初となる熱水域「Kaireiフィールド」が中央インド洋海嶺において発見されました(2000年12月14日既報) (Hashimoto et al. 2001)(註2)。しかし残念ながら、この航海ではスケーリーフットの存在をみつけることはかないませんでした。(註3)その辺りのことはインド洋熱水&スケーリーフット研究歴史早見表もぜひ参照ください。


註2:

2000年の「かいれい」・「かいこう」の航海の前に、1998年に「よこすか」・「しんかい6500」が同じ熱水域を見つけることを目的にインド洋のロドリゲス海嶺三重点付近の潜航調査(2潜航)を行っています。実はその時、「しんかい6500」は後に発見される「Kaireiフィールド」の間際(500-1000m)にまで迫っていたのでした。しかし潜航研究者の運のNASA(日頃の善徳のNASA)のせいかもしれません。結果として「なんの成果もありませんでした!」状態に終わりました。しかしもしこの航海で熱水活動が見つかっていたら、「Kaireiフィールド」ではなく「Yokosukaフィールド」か「Shinkaiフィールド」という名前になっていたはずです。余談ですが「Shinkaiフィールド」はそれから14年後に、「Yokosukaフィールド」は20年後に、それぞれマリアナ海溝と沖縄トラフに見つかった新しい熱水域(湧水域)に命名されています。   

註3:

JAMSTECに来て3年目だったピチピチの高井研は、2000年の「かいれい」・「かいこう」の航海に乗船予定だったのですが、首席研究者のH氏が「キミのような元気な(生意気で取り扱いの難しそうな)若者(若造)はコストパフォーマンスの高い研究成果が必要でしょう。熱水が見つかってから航海に行った方が良いよ。なので不要不急の今回の航海は自粛したら?」と善意風に強く助言するものですから参加を断念しました。案の定「かいれい」・「かいこう」航海終了後、乗船研究者が「うおおおお、世界初のインド洋熱水の発見や!Natureや!」と興奮するのを「なるほどなるほど。いわゆる一つの厄介払い...」と何ともいえない気持ちでナマ温かく見ていたものです。あれから20数年経ちました。しかしこの小史(表ストーリー)を書いている途中に、「この航海ではスケーリーフットの存在をみつけることはかないませんでした」という記述の本質に関わる「20世紀最後の真実」が明らかになったのです!気になる続きはウェブで(以下の註4で)   


【スケーリーフットという奇妙な形態の生物の発見】

インド洋最初の熱水域「Kaireiフィールド」が見つかって7ヶ月後(2001年)、米国の観測船「Knorr」無人探査機「Jason」が「Kaireiフィールド」の調査を行い、その時初めてスケーリーフットが発見されました(Van Dover et al. 2001)(註4)。これまでに知られる体表に鱗を持つ唯一の巻貝であることに加え、(硫化)鉄の鎧を纏う生物という強いインパクト、そしてカンブリア紀に生息していた鱗を纏う生物群と非常に形態的特徴が似ていたことから、その発見は「Science」誌に報告されました (Warén et al. 2003) (註5)。現在に至るまで、(硫化)鉄を骨格の一部分として使う生物はスケーリーフット以外には見つかっていません。スケーリーフットの試料が採取され、その形態は珍しく誰が見ても新種の巻貝であることは一目瞭然でしたが、最初の論文以降なぜか正式に命名・記載をされることはありませんでした(註6)。ちなみに上記の「Knorr」・「Jason」調査から遅れること6か月、2002年に「Kaireiフィールド」で行われたJAMSTECの深海潜水調査船支援母船「よこすか」及び有人潜水船「しんかい6500」の調査航海で、日本の研究チームは初めてスケーリーフットの御本尊と邂逅することになります(註4)。タッチの差で最初の発見を逃すことになりましたが、その悔しさが日本の研究者のスケーリーフットに対する後の研究を推進する原動力となったのかもしれません(註7)。


註4:

米国の「Knorr」・「Jason」航海が行われた時、日本チームが「Kaireiフィールド」を発見したことは公になっていませんでした(つまり論文も学会発表も行われていませんでした)。それは「Kaireiフィールド」の発見をNature誌に発表することを狙っていた乗船研究者、特に首席研究者のH氏、の意向で情報統制がひかれていたからです(Nature誌やScience誌といった商業誌と言われる学術雑誌は基本的に初出成果に拘るため以前はかなり厳密な秘匿性を求めていました。現在ではインターネットによる情報発信の在り方が変容したことやpreprint雑誌の登場などの理由により、かなり緩い縛りになっています)。なので、米国の航海の首席研究者だったシンディ・バン・ドーバー氏(「深海の庭園」の著者で、研究者でありながら有人潜水船=アルビン号の初の女性パイロットになった経歴を持つ女傑生物学者)は、個人的な繋がりを通じてH氏から「Kaireiフィールド」の位置情報をあらかじめ入手し、「Kaireiフィールド」の潜航調査を行ったに違いありません。この情報の共有(リーク)が、乗船研究者の了承済みであったか、あるいはH氏もしくはその周辺だけの判断であったか、についてはよくわかっていません。いずれにせよ、H氏のNature誌発表計画は紆余曲折の末頓挫し、2001年7月1日付けでH氏が筆頭著者である「インド洋での初めての熱水発見」論文が日本動物学会の(世界的に見ればめちゃマイナーな)学会誌に発表されました。その論文が発表された直後、顔を合わす度にH氏は「(Nature誌掲載が却下されたのは)欧米の研究者の陰謀やったんや!辛いです...」とさかんに被害者であることを強調していたものです。実際にその3ヶ月後、シンディ・バン・ドーバー氏が筆頭著者となるインド洋の熱水発見の続報(第2報)論文が、世界的に超メジャーなScience誌に掲載されるという「不可解な判定」がありました。しかし不思議なことに、米国の「Knorr」・「Jason」航海の乗船研究者が列挙される論文の共著者のなかに一人だけ日本人の名前が載っていました。H氏でした。




「かいれい」・「かいこう」航海の乗船研究者や高井研は、「なぜH氏が共著者に?」と4谷学院に徹底的に問い詰めたい気分でした。しかし4谷学院に聞かなくても、その理由は一つしか考えられません。「Kaireiフィールド」の位置情報伝達に対する貢献(いわゆるギフト)でしょう。乗船研究者や高井研は思わず「国際的陰謀゚+。:.゚(*゚Д゚*)キタコレ゚.:。+゚」と気色ばみましたとも。麻雀に例えるなら、H氏は「ツモあかんわー、全然ツイてないわー、座った場所が悪いわー」とやかましく愚痴りながら、ドラ牌・役牌である白と中のシャンポン待ちでどっちに転んでも親ッパネ確定のヤミテンを張っていたということです。さらに麻雀に例えるなら、しれ〜と「ロン。うわ、さいあく。めっちゃ低めやわー、インパチごっつあん!」としたあげくに、乗船研究者や高井研からのクレームには「えー、シンディがー、勝手にやったことでー、えー、ワタクシはー、むしろ被害者であるわけでー」というアベちゃんのような答弁を繰り返すのでした。とはいえ、世界の業界研究者の間では、米国航海の首席研究者だったシンディ・バン・ドーバー氏がトランプ氏なみの強烈な個性を持っていることは有名でしたので、乗船研究者や高井研も「さもありなん」と思わざるをえなかったのもまた事実です。

