台風を含む熱帯低気圧の活動がどれだけ活発になるのかを数ヶ月前から予測(季節予測)できれば、損害保険をはじめとして、それに限らずサンゴの保全等さまざまな産業の危機管理に応用できる。
これまで特定の地域を対象とした有益な季節予測を行うことは難しかったが、本研究の季節予測システムによる大規模シミュレーションの結果、沖縄・台湾付近において夏に熱帯低気圧が平年より増えるのか、減るのかを数ヶ月前からある程度予測できることがわかった。
この地域における台風の季節予測には、特にインド洋ダイポールモード現象※1 の寄与が重要であることを示した。
インド洋ダイポールモード現象
熱帯インド洋で海洋と大気が連動し、相互に作用しながら発達する気候の変動現象。正と負のイベントがあり、特に負のダイポールモード現象が発生すると(例えば、2024年の秋から冬の状態)、熱帯インド洋の南東部で海面水温が平年より高く、西部で海面水温が低くなる(下図)。この水温変動によって、通常時でも東インド洋で活発な対流活動が、さらに活発となり、インドネシアやオーストラリアなどでは大雨・洪水の被害が甚大化する傾向がある。一方で、東アフリカでは干ばつ(2022年11月22日既報)や山火事が発生しやすくなる(動画は季節ウォッチを参照)。
図: 負のダイポール発生時の模式図。陰影は海面水温の異常値を表していて、赤色は平年より水温が高く、青色は平年よりも水温が低いことを示す。白色のパッチは対流活動が強化していることを表し、矢印は海上風向の異常を表す。
国立研究開発法人海洋研究開発機構(理事長 大和 裕幸、以下「JAMSTEC」という。)付加価値情報創生部門アプリケーションラボの土井威志主任研究員らは、季節予測システム(SINTEX-F)で、沖縄・台湾付近で、夏に台風を含む熱帯低気圧が増えるのかを5月初旬時点から予測可能であることを示しました。
日本や台湾などで自然災害として最も甚大な被害を及ぼす現象の一つが、台風を含む熱帯低気圧による激しい気象現象です。もし、夏に熱帯低気圧の活動が活発になるかを数ヶ月前から予測できれば、損害保険をはじめとするさまざまな産業の危機管理等に応用できます。従来は、北西太平洋の広い範囲で平均した熱帯低気圧の活動が活発化するかどうかについては数ヶ月前からある程度予測できることが知られていました。しかし、北西太平洋のうち、特定の海域における熱帯低気圧の活動について有益な季節予測情報を提供するのは難しい状況でした。
本研究では、SINTEX-F季節予測システムによる大規模アンサンブルシミュレーションを実施し、沖縄・台湾付近であれば、夏(6-8月積算)に、熱帯低気圧が平年より増えるのか減るのかを調べたところ、5月初旬時点からある程度予測可能であることを示しました。また予測が成功した事例では、インド洋ダイポールモード現象の寄与が重要であることがわかりました。
従来の季節予測の多くは、3ヶ月平均の気温や降水量を予測対象にしていましたが、本研究で、熱帯低気圧のような甚大な被害を引き起こす極端現象について、その季節的な特性、つまり個々の台風の進路予測等ではなく、夏の間、台風が平年に比べてどこに存在しやすいか等について、季節予測がある程度可能であることを示しました。極端現象に起因する被害を緩和する準備期間を用意できることになり、社会生活を営む上で極めて効果的です。
人為起源の地球温暖化の進行に伴い、北西太平洋低緯度域で台風の強度が増していく可能性が指摘されており、数年毎に発生するエルニーニョ現象やインド洋ダイポールモード現象などの自然起源の変動と位相が重なることで、被害が深刻化することが危惧されます。本研究で示したような台風の季節予測の高精度化を進めると共に、その予測情報を応用し被害を軽減するための社会応用研究を発展させることは喫緊の課題です。
本成果は、「npj climate and atmospheric science」に4月3日付け(日本時間)で掲載されました。
Seasonal predictability of tropical cyclone frequency over the western North Pacific by a large-ensemble climate model
