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2023年 6月 6日
国立研究開発法人海洋研究開発機構
国立大学法人京都大学
国立大学法人京都工芸繊維大学

「深海インスパイヤード化学」のコンセプトを発表
― カーボンニュートラル実現に向けた新たな深海利用の提案 ―

1. 発表のポイント

深海から得た発想を基に、化学者の創意工夫によって革新的な化学を生み出す「深海インスパイヤード化学」のコンセプトを発表しました。
「水産資源」や「エネルギー資源」といった「モノ」に依存した海洋利用に代わる、サーキュラーエコノミーのパラダイムの下での持続可能な深海利用の提案です。
カーボンニュートラル実現に向けたソリューション開発への貢献が期待されます。

2. 概要

国立研究開発法人海洋研究開発機構(理事長 大和 裕幸、以下「JAMSTEC」という。)の出口 茂 生命理工学センター長、国立大学法人京都大学(総長 湊 長博)大学院工学研究科の古賀 毅 教授、出垣 大貴 大学院生、国立大学法人京都工芸繊維大学(学長 森迫 清貴)繊維学系の谷口 育雄 教授は、深海から得た発想を基に、化学者の創意工夫によって革新的な化学を生み出す「深海インスパイヤード化学」のコンセプトを発表しました。

地球表面の約70%を占める海洋の利活用は、地球と共生する持続可能な社会を実現する鍵です。従来のリニアエコノミー(線形経済)のパラダイムの下での海洋利用は「水産資源」や「エネルギー資源」といった「モノ」の利用が中心でした。しかしながら持続可能なサーキュラーエコノミー(循環型経済)のパラダイムの下では、単なる「モノ」の利用の枠を超えた海の利用が求められます。「深海インスパイヤード化学」は、深海極限環境下でのユニークな物理化学プロセスや生物が深海に適応する過程で獲得した固有の生存戦略を活用した深海利用の知識経済化の提案であり、カーボンニュートラル実現に向けたソリューション開発への貢献が期待されます。

本研究は、JST戦略的創造研究推進事業CREST「バロポリエステル:圧力による精密分解制御(課題番号:JPMJCR21L4)」、JST研究成果最適展開支援プログラム(A-STEP) ステージⅡ シーズ育成タイプ「深海極限環境に発想を得た高温・高圧技術による天然食品素材の高付加価値化(課題番号:JPMJTR164B)」、科研費「基盤研究(C)(課題番号:JP20K05633)」の支援により実施されました。

本論文はアメリカ化学会が発行する学術誌「Langmuir」からの招待を受けて執筆され、2023年6月2日付(現地時間)でオンライン掲載されました。また「深海インスパイヤード化学」のコンセプトを表現したイラストが掲載号の表紙に選ばれました。

タイトル:
Deep‑Sea‑Inspired Chemistry: A Hitchhiker’s Guide to the Bottom of the Ocean for Chemists(深海インスパイヤード化学:化学者のための海底ヒッチハイク・ガイド)
著者:
出口 茂1、出垣 大貴1,2谷口 育雄1,3古賀 毅1,2
所属:
1.国立研究開発法人海洋研究開発機構
海洋機能利用部門 生命理工学センター
2.京都大学大学院工学研究科
3.京都工芸繊維大学繊維学系
DOI:
10.1021/acs.langmuir.3c00516
(オープンアクセス)

3. 背景

海洋の平均深度は3,688メートルであり、うち200メートル以深を深海と呼びます。深海は地上とは全く異なる世界です。深海に向かって潜航を始めると水深10メートルごとに水圧が1気圧ずつ上昇し、世界最深部(深度約11,000メートル、マリアナ海溝チャレンジャー海淵)での水圧は約1,100気圧に達します。水深200メートル以深には太陽光が到達しないため深海は常に暗黒の世界であり、水深1,000メートル以深での水温は約5℃で一定です。ただし深海熱水噴出孔と呼ばれる深海底から噴き出す温泉からは、水の臨界点(臨界温度:374℃、臨界圧力:218気圧)を超えた超高温の水が噴き出しています。

自然は科学技術の進歩のための豊かなインスピレーションの源であり、深海も例外ではありません。深海という極限環境下でのユニークな物理化学的プロセスや、生物が深海に適応する過程で獲得した固有の生存戦略は、地上に暮らす私たちにはあまりに異質であるため、そこから得られるインスピレーションは成熟し確立された化学の分野さえ革新する可能性を秘めています。今回の論文では、研究グループで進めている1)圧力に応答するソフトマテリアル、2)深海熱水噴出孔から発想した化学プロセス、3)深海生物に触発されたナノバイオテクノロジー・バイオミメティクスを具体例に、「深海インスパイヤード化学」のコンセプトと展望を初めて発表しました。

4. 発表内容

4-1)圧力に応答するソフトマテリアル

圧力は、多くの場合、海表面での大気圧(1気圧)の値をもつ定数のごとく扱われますが、海中では1気圧から1,100気圧の間の値をとる変数です。圧力に応答するシステムは動的で、制御やスケールアップが容易です。また数百気圧程度の高水圧は容易に発生可能です(図1左)。そのため圧力に応答する材料は、エネルギー消費とCO2排出を抑えたプロセス開発など、カーボンニュートラル実現に大きく貢献すると期待されています。