たしかに個人と分野と国家という様々な次元の異なる階層に渡る欲望と思惑が渦巻く競争の激しい研究業界においてはよくある話といえなくもない、といえばいえなくもない。このように研究対象や成果が被ってしまった場合、ガチガチのセメントマッチ(論文発表競争)で決着を付けることを望む好戦的肉食系研究者も多いですが、昨今ではドンパチに至る前にあらかじめ当事者間でシマ(研究対象や分析項目)や取り分(論文内容や著者配分)を話し合いで決めておいて平和裡に解決を目指すコミュ力の高い研究者も増えてきています。ただしその場合には、できるだけ多くのステークホルダー(利害関係者)の間で取り決めが承認・共有されていること、そしてできるだけ多くのステークホルダーに利益が分配されること、が後々の研究や関係性の安寧秩序の形成に重要であることは間違いありません。

おそらくそのような根回しがちゃんと行われていなかったのでしょう。まあそれでももう20年前の話です。関係者からすれば今となっては多少苦い思いはあるものの、「古いアルバムの中に隠れて想い出がいっぱい無邪気な笑顔の下の日付けは遥かなメモリー」(by H2O)です。そう思っておりましたとも。つい最近までは。

しかーし、令和の時代を迎えた日本(の横須賀の片隅の研究所の一界隈)において、当時のスケーリーフット研究に深く関わっていた老研究者の証言から衝撃の事実が浮かび上がってきたのです!




この20数年の間、「「Kaireiフィールド」を発見することはできましたが、残念ながらスケーリーフットを見つけることはできませんでした」と教えられてきた、ぼくたち(男子全員)!わたしたち(女子全員)!「日本チームはインド洋熱水を発見することはできましたが、その化学・微生物・生物における特徴がイマイチパッとしなかったので論文をNature誌に発表することができませんでした」と伝え聞いてきた、ぼくたち(男子全員)!わたしたち(女子全員)!(補足すると、「Kaireiフィールド」は化学・微生物・生物のどれをとってもメチャクチャ面白い研究対象であったのはその後の研究で実証済みです)

いやいや老研究者のことですから記憶違い?という可能性もあります。しかしその後の証言もさらに衝撃だったのです。


Science誌に掲載されたシンディ・バン・ドーバー氏が筆頭著者の論文にはスケーリーフットの記述が大盛りです。米国はROVの潜航調査によって初めてスケーリーフットを発見し試料を採取したのですから当然でしょう。一方、H氏が筆頭著者である「インド洋での初めての熱水発見」論文にはスケーリーフットのことは一切触れられていません。見つけていなかったから当然でしょう。しかしこの認識こそが「作られた虚構」だったのです。老研究者の証言が正しければ、2000年の「かいれい」・「かいこう」の航海で、一部の乗船研究者はスケーリーフットの個体が採取されていたことを知っていたということになります。なぜその研究者達は「歴史的勝利!」とスケーリーフットの発見を論文に発表しなかったのでしょうか?真相はわかりません。ただあまりに奇妙な形態の巻貝類の発見であったために論文で報告するためにも海外の専門家の協力が必要と感じたのか、あるいはたった2個体しか採取できなかったためにもっと個体試料の数が必要と感じたのか?H氏は「Kaireiフィールド」の位置情報だけでなく、スケーリーフットという奇妙な巻貝の存在情報までシンディ・バン・ドーバー氏に伝えていたと思われます。先程挙げた例で言えば、H氏はあまりのスケーリーフットの新奇性を前にして、反射的にガチの競争よりも国際協調の道を模索してしまったのかもしれません。それが日本側の多くのステークホルダーの間で承認・共有されていたかについてはわかりませんが。

いずれにせよ事前情報を得ていた米国の研究者は、「かいれい」・「かいこう」航海の7ヶ月後に行われた「Knorr」・「Jason」航海で、必死のパッチでスケーリーフットを探したことでしょう。「Kaireiフィールド」の熱水活動は比較的狭い範囲に集中しており、1日もあればまず間違いなく黒いスケーリーフットを見つけ大量の試料を採取することができたでしょう。見れば見るほど興味深いスケーリーフットの試料を前にしてシンディ・バン・ドーバー氏は思わず一句詠んだと言われています(嘘)。

「ときは今 あめが下知る 五月かな」
(現代語訳:「Kairei」フィールド発見の功は日本チームだとしても、スケーリーフットの発見やインド洋熱水生物群集の記載や生物地理はこの私が主導でNature/Scienceに発表するべき!)。

シンディ・バン・ドーバー氏は、本能寺に攻め入りノッブを討ち取るようにH氏を籠絡しスケーリーフットに関する研究の優先権を確保したのでしょうか。とにかくスケーリーフットの発見と報告には世界を股にかけた思惑と駆け引きがあったことは間違いないようです。そう考えるとH氏の「欧米研究者の陰謀」説も、単なる三味線(ブラッフ)ではなく、苦渋の感情の吐露としてにわかに現実味を帯びてきます。でもそこはやっぱり、「是非に及ばず」(ノッブ)と言い放って欲しかったですよね−。

スケーリーフット不思議発見のパーフェクト賞を達成したその後の研究進展から振り返ってみれば、「なんてちっぽけな!」と思えなくもない話ではあります。しかし膨大な人的・金銭的コストがかかる調査航海における新しい重大な発見の裏側には、多かれ少なかれその功と利の占・共有に関わる実に人間臭い悲喜交々ドロドロのドラマがあるのです。そしてえてしてこういう人間臭いドラマは表向きには美談と虚構で装飾され真実の物語は闇に消えてしまいがちです。そういう研究の裏側も伝えてこそ真のアウトリーチ。炎上上等で現場からお伝えしました(震え声)。
  

註5:

最初のシンディ・バン・ドーバー氏が筆頭著者となるScience誌の論文ではスケーリーフットの存在発見に対して比較的分量が割かれていましたが、何故かその詳細は「続きはウェブ(別の論文)で」とあっさり濁してありました。それもそのはず、共著者や「Knorr」航海乗船研究者には貝の形態や分類に詳しい専門家がいなかったのです。そこで、スケーリーフットの科学的記載のお鉢が回ってきたのが、深海巻貝分類の第一人者、スウェーデン人研究者のアンダース・ワレン氏でした。米国から送られてきたスケーリーフットの標本を見たワレン氏は雷に打たれたように「アンちゃんかんげき◇ー!まるでカンブリア紀に生きていた動物の再来ではないか!」と言ったとか言わなかったとか。そして光を受けてきらめく鱗の元素組成分析結果を見てさらに落雷連発。「アンちゃんかんげき◇ー!鉄じゃと!?ありえん!こんな動物ありええええん」。アンダース・ワレン氏はシンディ・バン・ドーバー氏にこの発見を熱く説き、「これはもう一度Science/Nature行けるで!」とタブロイド紙メジャー誌への投稿決意を固くしました(なぜスウェーデン人が関西弁を使うのかは不問の方向で)。そしてスケーリーフットの科学記載の原稿を書き、バーコード遺伝子の配列を国際的データベースであるGenBankに登録し、Science誌に投稿したのです。