数ヶ月平均で現れる干ばつ・洪水・猛暑・暖冬などの季節の不順を現象が現れる数ヶ月前から予測する科学技術は、「季節予測」と呼ばれます。アプリケーションラボでは、欧州の研究者らと共同で「SINTEX-F季節予測システム」と呼ばれるソフトウェアを開発し、予測の高精度化や、その予測情報を応用するための先駆的な研究を進めてきました。最新の予測結果はインターネット上で公開されています。(参考:SINTEX-F季節予測システム)。
季節予測は、海洋観測とコンピュータシミュレーションのリレーのようなシステムです。まず、はじめに、予測開始時点での、海の水温の状況をよく知る必要があります。熱容量の大きい海の水温が、平年と違った状況にあると、数ヶ月先でもその情報が消えず、季節の不順を引き起こす種の役割をします。現在は、人工衛星や、係留ブイ、アルゴフロートと呼ばれる自動浮き沈み測器によって、時時刻刻と変化する海面および海中の水温を、リアルタイムで観測することができます。その情報(実空間の海)を気候モデル※2(仮想空間)にバトンパスして、予測シミュレーションを実施します。その膨大な計算を実行するにはスーパーコンピュータが必要です。JAMSTECは、海洋観測システムの発展に尽力していると共に(例えば、アルゴフロート、TRITONブイ、バイオロギングなど)、世界有数のスーパーコンピュータ「地球シミュレータ」を有します。アプリケーションラボでは、それらを効果的に使い、「季節予測」を高度化する技術を磨いてきました。特に、インド洋ダイポールモード現象や熱帯太平洋のエルニーニョ予測などにおいて、先駆的な成果を上げてきた実績があります。
しかし、これらの季節予測の対象は、月平均のエルニーニョやダイポールの指標や、3ヶ月平均の気温や降水量などにとどまっており、熱帯低気圧のような甚大な被害を引き起こす極端現象の季節的な特性(個々の台風の進路予測等ではなく、夏の間、台風が平年に比べてどこに存在しやすいか等)に関する季節予測情報は提供できていませんでした。熱帯低気圧(台風を含む)は、自然災害として最も甚大な被害を及ぼす現象の一つです。天気予報、すなわち、数日前から個々の台風の進路予測に基づき、防災・減災に利活用することはもちろん大事です。加えて、夏の間、台風が平年に比べてどこで活動が活発になるかを数ヶ月前から予測できれば、損害保険、農業、観光業などさまざまな産業の危機管理に応用できるでしょう。近年、人為起源の地球温暖化の進行に伴い、北西太平洋低緯度域で台風の強度が増していく可能性が指摘されており、自然起源の年々変動(年毎の変動。冬は寒いが、厳しい寒さの冬やマイルドな冬などが年によって違って現れる変動)と位相が重なることで、被害が深刻化することが危惧されるため、熱帯低気圧の活動度の季節予測研究は益々重要になってきました。
気候モデル
大気-海-陸-海氷などに対して、主に物理法則に従って、10分程度の未来を計算できる数式の集まりで構成されており、この計算を繰り返すことで、何ヶ月も先の未来の状況をスーパーコンピュータで予測計算できるソフトウェア。気候モデルの源流は2021年にノーベル物理学賞を受賞した眞鍋淑郎博士の研究にある。(2021年10月5日既報)
1982–2022年の各年の5月初旬から季節予測実験を実施した結果を解析することで、沖縄・台湾付近で、夏の熱帯低気圧の存在頻度(夏の間の積算で、その海域で熱帯低気圧が何個あったか)の予測が、ある程度可能であることがわかりました(図1)。
図1 1982–2022年の6–8月平均における熱低低気圧の存在頻度を、5月初旬から予測した際の相関係数スキル。108アンサンブル平均の結果。1が予測が最も良く、色がついているところであれば、予測がある程度可能であることを示す。
世界の季節予測システムのほとんどが数10程度のアンサンブルメンバー(僅かに異なる条件の下で同じ予測計算を繰り返した、それぞれの結果)で予測を実施しているのに対し、SINTEX-F季節予測システムは108に達する大規模アンサンブルメンバー数で予測シミュレーションをしており(2019年1月24日既報)、予測のバラツキ(ノイズ)が大きい熱帯低気圧の予測についても、シグナルの検出や予測の要因分析をしやすいといったアドバンテージがあります。
