プレスリリース
国立研究開発法人海洋研究開発機構
公益財団法人笹川平和財団
日本周辺海域における深海サウンドスケープのベースライン観測
―騒がしい熱水域、静かな深海平原―
1. 発表のポイント
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- 深海で飛び交う音がおりなす音環境・音風景(サウンドスケープ)を日本周辺海域4点で観測した。
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- 水曜海山では熱水活動特有の音が聞こえ、南鳥島沖の深海底は静穏な環境だった。
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- 今後、海底資源開発などが想定される海域においてサウンドスケープ観測を続けることで、人類による海洋利用の拡大がおよぼす深海生態系への影響を評価する予定。
2. 概要
国立研究開発法人海洋研究開発機構(理事長 松永 是、以下「JAMSTEC」という。)超先鋭研究開発部門超先鋭研究プログラムのCHEN Chong研究員および地球環境部門海洋生物環境影響研究センターのLIN Tzu-Hao Young Research Fellow(現・台湾アカデミアシニカ)らは、公益財団法人笹川平和財団(理事長 角南 篤)海洋政策研究所の赤松友成上席研究員と協力し、日本周辺海域における深海のサウンドスケープを観測しました。
船舶航行や洋上風力発電など人類による海洋利用の広がりによって、海洋のサウンドスケープは変容しています。近年、日本周辺海域では海底資源開発に向けた試掘が進められていますが、騒音による生態系構造への影響が懸念されています。同時に、水中では光(映像)よりも遠くまで届く音(サウンドスケープ)を指標として、開発による擾乱前後での生態系の変化をモニタリングすることも期待されています(2019年 11月 8日既報)。
本研究では、ベースライン調査として、熱水性金属鉱床が存在する水曜海山およびマンガンノジュールとレアアース泥が存在する南鳥島沖を含む4点の深海底においてサウンドスケープを調べました(図1、2)。この調査の結果、駿河湾や東北日本沿岸では船舶航行に由来する騒音が顕著であったのに対し、水曜海山では熱水活動に伴う音が顕著に鳴っており、南鳥島沖の深海底は他3地点で聞こえた音が少ない静穏な環境であることがわかりました(図3)。今回の結果は、サウンドスケープを用いた環境影響評価の可能性を提示するとともに、今後の環境影響評価において参照情報として利用されるものです。
本成果は、「Limnology and Oceanography」に8月26日付け(日本時間)で掲載される予定です。なお、本研究はJSPS科研費(JP18H06491、JP18K06401)、総合科学技術・イノベーション会議の戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)「革新的深海資源調査技術」および「最前線海洋研究の“実践”を通じた若手人材育成プロジェクト」(通称:ガチンコ航海)によって実施されました。
- 海洋研究開発機構
- 台湾アカデミアシニカ
- 笹川平和財団海洋政策研究所
3. 背景
JAMSTEC横須賀本部から西の方角を遠望すると、10万メートル先にそびえ立つ富士山が見えます。一方、有人潜水調査船「しんかい6500」の窓から外を見ると、わずか20メートルほど先は暗黒です。これは、空気に比べて水が光を通しにくい(吸収してしまう)性質を持つためです。では、音はどうでしょうか。「しんかい6500」は水深6,500メートルの深海から、海面にいる深海潜水調査船支援母船「よこすか」と音波を介して会話をしながら調査を進めています。一方、高さ643メートルの東京スカイツリーの先端から地上にいる人と会話をするのは、どれだけ大きな声を出しても難しいでしょう。海洋調査では、この「音が伝わりやすい」という水の性質に注目し、音を利用した様々な方法が利用されています。
サウンドスケープとは、その場に飛び交う音がおりなす音環境・音風景を意味する言葉です。調査目的である特定の音に焦点をあてる一般的な音響観測とは異なり、音環境を総体として扱う点にサウンドスケープ観測の特徴があります。海のサウンドスケープを構成する音は3つに大別されます。地球が鳴らす音(geophony・ジオフォニー)、生物が鳴らす音(biophony・バイオフォニー)、人類が鳴らす音(anthropophony・アンソロポフォニー)の3つです。海洋生物の中には、波や雨、あるいは地震が鳴らすジオフォニーを聞き、他の個体が発する音を聞き、そして自らも音を発生させながら生息しているものもいます。クジラやイルカといった海棲哺乳類はよく知られていますが、魚類や無脊椎動物でも音を利用していることが知られています。世界で一番深いチャレンジャー海淵の底であってもクジラの声や台風に伴う雨音が鳴り響いており、海底熱水活動域では噴出に伴う音が轟いていることが知られています(※1)。
人類の発展には海洋利用の拡大が不可欠で、たとえば日本の輸出入は重量ベースで99%以上を海運でまかなっています。船舶のプロペラが回転して発生させる音は、200年前までは地球上に存在しなかった代表的なアンソロポフォニーです。現在の主要な航路では連続的に鳴り続け、その音は深海まで轟いています。最近では、沿岸域に展開される洋上風力発電施設から発生する音にも関心が高まっています。これまでに500を超える研究で、人工音による海洋動物への影響を評価する試みが行われています(※2)。
日本は世界の中でも海底資源開発に強い関心を示す国です。実際に2010年代に入って、いくつかの海底資源域において、試掘を開始しています。一方、海底資源が存在する場は、特異な海洋生物の生息場でもあります。熱水性鉱床には化学合成生物群集が、コバルトリッチクラストが分布する海山には冷水サンゴ等がそれぞれ高密度で生息しています。マンガンノジュールは広大な深海平原に点在する稀少な硬い底質として、付着性生物に生息場を提供しています。