しかし、原稿を受け取ったScience誌の編集は「硫化鉄の鎧を持つ生物」には強く惹かれたものの、それ以外の記載部分についてはScience誌の誌面を与えないことを決め、1ページの超ショートレポート(“BREVIA”形式、現在は廃盤)なら掲載するという返事をしたと言われています。これにより、アンダース・ワレン氏たちは「短くするがScience誌」、または「そのままの長さで他のマイナー誌」という選択を迫られました。最終的には前者を選択し、そのため形態や分類に関する文章はほとんど補助資料(supplementary material)としてウェブ上でのみ公開されることとなったのです。つまり、スケーリーフットに関する最初の報告論文は、オンラインのみの補助資料では国際動物命名規約で定められた学名の正式命名に必要な規約を満たせないと判断したワレン氏たちが記載命名の部分を削り、微妙な感じなままお茶を濁すことでScience誌発表という利を得たという妥協の産物だったのです。そのためスケーリーフットが正式な記載がされることもなく、その後もただただ「スケーリーフット」と呼び続けられることになります。ただし、遺伝子の配列を登録する国際データベースであるGenBankの情報には、簡単な由来動物の名称(Crysomallon squamiferum)だけが公開されていました。おそらく論文ではChrysomallon squamiferumとして命名するはずであった学名が、GenBankに登録する際にまちがって”h”が抜けたものが登録されてしまったのでしょう。正式には認められていないミススペル&なんちゃって学名が拡散する状況だったのです。   

註6:

一方、2004年に日本の貝類学会誌VenusにH氏を含む著者陣によるインド洋の熱水域に見つかった巻貝の新種を記載する論文を発表しました。「スケーリーフットついに科学的記載か?! ざわっざわっ、ざわっざわっ」となりました、しかしなぜかその論文では「スケーリーフット」に触れることなく、唐突に「スケーリーフットに関してはワレン氏達が別の論文で記載することになっている」とただし書きが記されていました。ワレン氏のScience誌論文は2003年6月投稿・同9月受理・同11月公開、Venus論文は2003年8月投稿・2004年3月受理。この時系列を見る限り、二つの論文の投稿時にはすでに二つの研究グループの間で取引があったと考えられます。つまりスケーリーフットの記載に関する全権はワレン氏チームにあったと考えられます。しかし、ワレン氏のScience誌論文に記載がなく、日本チームは改稿・追加の時間があったにもかかわらずVenus論文にスケーリーフットを記載しなかったのは、けなげにも日本チームは徹底的に講和の道を模索していたのでしょう。一方ワレン氏は、「記載はワイや、ワイがやるんや!」と言い残したまま論文を発表することはありませんでした・・・。   

註7:

表ストーリーでは収まりがよくなるようになんとなくこのように書いてしまいましたが、第一発見報告を逃した悔しさは決して本質的な理由ではないですね。結局の所、スケーリーフットの形態的なユニークさとそれがどのような生理機能と結びついているのか、かたちと機能の進化の不思議、に魅せられてしまったということに尽きます。つまり「可愛いは正義」!   


【広がるスケーリーフットの生息地】

2009年には「よこすか」及び「しんかい6500」の調査によって、同じ中央インド洋海嶺の「Kaireiフィールド」から北北西に約800 km離れた海域で「Solitaireフィールド」が発見され、鱗も貝殻も硫化鉄に覆われていない白いスケーリーフットが生息していることがわかりました(2010年12月13日既報)(Nakamura et al. 2012)。そして、2011年には英国の調査チームによって、「Kaireiフィールド」から西南西に約2300 km離れた南西インド洋海嶺上で「Longqiフィールド」の存在が明らかとなり、そこでもスケーリーフットが生息していることがわかりました(Copley et al. 2016)。オックスフォード大学の大学院生であったCHEN Chong(現 海洋研究開発機構研究員)は、これらインド洋の様々な深海熱水域から採取され世界各国に散らばるスケーリーフットの試料を丹念に収集し、綿密な形態解析とマーカー遺伝子の解析を行いました(Chen et al. 2015a; Zhou et al. 2018)。そして、インド洋の深海熱水に生息するスケーリーフットがすべて同一の種であることを明らかにした上で、2015年に「Longqiフィールド」をタイプ産地としたスケーリーフットの分類学的記載を報告しました(Chen et al. 2015a)。Chrysomallon squamiferum (鱗を帯び金羊毛を纏うもの)という正式な名前がつくのに、発見から実に14年もかかったのです(註8)。金羊毛はギリシア神話に登場する宝物のひとつで、金(属)を内包する鱗の鎧をそれに見立てて名付けられました。 ちなみに2014年には中国の調査航海が「Longqiフィールド」の東約100kmの海域で「Duanqiaoフィールド」を発見し、スケーリーフットを数個体採取していました(Zhou et al. 2018)。さらにごく最近では、2019年の中国の航海が「Tianchengフィールド」でスケーリーフットの群集を発見し、採取しています(Sun et al. 2020)。この辺りのこともインド洋熱水&スケーリーフット研究歴史早見表を参照ください。


註8:

2011年11月、当時オックスフォード大学の博士課程1年だったチェン氏はイギリスの研究船「RSS JAMES COOK」の航海乗船のため南アフリカ・ケープタウンにいた。この航海ではインド洋の海山(オックスフォード大学主導)と熱水(サウサンプトン大学主導)を調査する予定であったが、チェン氏はオックスフォード大学の海山チームの一員として海山の貝の研究のために乗船していた。表向きには、チェン氏は貝の研究に邁進する将来有望な真摯な大学院生としてふるまっていたが、実は四カ国語(プラスなんJ語)を駆使する世界を股にかけるスーパー貝マニアでもあったのだ。チェン氏は2006年のJAMSTECのプレスリリースをきっかけにスケーリーフットの存在を知って以来、深海熱水域に生息する巻貝、いやむしろスケーリーフット、を研究したいという野望を密かに抱いていたのだった・・・。

二週間後、船はその時点ではまだ未確認の熱水域であった「Longqiフィールド」の真上の海域におり、初めての「Longqiフィールド」のROV潜航調査が行われようとしていた。実はこの航海ではすでに海山で数回潜航調査したにも関わらず、残念ながら貝はほとんど採取されていない状況だった。チェン氏は内心焦りを感じていたが、この潜航調査で見つかるであろう熱水域に生息する貝の発見と採取に大きな期待(と野望)を寄せていた。そして潜航調査開始から数時間後、ROVは熱水域とスケーリーフットの超大群を発見し、スケーリーフットを数百匹採取して船上に帰還した。トロ箱に山盛りとなった大漁のスケーリーフットを目の前にして、(いつものように)大興奮したチェン氏は、千載一遇の好機とみてオックスフォード大学側の首席研究者兼指導教員のアレックス・ロジャース氏に詰め寄ったのだった。

