近年、深海熱水系に生じる液体/超臨界CO2が生命誕生に必須な原材料及び反応場を提供したとする新しい生命起源仮説-海底熱水-液体/超臨界CO2仮説※1 -が提唱された文献1。
本研究では、この仮説検証の一環として、超臨界CO2に富む太古の海底下熱水環境を模擬した実験を行った。その結果、生命誕生に不可欠であるものの海水中では合成が困難なメタンチオールが超臨界CO2・硫化水素・水素を原料として選択的に生成することが明らかとなった。
海底下の熱水環境で生成されたメタンチオールは、超臨界CO2の上昇流に乗って深海熱水噴出孔へと運搬されたと推測される。今後、このような生命の原材料の生成、運搬、そして噴出孔近傍での(電気)化学反応がさらに検証されることで、生命誕生メカニズムの理解が大きく進むと期待される。
海底熱水-液体/超臨界CO2仮説
海洋底に分布するいくつかの熱水噴出域では、液体あるいは超臨界状態の二酸化炭素(CO₂)の湧出が確認されている。このような液体/超臨界CO₂が生命誕生に重要な役割を果たしたのではないかとする説。
国立研究開発法人海洋研究開発機構(理事長 大和 裕幸、以下「JAMSTEC」という。)超先鋭研究開発部門の北台紀夫主任研究員、渋谷岳造主任研究員、田角栄二准研究副主任、岡田賢研究員、高井研部門長らは、学習院大学理学部の上田修裕研究員との共同研究により、太古の海底下熱水環境で生命誕生に不可欠な化合物であるメタンチオール※2 が生成するメカニズムを実証しました。
深海熱水噴出孔環境※3 は生命誕生の地として長年有力視されています。しかし、海水は有機反応にとって優れた溶媒ではなく、むしろ多くの場合、進行を阻害してしまいます。メタンチオールの合成はその一例であり、産業利用を目的とした化学合成では水中ではなく気相における反応工程が広く採用されてきました。一方、大きな水圧がかかる深海ではガスの発生は難しく、結果として、メタンチオールをはじめとする多くの生命の原材料の生成・供給メカニズムは謎に包まれていました。
2022年に渋谷岳造主任研究員と高井研部門長は、深海熱水系に生じる液体/超臨界CO2※4 が生命誕生に必須な原材料及び反応場を提供したとする【海底熱水-液体/超臨界CO2仮説】を提唱しました。海底下深部から上昇する超臨界CO2は、マグマの脱ガスや岩石-熱水反応に由来する硫化水素や水素を多分に含んでいたと考えられます(図1中央下)。また、高濃度のCO2や硫化水素の存在は、岩石から熱水への金属成分の溶出を促し、硫化金属としての沈殿を招いたと予想されます。
本研究では、このような太古の海底下熱水環境で起こる化学反応を模擬するため、超臨界CO2、硫化水素、水素、そして模擬海水をチタン製容器(図2)に密閉し、200℃で最大2週間反応させる実験を行いました。その結果、硫化モリブデン※5,(図3)を触媒として加えた場合、メタンチオールが選択的に生成し、収率は硫化水素量換算で7.9%に達しました。このように海底下で生じたメタンチオールは、超臨界CO2の上昇流に乗って深海熱水噴出孔へと運ばれ、噴出孔近傍での(電気)化学反応を受けてチオエステル※6 等の生命誕生に有用な化合物へと変換されたと想像されます(図1左上及び右上)。
メタンチオール生成は【海底熱水-液体/超臨界CO2仮説】の優位性を示す一例であり、今後も液体/超臨界CO2による有機物の供給や濃集過程の検証から、生命誕生を巡る謎が解き明かされると期待されます。
本成果は、「Communications Earth & Environment」に10月3日付け(日本時間)で掲載されました。なお、本研究は日本学術振興会 科学研究費補助金(20H00209, 21H04527, 22H00181, 22H05153, 23K13211, 23K17314)の支援を受けて実施されました。
Supercritical carbon dioxide likely served as a prebiotic source of methanethiol in primordial ocean hydrothermal systems
図1. 超臨界CO2に富む太古の海底下熱水環境でメタンチオールが生成する模式図(左上)。生じたメタンチオールは、超臨界CO2の上昇流に乗って深海熱水噴出孔へと運搬され、噴出孔近傍の発電作用を受けてチオエステル等の生命誕生に有用な化合物へと変換された(右上)。海底下で超臨界CO2が生じるメカニズム(中央下及び左上)、及び噴出孔近傍での(電気)化学反応(右上)は、これまでの過去の研究成果によるものである(参考文献1-3)。
