2016年 4月 21日
2016年 6月 1日一部修正
(本文修正)
国立研究開発法人海洋研究開発機構
国立大学法人京都大学
1.概要
国立研究開発法人海洋研究開発機構(理事長 平 朝彦、以下「JAMSTEC」)海洋生命理工学研究開発センターは、国立大学法人京都大学と共同で、有人潜水調査船「しんかい6500」、無人探査機「ハイパードルフィン」等により深海から採取した堆積物から、D-アミノ酸を好んで食べて増殖する微生物を発見しました。
タンパク質を構成するアミノ酸は、ちょうど鏡に映るように向かい合った左右対称の立体構造を持ったL-アミノ酸とD-アミノ酸の2つに区別されます。これまで生物はL-アミノ酸のみを選択的に利用すると考えられてきましたが、近年の分析技術の進歩によって、ヒトから微生物に至るまで様々な生物がD-アミノ酸を利用していることが明らかになってきました。特に哺乳類で、D-アミノ酸の一種であるD-セリンが脳の様々な高次機能を制御していることが発見されて以来、D-アミノ酸の生理機能や代謝経路が非常に注目を集めています。
研究グループは、2001年から2008年にかけて相模湾の水深800~1500mから採取した深海堆積物から、D-アミノ酸を利用して増殖する微生物を計28株分離することに成功しました。また、もっとも効率良くD-アミノ酸を利用する微生物について、その利用能を浅海から単離された近縁株と比較したところ、殆ど遺伝子上の違いがないにも関わらず、今回深海から単離した微生物のみが効率良くD-アミノ酸を利用する能力をもつことが明らかになりました。一般的に生物が圧倒的に多く生産するL-アミノ酸ではなく、D-アミノ酸をわざわざ選んで取り込むという驚くべきこの性質は、深海のような栄養に乏しい極限環境で生き残るための生存戦略として急速に獲得されていったものである可能性が示唆されます。こうした深海微生物の性質をさらに詳しく調べていくことで、未だ謎の多いD-アミノ酸の機能が明らかにされ、新たな医用技術やバイオテクノロジー開発へ応用されることが期待されます。
本成果は「Frontiers in Microbiology」誌に4月19日付け(日本時間)で掲載されました。
2.背景
タンパク質を構成するアミノ酸にはL-アミノ酸とD-アミノ酸の2つの鏡像異性体が存在します(図1)。これまで生物はL-アミノ酸のみを選択的に利用していると考えられてきました。ところが、分析技術の進歩と共に、生物の体内に少量ながらもD-アミノ酸が存在することが分かってきました。例えば納豆のネバネバには、D体のグルタミン酸(アミノ酸の一種)が豊富に含まれています。
最近では、D-アミノ酸が高等生物の生理機能をつかさどっていることも明らかになってきました。例えば哺乳類の脳内では、セリンラセマーゼと呼ばれる酵素によって、L-セリンがD-セリンへ変換され、記憶や学習をはじめとする高次脳機能を制御しています。
生物に由来すると考えられるD-アミノ酸は、土壌、河川、湖沼、海洋など、地球上のあらゆる環境から検出されています。中でも海洋の溶存有機物中には、他の環境と比べて多量のD-アミノ酸が含まれています。また深海微生物によるアミノ酸の取り込みを調べた研究では、採取深度が深くなるにつれてD-アミノ酸の代表格であるD-アスパラギン酸の微生物による取り込み量が増大し、水深1,000メートルから採取した深海水中の微生物はL-アスパラギン酸とD-アスパラギン酸を等しく取り込むことも報告されています。
これらの結果は、D-アミノ酸代謝経路の理解を進めていく上で、深海微生物が大変興味深い研究対象であることを強く示唆しています。ところがこれまで、D-アミノ酸を利用して増殖する微生物の深海環境からの単離は報告されておらず、深海環境での微生物によるD-アミノ酸利用の実像は全くわかっていませんでした。
※2016年6月1日 本文を訂正しました(赤字部分)。
3.成果
研究グループでは、JAMSTECの有人潜水調査船「しんかい6500」、無人探査機「ハイパードルフィン」等を用いて相模湾(水深800 m~1500 m)から採取した深海堆積物から、D-アミノ酸を栄養素(炭素・エネルギー源)として含む特殊な培地を用いたスクリーニングによって、D-アミノ酸を利用して増殖する微生物を計28株分離することに成功しました。