チェン氏:「海山で貝採れんかったし、博士研究のテーマ熱水の貝に変えてもいいよね!」(まさかのスケーリーフット命名チャー―――ンス?!)
ロジャース氏:「うーむ、しょうがないのう。じゃあサウサンプトン大学の首席がOKしたらやってええよ」

その時、サウサンプトン大学側の首席である「深海紳士」ジョン・コプリー氏は以前調査を行った南極海の熱水域に見つかっていた「雪男ガニ」(Kiwa属のコシオリエビ・それまでインド洋での存在は知られていなかった)が「Longqiフィールド」から採取されたことに(紳士としての身だしなみや振る舞いを忘れフーリガンのような)雄たけびをあげていたのだった。

コプリー氏:「うぉおおおおKiwaや!Kiwaやんか!!」
 チェン氏:「コプリーさん、スケーリーフットとか貝やる人ってそっちに今いる?」
コプリー氏:「うん?いないいない。うぉおおおKiwa!」
 チェン氏:「じゃあ私がもらって研究してもいい?」
コプリー氏:「え、貝なんかがほしいん?ええよ!うぉおおおKiwa!」
 チェン氏:「じゃあついでに第二指導教官もお願いね!ここにサインしてちょ」
コプリー氏:「はいはいここね。はい。うぉおおおKiwa!!!!!」

こうしてチェン氏は大量のスケーリーフットをオックスフォード大学の研究室に持ち帰ることに成功した。

当初、「Longqiフィールド」がその他のスケーリーフットが見つかっている「Kaireiフィールド」や「Solitaireフィールド」から地理的に遠く離れていることや、「Longqiフィールド」に見つかったスケーリーフットの鱗が「Kaireiフィールド」や「Solitaireフィールド」のスケーリーフットの鱗に比べて明らかに細いことから、チェン氏は「Longqiフィールド」のスケーリーフットが別種に相当すると考えていた。「Kaireiフィールド」の模式属・種と「Longqiフィールド」の新種を記載しようと目論んだチェン氏は、ずっとこの属は自分が記載すると宣言していた大物業界人であるワレン氏のことが気がかりで悩みの種だった。しかし、チェン氏の3人目の指導教官となった軟体動物研究者のカトリン・リンズ氏から「ワレン氏は気さくな人柄だから話せばきっとわかってくれるはず。それにスケーリーフットの記載の件はさすがに時効成立でしょう」という励ましを得て、チェン氏は恐る恐るワレン氏に連絡をとった。

 チェン氏:「ワレンさん、スケーリーフットの別種らしきものが採れたけど、あなたはいつこの属を記載するのですか?」
ワレン氏:「えーっと、そうね、もう大分時間たったし、あんたがやっていいよ。」
 チェン氏:「ほんまに!?」
ワレン氏:「ほんまほんま。でももう広まっちゃってるしできるだけ名前はChrysomallonを使ってね。あ、GenBankのアレは "h" が抜けてるスペルミスだからh入れてね。ほんじゃお願いねー」
 チェン氏:「おお、了解っす。じゃあそうするねー」

スケーリーフットの属名であるChrysomallonの元ネタはギリシア神話の翼を持つ金の羊、つまりおひつじ座の羊である。そしてチェン氏は白羊宮ど真ん中生まれであった。全くの偶然であるがチェン氏は何かの縁を感じざるは得なかった(スケーリーフットを探るインド洋航海は現代のアルゴー号の冒険と言えるかもしれない)。

その後「Longqiフィールド」に見つかったスケーリーフットに対して、新種学名「Chrysomallon draco」を用意して研究を進めていたチェン氏は、遺伝子解析の結果から「Longqiフィールド」のスケーリーフットが実は「Kaireiフィールド」のスケーリーフットと同種であることに気づいた。「Longqiフィールド」のスケーリーフットの鱗が細いのは環境が原因かもしれない。チェン氏はJAMSTECの高井研氏と渡部裕美氏に連絡し、JAMSTECに一ヵ月余り滞在して「Kaireiフィールド」と「Solitaireフィールド」のスケーリーフットを解剖・観察することで比較検証を行った(この縁が後にチェン氏がJAMSTECに就職することに繋がったといえる)。その結果、やはりインド洋の三つの熱水域のスケーリーフットが同種であるという結論に至った。

チェン氏は再びワレン氏に連絡を取った。

 チェン氏:「ワレンさん、実はLongqiのはKaireiのと同種でした。それでも記載しちゃっていい?学名まだついてないし。」
ワレン氏:「オーワンダフォー。うん、You、やっちゃいなよ。」
 チェン氏:「ワレンさん、なんか申し訳ないんで著者リストに入ってちょっと記載文書きます?」
ワレン氏:「ワイもうすぐ定年だしもういいよ。You、やっちゃいなよ。」
 チェン氏:「おっす、了解っす。一応元の名前Chrysomallon squamiferumのまま行きますよ、みんなが混乱したらいやだし。」
ワレン氏:「うん、それがいいよ。」

それから一年後(2013年4月)、チェン氏は書き上げた記載論文原稿をJournal of Molluscan Studiesに投稿する。しかし返ってきた原稿には査読者から人身攻撃込みのボロクソコメントがてんこ盛りだった。

「高名なワレン博士が手を付けている貝を先に記載しようとは図が高いわこの若造ガー、ああああんん?」
「こんなことを許すとは指導教官もよっぽど指導してないボケなんやろうな!」
「記載しようとしてるのに解剖図がついてないとはどんな了見だ!?」。

編集長氏のコメントにも「うーん、ワレン氏が手を付けているとなると、義理と人情もあるし、私もこの原稿を受理するわけには...」。
チェン氏は速やかに反論を送る。

 チェン氏:「いやいやいや、ワレン氏からは了承もらってるよ!むしろやれって言ってるよ!」
編集長氏:「ほんまか??」

さらに国際貝類学会でワレン氏と編集長氏を(無理矢理)引き合わせ誤解を解く。

編集長氏:「わお!ほんまだったやん!めんごめんご。じゃあちゃんとした解剖図書いてきてくれたら受理してやってもいいよ!」
 チェン氏:「お、おう.......」


悲報:チェン氏は絵心ゼロだった・・・


しかしチェン氏は指導教官のロジャース氏が点描を得意としていて以前は解剖図を量産していたことを知る。毎年、学生を10人以上取るくせに多忙で全く研究室にいないことで有名だったロジャース氏をなんとか捉まえ依頼を行った。

 チェン氏:「ロジャースさん解剖図描いてください」
ロジャース氏:「おお、やるやる!久々だから腕が鳴るわ!」
 チェン氏:「ではお願いしますねー どれくらいかかります?」
ロジャース氏:「さあ?書いてみなきゃわからんわい」
 チェン氏:(なんかめっちゃ悪い予感がするんだけど・・・)


案の定、何時までたっても解剖図は白紙のままだった。

 チェン氏:「ほんまいつまでかかるの?」
ロジャース氏:「すぐ描くから待ってろ!」


10ヵ月経ってもラフスケッチが上がってきただけで、本番の点描は白紙のままだった。

 チェン氏:「もう他の人に頼んでいいですか?」
ロジャース氏:「何を言うとんねん、それはアカンに決まっとるがな」
 チェン氏:(詰んだ。コレ詰んだーーー!)