メタンチオール
化学式CH3SHで表される最も単純なチオール。CO2、硫化水素、水素からの生成反応式はCO2 + H2S + 3H2 → CH3SH + 2H2Oと表される。
深海熱水噴出孔
地下深くで地熱により温められた海水が噴出する海底の亀裂のこと。
超臨界CO2
CO2が臨界点(31℃、73気圧)を超えて気体とも液体とも異なる超臨界状態になったもの。深海熱水噴出孔にはこのような条件の環境があり超臨界CO2が安定して存在する。
硫化モリブデン
モリブデンの硫化物で組成式がMoS2で表される黒色の固体。(図3)
チオエステル
チオエステル結合(R-CO-S-R’)を持つ有機化合物。反応性が高いことから,様々な生体分子の原料となっている。(参考文献3)
図2. 実験で使用されたチタン製容器の写真.容器の上部にはチタン製チューブを通じてバルブが繋がれている.ここからCO2の圧入や実験後のサンプリングを行うことができる。
図3. 実験で使用された硫化モリブデンの走査型電子顕微鏡写真。
私たち人類を含む地球生命のルーツはどこにあるのでしょうか?宇宙において、生命はどれほど特殊な存在なのでしょうか?これらの問いを解くカギとなる環境として、深海熱水系は天文学・地質学・生物学など様々な分野から注目されています.太陽系内探査では、土星や木星の衛星・形成初期の火星に活発な熱水活動が見出され、地球外生命の存在可能性が現実味を持って議論されるようになりました文献4-6。系外惑星探査では、地球に類似した水惑星が多数発見され、また惑星や衛星に熱エネルギーを付与し長期間維持する様々なメカニズムが提案されていることからも、宇宙における熱水系の普遍性が強く示唆されています。
一方,ゲノム進化学的・比較生理学的研究から、地球の全生物共通祖先はこのような環境でCO2を炭素源とし,還元型アセチルCoA経路や逆クエン酸回路の一部(図4)を経て生体分子を合成する独立栄養生物であったと推定されています文献7 。では,これらCO2固定代謝の根源となった前生物プロセス(プロトメタボリズム)は,初期地球の深海熱水系でどのように生じたのでしょうか?これを再現するため、これまでCO2や有機物を熱水や岩石と共に煮る・流す・混ぜる等の実験が多数行われてきました。しかしどの手段を使っても、プロトメタボリズムに関する反応はほとんど進行せず、有効な方法は見出されていませんでした。
この問題に対し、超先鋭研究開発部門では【深海熱水電気化学メタボリズムファースト仮説】文献2,3,8,9 と【海底熱水-液体/超臨界CO2仮説】文献1 の2つの作業仮説を創造し、プロトメタボリズムの新たな描像を提案してきました。これらの仮説は生命起源研究にありがちな全体を通した一貫性よりむしろ特定の反応に都合の良い条件を重視するシナリオとは異なり、海洋底探査文献10-14 や地質調査文献15、岩石-熱水反応の実験文献16 と熱力学計算文献17、さらには微生物代謝解析文献18 に至るまで、多方面からの緻密な検証に導かれた集大成になります。科学研究費助成事業においても、多くの研究課題がサポートされてきました文献19,20。
前者の仮説に基づく代表的な成果としては、チオエステルの生成が挙げられます文献2,3。モデルとなる酵素反応としては、Carbon monoxide dehydrogenase/acetyl-CoA synthetase(CODH/ACS)が制御するCO2のCOへの還元,及びCOとメチル基(-CH3)、コエンザイムA(CoA)の反応によるアセチルCoAの生成があります(図4)。これらの酵素反応は活性中心にある鉄・ニッケル・硫黄のクラスターが触媒していることから、太古の熱水噴出孔に沈殿した鉄やニッケルの硫化鉱物がCO2のチオエステル化を促進した名残である、という可能性が長年提唱されてきました。我々は、ニッケルを含む硫化鉱物を電気還元すると、その触媒活性が劇的に向上し、CO2のCOへの還元,及びCOとメタンチオールの反応によるチオエステルの生成を効率的に駆動することを見出しました(図4)。本成果は原始海水中でのCO2のチオエステル化を実証した唯一の例であり、チオエステルの生成はプロトメタボリズムの出発点であった可能性も踏まえると、深海熱水系の発電現象は生命誕生に不可欠な要素だったと考えられます。