さらに仔細な検討を進めた結果、Nautella属の微生物A04V株が極めて奇異な性質を持つことを発見しました(図2)。この微生物は、必須アミノ酸の一種であるL-バリンのみをアミノ酸として含む培地中よりも、D-バリンのみを主要なアミノ酸として含む培地中で良好な生育を示しました(図3)。またL-バリンのみを主要なアミノ酸として含む培地にD-バリンを添加したときにも、生育が大きく促進されました(図4A)。このような性質は浅海に由来する近縁種(Natutella italica LMG24365株)には全くみられず、D-バリンは完全に増殖を阻害しました(図4B)。
次に19種類の天然アミノ酸それぞれに対して、L-アミノ酸とD-アミノ酸に対する分解活性を網羅的に調べたところ、浅海に由来する近縁種(LMG24365T株およびR11株)と比べ、A04V株の方が圧倒的にD-アミノ酸を好んで分解できる高い能力を持つことがわかりました(図5)。これらの特徴から、D-アミノ酸を好んで分解し、生育できる能力は、深海由来のA04V株に特有の性質であることが示唆されました。一方、A04V株のゲノム配列を解読し、前述の近縁種のゲノム配列との比較を行ったところ顕著な違いは見出されなかったことから、A04V株がL-アミノ酸をD-アミノ酸へ劇的に機能変化させるという特質は、ゲノム上のわずかな変異や個々の微生物における遺伝子発現調節の違いによって引き起こされるものと考えられます。
このように、深海と浅海にそれぞれ生息する極めて近縁な微生物間でD-アミノ酸利用能に違いが見られたことは、それぞれの生息環境におけるD-アミノ酸、L-アミノ酸それぞれの存在量と、それを巡る微生物間の競争環境における急速な適応によるものと考えられます。すなわち、今回発見された微生物がD-アミノ酸を好んで利用するようになったのは、取り込みの容易な有機物が枯渇しがちな深海環境における生存戦略として、利用が容易ではあるが競合相手の多いL-アミノ酸の利用を諦め、競合相手の少ないD-アミノ酸利用に特化していったものと考えられます。
4.今後の展望
今回発見されたD-アミノ酸を好む微生物が分布する深海は、光が届かず栄養源に乏しい場所です。そのような極限環境で生き残るための生存戦略として、陸上とは違う独自の進化を遂げる生物がいても不思議ではありません。深海には、L-アミノ酸が大多数を占める陸上の世界とは全く異なる鏡の向こうの世界が広がっている可能性があります。D-アミノ酸を好む微生物の生態学上の役割、そして微生物細胞内でのD-アミノ酸利用の仕組みについて、研究を展開する予定です。特に、D-アミノ酸利用に関する機能等が明らかになれば、新たな医用技術やバイオテクノロジー開発へ応用される可能性があります。
研究グループでは深海微生物が有する物質代謝機能の理解をより一層進めていくとともに、それらを応用した新たな社会的価値や経済的価値を生み出すイノベーションの創出に向け、研究開発を推進していきます。
図1.アミノ酸の1種、セリンのL体(左)とD体(右)。
図2.Nautella属A04V株の走査型電子顕微鏡写真。
図3.L—バリンまたはD-バリンのみを主要なアミノ酸として与えたときのNautella属A04V株の増殖挙動。
L-バリンのみを主要なアミノ酸として含む培地中よりも、D-バリンのみを主要なアミノ酸として含む培地中のほうが短時間で良好な生育を示す。
図4.L-バリンとD-バリンの混合物を与えたときのNautella属A04V株(A) およびLMG24365株(B)の増殖挙動。 A04V株は培地中の主要なアミノ酸としてL-バリンとD-バリンの混合物を与えた場合、D-バリンあるいはL-バリンのみを主要なアミノ酸として与える場合より、良好な増殖を示す(A)。LMG24365株では、主要なアミノ酸として与えたバリン中にD体が含まれると、増殖が完全に阻害される (B)。
図5.深海由来のNautella属A04V株、並びに浅海由来のNautella italica LMG24365T株及びR11株の濃縮した菌体によるアミノ酸分解活性の比較。アミノ酸分解活性はアミノ酸からα-ケト酸への変換として評価した。浅海由来のLMG24365T株及びR11は、D-体、L-体のいずれに対しても大きな分解活性を示さない。一方、深海由来のA04V株は、多くのアミノ酸(バリン(Val)、ロイシン(Leu)、イソロイシン(Ile)、プロリン(Pro)、メチオニン(Met)、アルギニン(Arg)、ヒスチジン(His)、フェニルアラニン(Phe)、チロシン(Tyr)、トリプトファン(Trp))において、D-アミノ酸を選択的に分解する。