ロジャース氏の「来週できるから!」をマクベスの「To-morrow, and to-morrow, and to-morrow」並みに繰り返し、「ガラスの仮面」の作者、美内すずえのようなスピードで描き込まれた解剖図を待つこと約1年7ヵ月。

とうとう2015年2月にチェン氏がキレた。当時、チェン氏は既にJAMSTECでの国際ポスドク(現:Young Research Fellow)採用が決まっており、早急に卒業しなければいけなかった。しかし学位審査の直前まで、肝心の解剖図が上がってこない事態だった。

 チェン氏:「もう半完成のままD論と編集長に送って黒歴史として残すからな」(ドス顔)
ロジャース氏:「いや、まて、それだけは勘弁」

ついにロジャース氏を一週間の缶詰に追い込み無事に解剖図を回収、その後速やかに編集長氏に図を送る。

編集長氏:「おお、大分待ったけどこの図よく描き込まれてるね!よし、アクセプトだ!」
 チェン氏:「は、はは、よかった。(これでまた直せと言われたらまた何か月かかったか・・・)」


2013年4月投稿の原稿が、2年の(ほとんどは解剖図待ちの)月日を経て、2015年3月にやっと受理された。最終的に印刷されたのは2015年8月、投稿から実に2年4ヵ月の月日を要した難産であった。スケーリーフットはやっと正式に記載・命名され、有効学名Chrysomallon squamiferum を得たことになった。(Chen et al. 2015)

めでたしめでたし。

余談:「Longqiフィールド」からスケーリーフットを採取してから命名されるまで、チェン氏はスケーリーフットの標本を持って飛行機に乗るたびに飛行機が遅延・キャンセル・墜落しかけるなど、まるでスケーリーフットが学名を得るのを拒否しているかのようなアクシデントに遭遇した。そして記載論文が発表された2015年8月以降、そのようなアクシデントは嘘のようにピタリと止まったのだった。世に言う「スケーリーフットの呪い」である。(民明書房「本当にあった怖い貝談」)
  


【化学合成共生システムもユニーク】

発見直後は、体表に鱗を持つおよび硫化鉄の鎧を纏う、といった奇妙な形態的特徴が注目されたスケーリーフットですが、徐々に深海熱水からどのようにエネルギーや栄養を得ているのかという生理的な特徴についても研究が進められました。2004年に米国の研究チームによって、スケーリーフットは食道の一部が肥大化した組織(食道腺、蔑称:ノドチンコ)の細胞内部に共生細菌を収納・保持し、この共生細菌が硫化水素を酸化して二酸化炭素から有機物を作り出すことによって宿主であるスケーリーフットが栄養を得ていることがわかりました (Goffredi et al. 2004)(註9)。それまでは深海に生息する化学合成を行って生きる貝類はすべて、鰓に共生細菌を収納・保持する共生システムを持っていると考えられていたため、鰓以外の組織に化学合成共生菌を持つ貝類はスケーリーフットが最初の例となります。2013年には日本の研究チームがスケーリーフットの食道腺の共生細菌の全ゲノムを解読し、ゲノム解析と同位体トレーサー取り込み実験結果の両面から硫黄酸化代謝経路や機能の決定に至っています(2013年8月8日既報) (Nakagawa et al. 2014)。さらに、インド洋の様々な熱水域から見つかったスケーリーフットの共生細菌の遺伝子比較を通じて、共生細菌の遺伝的多様性が小さいことわかり、スケーリーフットの共生細菌はスケーリーフット自身の厳粛な選別を通過した「強い共生関係」を持つことが知られています。そして2015年には三次元的な形態再構成分析によって(註10)、食道共生というユニークな共生システムの成立に不可欠であったと考えられる、スケーリーフットの体内のユニークな適応機構が明らかになりました (Chen et al. 2015b)。海水と直接触れ合う鰓に比べて食道という宿主の体内奥深くに生息する硫黄酸化共生細菌に血流を通じて硫化水素と酸素を供給するため、巻貝としてはありえないほど巨大化・筋肉質化した心臓(体積4%、人間は1.5%ほど)を持つことがわかりました。シドニーオリンピック女子マラソン金メダリスト高橋尚子を遥に凌駕する心臓の持ち主だったのです。


註9:

この論文が発表された時点では、食道腺共生がスケーリーフットのすべての栄養を供給する化学合成共生の実体であることはわかっていませんでした。ゴフレディ姐さんが筆頭著者である論文では、食道腺共生以外にも、
  • (1) スケーリーフット自身の食作用もありうる
  • (2) 鱗や表皮に付着した微生物(外部共生)の可能性もある
と言及しています。
特に(2) 鱗や表皮に付着した微生物(外部共生)の可能性については、初代JAMSTECスケーリーフット研究特攻隊長であった鈴木庸平さん(現東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻地球生命圏科学講座の准教授)が、その説を支持するような初期データを得ていたこともあって、その後この可能性を検証した上で却下する結論に至るまでにずいぶん時間と労力を費やすことになりました。   

註10:

絵心が無く記載論文の解剖図をロジャース氏に依頼せねばならなかったあげくに散々な目にあったチェン氏は「どげんかせんといかん」と考えた。とある国際学会でジュリア・シグワート氏が発表したヒザラガイの3D解剖モデルを見た時、「絵が描けないなら、3Dで再現すればいいじゃない」(チェリー・チェントワネット)と気づいたのである。ジュリア・シグワート氏はチェン氏の大学の後輩の博士課程指導教官だった。そこで早速アポを取って頼み込んだ。シグワート氏「ソイツ鱗があるんだろ。鱗があるいきものはみな兄弟、素晴らしい!よし、私のラボに来な!」。チェン氏は北アイルランドにあるシグワート氏の研究室で数か月過ごすことになる。しかし当時シグワート氏の研究室で行われていた樹脂包埋連続切片法では全長数ミリメートルまでの標本しか分析することができなかった。そしてチェン氏はその条件に合ったスケーリーフットの幼貝標本が2つしか所蔵していなかった。1個体目では失敗したものの、ラストチャンスの2個体目で見事連続切片に成功した。ここで築いた縁が後のスケーリーフットIUCN(国際自然保護連合)レッドリスト登録につながることについてはチェン氏はまだ知らない。   