では、プロトメタボリズムの起点=チオエステルの原料であるメタンチオールはどのように供給されたのでしょうか。メタンチオールは必須アミノ酸であるメチオニンの前駆体となるなど、様々な用途で産業利用されており、製造法が確立している化合物です。しかし、その方法は酸化アルミニウム触媒上でメタノールと硫化水素ガスを反応させる(CH3OH + H2S → CH3SH + H2O)、硫化モリブデン触媒上でCO、H2S及び水素ガスを反応させる(CO + H2S + 2H2 → CH3SH + H2O)、といった気相反応が主流でした。強い水圧でガスが発生しづらい深海では、これらの反応の有意な進行は期待できません。
しかし太古の深海熱水系には現在よりも遥かに大規模に液体/超臨界CO2が存在していました。この液体/超臨界CO2は反応場として、そして炭素源として、深海におけるメタンチオールの生成/供給をもたらしていたのではないか。この問いが、本研究が取り組んだ課題です。
図4. 生物誕生前のCO2固定ステップと、生物による始原的CO2固定経路(還元的アセチルCoA経路、及び逆クエン酸回路)。超臨界CO2を用いた今回の実験では、赤矢印で示すメタンチオールの生成が実証された。これらのステップは還元的アセチルCoA経路の前身と考えられている。逆クエン酸回路については、ピルビン酸からα-ケトグルタル酸までのステップが生命誕生に特に重要であったと推定されている。
本研究では、前章で挙げた硫化モリブデン触媒によるCO、H2S、H2からのメタンチオール生成に着目し、この反応が海底下の超臨界CO2存在下で進行するかを室内模擬実験から検証しました。モリブデンは、微量ながらも海洋地殻に普遍的に存在する元素であり、熱水中のH2Sと反応すると硫化モリブデン(MoS2)として沈殿します。H2は海洋地殻の構成岩(玄武岩やコマチアイト)が熱水変質する過程で生じ、COはH2とCO2との反応(水性ガスシフト反応;CO2 + H2 → CO + H2O)から得ることができます。また、H2Sは海底の液体/超臨界CO2溜まりにしばしば高濃度で観測されています。
これらの観測事実に基づき、実験では高圧のCO2ガス(室温で60気圧)、H2S、H2、硫化モリブデン粉末、及びNaCl水溶液をチタン製反応容器に密閉し、200℃で最大2週間反応させました。200℃ではCO2ガスは140気圧程度にまで加圧され、超臨界状態になると予想されます。深海の水圧と比べると若干低いですが(水深1400m相当)、圧力や温度の影響評価は今後の研究に委ねたいと思います。
実験後のガス分析から、メタンチオールは硫黄を含む主要な生成物として観測され、その収率はH2S量換算にして7.9%に達しました。その他にもCOやメタン(CH4),ギ酸(HCOO-),硫化カルボニル(OCS)などの生成が確認されました。先行研究で議論されている硫化モリブデン触媒によるメタンチオール生成機構を踏まえると、重要な反応中間体はCO2とH2との反応から生じるCOであり、これが硫化モリブデン表面上で硫化及び水素化されることでメタンチオールに変化したと考えられます。
この実験結果、及び前章で触れた深海熱水噴出孔における(電気)化学反応を踏まえると、太古の海底下においてメタンチオールが生じ噴出孔でチオエステルに変化する過程としては(図1)のようなシナリオを描くことができます。このように、【海底熱水-液体/超臨界CO2仮説】と【深海熱水電気化学メタボリズムファースト仮説】は互いに密接に関わりながら、プロトメタボリズム、さらには生命の誕生と進化を駆動していったと考えられます。
今回、【海底熱水-液体/超臨界CO2仮説】に基づき成功したメタンチオールの生成は、プロトメタボリズムの起点となるチオエステルの生成を導く、少なくとも我々が知りうる唯一の現実解になります。超臨界CO2は他にも、太古の海底下で様々な化合物を生じ、深海熱水噴出孔へと供給して生命誕生に寄与したかもしれません。例えば、超臨界CO2はフィッシャー・トロプッシュ反応による炭化水素やその派生物(脂肪酸など)の生成を駆動し、原始細胞膜の形成をもたらした可能性があります。また、液体/超臨界CO2の存在は海水に高濃度のCO2を溶解させ、純粋な海水中での(電気)化学反応とは異なる結果をもたらすと予想されます。超臨界CO2はさらに、海底下深部から上昇する過程で岩石からニッケルなどの微量元素を溶出させることで、運搬先である噴出孔での(電気)化学反応を活性化した可能性も期待されます。