例えば通常のプラスチックの成形加工は200℃以上への加熱を必要とします。一方、加圧で溶融するプラスチック(バロプラスチック)は室温付近で成形可能です(図1右)。最近では加圧成形によって何度でもマテリアルリサイクル可能な生分解性バロプラスチックも開発され、プラスチックの生産・廃棄に伴うCO2排出量の大幅な削減につながる材料として期待されています。研究グループでは、また、国立研究開発法人科学技術振興機構(以下「JST」という。)が進める戦略的創造研究推進事業(CREST)研究領域「分解・劣化・安定化の精密材料科学」の支援を受け、バロプラスチック技術を応用して「圧力」でケミカルリサイクル可能なプラスチックの研究開発を進めています。一方、深海の圧力を超える超高圧も生体組織の脱細胞化による再生医療用材料の開発などでの利用が進められています。

図1(左)図1(右)
図1.
(左)~1,000気圧までの高圧を発生できるハンドポンプ。(右)室温でのプラスチックの成形加工。粉末状のバロプラスチックを室温・500気圧で溶融させ、様々な成形品を製造可能です。

4-2)深海熱水噴出孔から発想した化学プロセス

深海熱水噴出孔に見られる高温・高圧条件では、油と自由に混ざるなど水自体の性質が大きく変化します。JAMSTEC生命理工学センター 新機能開拓研究グループでは高温・高圧の水の特異な性質を利用したナノ乳化技術「MAGIQ」を開発し、ナノエマルションの連続生産を世界で初めて実現しました(図2)。装置開発、スケールアップ検証、用途開発など実用化に向けた取り組みを進めています。また本年度からは熱水噴出孔に発想を得た高圧下での水の急速加熱・急速冷却装置を利用して、信州大学と共同で、水で分解して資源再生するプラスチック循環システムの開発を開始しています。

図2(左)図2(右)
図2.
熱水噴出孔に発想を得た高温・高圧乳化技術「MAGIQ」によるナノエマルションの連続生産。

4-3)深海生物に触発されたナノバイオテクノロジー・バイオミメティクス

太陽光が届かない深海に生息する生物が持つ、難分解性物質を効率良く分解する機能に注目が集まっています。JAMSTEC生命理工学センター 新機能開拓研究グループでは、難分解性の非可食バイオマスであるセルロースの酵素分解を超高感度に定量する先端ナノバイオ計測技術「SPOT」を開発しました(図3左)。SPOTを用いて深海から発見された新奇な微生物は陸上の微生物とは大きく異なるセルロース分解の仕組みを持っており、カーボンニュートラル実現に向けたバイオものづくりでの活用が期待されます。また深海生物に学んだバイオミメティクス(生物模倣)(図3右)は今後の大きな発展が期待される研究分野です。

図3(左)図3(右)
図3.
(左)先端ナノバイオ計測技術「SPOT」。(右)深海生物カイロウドウケツ(NOAA Photo Library | Flickr)。軽くて丈夫な構造物の設計や光ファイバーの省エネ生産など、バイオミメティクスでの活用が期待されています。

5. 今後の展望

宇宙と深海は人類に残された最後のフロンティアです。かつての宇宙探査は国家の威信をかけて国を挙げて取り組む巨大科学事業でしたが、現在では民間企業が大きく進出しています。同様に深海探査も変革の時を迎えています。2019年4月28日、Victor Vescovoは、1960年のJacques PiccardとDon Walsh、2012年のJames Cameronに続く、4人目の海洋最深部の到達者となりました。2020年より彼が使用した潜水船の商業運行が開始された結果、最深部に到達した人の数は急増し、2022年7月現在で27名に達しています。

Vescovoの潜水成功を報じたBBCの記事の見出しが「Mariana Trench: Deepest-ever sub dive finds plastic bag」であったように、もはや世界最深部へ到達することではなく、そこで何を発見したのかが問われる時代となりました。今後、深海探査がより身近なものになるにつれて深海の博物学的知識は飛躍的に増加します。「深海インスパイヤード化学」は単なる博物学的発見を深海の持続可能な恵みへと転換する、深海利用の知識経済化の提案であり、カーボンニュートラル実現など、持続可能性に向けた技術課題の解決に広く貢献することが期待されます。

「深海インスパイヤード化学」の推進には、様々な分野の研究を糾合したオープンイノベーション体制が不可欠です。JAMSTECと京都大学は2015年10月に包括連携協定を締結し、先端材料科学と深海の極限環境にインスパイアされた革新的プロセス技術とのインテグレーションによる次世代ナノ材料システムの創出を目指した「フロンティア材料工学」を推進しています。またJAMSTEC生命理工学センター 新機能開拓研究グループでは、「深海インスパイヤード化学」をコアシーズに、オープンイノベーション体制による課題解決型の研究開発によって新たな社会的価値を共創することを目的とした拠点形成を進めており、2022年5月よりJAMSTEC初となるサテライトラボを横浜金沢ハイテクセンター・テクノコアに設置しました。

「MAGIQ」を利用したナノエマルション製造装置は株式会社AKICOから販売されています。また「SPOT」の基となった技術は、極東製薬工業株式会社よりセルロースを基材とした世界初の微生物培養ツール「EXedia® セルロースプレート」として上市されています。


(研究に関するお問い合わせ先)
海洋研究開発機構 海洋機能利用部門
生命理工学センター長 出口 茂
京都大学
大学院工学研究科 教授 古賀 毅
京都工芸繊維大学
繊維学系 教授 谷口 育雄
(報道に関するお問い合わせ先)
海洋研究開発機構 海洋科学技術戦略部 報道室
京都大学 総務部広報課国際広報室
京都工芸繊維大学 総務企画課広報係
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