サウンドスケープは、海底資源開発において2つの視点から重要な環境影響評価指標です。1つは、海底資源開発では海底で重機を長時間駆動するため、発生する騒音が生物群集に影響を及ぼす可能性がある点です。生物群集がジオフォニーやバイオフォニーを利用している場合、開発で生じるアンソロポフォニーが大きすぎると、音が使えなくなりコミュニケーションが阻害されたり聴覚器官に影響がでたりして生息が困難になる懸念があります。もう1つは、広大な範囲の情報を取得できる点です。開発の影響が及ぶ範囲を網羅的に目視観察することは現実的ではありませんが、サウンドスケープを観測し、ジオフォニーやバイオフォニーに変化があれば、生物群集やその生息環境に変化があったと判断できます。
4. 成果
本研究では、4地点の深海底でサウンドスケープを観測しました。今回選定した4点は、開発の高い関心が向けられている熱水性金属鉱床の代表例として水曜海山、レアアース泥およびマンガンノジュールが知られる南鳥島沖、および船舶航行の活発な海域として駿河湾中央部および東北地方沿岸です(図1)。サウンドスケープの収録には市販の集音装置(図2)を用い、装置の深海底への設置と回収には「しんかい6500」やフォール型深海探査カメラシステム「江戸っ子1号」を用いました。収集した音データの総計は197.6時間分ですが、「しんかい6500」などから生じるノイズを取り除いた音データは98.4時間分になりました。この音データについて、各海域での音スペクトルの特徴を調べると同時に、海域間のサウンドスケープを比較するため非負値行列因子分解(NMF:Non-negative Matrix Factorization)を用いて解析しました(図3)。
駿河湾および東北沿岸では、周波数100Hzを中心とするサウンドスケープでした。観測期間を通じて音の大きさに変化があり、船舶航行に伴う騒音が顕著であると推定しました。NMF解析でも、両地点の音は同様の成分の強弱で説明されました。水曜海山では、周波数120Hz以下で周囲より30dBほど大きな音が鳴っていました。また100 Hz以下の低音域にいくつかの特異な音が検出されました。これらの音の特徴は、過去にファンデフカ海嶺の熱水域で行われた観測と類似しており、海底熱水活動に伴って発生している音(ジオフォニー)であると推定しました。南鳥島沖の水深5,000メートルでは、低音から高音まで差がなく静穏でした。世界最深部であるマリアナ海溝チャレンジャー海淵での先行研究では、船舶航行や地震に伴う音が収録されていることから、海溝域に比べ、南鳥島沖に代表される深海平原は一般に音源が乏しく静穏であると推定しました。
5. 今後の展望
本研究の結果、深海のサウンドスケープの特徴が、海洋表面あるいは海底の特徴に対応して地点ごとに異なることが明らかになりました。深海のサウンドスケープの違いを作り出すのは、アンソロポフォニーの影響の大小に加えて、潮汐・波浪・風雨の強弱によるジオフォニーの違い、生物群集の違い・生殖行動・摂餌行動に伴う特徴的なバイオフォニーなど、多様な要因が考えられます。今回の観測では熱水活動域の代表として水曜海山のみを対象としましたが、JAMSTECのこれまでの調査によって、熱水域ごとに熱水の噴出様式やバブルの多寡、あるいは生物群集の密度や動物種が大きく異なることが判明しており、これに対応してサウンドスケープも異なることが推定されます。今後は、熱水性金属鉱床の開発が特に期待されている沖縄トラフの各熱水域のサウンドスケープの違いとその要因や、レアアース泥の開発が期待されている南鳥島沖での超長期観測による騒音イベントの検出など、資源開発に伴う環境影響評価を進めます。
サウンドスケープは、生態系の特徴を遠隔に把握できる点でも威力を発揮します。たとえば、冬季には氷に覆われる極域において氷下サウンドスケープの長期モニタリングを行うことで、氷の下で活動する生物の様子を捉えることが期待されます。また、地球表面の半分を覆う深海底のサウンドスケープについて時空間分布を把握することで、音によって深海で何が起こっているかを描写することを目指しています。こうした知見を蓄積することで、氷の下で熱水活動が起こり生命の存在が期待されているエンケラダスやエウロパといった他天体において、氷下サウンドスケープ観測をすることで、サウンドスケープ情報から生命存在可能性に対して示唆を与えることができるかもしれません。
- ※1
- Dziak et al. (2017) Ambient Sound at Challenger Deep, Mariana Trench. Oceanography 30, 1. Crone et al. (2006) The Sound Generated by Mid-Ocean Ridge Black Smoker Hydrothermal Vents. Plos One 1, e133.
- ※2
- Duarte et al. (2021) The soundscape of the Anthropocene ocean. Science 371, eaba4658-12.
図1 本研究で調査した4つの海域。船舶航行の多い沿岸域(①②)、熱水活動域(③)、および深海平原(④)の代表例として選定した。
図2 水曜海山熱水域に設置した集音装置。熱水の湧出で周囲が黒く揺らいで見える。
図3 各地の音スペクトル。音圧は音の大きさ、周波数は音の高低に、それぞれ対応する。沿岸域では周波数100Hz付近で最大音圧が現れるが、熱水域ではより低音で最大音圧となる。深海平原は60デシベルを超える音圧がほとんど記録されない静穏な環境であることがわかる。
- (本研究について)
- 国立研究開発法人海洋研究開発機構
- 超先鋭研究開発部門 超先鋭研究プログラム主任研究員 川口慎介
- 笹川平和財団海洋政策研究所 海洋政策研究部
- 上席研究員 赤松友成
- (報道担当)
- 国立研究開発法人海洋研究開発機構
- 海洋科学技術戦略部 広報課
- 公益財団法人笹川平和財団
- コミュニケーション企画部 広報課