国立研究開発法人海洋研究開発機構(理事長 河村 知彦、以下「JAMSTEC」という。)生命地球科学研究部門の出口 茂 上席研究員らは、国立大学法人静岡大学(学長 日詰 一幸)農学部の中村 彰彦 教授と共同で、深海微生物・酵素が、分解されにくいバイオマス(難分解性バイオマス)を効率よく利用する仕組みに着目し、その知見を持続可能なものづくりへ生かす「深海インスパイアード化学」の新たな方向性を提示しました。
近年、地政学的リスクや原油価格の変動を背景に、石油に依存しないものづくりへの関心が一層高まっています。なかでもセルロース系バイオマスは、食料と競合しにくく、燃料や化学品、材料の原料となる再生可能資源として注目されています。しかし、セルロースは水に溶けない結晶性高分子であり、その効率的な分解・変換は依然として大きな課題です。
深海は、太陽光が届かず、生物が利用できる有機物が乏しい一方、低温・高圧でもある厳しい環境です。海洋表層や陸域から供給された有機物が深海へ沈降する過程では、分解されやすい成分が優先的に失われるため、深海に到達する有機物には難分解性成分が相対的に多く残ります。このような環境では、利用しにくい有機物を効率よく分解・利用する能力が、微生物の生存に重要であると考えられます。
研究チームは、深海に生息するセルロース分解微生物・酵素に関するこれまでの研究を体系的に整理し、深海微生物を、難分解性有機物を効率よく分解・利用するための戦略を進化させた生物システムとして位置づけました。さらに、その戦略を担う酵素の特徴として、セルラーゼを細胞表面に保持する仕組みや、複数の機能領域を備えた大型酵素などに注目しました。
これにより、これまで高圧や熱水環境など、深海の物理化学的条件を中心に展開されてきた「深海インスパイアード化学」を、深海生物が進化させた仕組みからものづくりの設計原理を学ぶ研究へと拡張しました。こうした視点は、新たな酵素の設計や、持続可能なバイオマス変換技術の開発につながることが期待されます。
本研究成果は、JSPS科研費(課題番号:JP23K14000)およびJST戦略的創造研究推進事業CREST(課題番号:JPMJCR21L4)の支援により得られた成果を含むものです。
なお、本研究成果は、日本化学会が発行する学術誌「Bulletin of the Chemical Society of Japan」の100周年記念企画の一環として、編集部からの招待を受けてまとめられ、2026年8月24日付でオンライン掲載されました。
Cellulolytic Microorganisms and Enzymes in the Deep Sea: Diversity, Molecular Adaptation, and Implications for Deep-Sea-Inspired Chemistry(深海におけるセルロース分解微生物・酵素:多様性、分子適応、深海インスパイアード化学への展望)
石油などの化石資源への依存を減らし、再生可能な炭素資源を活用するものづくりへの転換が求められています。なかでも、木材、農業残渣、紙・パルプ系廃棄物などに多く含まれるセルロース系バイオマスは、食料と競合しにくい資源として、燃料、化学品、材料の原料への利用が期待されています。
一方、セルロースは、糖の一種であるグルコースが規則正しく結びついた、水に溶けない高分子です。分子が密に並んだ強固な構造をもつため、酵素や化学反応で分解することは容易ではありません。このため、セルロース系バイオマスを有効利用するには、結晶性セルロースを効率的に分解する微生物や酵素の仕組みを理解することが重要です。
深海は、従来、地球上に残された未知の生物圏として研究されてきました。海洋表層や陸域で生産された有機物は深海へ沈降しますが、その過程で分解されやすい成分が優先的に消費されるため、深海に到達する有機物には、セルロースを含む難分解性成分が相対的に濃縮されます。太陽光が届かず、有機物供給も限られる深海では、こうした利用しにくい有機物を効率よく分解・利用する能力が、微生物の生存に重要であると考えられます。
JAMSTECではこれまで、深海微生物の多糖分解能や、セルラーゼ、キチナーゼなどの糖質分解酵素の機能に関する研究を進めてきました。その一環として、セルロースなどの不溶性多糖が分解された跡を、表面にできる微細なくぼみとして可視化する技術「SPOT(Surface-Pitting Observation Technology)」を開発しました。この技術により、セルロースやキチンを分解する深海微生物・酵素の探索と機能解析が大きく進展し、深海生物の分解戦略を理解するための知見が蓄積されてきました。
研究チームは、深海におけるセルロース分解微生物・酵素に関する知見を体系化するとともに、有機物が海洋表層から深海へ沈降する過程を材料化学の視点から捉え直しました。そして、深海微生物を、難分解性有機物を効率よく分解・利用するための戦略を進化させた生物システムとして位置づけ、その戦略を担う酵素の特徴を整理しました(図1)。
図1.深海セルロース分解研究と深海インスパイアード化学の概念図
深海インスパイアード化学は、深海システムから設計原理を学び、持続可能なイノベーションへ展開する研究フレームワークです。図では、セルロース分解微生物・酵素を代表例として、深海生物システムが難分解性有機物を分解・利用する仕組みに着目しています。
深海に残る分解されにくい有機物:海洋表層や陸域から供給された有機物が深海へ沈降する過程で、分解されやすい成分が失われ、難分解性有機物が相対的に残ることに着目しました。
深海現場でセルロースが完全に分解:深海におけるセルロース分解研究を整理し、多様なセルロース分解微生物や酵素の存在を示す研究成果を紹介しました。ナノファイバー化セルロースを深海に設置した実験では、1年間でセルロースが完全に分解され、深海現場で結晶性セルロースの微生物分解が起こることが直接的に示されました。
微弱な分解も見えるSPOT技術:材料化学の視点から開発したSPOT技術は、セルロースやキチンなどの難分解性多糖の分解を高感度に可視化できます。この技術を用いて、従来法では見逃されやすかった微弱な分解活性を検出した研究成果を紹介しました。
酵素や栄養分を無駄にしない仕組み:深海微生物にみられる、セルラーゼを細胞表面に保持する仕組みや、複数の機能領域を備えた大型酵素について整理しました。深海では、細胞の外に放出した酵素や、セルロースの分解によって生じた栄養分が周囲の海水へ広がるため、微生物がそれらを効率よく利用することが難しくなります。セルラーゼを細胞表面に保持する仕組みは、こうした無駄を減らし、セルロースを効率よく利用するための戦略である可能性があります。
以上の知見を基に、深海生物の仕組みを、新たな分解技術や酵素、バイオマス変換プロセスの設計に生かす「深海インスパイアード化学」の新たな方向性を提示しました。
今回提示した視点は、深海におけるセルロース分解微生物・酵素の研究が、深海生態系や炭素循環の理解にとどまらず、持続可能なバイオものづくりにもつながる可能性を示しています。今後、ゲノム解析、酵素機能解析、構造生物学、界面センシング技術を統合することで、深海環境に適応した微生物がセルロースなどを分解する仕組みがさらに明らかになると期待されます。
これまでの深海インスパイアード化学は、高圧や熱水環境など、深海の物理化学的条件に着想を得た研究を中心に展開されてきました。今回提示した枠組みは、深海インスパイアード化学を、深海生物が進化させた資源獲得・分解戦略から設計原理を学ぶ研究へと拡張するものです。
深海を「観察する対象」から「設計原理を学ぶ場」へと捉え直すことで、深海生物の多様性や適応の仕組みに関する知識を、新しい酵素やバイオマス変換技術の開発へ生かす研究が進むと期待されます。
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(本研究について)
国立研究開発法人海洋研究開発機構(報道担当)
国立研究開発法人海洋研究開発機構 事業推進部 報道室