2018年に、同海域で、熱帯低気圧が非常に多く存在していた事例は、特によく予測できていました。そこで、その事例に対して、アンサンブルメンバー間の違いを詳しく調べた結果、正のインド洋ダイポールモード現象を強く(弱く)予測するメンバーでは、沖縄・台湾付近で熱帯低気圧の存在頻度を多く予測する傾向があることを突き止めました( 図2)。インド洋ダイポールモード現象の予測の精度を上げ、その不確実性を減らすことで、沖縄・台湾付近での熱帯低気圧の存在頻度の予測が改善することが期待されます。
図2 沖縄・台湾付近(東経120-130度、北緯20-30度, 赤いボックス)の熱帯低気圧の存在頻度の偏差(30年で平均した平年値からの差)と海面水温偏差の予測値に関する、アンサンブル位相空間での相関係数。色がついているところは、アンサンブルメンバー同士がランダムにばらついているわけではなく、ある特定の現象と連動して変動していることを示す。黒いボックスは、熱帯太平洋のエルニーニョ現象やインド洋ダイポールモードの指標に使われる領域。例えば、この図では、沖縄・台湾付近で熱帯低気圧の存在頻度を多く(少なく)予測するアンサンブルメンバーは、熱帯インド洋東部で負の海面水温偏差(つまり正のインド洋ダイポールモード現象)を強く(弱く)予測する傾向にあることを示す。
初夏前からその年の夏にインド洋ダイポールモード現象が発生するかどうかを予測することは今の技術では難しいのですが、今後もインド洋ダイポールモード現象の動向に注意が必要です。インド洋ダイポールモード現象を含む最新の予測は、アプリケーションラボの SINTEX-F季節予測システムのHPで確認できます。
3ヶ月平均の気温や降水量の予測する段階を超えて、熱帯低気圧のような甚大な被害を引き起こす極端現象の季節的な特性について、特定の海域で季節予測がある程度可能であることを示したことは、本研究の重要な成果と言えます。しかしその予測精度は、様々なユーザーのニーズに応えられる程充分ではないのかもしれません。今後、予測精度を抜本的に向上させる必要があります。例えば、今回の研究で使ったSINTEX-Fは多アンサンブルではありますが、それ故に、水平解像度は110km程度でとどめざるをえず、台風の構造を緻密に表現するには不十分です。システムの高解像度化は予測の改善には必要不可欠です。また、違ったアプローチとして、予測が当たりやすいイベントを事前に特定するといった方法もあります。1982-2022年の過去41年分の夏の事例を等価に扱った場合、単純に計算すると比較的低い予測精度しか出せないのが実情です。しかし、特定の条件下(例えば、インド洋ダイポールモード現象が単独で発生している場合など)では、予測が比較的成功しているようにもみえます。異常な状態が引き起こされたプロセス・原因を事例毎に理解することで、平年より有用な予測が可能となる条件について理解を深める必要があります。その結果、今年の夏の予測は、平年より信頼しやすいといった情報を付与して、ユーザーの意思決定をサポートできる可能性があります。あるいは比較的予測のしやすい低緯度側の熱帯諸国での研究開発を進めることも成功実績の蓄積や実証実験を進める上で重要です。加えて、近年は人工知能(AI)を使った天気予報も注目を集めています。本研究で扱った気候モデルは、物理法則に従って数理的に計算するものですが、それとAIを用いた手法をハイブリッドに組み合わせる方法も注目されています。
アプリケーションラボでは、今後も、実空間の地球海洋観測データと仮想空間のシミュレーション技術を融合させ、極端現象の発生に関連する様々な利害関係者の意思決定をサポートする季節予測情報を創出するツール群(「極端気候デジタルツイン」と呼びます)の要素技術開発を進めていきます。
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報道担当