【「スケーリーフットふしぎ発見」のミステリー】

発見当初、スケーリーフットの硫化鉄で覆われた鱗は肉食性のカニなどから身を守る防御のために適応した機構であると考えられていました。2006年には、「Kaireiフィールド」の黒いスケーリーフットの鱗を覆う硫化鉄が「愚者の金」とも呼ばれる黄鉄鉱(パイライト)や磁性を持つ磁硫鉄鉱(グレイジャイト)など数種類のナノ結晶鉱物から成ること、さらに鱗が優れた力学強度を持つことが明らかになりました(Suzuki et al. 2006)(註11)。これらの結果から、より一層スケーリーフットの硫化鉄で覆われた鱗は捕食者に対する防御のための適応機構なのではないかと考えられました。なお余談ですが、スケーリーフットの体は磁性を持つ硫化鉄を含むため磁石に引き寄せられます。そのため磁石でスケーリーフットの標本をくるくるメリーゴーランドすることがスケーリーフットのアウトリーチ定番の見世物となっています。さて本研究ではスケーリーフットの鱗の硫化鉄形成機構について、材料となる鉄元素と硫黄元素がどこからどのように供給され、どのように鱗表面で結晶化されるのかについていくつかの仮説を提示しました(2006年3月30日既報)(註12)。材料の由来については「鉄は外、硫黄は内」が有力で、硫化鉄形成作用については無機説・微生物関与説・宿主本体説が主な論点でした(註13)。また2010年には、鱗ではなく貝殻の詳細な研究によって、貝殻が外から(硫化)鉄層・皮(キチン質・タンパク質)層・殻(炭酸カルシウム)層の積層構造になっており、外からの衝撃を和らげる優れた力学機能を持つことが報告されました(Yao et al. 2010)。この優れた力学機能を持つ積層構造は、バイオミメティックス(生物模倣)の例として一時期は米軍の新規開発装甲のデザインに取り入れられると報道された経緯もあり、実際この研究は米軍関連の研究費で進められているようです。
しかし、インド洋の様々な熱水域に生息するスケーリーフットが見つかるにつれ、「硫化鉄の鎧=防御強化」説に疑問が投げかけられます。これまでのスケーリーフットの生態学的観察結果から、例えば「Kaireiフィールド」に比べて「Longqiフィールド」などの肉食性の動物がほぼ存在しない熱水域のほうがスケーリーフットの個体数が多いことが分かってきました。この結果は、硫化鉄で覆われた鱗が必ずしも捕食防御のために適応・進化したものではない可能性を示しています。また、スケーリーフットの硫化鉄鉱化作用の強弱や詳細な結晶組成が熱水域によって異なること、さらに言えば熱水に含まれる鉄の濃度と関連していること、がわかりつつありました(註12)。2016年に行われた「よこすか」「しんかい6500」の調査航海では、「Solitaireフィールド」で採取された白いスケーリーフットの鱗や貝殻組織を2週間ほど「Kaireiフィールド」の黒いスケーリーフットの生息地に置く現場実験を行いました。結果として、箱根温泉の名物である「黒たまご」のように白いスケーリーフットの鱗や貝殻に硫化鉄のコーティングが形成されることが確認されました。興味深いことに、現場実験で得られた白いスケーリーフットの硫化鉄コーティングは一見、黒いスケーリーフットの硫化鉄コーティングにそっくりでした。しかし電子顕微鏡レベルの微視的な鉱物構造や組成は、無機的な作用で白いスケーリーフットから切り離された鱗表面に沈着した硫化鉄と生きた黒いスケーリーフットの鱗表面に形成された硫化鉄では大きく異なることがわかりました。さらに詳細な解析の結果、黒いスケーリーフットの硫化鉄はスケーリーフット本体の作用によって体内から鱗を通じて体外に放出される還元的硫黄化合物が、生息地に漂う熱水由来の鉄イオンと反応して形成されることが示されました(2019年9月10日既報)(Okada et al. 2019) (註13)。つまりスケーリーフットにとって重要であったのは、自身にとって有毒な硫黄代謝物を、鱗を通じて排出することであり、鱗表面での硫化鉄の形成はたまたま生息している環境条件に応じて生じる副次的な産物に過ぎなかったことが明らかになりました。硫黄代謝物は鱗の根元付近の軟体組織から鱗内部に無数に存在する百ナノメートル程度の「細い通路」を介して排出され、海水中の熱水由来鉄イオンは「細い通路」を外側から内側に浸透して、「細い通路」内部で硫化鉄結晶成長が起きます。鱗組織の内から外への成長を通じて内部で形成された硫化鉄が表面へと押し出され蓄積します。これが「Kaireiフィールド」の黒いスケーリーフットのナノ結晶硫化鉄形成機構であり、そのためには鱗組織だけでは不十分で、生きたスケーリーフットの生体機能(細い通路を通じたゆっくりとした物質混合)が必要であることがわかります。スケーリーフットが生息するような環境条件で、規則正しい黄鉄鉱結晶からなる硫化鉄構造を無機的に合成することは極めて難しいことが知られています。しかし生きたスケーリーフットの鱗を介した硫化鉄形成メカニズムを陸上で再現することができれば、広範な硫化金属ナノ粒子材料の製造への応用が期待されます。



註11:

当時スケーリーフットは、「Kaireiフィールド」の「文殊チムニー」と名付けられたチムニーの根元付近という極めて限定的な場所にのみ生息していることが知られていました。そのためスケーリーフットの研究を進めていたJAMSTECチームは、「硫化鉄で覆われた鱗を持つという独特の形態的特徴が限られた生息域と何か強い関係性があるに違いない」という考えに囚われていたかもしれません。初代JAMSTECスケーリーフット研究特攻隊長であった鈴木庸平さんは、詳細な電子顕微鏡の観察に基づいて、(1) スケーリーフットの鱗を覆う硫化鉄がナノサイズの結晶から形成されていること、そして(2) その一部が磁性を持つグレイジャイトという鉱物であること、を明らかにしました。アメリカで地球微生物学の学位(博士)を修了する前はバリバリの鉱物学徒としての出自を持つ鈴木庸平さんは、構造も物性も形成過程もめちゃくちゃ興味深いスケーリーフットの鱗の硫化鉄鉱物を見つけてしまって以来、スケーリーフット妄想大確変モードに突入します。ちなみに今は准教授という立派な地位にあり学生を指導する立場になっておられる鈴木庸平さんですから、すっかり妄想確変設定は改善され、沈着冷静かつクールな大学人を演じておられることと思いますが、若かりし頃の鈴木庸平さんの妄想大確変モードはある意味1年の四季の移り変わりを感じるといったぐらいの恒例行事だったと言えます。例えば以下に、スケーリーフットにまつわる鈴木庸平さんの妄想で打線を組んでみました。
  • 1番ライト「スケーリーフットはカンブリア大爆発時の動物(の形態)の生き残り」
  • 2番セカンド「硫化鉄鱗は生物界最強の防御鎧の一つ」
  • 3番サード「硫化鉄(パイライト)のナノ結晶は共生微生物作用によるもの」
  • 4番ファースト「スケーリーフットの鱗の硫化鉄(グレイジャイト)は生体磁石」
  • 5番レフト「その生体磁石を使った磁気異常を感知して熱水域(生息域)を感知する」
  • 6番センター「なので生息域が超限定」
  • 7番ショート「鱗の表面や根元付近の表皮に硫酸還元菌がいて硫化鉄形成に関与」
  • 8番キャッチャー「スケーリーフットは旨い」
  • 9番ピッチャー「スケーリーフットは可愛い」