このような、【液体/超臨界CO2化学進化説】と【深海熱水電気化学メタボリズムファースト仮説】の発展、そして統一シナリオへの融合に向けた観測や実験は現在進行中であり、今後も進捗を発信していきたいと思います。
※資料映像は、以下のURLからご覧いただけます。
https://youtu.be/j3PLRVLua4Q
プレスリリース 生命の起源を解く重要なヒントとなる「海底熱水-液体/超臨界CO2仮説」の提唱(https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20221116/)
研究内容紹介 「深海熱水電気化学メタボリズムファースト」 Version 2021(https://www.jamstec.go.jp/sugar/j/research/20210707/)
研究内容紹介 「Geoelectricity-driven thioester formation: a possible prebiotic root of metabolism」( https://communities.springernature.com/posts/geoelectricity-driven-thioester-formation-a-possible-prebiotic-root-of-metabolism)
プレスリリース 土星衛星エンセラダスの地下海に海底熱水活動!-生命生息可能環境を宇宙に発見-(https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/archive/2015/20150312.pdf)
プレスリリース 土星衛星エンセラダスの岩石成分は隕石似!?-地球と異なる独自の熱水環境が存在-(https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/archive/2015/20151028.pdf)
プレスリリース 土星衛星の海に生命必須元素リンが異常濃集-生命誕生の鍵を宇宙で突き止める-(https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20230615/)
プレスリリース 生命誕生に迫る始原的代謝系の発見~多元的オミクス研究による新奇TCA回路の照明~(https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/archive/2018/20180202.pdf)
プレスリリース 生命誕生のカギの一つは深海底のメタルが握っている-深海熱水噴出孔で有機物が生成する新たなメカニズムを提案-(https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20190621/)
プレスリリース 太古の深海熱水噴出孔環境におけるアンモニアの濃集機構を実証-アンモニアの選択的吸着の秘訣は鉄硫化物の電気還元にある-(https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20231003/)
プレスリリース 深海熱水系は「天然の発電所」 深海熱水噴出孔周辺における自然発生的な発電現象を実証~電気生態系発見や生命起源解明に新しい糸口~(https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/archive/2017/20170428.pdf)
プレスリリース 海底から噴出する熱水を利用した燃料電池型発電に成功~深海における自律的長期電力供給の可能性~(https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/archive/2017/20170428.pdf)
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北台紀夫(代表) 電気化学で拓く地球、そして宇宙における生命の起源、基盤研究(A) 21H04527、2021-2023年度(https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-21H04527/)
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