後半はネタ切れでだいぶ適当になりましたがこんな感じです。これらの仮説(=妄想)は9番ピッチャー以外、後にほとんどすべて完全否定されることになります。しかしまあ研究とは実にそういう「賽の河原で妄想という名の石を積んでは鬼に崩されまた積む」ことの繰り返しとも言えます。研究者には、ある興味深いデータが出てくると脳汁(アドレナリンとエンドルフィン)がドバドバ出て妄想と興奮が止まらなくなるような人が多かったりします。ちょっとヤクの作用が切れて冷静になって俯瞰的に理論検証や仲間と議論をしてみると速やかに致命的な欠陥が見つかるものですが、それでも生き残った優良物件は検証実験や追加分析によって徹底検証され、そしてほとんどの妄想は最終的に「あーあ」となってお蔵入りしていくことの繰り返しです。

たしかに鈴木庸平さんはヤクの効果がやたらと長続きするタイプだったかもしれません。さらに鈴木庸平さんの妄想はかなりぶっ飛んでいて確かに魅力的なものが多かったと思います。それゆえに、彼の妄想は後のJAMSTECのスケーリーフット研究に長らく少なからぬ影響を与えたと言えるでしょう。

振り返ってみれば、2002年に「Kaireiフィールド」から採取されたスケーリーフットの個体を船上の実験室で初めて見てから18年。さらに思い出すこと、2003年に米国での国際会議でスケーリーフットの鱗が硫化鉄(パイライト)で覆われていることを聞いて興奮し、帰国後すぐに鈴木庸平さんにスケーリーフット硫化鉄鉱化作用の研究をプッシュしてから17年。高井研に宿った根強い興味が、表向きにはそれほどアピールされてはいませんでしたが脈々と続くJAMSTECにおけるスケーリーフットの研究の歴史を(主にインド洋に「よこすか」・「しんかい6500」を派遣することや研究マネージメントの面から)支えてきました。
そしてそれを推進する主役研究者は時と共に、

鈴木庸平さん → 和辻智郎さん → チョン・チェンwith岡田賢&宮本教生

というように移っていきました。この主役研究者の移り変わりはある意味、

「鉱物・微生物学的視点」→「微生物・生化学的視点」→「生物・化学的視点」

という研究方向性や興味対象の変化と捉えることができるでしょう。
その変化が「スケーリーフットふしぎ発見」のミステリーを解き明かしてゆく上でとても重要な役割を果たしたと思います。特に今回の研究成果である「スケーリーフットふしぎ発見」のラストミステリーを解き明かすには、スケーリーフットという動物における生物学的特性や機能(発生・進化・形態・生理・生態)の本質に迫る必要があり、(微)の付かないホンモノの生物学者の登場と研究視点・方法論が絶対的に必要だったのです。   

註12:

この辺りのことは残念ながら、まだすべて論文で発表されているわけではありません。
しかし
  • (1) 白いスケーリーフットの硫化鉄をほとんど含まない鱗の方が「Kaireiフィールド」のスケーリーフットの硫化鉄で覆われた鱗よりも強度が優れていること
    (Nakamura et al. 2012)

  • (2) 硫化鉄をほとんど含まない鱗を持つ白いスケーリーフットが生息する「Solitaireフィールド」熱水が他の熱水域に比べて遙かに低い鉄濃度を示すこと
    (Kawagucci et al. 2016)

  • (3)「Kaireiフィールド」のスケーリーフットの鱗の硫化鉄に見られるナノ結晶鉱物が、「Longqiフィールド」のスケーリーフットの鱗には見つからない

  • (4) 「Longqiフィールド」の熱水に含まれる鉄濃度は「Kaireiフィールド」の熱水よりも高いが、「Longqiフィールド」のスケーリーフットのほうが硫化鉄含有量は遥かに低いこと(Chen 2015)
    (但し「Longqiフィールド」のスケーリーフットは「Kaireiフィールド」のと違いブラックスモーカーチムニーではなく縁辺の熱水が薄まった「ゆらぎ域」に棲んでいる)
がわかりつつあります。
これらから、鱗の硫化鉄鉱化作用が、どうやらスケーリーフットの内在的要因だけでコントロールされているのではなく、生息環境の環境要因、つまり外的要因、によって大きく影響を受けると考えられています。   

註13:

実は、今書いているスケーリーフット研究小史は、この研究のプレスリリースの時に上梓したいと思っていたのです。しかしチョン・チェ・ケンタッカイ(国籍不明ルポライター)が忙しくてまったく対応ができず、岡田賢氏のいかにも愛想のない小難しい言葉のリリース文を放流してしまいました。なので、今回のスケーリーフット研究小史には「黒いスケーリーフットの硫化鉄形成の謎」が必要以上に詳しく説明してあったりします。   


【スケーリーフットが絶滅危惧種に!】

さて深海熱水域はとてもユニークな形態や生理を持ったスケーリーフットのような熱水固有生物の地球上唯一の生息環境であると同時に、金属硫化物の鉱床形成の場でもあります。近年、地球全体の人口増加と電子機器普及に伴う金属需要の増加で深海底の鉱物資源が新たな開発対象として注目され始めています。どの国の排他的経済水域にも属さない公海海域における深海底鉱物資源は、国連海洋法条約の発効とともに発足した国際海底機構(ISA)が管理を行い、国や機関が申請した鉱区に一定期間の排他的な探査権利を付与します。スケーリーフットが生息するインド洋の熱水域では、「Longqiフィールド」と「Duanqiaoフィールド」に対して2011年に中国の申請が承認され、「Kaireiフィールド」については2015年にドイツの申請が承認されています。そして、つい最近生息が確認された「Tianchengフィールド」はインドの申請した鉱区内にあります(Sun et al. 2020)。すなわち、スケーリーフットが生息する5つの熱水域のうち、モーリシャスの排他的経済水域に存在する「Solitaireフィールド」を除く4つが資源開発の対象として承認されている状況です(註14)。

スケーリーフットが深海熱水域の生息環境以外で長期生存できないことは、これまで日本チームが船上飼育と飛行機・船輸送を通じて陸上で飼育に挑戦してうまくいかなかった経験からも明白です。2006年に試みた際には飛行機で輸送中にほぼ全滅してしまいました。その経験を踏まえ2009年は捕獲直後から温度や酸素濃度を厳密に管理し飛行機による輸送と「よこすか」での船上飼育の維持という2つの方法で日本に持ち帰りましたが、最長3週間程度生存させることが精一杯でした(なんとかその年に実施された施設一般公開において生きたスケーリーフットを紹介することができましたが)。またスケーリーフットの集団遺伝学的研究の結果から、距離を隔てた異なる深海熱水域の個体群では相互に交流が乏しいことがわかっています(Chen et al. 2015c)。つまりスケーリーフットは、熱水固有生物の中でも生息地拡大や分散が得意ではないタイプの貝類であると考えられています。そのようなスケーリーフットが、現在にまで知られるたった5つの生息地のうち4つを失ったとしたら、絶滅の瀬戸際に追い込まれかねないと危惧されます。

国際的に絶滅危惧種の審査・認定を行っているのは、国際自然保護連合(IUCN)が発刊するレッドリストになります。例えば、ゴリラ、ニホンウナギ、ジャイアントパンダなどの動物を「絶滅危惧種」と認定しているのもIUCNレッドリストです。将来的なスケーリーフットの絶滅の可能性を回避する方法の一つとして、このレッドリストにスケーリーフットを「絶滅危惧種」と認定させることが考えられます。しかしレッドリストへの登録には対象生物種についての多面的なデータが必要となります。そのため調査に多大な労力、時間および費用を要する深海生物をレッドリストへ登録することは難しいと長年考えられてきました。

「この道を行けばどうなるものか。危ぶむなかれ危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となりその一足が道となる。迷わず行けよ。行けばわかるさ」
(アントニオ猪木引退時のセリフ)

このスピリットを持って、SIGWART JuliaとCHEN Chongはスケーリーフットに関するこれまでの生理学・進化学・生態学など多面的な研究で得られたデータを取り纏め、2018年に行われたIUCNレッドリスト評価を行うワークショップで申請を行いました。その結果、IUCNレッドリストにスケーリーフットが絶滅危惧種(Endangered・EN [B2ab(iii)類])として認定されることになりました(Sigwart et al. 2019)。生息域の小ささ・少なさ、特異な生息環境、個体群間の交流の乏しさ、および現在の海洋資源探査・将来的な海底資源開発による生息環境擾乱の懸念、が評価理由として認められ、世界初の海底資源開発を考慮に入れたIUCNレッドリストへの登録になりました(註15)。IUCNレッドリストの絶滅危惧種評価は国際的に無視できない影響力を持つため、BBC・Nature・Scienceなど100を超える新聞や雑誌に記事が掲載されただけでなく、深海生物の保全にむけた一つの大きな転換点となったといえるでしょう。



註14:

2020年3月現在、公表されている5つのスケーリーフットが生息する熱水域のほかに、未公表の生息熱水域が3つあることが業界内では知られています。モーリシャスのEEZ内に位置する「Solitaireフィールド」以外の7つのうち、なんと6つが(計4国の)鉱区に設定されています。そして7つ目も鉱区申請が行われようとしています(夕刊フジの球団関係者風)。   

註15:

スケーリーフットのIUCNレッドリスト登録のアイデアがシグワート氏とチェン氏に浮かび上がったのは、2016年の「よこすか」・「しんかい6500」航海乗船中でした。この航海では「Kaireiフィールド」と「Longqiフィールド」両方のスケーリーフットを採取し、生理学的比較実験を行う予定でした。しかし、「Longqiフィールド」が中国の鉱区であったために調査を行う前の打ち合わせや取引に難航したあげく、最終的には天候や海況の状況もあり「Longqiフィールド」の潜航調査を諦めざるを得ませんでした。「Kaireiフィールド」でのみスケーリーフットを採取しましたが、その「Kaireiフィールド」においても、スケーリーフットが生息しているはずの「文殊チムニー」根元部にスケーリーフットの姿が一切見えずに、「ミスター深海探査」による最終潜航でやっと発見・採取に成功するという代打サヨナラスリーランで薄氷の勝利でした。そもそも「Kaireiフィールド」のスケーリーフットやほかの生物の個体数や生息コロニーの規模が数年単位で大きく変動することが、数年おきに調査をしている日本の研究者の間では認識されていました。つまり、(1) 鉱区内にある熱水域に対して、例え鉱物資源とは無関係な生物群集の科学的調査であっても実施することが極めて困難になっている(つまり鉱区所有国は開発を理由に科学調査を一方的に拒絶することが可能)、(2) 例え開発の手が及ばない熱水域においても(人為的な影響がほとんどない熱水域においても)、極めて短い時間スケールの中でスケーリーフットや他の生物が消滅する可能性がある、ということがわかりつつあります。学術的にも生物多様性保全の観点からも重要なスケーリーフットの存在を将来的に持続させるためにはどうしたらいいか、を考えた時、シグワート氏とチェン氏は国際的に無視できない影響力を持つ「IUCNレッドリストへの登録」という方法を思いついたのです。   


【「スケーリーフットふしぎ発見」のラストミステリーへの挑戦=本研究】

スケーリーフットは10万種をこえるといわれる現生巻貝のうち、唯一鱗を持っている種です。鱗を持っている貝類としてヒザラガイなどが知られていますが、解剖学的な観点からスケーリーフットの鱗はほかの貝類が持つ鱗とは大きく異なり、独立に進化した硬組織であることがわかっています(Chen et al. 2015d)。形態や構造だけを見ると、スケーリーフットの鱗はむしろカンブリア紀に生存していた貝類やその祖先が持っていたものに似ていますが、スケーリーフットの誕生はカンブリア紀より遙かに新しく(おそらくジュラ紀以降)、進化的には似て非なるものであると考えられます。また発見当初は、スケーリーフットが貝蓋を持たないことから鱗の起源が蓋の増殖ではないかと推測されていましたが(Warén et al. 2003)、実際には鱗に埋もれる形で小さな蓋を持つことが分かりました(Nakamura et al. 2012; Chen et al. 2015d)。動物の進化過程では、新しい硬組織(殻・毛・鱗・爪・歯・骨など)の進化が新しい機能や生存戦略の獲得に多大なる貢献をしてきたことは枚挙に暇がありません。いわば、本研究で解明された鱗形成機構こそが、形態も生理機能も共生システムも硫化鉄生物鉱化作用もユニークであった「スケーリーフットふしぎ発見」のラストミステリーと言えるかもしれません。(註16


註16:

今回のプレスリリース研究成果の一つのクライマックスは、「スケーリーフットの鱗形成・進化に関わる最重要な遺伝子が、スケーリーフットが進化の途中で新たに得た発明品ではなく、古くはカンブリア爆発まで遡れる硬組織形成に関わるツールキット遺伝子であること」がわかった点です。ということは、鈴木庸平さんの妄想打線の1番ライトは「スケーリーフット(の鱗)はカンブリア大爆発時の動物(の鱗と同じ遺伝的メカニズムを再利用して進化した)」と解釈すれば、あながち間違ってなかったと言えるかもしれません。「妄想は時空を超えて当たることもある」。ほら、やっぱり研究っておもしろいですね。それではみなさん、さよなら、さよなら、さよなら。   



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